24 罪の在り方
麓慎で宮仕えをする官は、文官武官を問わず城内にある宿舎で寝泊まりをする。しかし貴族階級にある高位の官吏は領地にある本邸とは別に都に屋敷を構え、そこから出仕するのが一般的である。
夜が更けて麓慎の都が寝静まっても、その中心にある昴耀城だけは煌々と篝火が燃えていた。
当然のことながら、有事とあってはゆっくり休んでいる暇もない。
昼間の暑さはどこへやら、日没後は気温が下がって肌寒い。夜も遅いというのに窓の外ではひっきりなしに虫が鳴いている。自然の楽団員が蛙から虫達に代わったことにより、一層秋の気配が濃くなった。
晄黎は肩からずり落ちた羽織りを掛け直すと、劉藍とともに青暘殿へと足を踏み入れた。
城内には敵国と通じている裏切り者の存在が囁かれていることもあり、巡回する兵の表情はいつにも増して険しい。
すれ違う兵一人一人に労いの言葉を掛ける晄黎の目には、些細な変化もはっきりと見てとれた。
目的の部屋の前に辿り着くと、飾り窓の隙間から燭台の灯りが漏れていた。人の気配を感じて晄黎が目配せすると、劉藍は頷き部屋の扉を押し開けた。
木製の扉が軋む音を立てると、中にいた人物が手元の書簡からパッと顔を上げた。
「王太子殿下!?」
文机で仕事をしていた笙窈は手を止めて驚きの声を上げた。徹夜続きだからだろうか。目の下にはクマができて、顔はいつにも増して白く見える。
笙窈は慌てて晄黎の元に駆け寄ると深々と頭を下げた。
「遅い時間までご苦労」
「いえいえ、とんでもないことでございます。このような夜更けにいかがされましたか? 燿蟬殿でしたら既に楼蘭の邸宅に戻られましたが」
「いや、良いんだ。用があるのはそなたにだからな、笙窈殿」
「わ、私ですか?」
困惑する笙窈に晄黎は微笑んだ。
「以前聞いた保温筒について冬が来る前に議論を煮詰めておきたくてな」
「ああ、その件でございましたか。私としては願ったり叶ったりですが、お忙しいのではありませんか?」
「非常に優先度の高い案件だと判断した。問題ない」
晄黎は部屋に進み入ると来客用の椅子に腰を落ち着けた。
笙窈はどこか落ち着かない様子で「左様でございましたか」と言葉を紡いだ。
「議論の前に、笙窈殿に手土産があるのだ。劉藍」
「はい、太子」
劉藍は短く応えると、台の上に茶器を並べた。
その様子を眺めていた笙窈はすっかり恐縮してしまったらしく、長身の背を丸めて縮こまった。
「手土産などと恐れ多いことでございます」
「遠慮しないでくれ。そなたが寝る間も惜しんで職務に励んでいることは他の官吏から聞いている。少しでも気が休まればと思ってな」
「お心遣い痛み入ります。これはどのような茶葉でございますか?」
「最近手に入った珍しいものだ。茶葉が粉末状になっているのだが、色が非常に美しくてな。ぜひ開けて見てもらいたい」
晄黎は得意気に語ると茶葉が入った茶器を笙窈の前に差し出した。
「それはそれは。見るのが楽しみでございます」
言われるがまま笙窈が茶器に手を伸ばす。
蓋を開けた瞬間、笙窈の顔が引き攣るのを晄黎は見逃さなかった。
「……これは、なんとも美しい。このようなものは初めて見ました。これは一体どちらで?」
「とある筋から譲ってもらった。西方で売られているもので富裕層に人気があるそうだ」
晄黎が説明する横で劉藍が淡々と湯呑みに茶を注ぐ。美しい金粉は湯に溶けると、黄味がかった色へと変わった。
「さぁ、笙窈殿。よく味わって飲んでくれ」
邪気のない笑みを浮かべて茶を勧める晄黎とは対照的に、笙窈は額に冷や汗を浮かべながら湯呑みの中を凝視していた。
「笙窈殿?」
湯呑みを手に持ったまま固まってしまった笙窈に言葉を掛ける。しかし笙窈は青い顔をしたまま微動だにしない。
「どうした。体調でも悪いのか? それとも」
晄黎は硬直した笙窈に顔を寄せると耳元でそっと囁いた。
「その粉に見覚えでもあったか?」
ヒュッと喉が鳴る音がした。
次の瞬間、笙窈の手から茶器が滑り落ちた。なす術もなく床に打ち付けられた茶器が割れる。ガチャンッという音がまるで断末魔のように静まり返った部屋に響いた。
「一体、なんのことでございましょうか」
上擦った声が笙窈の口から漏れる。
動揺する様を晄黎は冷やかな表情で眺めた。やはり自分の考えは間違っていなかった、と目の前の醜態が確信を抱かせる。
笙窈は鋭い視線から逃れるようにしゃがみ込むと、床に散らばった破片を拾い始めた。
罰の悪そうな笙窈を尻目に晄黎は畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「前に話した保温筒。あれは本当に優れものだな。まさか昆虫の飼育にも使えるとは思わなかった」
「昆、虫? え、ええと、なんのことだかさっぱりわからないのですが……」
「下手な芝居はしなくて結構。貴様が砂漠蝶を用いて陛下と蓂抄様に害を為したことはわかっている」
目を泳がせる笙窈に劉藍はにべもなく言い放った。
「西方の風土病は砂漠蝶の鱗粉によって引き起こされる病だ。しかし寒さに弱く、温暖な気候でのみ生存が可能な砂漠蝶を麓慎に持ち込むことは不可能だった。だがそれは保温筒があれば話は別だ」
「保温筒を麓慎に普及させようとしたのは、私ではなく燿蟬殿です。それでも私をお疑いになるのでございますか!?」
笙窈は縋るような目で晄黎を見上げた。
「それは今関係ないことだ。そもそも、保温筒を最初に麓慎に持ち込んだのは笙窈殿だと聞き及んでいる。そうだったな、劉藍」
「はい。あの狸爺い曰く、商家の生まれである笙窈殿は交易品の知識が豊富で他国の優れた品を見つけ出すのが得意だとか。保温筒も笙窈殿から紹介され、国内で普及できないかを模索するに至ったと聞いています」
つまり笙窈が紹介した品を燿蟬が目利きをして、政策に組み込むかを判断していることになる。
「そなたがわざわざ燿蟬殿の名を出したのは、彼に疑いの目を向ける為だったのだろう。私と燿蟬殿が不仲であることは城内の者であれば誰でも知っていることだ。だから榻鷣のことにも言及したのだ」
榻鷣の不可解な予算増額について話題を振れば燿蟬に対して不信感を抱くのは当然のことである。その件を調べれば地下通路に詳しい人物が謀殺されていることが露呈し、裏切り者の存在を強く意識することになる。
そうなった時、疑わしい人物の筆頭候補に上がるのは燿蟬ということになる。
「笙窈殿。そなたは以前、保温筒の試作品を職人に造らせたと言っていたな。確認したところ製作数は全部で十個。それらはすべて冬官が管理する保管庫に保存されている。現物も確認済みだ」
「それが、一体どうしたというのですか」
「足りないとは思わないか? 何故倉庫には十個しかないんだ」
「何を仰っているのですか? 製作数が十であれば、倉庫にある試作品の数は十個に決まっているではありませんか。おかしな点などどこにもございません」
「いいや、試作品を造るために見本にした完成品を含めると、数は十一になる。城内には十一個なければ数が合わない。だがその見本品は倉庫にはなかった」
それまで必死に言い募っていた笙窈が閉口する。
言い訳を探しているのか、視線が中空を漂っている。
構わず晄黎は言葉を続けた。
「以前青暘殿で立ち話をした際、私に見せた保温筒は見本品だった筈だ。倉庫にある試作品とは微妙に造りが違っていたからすぐにわかった」
晄黎は指で輪っかを作って見せると、諭すような調子で言った。
「あの日見た保温筒には小さな穴が空いていたが、倉庫に保管されている保温筒にはそれがなかった。職人の話では
元々穴の空いていなかった見本品に、そなたが穴を開けるように指示したそうだな。理由を当ててみせようか」
晄黎は屈んで笙窈と目線を合わせる。特徴的な三白眼にはありありと恐怖が浮かんでいた。
「密閉空間では生きられない蝶の空気穴を確保する為だ。砂漠蝶は死後一日足らずで体が急速に分解され無毒化するが、生きた蝶が手元にいれば病に見せかけて人を殺害することは簡単だ」
「そんな、わた、私では……」
「それは現物を見れば白黒はっきりする話だ。もう一度私に見せてくれないか。そなたが持っている保温筒を」
「そんなものは持っておりません」
「あくまで白を切るならそれでも構わないが、あまり賢い判断とはいえないな。茶器の中身に驚き、動揺を見せた瞬間からそなたは自分が犯人であることを明かしていたようなものだから」
砂漠蝶の鱗粉に見せかけた粉末を茶葉と偽って出したのは単なる鎌掛けの為だったのだが、笙窈は面白いほど簡単に引っかかった。恐らくは元々嘘を吐くのが苦手な人間なのだろう。
とはいえ、あの粉末は金とそれらしい色の木の実を粉にしたものでたとえ飲んでいたとしても体には全く害はない。
彼が犯人であろうがなかろうが、死なれては困る。
最早言い逃れは不可能と悟ったらしい。笙窈の顔には絶望が広がっていった。
「違う、違うんです……。こんなつもりでは……。私はただ脅されただけで」
掠れた声で笙窈が訴える。
「脅された?」
晄黎は眉を顰めた。
「一体誰に脅された?」
晄黎が怪訝な顔で問いかけると、笙窈は酷く怯えた様子で何度も首を横に振った。
「わ、分かりません」
「貴様ふざけているのか!?」
劉藍が掴みかからん勢いで詰め寄ると、笙窈はヒィッと悲鳴を上げた。
「ほ、本当にわからないんです!! 指示はいつも書簡で届いていたので姿を見たこともありません。でも周りで次々に人が死んで……。次は私かもしれないと、だから!!」
急に声を荒げたかと思えば、笙窈は頭を抱えて床に蹲った。
「落ち着け! 順を追って説明してくれ。他にも首謀者がいる。そういうことなんだな?」
「つ、次は、次は私の番だ……。そんな、私はただ……」
半狂乱になった笙窈は最早晄黎の言葉など聞こえていないようだった。ただ譫言のように自身を正当化する言葉と恐怖を口にした。
「劉藍、彼を牢へ」
「はっ」
今は何を聞いてもまともな答えが返ってくるとは思えない。時間をおいて落ち着くのを待つしかないだろう。
ようやく犯人を捕まえたかと思ったが、どうやらこれで終わりではないらしい。
次から次へと浮上する問題に頭が痛む。晄黎はこめかみを押さえると壁に寄りかかった。
結局この日は、心にモヤモヤとした不安が燻り続けることになった。




