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黎明記  作者: 春咲 司


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23 蝕む毒

「陛下と同じ西の風土病でございます」


 蓂抄の治療を終えた伯濯が厳かにそう告げたのは、翌朝のことである。紫琉殿の自室で報告を受けた晄黎は絶望に顔を打ち顰めた。

 それに対して伯濯は「ですが」とすかさず言葉を続ける。


「陛下の時と比べて症状は軽いです。容体も安定しておりますし、命に別状はないでしょう」


「血を吐いていたが本当に大丈夫なのか? それにあれは死に至る病だと言っていたではないか」


 もしかしたらこのまま死んでしまうのではないか。そんな最悪な考えが過ぎるほど、昨日目の当たりにした母の姿は苦しそうだった。それゆえにいくら伯濯の言葉でもすぐには納得できなかった。


「確かにあれは治療法の確立されていない死病です。ですが稀に軽症で済むこともあるのです。蓂抄様の場合は症状に応じた薬を処方して、静養することできちんと回復いたしますよ。ご安心ください」


 言われてみれば母の苦しみ方は尋常ではなかったが、陛下の時はそれと比べものにならないほど酷かった。


「では、治るのだな」


 念を押す晄黎に伯濯は力強く頷く。

 命に別状はないと知り、晄黎は胸を撫で下ろした。


「伯濯、陛下の……父上の方はどうだ?」


「陛下も問題なく回復しておりますよ。三年寝たきりでしたから筋力の低下があり起き上がることはできませんが、快癒したと言えるでしょう」


「そうか。……良かった。悪いが父上の病状が回復したことはまだ公表しないでおきたいんだ。だから伯濯の方からも他の医官に口止めをしておいてほしい」


 正直に言えば今すぐにでも王の目覚めを流布して城内の者達を安心させてやりたい。だが──。


「陛下の病が人為的に引き起こされた可能性がある以上、安易に快復したと伝えてまた命を狙われるようなことがあってはいけない」


「そうですな。蓂抄様が同じ病に感染したことを加味しても、せめて病の出所がわかるまでは伏せておくのがよいでしょう」


「面倒を掛けることになるが、よろしく頼む」


 こうなると考えなくてはいけないのは病の出所である。

 一体誰がどうやって西の風土病を感染させたのか。人為的なものなら痕跡を残さないなど不可能だ。何か見落としがあるに違いない。


「太子」


「うん?」


「申し訳ありませんでした」


 そう言って伯濯は床に手をつくと頭を下げた。


「なっ!?」


 唐突な行動に面食らって、晄黎は咄嗟に言葉が出てこなかった。


「私は白凰である香珠様のことを知りながら、太子に嘘をついておりました。それだけではありません。太子の腕も陛下の病も治すことができなかった。……私は医官失格です」


「やめてくれ伯濯! そんなことをしてほしいと思ったことはない! 事情は母上から聞いている」


 晄黎は慌てて伯濯を起こした。一晩中蓂抄と浩佑の二人を診ていた伯濯の目の下にはクマができている。

 弱りきった伯濯を前にして晄黎は胸が締め付けられる思いがした。

 晄黎と蓂抄の板挟みに合うのはさぞ苦しかっただろう。医官でありながら王を救えず、結果として香珠の力を借りたことは伯濯にとっても辛かっただろう。


 晄黎は忠義の板挟みにあったこともなければ、医官としての矜持がどんなものなのかもわからない。

 だからどんな言葉を掛けたとしても、伯濯が抱いた負い目をなくしてやることは晄黎にはできない。


 だが罪悪感に苛まれる気持ちなら晄黎にもわかる。

 知らぬこととはいえ、晄黎は腕の再生の為に香珠の寿命を削ってしまった。

 きっと大なり小なり、生きていれば誰もが抱える感情だろう。だがそれを抱え込んだまま苦しむ伯濯の姿は見たくなかった。


「なぁ伯濯。謝罪などいらないと言ってもお前が気に病むことをやめられないというのなら、今私を助けてくれ。私には伯濯が必要だ」


 たとえ負い目を消してやることはできずとも、慙愧に堪えない彼の心を和らげることはできるはずだ。

 ゆっくりと晄黎の手を借りながら伯濯が立ち上がる。


「はい、太子」


 そう言って力強く頷くのは、晄黎がよく知るいつもの伯濯だった。


「伯濯、あの病は人から人には感染しないのだったな?」


「ええ。現にこの三年間、城内では陛下を除いて感染した者はおりません」


 西の風土病。感染経路となるのは砂漠蝶のみ。感染者は浩佑と蓂抄の二人だけ。やはりただの病ではなく、人為的に引き起こされた事件としか思えない。


「感染源となる砂漠蝶を誰かがこの麓槙に持ち込んだとは考えられないか?」


「それはあり得ないことかと思われます」


 伯濯は間髪を容れず否定した。


「何故だ?」


「砂漠蝶は西方砂漠のごく一部にのみ生息する蝶で、寒さに非常に弱いのです。生きた蝶を麓槙に持ち込むことは不可能かと」


「だが死骸なら持ち込めるだろう」


 これにも伯濯は首を横に振った。


「砂漠蝶は死後急速に体が分解を始め、一日足らずで土に還ります。それに砂漠蝶の恐ろしさは金色に輝く鱗粉だと言われておりますから、死骸を持ち込んだところで意味はありません」


 晄黎は僅かな引っかかりを覚えて眉を顰めた。


「金色の鱗粉? その砂漠蝶というのは金色の蝶なのか?」


「はい。砂漠蝶は熱砂の大地に良く似た金色の蝶なのだとか。治療法を探る中で西方の遊牧民から聞き知ったことですので、私も実際に見た訳ではありませんが」


 寒さに弱く持ち込むことのできない蝶。金色の鱗粉。何かを見落としている気がする。晄黎は額に手をやると押し黙った。

 つい最近のことだ。どこかで()()を見たような気がするが、思い出せない。

 わかりそうでわからない。そんなモヤモヤとした気持ち悪さに苛立ちを覚える。

 ふぅ、と息を吐き出すと晄黎は記憶の逆再生を始めた。

 そしてある一点に差し掛かった瞬間、弾かれたように顔を上げた。

 点と点が繋がって頭の中で線を描く。それに気が付いた時、晄黎は椅子を蹴倒して駆け出していた。


「太子! どちらへ!?」


「すぐに戻る! 伯濯はここで待っていてくれ!!」


 晄黎はそれだけ言い残して部屋を後にした。



 ******



「慧梏! 邪魔をするぞ!!」


 返事を待たずに青暘殿にある執務室の扉を開け放つ。

 血相を変えて駆け込んできた晄黎に、慧梏は目を白黒させた。

 晄黎は大股で近づくと、慧梏の顔や体をポンポンと触る。


「い、一体どうしたというのですか、太子」


 状況が理解出来ずに慧梏が上擦った声を上げる。

 しかし動揺する慧梏には構わず、晄黎は言葉を並べ立てた。


「慧梏、体調に異変はないか? どこか痛いとか、熱っぽいとか」


 気迫に押されて慧梏が一歩後退る。


「い、いいえ? 全くもってそのようなことはありませんが……。本当にどうしたのですか?」


 怪訝そうな顔をする慧梏とは対照的に晄黎はホッと息を吐いた。どうやら身体に異常はなさそうだ。晄黎は真剣な表情で頭を下げた。


「頼む、慧梏。あの紙片を貸してくれ」


 あの紙片とは、慧梏の力作が書き連ねられたあの詩集である。慧梏もどれのことを言っているのかすぐにピンときたようで、口をへの字に曲げた。


「あ、あれをですか?」


 慧梏は渋い顔で難色を示した。

 こういう反応が帰ってくるだろうとは予測していたが、それでも晄黎は真摯に頭を下げ続けた。


「頼む! あれで陛下や母上に病を感染させた犯人がわかるかもしれないんだ」


 その一言で慧梏は顔色を変えた。

 棚に積まれた書簡を乱暴に端に寄せると、件の紙片を取り出し晄黎に手渡す。


「太子、大事なことは先に言ってくださいませんと」


「すまない、気が急いた」


 嗜められて晄黎はばつが悪い顔をした。

 受け取った紙片には砂のようなものに混じって僅かに金色に光る粉が残っている。

 どうやらギリギリで間に合ったようだ。晄黎は口の端に笑みを浮かべた。


「おや……? 金色の粉が砂に変わっている? 太子、これで犯人がわかるとはどういうことなのでしょうか」


「ああ、悪いが少し付き合ってくれ」


 晄黎は慧梏を連れて再び紫琉殿へと取って返した。



 ******



「伯濯、この紙片に付着した粉を調べて欲しい」


 晄黎は慧梏から借り受けた紙片を長机の上に置いた。

 伯濯は金色の粉を見つけると目を瞠った。


「これは……なるほど、わかりました」


 伯濯は往診用の木箱から薬品の入った瓶を取り出し、粉が付着している部分に琥珀色の液体を垂らした。


「太子、これはいったい?」


 きちんとした説明を受けぬまま連れてこられた慧梏が疑問を口にする。目は紙片を捉えたまま、晄黎は口を開いた。


「四色花という植物の花の蜜だ。毒性に応じて液体の色が変わる優れものさ。そうだったな、伯濯」


「さすが太子、よく覚えておいでですな」


 澱みない答えに伯濯が鷹揚に笑う。

 一方の慧梏はといえば、心なしか顔色が悪い。


「つまり、この粉が毒である可能性がある、ということですか?」


 晄黎は頷くと記憶から導き出された仮定を述べた。


「恐らく、これは西の風土病を引き起こす砂漠蝶の鱗粉だ。液体の色が青に変われば予想は的中だ」


 私、それ触ってしまいましたけど……、と慧梏は消え入りそうな声で漏らした。


 三人はじっと机の上の紙片を見つめた。しかし穴が開くほど目を凝らしても、液体の色は琥珀色のままである。


「……変わりませんね」


「そのようだな」


 どこかホッとしたような様子で慧梏が沈黙を破る。

 毒でないとわかり慧梏に害がないことが証明されたことは喜ばしい。だがその一方で釈然としなくて晄黎は険しい顔をした。

 違ったのか。それとも何かが足りないのか。晄黎は顎に手をやると思案に耽った。

 すると白い顎髭をしごいていた伯濯が唐突にパァンッと手を打った。


「そうか! そういうことだったのか!」


 言うが早いか、伯濯は木箱から別の小瓶を取り出した。


「伯濯、それは?」


「酸の性質を持った薬液です。覚えておいでですか、太子。砂漠蝶が生息する地域では雨の日は出歩くなと言われていることを」


「ああ、そういえば現地ではそのような習わしがあると言っていたな」


 予想が外れて気落ちしていた晄黎が弱々しく言葉を返す。


「砂漠蝶の生息域、あの辺り一帯は強い酸性雨が降るのです」


 そう言って酸性の薬品を四色花の薬液の上から垂らすと、粉が付着した紙片はみるみるうちに毒性を表す青に変わった。


「答えが出ましたな」


「ああ、間違いない」


 伯濯の言葉に晄黎は険しい顔をした。


「砂漠蝶の鱗粉だ」


 西の風土病を引き起こす砂漠蝶の鱗粉。しかし鱗粉に触れるだけなら害はない。鱗粉と酸性の液体が混ざることで危険な毒へと変容する。つまり酸性雨を浴びた砂漠蝶はそれ自体が毒になるし、鱗粉だけの場合はそれを摂取し、胃酸と混ざることで毒としての性質を持つことになる。

 慧梏が発症していないことが何よりの証拠である。


「良かったですな、慧梏殿」


「ええ、本当に……。ただ、寿命は幾らか縮みました」


 伯濯に軽く背中を叩かれた慧梏は若干涙目になりながら頷いた。

 慧梏に害がなくて本当に良かった、と晄黎は目を細めた。しかし安心してばかりではいられない。

 わかってしまった。砂漠蝶を用いて陛下や母上に危害を加えた者は……。


 ──コンコン。

 扉を叩く音がして晄黎は思考を一旦止めた。


「太子、劉藍です」


「入ってくれ」


「失礼致します」


 劉藍は無駄のない所作で立礼すると、目を丸くした。


「伯濯先生に、慧梏殿まで。どうなされたのですか?」


「謎解きじゃよ、謎解き」


 茶化すような伯濯の言葉に劉藍は首を傾げた。

 一人だけ話について行けず頭上に疑問符を浮かべる劉藍に晄黎は不敵な笑みを浮かべて言った。


「劉藍。父上と母上を狙った犯人がわかったぞ」


 晄黎の言葉に劉藍はポカンと口を開いた。数瞬の後、我に返った劉藍は驚愕の表情を浮かべた。


「それは真でございますか!?」


「ああ。そこでだ劉藍、一つ頼まれてくれるか」


 力強く肩を掴むと、劉藍は真剣な表情で頷いた。


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