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黎明記  作者: 春咲 司


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18 榻鷣

「孫允、状況はどうなっている」


 挨拶もそこそこに稜雲が問うと、孫允の表情は険しいものへと一変した。


「色々と報告せにゃならんことがある。ひとまず上まで来てくれ」


 孫允に促された稜雲は、馬を降りると城壁上へ続く長い階段に足をかけた。休みなく走り続けた疲労など物ともせず、軽快な足取りで上っていく。それは孫允も同様で、駿栄は先を行く二人の背をトボトボと追いかけた。

 下の広場からは榻鷣の健在に歓喜する兵達の声が響いてくる。

 僕もあっちが良かった、と抱き合って喜ぶ兵達を眺めた。

 真面目な空気は息が詰まるし、なりより少し休みたい。そんなことを考えていると、前を歩いていた孫允が唐突に振り返った。


「おぅ駿栄、久しぶりだな。太子と劉藍はどうしたよ?」


 駿栄は慌てて背筋を伸ばした。


「ええっと。太子はちょーっとお怪我をして、王都で療養中です。劉藍はほら、いつも通りですよ」


「怪我ぁ? 酷ぇのか?」


「まぁ、それなりに」


 怪我の状態については口外を控えるべきだろうと思い、駿栄は言葉を濁した。

 しかし孫允は晄黎のことをとても気に入っているのでいつ、どこで、なぜ、と根掘り葉掘り聞き出そうとするに違いない。

 こんな適当な返しで納得するだろうかと、駿栄はハラハラしながら孫允を盗み見た。


 しかし孫允は沈痛な面持ちで「そうか……」と呟くだけで、それ以上追及してこなかった。

 どう誤魔化そうかと思案していた駿栄は、思わぬ反応に拍子抜けしてしまった。


「今回ばかりは来なくて正解だったな」


「どういうことっすか?」


「報告聞いてんだろ。人質のことさ」


 ああ、と駿栄は報告にあった無慈悲な行いを思い出した。もし晄黎が景南国の蛮行を実際に目の当たりにしようものなら、危険も厭わず飛び出していただろう。孫允がそうしたように。


「孫允、景南国の奴らは撤退したのか?」


「いんや、ご覧の通りさ」


 稜雲の問いに孫允は苦々しい顔をすると、顎で壁外を示した。三人はちょうど長い階段を上りきり、見晴らしの良い城壁上に出たところだった。孫允の示した方へと視線を遣ると、砦からは随分と離れた位置に篝火が煌々と灯っている。


「はあぁぁ、しっかり夜営しちゃってるし。諦めて帰ってくれよなぁ」


 眼下に広がる光景に駿栄は悪態を吐いた。


「そう言ってやるな、駿栄。報告に上がっていた数よりは随分と少ないように見える。だいぶ数を減らしたようだな」


 稜雲は冷静に敵数の分析をすると、孫允に向き直った。


「そういえば、地下通路はどうなっている。中央ではあれが敵に利用されている可能性が指摘されていたのだが」


「ああ、地下通路な。今は全部封鎖してある。いや、封鎖って言葉は正しいとは言えないのか?」


 孫允はどう言ったものか悩んでいるようで、頭を捻った。


「とにかく、使用できるような状況じゃねぇのは確かだ」


「では、やはり利用されていたんだな」


 稜雲が念押しすると、孫允は難しい顔で頷いた。


「それがほんとなら孫允将軍、よくご無事でしたね」


「言ったろうが、景南国のヒヨッコ共相手にくたばるわけねぇってな。とはいえ、今回ばかりはちょいと危なかったか」


「なにがあった」


 真剣な表情で問う稜雲に孫允は頭を掻いた。


「稜雲、実はちぃとばかし奇妙な状況下にあるんだ」


 孫允は歩きながら、事の経緯を話した。


 昨日の昼過ぎに大挙して押し寄せた景南国の軍勢は、榻鷣の正面に布陣するや否やこう叫んだという。


 ──城門を開けねば、麓槙より攫ってきた民を一人ずつ殺す、と。


 報告にも上がっていた通り、孫允は民を救う為に門を開き敵陣へ向かって突撃した。だが、それはもちろん勝算ありきの行動であり、決して一時の感情任せなものではない。


 開門の前に孫允は副官の柯墨(カホク)に軍の一部を預け、地下通路へと向かわせた。

 柯墨の部隊に敵の背後を襲わせ、敵が崩れたところを孫允が正面突破して人質を救い、柯墨の部隊と合流し、砦へと戻るのが作戦だった。


「ちょっと待て。お前が榻鷣に赴任したのはひと月前。地下通路の詳細を知る人間が事故死したよりも後のことだ。どの道を使えば地上のどの地点に出るのか、全て把握するのは不可能だった筈。たったひと月で複雑な地下の造りを掌握し、戦術に組み込むことなどできるものなのか?」


「当然、俺がそんな細々としたことを覚えられるわけがないだろう」


 孫允は腰に手をやるとふんぞり返った。


「情けないことを堂々と申すな。それならどうやって、敵の背後を取る通路を選ぶことができたのだ」


「柯墨さ。あいつは俺と違って頭が切れる。砦の掌握を図るに際して地下通路を詳しく知る者がいないと聞いたんで、赴任してすぐ柯墨を地下通路の把握に専念させていた。現時点でも全容を把握しきれてはいないが、主要な通路に関しては別だ。だから実戦で使うことができたのさ」


 話が逸れたな、戻そう。そう言って、孫允は淡々と言葉を続けた。


 柯墨達を地下通路へ向かわせた後、砦の防衛に三千の兵を残して孫允は打って出た。自ら先陣に立ち景南国の兵を蹴散らしたという。

 人質は戦場の中央に集められており、その周囲を景南国兵が固めていた。

 敵軍の右翼と左翼は、人質救出の為に突撃をかける孫允達を包囲しようと動いたが、砦から降る矢の雨によって精彩を欠いていた。


 しかしここで問題が発生してしまった。


「問題?」


 顔を顰める孫允に、駿栄は首を傾げた。


「ああ、俺は敵の意識が前方に向くように派手に立ち回った。背後から襲い掛かる予定の柯墨達が気取られることのないようにな。だが、柯墨率いる部隊は一向に戦場に現れなかった」


「ど、どういうことですか?」


「俺も後から聞いて知ったんだが、柯墨達は地下通路内部で敵兵と遭遇して、そこで戦闘になっちまっていたのさ」


 榻鷣の駐屯兵数はおよそ八千。対する景南国は約四倍の三万だ。

 柯墨達による奇襲がなければ作戦は体を成さず、単純な数のぶつかり合いになれば孫允達が全滅するのは自明の理である。

 素早い動きが求められる今回の作戦において、一瞬の遅れは致命的なものとなる。孫允は引き連れていた兵の半数以上を失ったという。


「俺としたことがとんだ悪手をとっちまった。悪りぃな、稜雲。大勢死なせちまった」


「いや、まさか地下通路を利用されているとは、さしものお前でも気が付かなかっただろう。お前が無事で良かった」


「でもでも将軍? そんな絶体絶命の中、どうやって生還したんです? 話を聞いている限りじゃ、砦に戻るのだって容易じゃなかったはずですよね」


「地下通路で戦っていた柯墨が、地下を崩落させたのさ」


「それはまた大胆な策を取ったな」


 孫允の言葉に稜雲は目を見張った。


「だろう? あいつは冷静沈着に見えて、思い切りの良さを兼ね備えた度胸のある奴さ。上で戦う俺たちの位置と自分たちがいる地下通路の位置を正確に見極め、俺たちを包囲する敵の一団と地下に攻め込んできたやつを一網打尽にしちまった」


 そう語る孫允の声は弾んでおり、得意げだった。


「ひぇー。流石は豪放磊落な孫允将軍の副官っすね」


「不完全とはいえ、頭の中に地下通路の正確な見取り図がある柯墨にしかできない策だな」


 一歩間違えば味方の孫允もろとも地下に真っ逆さまの策である。しかしそのおかげで敵軍は大きく崩れ、混乱に乗じて人質を救出して砦に逃げ込むことができたのだ。


「というか、そんな作戦を決行してその柯墨殿は無事なんですか? だってその人も地下通路で戦ってた筈ですよね。まさか自分の命を犠牲にして……」


 生き埋めになったんじゃ……と、駿栄は恐ろしい想像をしてしまった。


「いいえ、死んでませんよ」


「ぎゃっ!?」


 背後から急に声を掛けられて駿栄は文字通り飛び上がった。

 振り向くと、表情の乏しい青年がじっと駿栄の方を見ている。

 誰だろうかと目を丸くする駿栄とは対照的に、稜雲は表情を明るくした。


「柯墨か。無事でなによりだ。此度はそなたの機転によって榻鷣は陥落を免れたと思っておる。難しい場面であったろうが、よく決断したな」


「は、勿体ないお言葉に御座います、稜雲将軍。しかし崩落によって地下通路の一部が失われた今、違法工事と敵の侵入路を特定することが難しくなりました。申し訳ありません」


「そう言うな。実地調査以外にも調べる術はいくらでもある」


「将軍の御心遣い、痛み入ります」


「相変わらず堅いな、孫允の部下とは思えぬ謹厳さだな」


 軽口を叩く稜雲に対し、柯墨と呼ばれた青年は頭を下げたまま微動だにしない。


 駿栄は話に幾度も登場した青年を見つめた。

 嫌味なほどサラサラの黒髪、能面のような顔には人を突き離すような冷たさがある。体の線は細く、本当に武器を持って戦えるのか不思議だった。

 そして駿栄が何より驚いたのは、その若さである。どう見積もっても二十代前半より上には見えない。


「この人が、孫允将軍の副官殿?」


「ん? なんだ駿栄は初めてだったか。柯墨は元々、俺の家で下働きをしていたのだがな、才能を見込んで軍に引き入れたのだ。たった二年で副官になった才覚溢れる男ぞ」


 がははははは、とまるで自分の孫でも自慢するかのように孫允は柯墨の肩に腕を回して上機嫌に笑った。

 一方の柯墨はといえば、相変わらずの無表情である。


「孫允様はすぐに突撃を選ばれるので、少しでも勝率と生存率を上げようと策を巡らせるうち、気付いたら参謀という名の副官になっておりました」


「お前のような者が側にいるのであれば、孫允も安泰だな」


「そうなるように努めて参ります。ところで、こちらの方は?」


 柯墨の視線が駿栄を捉える。

 やはり表情は乏しくて、駿栄は居心地の悪さを感じた。


「ほら、前に話したことがあったろう。王太子殿下の側近を務める駿栄だ」


「ああ、あの駿栄殿でしたか。お噂はかねがね」


 孫允からの紹介に柯墨は頷くと、駿栄に対してもしっかりと叩頭した。


「え、あのってなに? 噂ってなに?」


「怠け者で有名という意味だろう」


 悪い噂じゃないだろうなと困惑する駿栄に、稜雲はしれっと言ってのけた。


「えぇっ! そりゃないですよ!!」


「いえ、駿栄殿は弓の名手だとか。共に戦えること嬉しく思います」


 柯墨はニコリともせずに呼び掛ける。

 愛想がないなぁ、とは思ったものの、彼の表情は孫允や稜雲と話している時も全く変わらなかったので、恐らくそういう人間なのだろう。

 そのため駿栄は本当にそう思ってる? なんて疑問を抱くこともなく、後ろ頭を掻いた。


「やだなぁ、煽てられるとやる気出ちゃうんですよぉ。うん、君良いやつだね」


「それはどうも」


「早速、柯墨の掌の上で転がされよったな」


 稜雲は照れ笑いする駿栄をなんともいえぬ表情で眺めた。


「ところで孫允様、例の者達ですが」


「ああ、そうだな。ちょうど向かおうと思っておったところだ」


 柯墨に切り出され、孫允は再び真剣な表情で稜雲と駿栄に向き直った。


「稜雲よ。俺は先刻、ちぃとばかし奇妙な状況下にあると言うただろう」


「ああ、地下通路とは別件か?」


 孫允は深妙な顔で頷いた。


「助けた人質についてだ。正直、俺の手には余る事態になっておる」


「と、いうと?」


「あれは麓槙の民ではなく、景南国の人間であった」


「なんだと……?」


 予想だにしなかった言葉に稜雲と駿栄は息を呑んだ。


「我々を誘き出すのに自国民を犠牲にしたというのか? それが事実なら惨すぎる」


「それもただの平民じゃない。助けたうちの一人がこう言ったのさ。自分は景南国の第一王子だってな」


「なんなんですかそれ! 一体どこに自分の国の王族を戦場の囮に使う軍があるかってんだ。十中八九罠ですよ!!」


 卑劣な策を弄する景南国のことだ。今回も人質に紛れて砦内に侵入し、よからぬことを企んでいるに決まっている。

 駿栄は絶対に罠だと言い募ったが、孫允は口を一文字に結んだ。


「俺も柯墨もそう思ったさ。だがな……」


「気掛かりでもあるのか?」


 ようやく口を開いた孫允に稜雲が問いかける。


「ああ、こればっかりは直接話を聞いた方がいい」


 孫允は城壁上に造られた高楼まで稜雲と駿栄を案内した。恐らくこの中に、例の人質がいるのだろう。

 先頭に立つ孫允が、ゆっくりと扉を押し開いた。

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