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黎明記  作者: 春咲 司


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16 不穏な影

 

 並々と注がれた茶の中に不機嫌な顔が映り込む。近寄り難いだの顔が怖いだのとよく言われるが、確かにこれは酷いものだと、劉藍は我ながら感心してしまった。

 昔から気に入らないことがあると、すぐしかめ面をしてしまう悪い癖。今更直そうとしたところで、身体に染み付いた癖はそう簡単に抜けたりしないだろう。そもそも矯正する気もないのだが。


 劉藍は今、青暘殿にある冬官の政務室にて待ちぼうけを食らっていた。約束の時間は大幅に過ぎており、劉藍の苛立ちは刻一刻と増すばかりである。


 下級官吏達からすれば、仕事場に関係のない人間が不機嫌丸出しで居座っているのだから迷惑以外のなにものでもないだろう。だが上官の客ともなれば粗末に扱うこともできないので困っているに違いない。遠巻きに様子を伺いながら接待役の押し付け合いをしている。


 視界の端で繰り広げられる文官達のやりとりが更に劉藍の機嫌を損ねるのに一役買った。

 少しして一人の下級官吏が劉藍の元にやって来た。

 まだあどけなさの残る顔が緊張と恐れによって引き攣っている。なるほど、歳若いこの少年官吏が使いっ走りを押し付けられたらしい。機嫌取りのつもりなのか、干した果物を乗せた器を持っている。

 少年官吏は震える手で劉藍の前に器を置いた。


「えぇと、劉藍殿。長官はもうすぐ戻られると思いますので、その」


 劉藍が憐れな少年官吏をひと睨みすると、「ヒィィッ、ごゆっくりぃー!」と悲鳴を上げて退がっていった。


 もう帰ってしまおうか。


 そんなことを考えていると、背後で扉の開く音がした。

 振り返ると、中肉中背の髭男、燿蟬が上機嫌に劉藍の元まで歩いてきた。


「約束の時間を随分と過ぎているようだが?」


「そう恐い顔をなさいますな。わざわざ貴方の為に無い時間を作って会いに来たのですから」


 劉藍が批難の言葉を口にすると、燿蟬は大袈裟に肩を竦めて見せた。それから目配せをして官吏達を奥の続き間へと退がらせる。

 部屋には劉藍と燿蟬の二人だけが残された。


「いやはや。貴方に会いたいと言われた時は心が踊りましたよ。嫌われているとばかり思っておりましたからな」


「はっ! 勘違いするな、俺は貴様を好いてなどおらんわ。聞きたいことがあったからこうしてここまで出向いたんだ」


「つれませんなぁ。して、聞きたいこととはなんです?」


 劉藍の辛辣な物言いに動じることもなく、燿蟬は机を挟んで向かい側の椅子に腰を掛けた。


「昨年から今年にかけて榻鷣の補強工事の為に随分金と人を南部に送っているようだが、それを決定したのは貴様か?」


「あぁ、その件ですか」


 燿蟬は劉藍の前に出された皿から干し桃をつまみ食いした。

 咀嚼し終わると、寛いだ様子で口を開いた。


「榻鷣の駐屯兵から要請が入り、実際に視察を行った上で予算を奏上しました。まぁ、最終的に予算の決定を行うのは病床の陛下ではなく太宰である慧梏ですがね」


「いくら榻鷣が防衛の要とは言っても、例年の倍額の予算を通したのは何故だ」


「はて、劉藍様はご存知ではありませんでしたかな? 榻鷣が難攻不落とされる所以は地下に張り巡らされた隠し通路です」


「無論知っている。砦周辺の森や水辺にまで伸びる地下通路を利用すれば敵の背後を取って虚を突くことも容易い。それに加えて左右の砦とも地下通路で繋がっている為、物資の輸送も行えるから長期の籠城にも適している」


 城攻めに来た敵兵が完全に砦を包囲したと思い込んだところに背後から伏兵が現れれば、敵軍は蜂の巣をつついたような状態になる。混乱しているところに砦から矢の雨を降らせれば敵は総崩れとなり退却以外の選択肢は残らない。

 榻鷣はこれまでそうやって防衛を成功させてきた。


「その幾重にも張り巡らされた地下通路の修繕には、膨大な費用が掛かるのですよ」


「とはいえ、予算の全額が正しく地下通路の補修に使われているという保証はあるのか?」


「もちろん現場には不正防止の為に中央からも官を送っています。今現在に至るまで、問題は報告されていません。ただ、気掛かりなことはありますがね」


「気掛かり?」


 僅かに声を低くした燿蟬に劉藍は眉根を寄せた。


「地下通路は迷路のようになっており、それら全てを把握している人間は国内にも四人しかおりません。榻鷣に一人、左右の砦に一人ずつ、そしてこの宮廷に一人。しかし四人全員が昨年の春から夏にかけての短い期間で死亡しているのです」


「なっ!?」


 劉藍は言葉を失った。

 莫大な予算が計上され、修復工事が開始されれば彼らはその陣頭指揮を取ることになる。その四人が同時期に死亡したなどと、そんな偶然あっていいはずがない。

 それ以前に地下通路の全容を把握している者がいない状態での工事など一体どうやって行われているというのか。


「地下通路は利便性が高い反面、敵に存在を知られ利用されればあっという間に窮地に陥る諸刃の剣だぞ。それの管理が行き届いていないとはどういうことだ!」


「ええ、全くもって緊急事態です。地下通路は既に景南国側に利用されている可能性が高い。そう考えると、国境の監視を掻い潜って麓槙内部に侵入してくる景南国兵の存在にも合点がいきます」


「なにを落ち着いて話している!」


 劉藍は机に拳を叩き付けた。

 振動で茶器が倒れ、中に入っていた茶が溢れる。


「起きてしまったことは仕方がありますまい。一応、地下通路が敵に利用されている可能性は、援軍の出立前に大司馬の稜雲(リョウウン)に報告を済ませております。戦況については榻鷣からの知らせを待つより他にありません」


 この非常時に悪びれた様子もなく言ってのける燿蟬の態度に劉藍は神経を逆撫でされた。今すぐ殴り飛ばしてしまいたい。そんな考えが劉藍の頭を掠めたが、苛立つ心をなんとか鎮めて事態の把握に努めた。


「で、その地下通路を把握していたという四人の死因は?」


「砦に常駐している三人は工事中の事故によって死亡。宮廷に仕える一人は……病死です」


 病死、と言った部分にのみ妙な間があったのを劉藍は聞き逃さなかった。


「病死と言ったが、なんの病だ。長く患っていたのか?」


「いいえ。表向きは病気とされていますが、実際には神経毒による毒殺です」


「明らかに何者かによって排除されているではないか!」


 何故今の今までこのことが問題にすらならなかったのか、不思議で仕方がない。

 ふと劉藍の頭に何かが引っかかった。

 この男、一体いつから榻鷣の異常事態に気付いていた? 少なくとも榻鷣に景南国の軍勢が攻め寄せて来た時には既にわかっていた筈だ。


「おい、燿蟬。地下通路が敵に利用されている可能性を知りながら太子にお伝えしなかったのは何故だ」


 劉藍の問いは静かなものだった。だがそれ以上に威圧的な声が燿蟬に向けて浴びせられた。


 もし地下通路が景南国に利用されているのだとすれば、榻鷣は非常に危険な状態にある。ただでさえ兵数で劣る上に、早々に籠城をやめて不利な野戦へと転じている。晄黎の性格上、自ら榻鷣へ赴くことは想像に難くない。そんなところへ手負の晄黎が向かえば、生存率は極めて低くなるのは明白だった。


「お前、今でも俺を王位に就けようなどと馬鹿げたことを考えてはいないだろうな?」


 劉藍は目の前に座る燿蟬を鋭く睨み付けた。

 大の大人であっても、劉藍の恐ろしいほどに冷徹な表情を目にすれば腰を抜かすことだろう。


 しかし当の燿蟬はといえば、どっしりと構えて動揺する素振りもない。


「私が王に望むのは正統な血。昔から何一つ変わってはおりません」


「それならば陛下唯一の御子である晄黎様が最も王に相応しいだろう。何故いつまでも太子を認めんのだ」


「不確かだからですよ。王太子殿下を陛下の子であると証明するものが、なに一つとして存在しない。しかし貴方は違う」


 燿蟬は真っ直ぐに劉藍を見据えた。


「先王陛下の妹君を祖母に持つ劉藍様には紛れもない王家の血が流れている。貴方ならば、高位貴族達も納得せざるを得ない。いらぬ反発を生むことなく国を統治できる。この乱世において国の内側で揉め事を起こしている暇などないのですよ」


「やはり貴様のことは好かん」


 燿蟬の熱弁に劉藍は顔を顰めた。


「本当に血統だけが、国の統治に必要なものか?景南国の王のように欲望に忠実で、戦に明け暮れるような者もいる。少なくとも私は、太子に王家の血が流れていようがいまいが関係ない」


 晄黎ほど民を想い、平和の為に尽力する者を劉藍は知らない。この殺伐とした戦乱の世にあって、晄黎の持つ武人としての才と他人を思いやる優しい心は何にも代え難い王の資質の一つである。劉藍はそう信じて疑わなかった。


「私は八年前に私の王を選んだ。この忠誠が失われることはない」


 劉藍の強い意思表示に燿蟬は眉尻を下げた。

 王に担ぎ上げようにも、当の劉藍にその気がなければ上手くいくはずもない。

 それがわかっているから燿蟬は項垂れるしかなかった。


「私は真にこの国を愛しています」


「貴様のことは好かんが、そのことだけは信頼できる」


 きっぱりと言い切ると、燿蟬はクツクツと喉の奥で笑った。


「だから貴様の知っていることを洗いざらい吐け。勿体ぶると国が傾くぞ」


「酷い脅しを使われますなぁ」


 燿蟬はわざとらしく悲しそうな声を出した。こういう無駄に茶化して逃げに転じるやり方が劉藍は嫌いだった。

 しかし今日はいつもと違った。


「真にこの国を想うのであれば、晄黎様だけは王にしてはいけないのです」


 不意に真顔に戻ったかと思えば、そんなことを口にする。それはまるで物分かりの悪い人間を諭すかのような言い方だった。


「貴様まだ言うか!」


 いい加減我慢ならなくて、劉藍は机に手をつくと勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が倒れて大きな音が部屋に響く。それでも燿蟬は眉一つ動かさない。


「もし彼が王位に就けば、この麓槙は戦乱の矢面に立たされますぞ」


「……なに? どういう意味だ」


「私が何を言ったところで、劉藍様の御心は変わらんのでしょう?」


 燿蟬は懐から書簡を取り出すと机の上にそれを乗せた。


「ここに私が知っていることを纏めてあります。今日はこれでお開きに致しましょう。私にも仕事がございますゆえ」


「おい待て、話はまだ」


「今は、我が軍の榻鷣での勝利を共に祈ろうではありませんか」


 燿蟬はそう言い残すと、さっさと部屋を出て行ってしまった。

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