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黎明記  作者: 春咲 司


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15 不和の種

 香珠と別れ、青暘殿へと戻る道すがらも晄黎の頭から彼女のことが離れることはなかった。


 一体いつから何故この城で暮らしているのか。父と母以外に彼女の存在を知る者はいるのか。ひっそりと息を潜めて生きることは辛くないのか。聞きたいことは山ほどあったが、青白い顔をした香珠の元に長居をするのは躊躇われた。


 あらゆる傷や病を治す力を持ってはいるが、白凰という存在自体はか弱い性質なのかもしれない。

 香珠は触れれば折れてしまいそうなほど細身であったし、どこか儚げな娘だった。

 そもそも食事はきちんと摂っているのだろうか。考え出したら際限がなくて晄黎は頭を抱えた。


 すっかり注意力が散漫になっていた晄黎は、曲がり角に差しかかったところで思い切り人にぶつかってしまった。

 その拍子に慧梏の詩が綴られた紙片がひらひらと床に落下する。

 普段なら足音や衣擦れで人が近くにいることを察知することができるのだが、今回は全く気が付かなかった。


「っと、すまない」


「いえ、私も前をきちんと見ていなかったものですから……、って殿下!? も、申し訳ありません!!」


 相手の男はぶつかったのが晄黎だと分かると、慌てて頭を下げた。長身痩躯を九十度まで曲げて謝る男に晄黎は驚いて後退った。


「いいんだ、前方不注意は私も同じことだ。これぐらいのことで罰したりしない」


「寛大な御心に感謝致します」


 そう言って顔を上げた男に晄黎は見覚えがあった。

 特徴的な三白眼をした面長の官吏。薄青の深衣は土木工事を司る冬官を表す色である。

 名を笙窈(ショウヨウ)というその官吏は、冬官の次官を務める有力者だ。

 ちなみに冬官の長に当たる大司空は晄黎の天敵である燿蟬(ヨウセン)が務めており、笙窈はその部下にあたる。



「おや、王太子殿下。足元に何か落ちているようですが」


 晄黎は足元に視線をやると目にも留まらぬ速さで紙片を拾い上げた。自分が書いたものだと誤解されたらたまったものではないので、早々に懐へ紙片を仕舞い込む。


「……何が書かれていたか、見えたか?」


「い、いえ。私は目があまりよくないもので、さっぱり」


 笙窈は呆気に取られた様子で目を瞬かせていた。その姿に安心したのも束の間、晄黎はハッとした。


 つい、いつもの調子で利き手である右を使ってしまったのだ。

 香珠の血によって怪我は完治したが、そのことを吹聴するつもりは毛頭なかった。そんなことをすれば彼女の力を利用しようとする者が大勢現れるだろう。

 おそらく父と母もそのことを恐れて、香珠をあの隠された空間に匿っているに違いない。


 そのため晄黎は治癒した後も腕に包帯を巻き直し、怪我をしているように見せていた。

 騙せないとしたらそれは伯濯くらいのものだろう。


 そこまで考えたところで、待てよ、と思い直した。

 そもそも腕が動かないことは、近しい者達にしか話していない。笙窈は怪我の状態など知りもしないし、彼は完全中立の立場である。そう神経質になる必要もなかった。


「あの、王太子殿下?」


 神妙な面持ちで黙り込んでいると、恐る恐るといった様子で笙窈が声を掛けてきた。


「ん? ああ、すまない。なんでもないんだ」


 晄黎はなんでもない風を装って返事をすると、おや、と目を丸くした。笙窈が見慣れない茶筒のようなものを手にしていたからだ。


「ところで笙窈殿、その筒は?」


「ああ、これでございますか。さすが殿下、お目が高くていらっしゃる」


 笙窈は手に持っていた金属製の筒を掲げて見せた。


「これは中央諸国で活用されている保温筒でございます。中に入れた物の温度を一定時間保つことの出来る優れものでして、飲み物を入れたり、温石を保管しておくのに使うことができるのです」


「中央諸国にはそんな物まであるのか」


「戦時下とはいえ中央諸国は新しい物で溢れ返り、常に流行の最先端にありますからね」


 感心する晄黎に笙窈はおっとりと微笑んだ。


「この保温筒は労働環境改善の為に冬季の土木工事に従事する工夫に持たせようと思いまして、冬官の方で技術者を呼び寄せて作った試作品でございます。次の朝議でお披露目をと思っておりましたが、今はそれどころではありませんからね」


 笙窈は表情を曇らせると肩を落とした。


「そうだな。残念なことだが、今は攻め寄せてきた景南国のことで議題は持ちきりになるだろう。だが保温筒の普及は素晴らしい提案だ。冬までに間に合わせることができるように、話を進めよう」


 麓槙は寒冷地の北部に比べれば温暖な気候だが、一年を通じて四季の移ろいがはっきりと存在し、年間の気温差が最も激しい地域である。その為冬季には山沿いを中心に凍死者が出てしまうほど冷え込む。

 保温筒が普及すればそういった被害を減らすことができるし、労働環境は改善され、保温筒作製の為に新たな雇用が生まれる。


 晄黎が賛同の意を示すと笙窈は表情を明るくした。


「ありがとうございます! 実は燿蟬殿が肝入りと仰っていた案件でして、殿下にご賛同頂けたとあれば非常に心強いです」


「ほぉ、これは燿蟬殿の案件だったのか」


 高笑いする狸ジジイの顔が脳内に浮かぶ。全くもって腹立たしいが、官吏としては実に有能な男である。

 苦虫を噛み潰したような顔をした晄黎に笙窈は慌てて言葉を重ねた。


「あ、ああああの! 確かに発案者は燿蟬殿ですが、実務の中心となったのは他の官吏でして、その」


 反王太子派筆頭の燿蟬と晄黎の不仲は城の者であれば誰もが知るところであり、笙窈の懸念は当然のことかもしれない。だが晄黎としては必死に取り繕われるのは心外である。


「私はそこまで狭量な人間ではない。良いと思えば誰が発案者であっても素直に受け入れるから安心しろ。それとも笙窈殿には私がそんなに意地の悪い人間に映っていたか?」


「めっ、滅相もありません!」


 笙窈はブンブンと頭を振って全力で否定した。

 顔を青ざめさせた笙窈に脅しが過ぎたかと、晄黎は反省した。


「その、非常に申し上げにくいのですが……」


 笙窈は困ったような表情で言い淀む。

 先が気になった晄黎は威圧感を感じさせないように柔らかい口調で促した。


「どうした。何か気掛かりなことでもあるのか?」


「……なぜ景南国は難攻不落の榻鷣を侵攻の足掛かりに選んだのでしょうか」


 その疑問は襲撃の報告を受けた日に晄黎も感じていた。

 そもそも景南国との国境沿いには三つの砦がある。その中で守備の要となるのが中央に鎮座する榻鷣で、その両隣りに建てられた砦は規模も小さく兵数も少ない。


「榻鷣を落とすことによる戦略的価値は高いが、攻略するのは容易でない。通常であれば左右の二つを先に攻め落とし、援軍と補給を絶った上で攻略に着手すべきだ」


「ええ、しかし攻撃を受けたのは榻鷣だけ。他二つは健在です」


 晄黎の言葉に笙窈は深妙な顔をして頷いた。


「代わりと言ってはなんだが、景南国は卑劣な策を用いて孫允の誘い出しに成功している。しかしたったそれだけで榻鷣を落とせると踏んだのであれば少々こちらを過小評価し過ぎている気はするがな」


 いくら野戦に持ち込もうとも、孫允を討ち取り砦を落とすことは容易でない。そもそも孫允は攻めの戦を得意とする勇猛果敢な将軍である。数の上で不利になろうとも、そう易々とやられる男ではない。


「それに榻鷣は昨年から今年にかけて念入りに補強工事を行っています。予算も昨年の倍を注ぎ込んでおりますし」


「倍? 榻鷣の補強工事は三年に一度が通例だろう? 一昨年に補強を行ったばかりなのに、予算を倍で申請したのか?」


「え、ええ。榻鷣の守備隊の方から我々冬官に要請が入り、倍額の予算が割り当てられました。ここ数年、どうやってかは知りませんが国境を越えて景南国の兵が領土に侵入を繰り返していましたから、それの対策も含めて防衛に力を入れたいとかなんとか」


「そうか。だが、それだけ力を入れていても景南国の兵士は侵入を繰り返し、民の命を脅かしている、か」


 これは非常におかしな話である。

 景南国との国境沿いには延々と塀が設けられ、領土侵犯する者がいないか常に監視が目を光らせている。

 だというのに、侵入してくる者が後を絶たないというのは、内側から手引きをしている人間がいるという証明に他ならない。


「最近の景南国の行動は読みづらいと言いますか、妙と言いますか……。これからこの国はどうなってしまうのか不安になってしまいまして、つい口に出してしまいました」


「いや、それは笙窈殿だけではないだろう」


 なにか、これまでの景南国とは違う。そんな思いが不安を煽っているのだ。


「このようなことでお引き止めをしてしまい申し訳ありません。私はこれで」


 笙窈は深々と頭を下げると、背を丸めたまま歩いて行った。

 一人になった晄黎は、壁に寄りかかって大きな溜息を吐いた。


 考えたくはないが、裏切り者が潜んでいる。

 晄黎は嫌な予感に顔を歪めた。


 ******


「なるほど、裏切り者ですか……」


 毛叩きを片手に持ったまま慧梏は神妙な顔で呟いた。

 執務室は先ほど晄黎が訪れた時よりすっきりとしているが、部屋の隅に堆く積まれた書簡の山がグラグラと揺れている。

 どうやら片付けたというよりは、取り敢えず隅に寄せただけのようで、何かの拍子に崩れてきそうで恐ろしい。

 晄黎は書簡の山から距離を取ったところに腰を落ち着けた。


「もし本当にそんな者がいるとすれば厄介ですね」


「ああ。だがこのような時世だ。いないと考える方が難しい」


「そういえば榻鷣の予算増額についてご存知なかったのですか?」


「ああ、今日笙窈殿から聞いて初めて知った」


「妙ですね。議事録は全て太子にお渡ししておりますし、榻鷣についても報告書に記載済みの筈ですが。……読んでますよね、報告書?」


 胡乱な目を向けてくる慧梏に晄黎は深々と溜め息を吐いた。


「あのなぁ。確かにあの分厚い書簡は机の上に広げるのも億劫だが、渡されたものは全てきちんと目を通している」


「ならば私が記載漏れを見落としたか、太子の元まで書簡を届けた官が意図的にその部分を抜き取ったかのどちらかですね」


「慧梏に限ってそれはないだろう」


「信頼していただけるのはありがたいですが、こういう場合は何者であっても疑ってかかるべきですよ、太子」


「それが上に立つ者としての在り方か?」


「ええ、その通りです。ですが、私としてもできるだけ疑われるような行いはしない越したことはありませんので、次回以降は報告書に墨で番号を振ることに致します。そうすればどこに過失があるのかは明白になりますからね」


「ああ、そうしてくれ。私は受け渡しをした官に探りを入れてみる。ただの手落ちならまだ良いが、わざとやったことなら大問題だ」


 おそらく裏切り者は城内にいるのだろう。

 問題は裏切り者がどの階級の人間であるか、だ。

 市井に紛れ込んでいる分にはまだ良い。しかし朝議に参加できるほど高位の者であった場合は国の政策が筒抜けになる上、戦においても後手に回らざるを得なくなる。


「探りを入れる必要がありますね。そういえば、今日は劉藍殿はどちらに?」


「劉藍なら気になることがあるから側を離れると言っていた」


「気になること、ですか……。なんでしょうね」


「戻ったら話を聞いてみる」


 ではな、と言って立ち上がった晄黎を慧梏が慌てて呼び止めた。


「どうした?」


 んん! とわざとらしく咳払いをすると、他にも誰もいないというのに慧梏は声を落として言った。


「あの、太子。……例の物は?」


「ああ! すまない、忘れていた」


 晄黎は懐から紙片を取り出し慧梏に渡す。しかし独特な感性を表現した詩を思い出してしまい、プルプルと体が震えた。

 途端に慧梏が顔色をなくして、文机に突っ伏す。


「ああああああああ……、読みましたよね、太子……」


「いや、あの、……っ、く、くく……、よ、読んでない」


 忍び笑う晄黎を慧梏は胡乱な目で見遣った。


「絶対に読んだじゃないですか、その反応は」


「す、すまない……」


「はぁ……、とんでもない厄日ですよ今日は。おや? なんですこれ?」


 慧梏は紙片に顔を近付けると、一部を指で擦った。


「どうした?」


 慧梏の手元を覗き込むと紙片の隅に金色の粉が付着していた。こんなもの最初に拾った時には付いていなかった筈だ。


「すまない、どこかで汚れてしまったらしい」


「いえ、これはこれで綺麗なので、構いませんよ」


 晄黎が謝罪すると慧梏は苦笑して紙片を棚に仕舞い込んだ。


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