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黎明記  作者: 春咲 司


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11 敵意の理由

 昂耀城は七つの建物から形成されている。

 その内の一つで城の中央に位置する青暘殿(セイヨウデン)は、政を行う議事殿としての機能を持つ。多くの政策が王やそれに仕える官吏達により議論されてきた国家の中枢であり、非常に重要な宮である。


 だだっ広い青暘殿の中を晄黎は足早に進んだ。

 建国時に建立された青暘殿は築五百年を超える木造建築だが、頑強な造り故に床板一つ軋む音を立てない。


 正直なところ晄黎は青暘殿が苦手だった。正確には、そこに詰めている大臣達と顔を合わせるのが億劫なのだ。

 武芸に秀で、自ら兵を率いて戦いに赴く晄黎は軍からの支持は厚いが、文官や高位貴族とは折り合いが悪かった。


 国王である浩佑が病床に伏し、表に出てくることができなくなってからは晄黎への風当たりは特に強くなっており、顔を合わせる度に何かと悪態を吐かれる始末である。


 誰かと出くわす前に慧梏の元に行って、今後のことを相談して帰ろう。そう考えていた矢先であった。


「おや。これはこれは、王太子殿下ではございませんか」


 もうすぐ慧梏の執務室が見えてくるというところで、慇懃無礼な声が晄黎の背を追い掛けてきた。

 晄黎は心の中で大きな溜め息をつくと、苦虫を噛み潰したような顔をした。


 この城内において、特段の用もなく王族に声を掛けて足を止めさせる相手など限られている。

 心中では最悪だ、と悪態を吐きながらも、それをおくびにも出さず晄黎は悠然と振り返った。

 中肉中背の男が顎髭に手をやりながら、小馬鹿にしたような目で晄黎を見ている。その背後に付き従う男たちも同様である。


燿蟬(ヨウセン)殿」


 晄黎は反王太子派筆頭である燿蟬に泰然と声を掛けた。

 対する燿蟬は顎をツンと上に向けると、のそのそと近寄って来た。


「はて。王太子殿下におかれましては、てっきり援軍と共に榻鷣に出向いたものと思っておりましたが、この青暘殿に一体なんの御用でございますかな?」


「景南国が万の軍勢を派兵した今、この麓槙は国家存亡の危機にある。今は軍事力のみならずあらゆる手をもってこれに対処すべきであり、策を講じる必要があろう」


「つまりは、今回ばかりは危険と感じて王城内にお隠れあそばしたというわけですか」


 燿蟬の言葉を受けて後ろの取り巻き達がクツクツと馬鹿にしたように笑い出した。

 晄黎はそれを気にも留めず真っ直ぐに燿蟬を見やった。


「世間話がしたいなら他を当たってくれ。取るに足らぬ会話をしているほど暇ではないのでな」


「我々とて暇ではありません。客人を待たせておりますからな」


 それならわざわざ声を掛けたりするな。と思いつつも晄黎はぐっと堪えた。


「ですがこれだけは言わねばなりますまい。果たして殿下に政治が理解できますかな?武人の真似事に飽きて政に手を出し、結果国を破滅させるようなことだけはやめていただきたいものですがね」


 燿蟬は敵意を隠すことなく、蛇のような目で晄黎を睨めつけてきた。


「言いたいことがそれだけならば失礼する」


 しかし相手にしている暇がないのも事実であり、晄黎はさっさと踵を返すと慧梏の執務室へ向けて歩を進めた。



 ******



「なるほど、それでそのしかめ面というわけですか」


 文机に積み上がった書簡を整理していた慧梏は顔を上げると苦笑して言った。ただでさえ細い目が笑うことによって糸のようになっている。

 温厚な慧梏にのほほんと返されて、晄黎は脱力した。


「笑いごとではないぞ、慧梏。なにも面白くない」


 晄黎は床に散らばった書物と紙を集めると、空いている棚に力任せに押し込む。国の柱である浩佑が倒れた後、その皺寄せの大部分は太宰である慧梏の元に押し寄せた。多忙を極める彼の執務室は決裁書類や報告書で溢れ返り、もはや足の踏み場がないほどであった。

 ようやく座る場所を確保すると、晄黎は慧梏の斜向かいに腰を下ろした。


「燿蟬殿は私が前線に赴き、戦死すればいいと思っているのだろうな」


「太子、そのようなことを軽々に口にするのは良くありませんよ」


 窘められると、晄黎はそっぽを向いた。


「なんにせよ、私をよく思っていないのは事実だ」


「二人とも変わりませんねぇ、昔から。いやしかし、口撃されても泣かされなくなった分、太子は成長されましたね」


「慧梏、いつの話をしているんだ。それに受け流すことはできても言い返すことはできてない。……悔しくはあるが奴の言い分は決して間違ってはいないからな」


 晄黎が政治よりも武芸に傾倒しているのは事実であるし、慧梏に教えを乞うているとはいえ、まだまだ国政を担うには力不足であるのは否めない。


「燿蟬殿は頑固で融通の利かないところはありますが、官吏としては非常に有能な人物ですし、麓槙随一の有力貴族ですからね。彼を懐に入れることができればとても心強いです。早く仲良くなって下さいね」


「無理だ」


 間髪を容れずに宣言すると、慧梏は楽しそうに笑った。


「即答ですか。大丈夫、太子ならできますよ。かつて太子の対抗馬として貴族派から擁立された劉藍殿ですら、今では第一の側近になっているではありませんか」


「……考えただけで気が重くなる」


 晄黎は手で顔を覆うと溜め息をついた。


「では、それはひとまず置いておいて、今後の対応策でも考えましょうか。その為にいらしたのでしょう?」


「ああ。これを機に追い返すに留めるのか、こちらも攻勢に転じるのか考えなければいけない」


「そうですね。陛下が床に伏せっているとはいえ、このまま後手に回り続けるのは非常にまずいです」


 慧梏はそう言うと文机の上に大きな地図を一枚広げた。


「しかし燿蟬殿ではありませんが、私も太子が榻鷣に向かわれなかったのは意外でした。腕の怪我はそれほど重いものなのですか?」


 慧梏は晄黎にとって城内で気を許せる数少ない人物の一人だが、完全に味方かと言われればそうでもない。

 慧梏にとっての一番はあくまでも浩佑であり、腕のことを彼に告げれば確実に王の耳まで届くだろう。

 晄黎は逡巡の後、顔を上げた。


「大したことはない、と言ったら嘘になるが問題ない」


「そうですか。太子がそう仰るならばそうなのでしょうね」


 少し引っかかる言い方だが、これ以上話して墓穴を掘るのも嫌なので晄黎は押し黙った。


「まず今回の榻鷣防衛戦についてですが、これに関しては大司馬が上手くやるでしょう。ですので、防衛が成功した後のことについて考えましょう」


 慧梏の言葉に晄黎は大きく頷いた。景南国がどれだけ卑劣な策を弄そうとも、榻鷣には麓槙の傑物達が揃っている。きっと上手くやっているだろう。


「何度追い返したところで景南国は侵略を繰り返すだろう。だからといってこちらから攻め入って両国に多大な被害が出るようなことはしたくない。それに」


「もし麓槙が景南国に侵攻して、これを落とそうものなら東方諸国の均衡が崩れてしまいますからね」


 慧梏は晄黎の言葉を引き継ぐと、険しい表情で地図を眺めた。


 麓槙は他国からの侵略に際し防衛こそすれ、こちらから攻め入ることは決してしなかった。もしも今回の戦で国境を越えて景南国側へ出兵してしまえば、両国の間には取り返しのつかないほど大きな溝ができてしまう。

 そしてそれだけにとどまらず、周辺諸国との関係にも少なからず変化が生まれるだろう。晄黎にはそんな気がしてならなかった。


「なんとか、景南国側と話ができればいいのだが……」


 正直なところ、晄黎としては非武装の民を狙って襲わせるようなことは決して許すことはできない。しかしいつまでも憎しみを抱いていては両国に先はないだろう。時間がどれだけ掛かろうとも友好関係を築いていきたいと思っていた。


「しかし太子、景南国王は今までに何度も対話を拒否し続けています。こちらの言葉に耳を傾けること思えません」


「……そうだな」


 晄黎はそう言って溜め息を吐いた。一筋縄ではいかないだろうが、どうにかしなければならない問題だ。なにも敵は景南国ばかりではないのだ。


 旧奏楊国の領土から始まったこの戦も日に日に激化している。最近では一つ国を挟んで隣に位置する甲稜(コウリョウ)が東方進出を果たした櫂琰(カイエン)によって滅ぼされたという。


 その為麓槙もいつ攻め込まれるかわからない危うい状態なのだ。そんな時に前後左右が敵だらけなどというのは御免被りたい。


「まず景南国がどんな理由で麓槙に侵攻して来たのか、それを考えるのが先です」


「国力や土地の肥沃さは景南国の方が上で、大陸中央部への進出に際して邪魔になるような位置関係でもない。麓槙は平和主義国家で他国に攻め入ることもしないから危険視されるいわれもない。考えれば考えるほど、意味がわからない」


 考えがまとまらず、晄黎は頭を掻きむしった。


「実は一つ、思い当たる点がございます」


「思い当たる点?」


「ええ、対抗心です」


「え、あ、対抗心?」


 晄黎は思わぬ言葉に声が裏返ってしまった。


「陛下と景南国の王董照(トウショウ)殿は歳が同じで、王として即位したのも同じ年でした。しかし二人はこう呼ばれていた。東の名暗君と」


「名君は父上。暗君は景南国王のことか」


「その通りです。そういう風に二人のことを書いた書物が市場に出回って、董照殿の目に触れてしまったそうです。執筆者は大陸西方出身の語り部で、董照殿はその者の首を刎ねてしまったといいます」


「ちょっと待ってくれ! それが対抗心の理由であると?」


「私にはそう思えます。事実、陛下と董照殿が即位する以前の両国は良好な関係を築いていました。しかしその一件以降、景南国は敵対行動をとっています」


「それが真実なのだとすれば、随分と迷惑な隣人だな。正直関わりたくないものだ」


 晄黎は顔を顰めると頭を抱えた。


「まぁ、難儀な御仁であることは確かでしょう」


 身近に非の打ち所がない人物がいれば、嫉妬や劣等感を抱くのは仕方のないことかもしれない。しかし個人の私怨で民を巻き込むのは王としての資質を疑いかねない行為だ。


「そしてそれが真実ならば、すべきことはたった一つです」


 慧梏は真剣な表情で指を一本立てる。晄黎は大人しく続く言葉を待った。


「景南国王の首を挿げ替える。これだけで景南国は大人しくなるでしょう」


 慧梏はサラリと恐ろしいことを言ってのけた。


「まさか暗殺でもする気じゃ……」


「いいえ。それを決めて実行に移すのはあくまでも景南国の民でなくてはいけません」


 晄黎にもなんとなく、慧梏の考えが読めてきた。


「要するに、国王を玉座から追い落とす為の火種の役を我々が担うということか」


「はい。今回の出兵で万の軍勢を率いてきた景南国が、我が麓槙に大敗を喫するようなことがあれば、国民は必ず反戦へと傾きます。戦による恩恵を受けられない上に、度重なる徴兵によって生命を脅かされれば必然的にそれは起こるでしょう」


「……つまり、今回の戦で徹底的に景南国軍を叩き、内乱を誘発させる、と」


「決して軍事力によって他国を侵さないという点で我々は周辺国から信頼を得ておりますが、大義名分は卑劣な策を弄した景南国が与えたものです。周辺諸国も我々が国境を侵しても批難はしてこないでしょう。利用しない手はありません。……気乗り致しませんか」


「そうも言っていられないだろう」


 晄黎の脳裏に焼き討ちされた村での光景がよみがえる。罪なき人が傷つき倒れ、泣いている。

 悲劇を繰り返さない為には、非情な決断にも迫られる。


「私は麓槙の王太子だ。今は戦争をしていて、戦場では多くの者たちが命懸けで戦っている。他国の者の命まで救いたいなんて、そんなのは傲慢だ」


 今までは最低限の戦闘で、敵味方問わず最小限の犠牲に留めるように戦ってきた。しかし中途半端な慈悲や情けは、結局より大きな悲劇を生み出すのかもしれない。


「だが、これで決まりだな。変な小細工や交渉も必要ないなら単純明快でわかりやすい」


 晄黎はあえて淡々とした口調で言ってのけた。余計なことを考えると気が沈んでしまいそうで嫌だったのだ。


「それにしてもこの部屋は埃っぽ過ぎるな。きちんと換気はした方がいいぞ」


「あっ、太子! ちょっとお待ちを……」


 晄黎は床に散乱した書物を避けながら窓辺まで行くと、慧梏の静止を無視して両開きの戸を勢いよく押し開けた。

 バンッという音とともに埃が外へと吐き出される。部屋の隅に溜まっていると小汚く見えるが、陽の光の下ではきらきらと輝くのが不思議だった。

 しばし宙を舞う埃をぼんやりと眺めていた晄黎だったが、次の瞬間悲劇が起こった。

 窓から突風が吹き込み、室内の書類が宙を舞う。そのうちの一枚が窓をするりと抜けて外へと飛び出して行ってしまった。


「あああああああああ!!!!」


 滅多なことがない限り大きな声を出さない慧梏が、この世の終わりとでもいうような絶叫を上げた。

 はじめて聞く慧梏の叫び声に驚いて、晄黎は肩を揺らした。


「す、すまない慧梏、すぐに拾ってくる!」


 ほとんど反射的に晄黎は立ち上がった。


「あ、ちょ、太子、お待ちを!!」


 慧梏の執務室には重要な書類が山ほどある。中には機密事項が記されたものもあるわけで、風に攫われていったものもその内の一つだったのだろう。慧梏の取り乱しようがそれを物語っていた。


 ──他の者の目に触れる前に回収しなければ。


 その一心で、晄黎は一目散に部屋を飛び出した。

 一方、背後では晄黎を追い掛けようと立ち上がった慧梏が書簡に蹴躓き、部屋が更に散らかってしまったのだが……晄黎は気付きもしなかった。


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