9 重圧と決意
浩佑には後継者たる王子がいない。
それは平和を享受する麓槙において、最も重大かつ最優先で対処せねばならない問題であった。
そもそも何故、後継者がいないのか。
答えは簡単、浩佑が縁談を全て断って后を迎えようとしなかったからである。
これには臣下達は頭を抱えた。いくら明君であろうとも世継ぎがいなければ、浩佑亡きあと国が混乱に陥るのは明白であった。
最初のうちはどうにかして自分の娘を后に、と画策する者が大勢いたが、いつまで経っても首を縦に振らない浩佑にそれも変化していった。
かくなる上は王家の血さえ引いていれば分家であっても構わないから、養子を取らせるべきであるという声が上がった。利権争いをしていた家臣達は概ねこの案に理解を示した。
そうして候補者の選出を始めた頃、浩佑は特に信頼を寄せる太宰にあることをこぼした。
自分にはかつて深く愛した女性がいて、彼女のことが忘れられないから妻を娶る気にはなれない、と。
それを聞いた太宰はその女性の名前と特徴、出身などを細かく聞き出し、楼蘭の下町で暮らしていた蓂抄を見つけ出したのだ。
これまで平民として暮らしていた晄黎からしてみれば、自分が本当は王子であったなど、まさに晴天の霹靂であった。
浩佑は晄黎が思い描いていた通りの優しい人物だった。多忙な身であるにも関わらず、時間があれば晄黎の元を訪れ様子を見に来た。共に書物を読んだり、剣術の稽古をしたり、時には虫取りなんかもした。
浩佑と過ごす時間は楽しくて、彼が顔を見せるたびに心が躍った。
蓂抄が后となってから半年が過ぎた頃、晄黎を王太子とする触れが出た。
しかしこの決定に対して大臣達は不服を申し立てた。
当初、蓂抄を后として迎えることと晄黎を第一王子として認めることに関しては、そこまで批判はなかった。
理由の一つは蓂抄の身元がしっかりしていた点だ。彼女は奏楊国の下級貴族として生まれ、内乱によって祖国が失われた後麓槙へと流れ着いたのだという。蓂抄の身元はかつて同国で医官をしていた伯濯が証明した。
そして理由の二つ目は、彼女に教養があったことである。文字の読み書きに算術、歴史学といった学があるだけでなく、楽器の演奏に舞などの芸術にも精通している。加えて彼女の所作が付け焼き刃ではあり得ないほどに完成されていたこともあり、貴族出身という蓂抄に疑いを向ける者は少なかった。
だが晄黎を王太子とするのであれば、話は別である。
蓂抄の息子ではあっても、その父親が浩佑であることを証明する術はない。顔立ちは蓂抄にそっくりで、身体的特徴で晄黎が浩佑に似ている箇所は全くといっていいほどなかった。
晄黎自身も本当に自分が浩佑の息子であるのか、確信が持てなかった。過去に母は父は腕の立つ武人だったと語ったが、浩佑は幼い晄黎よりも武器の扱いに不慣れだった。
僅かに覚えた違和感に晄黎は蓋をして気付かない振りをした。浩佑は優しく誠実で正義感の強い人で、理想を絵に描いたような父親だったから。もしかしたら、なんてことは考えたくもなかった。
浩佑と蓂抄の間に子が生まれ、その子が王太子になるのであればなんの問題もないと大臣達は口々に言った。
浩佑は蓂抄の元に足繁く通っていたが、懐妊の兆しは一向に表れなかった。この時既に浩佑は三十九歳を迎えており、蓂抄も決して若いとはいえない。
だがあれだけ蓂抄以外の入宮を拒んだ浩佑が若い娘を妃に迎えるわけもなく、晄黎は麓槙唯一の王子であると同時に曰く付きの王太子となった。
この頃からだった。王に抱いた憧憬が苦痛へと変わっていったのは。
向けられる猜疑と軽蔑の視線。ヒソヒソと陰口を叩かれ、少しでも失敗をすれば責め立てられた。
平民の子供であった頃には感じなかった悪意と敵意は、幼い晄黎の心を少しずつ蝕んでいった。
限界というのは案外早くやってきた。
目を閉じ耳を塞いでも、眠っている時ですら誰かの責め立てる声がする。
例年よりも遅い初雪が降った日の朝、晄黎は城を抜け出した。脱走することに関して、難しいことは一つもなかった。塀の近くには大きな木が植えられていたので、持ち前の身体能力を駆使して登り、そこから塀の上に飛び乗った。
しかしそこから下に降りるのには少しばかり苦労した。
塀の高さは十メートルほどだが、取っ掛かりになるものはない。内側と違い木も植っていないので飛び移ってそこから降りることも不可能だった。
どうしたものかと思案しているうちに、こちらに向かって馬車が一台走ってきた。市場に商品を卸しに行くのだろうか、荷台の部分には南瓜や芋などが沢山載っている。
ふとそこで、晄黎はいいことを思いついた。
荷台には雪避けの為の皮が貼られていて、馬車は丁度塀の真下を通る。そう、あれ目掛けて飛び降りようというわけだ。長旅をする馬車に使われるほど丈夫な皮であれば、衝撃をやわらげてくれるだろう。この機会を逃せば、衛兵に見つかり連れ戻される危険が高まる。
失敗すれば大怪我、当たりどころが悪ければ死んでしまうかもしれない。硬く拳を握り込むことで怖気付く心に蓋をした。
機会は一度、迷っている暇はない。晄黎は意を決して十メートル下の馬車に向かって飛び降りた。
重力に従って落下すると、耳元を走る風の音が周辺に満ちる一切の音を掻き消した。
晄黎は物凄い速さで目標物に到達した。しかし落下時の衝撃は凄まじく、晄黎は皮の天井に弾かれて地面を転がった。転がった先は背の高い枯れ草に覆われていて、晄黎の姿を丁度よく隠してくれた。
馬車を引いていた馬が衝撃と音に驚いて嘶いた。
「うおっ!なんだなんだ、何が起こったんだ!?」
突然のことに御者も驚いて大きな声を上げた。馬を落ち着かせて馬車を止めると、周囲を確認する。御者は城の塀と荷台を見比べると、拍子抜けしたような声で言った。
「なんだ、雪か。今朝にかけて物凄い量降ったからなぁ」
幸い積もった雪が落ちてきただけだと思ってくれたらしい。御者は「はぁ、やだやだ」と文句を言いながら、塀から少しばかり離れた所を走り出した。
晄黎は積もった雪と枯れ草の陰から馬車を見送ると、脇目も振らず走り出した。着地した時足を擦りむいてしまったが、痛みなんてどうでもよかった。
かつて住んでいた家を横切り、いつも遊んでいた丘を超えて、晄黎は私塾へと向かった。
ほんの少しでいい。友人達の顔が見たかった。話をしたかった。今までしていたような他愛のない話を。
見慣れた小屋が視界に入ると、晄黎は思わず顔を緩ませた。もうすぐ、みんなに会える。会って、話ができる。
晄黎は一度扉の前で深呼吸をすると、勢いよく引き戸を開けた。
「先生、みんな!!」
声高に呼び掛けると、授業を受けていた子供達が一斉に晄黎の方を振り返る。
だがその表情は晄黎の想像していたものとは大きくかけ離れていた。子供達も先生も、笑顔の晄黎とは対照的に引き攣った顔をしている。
「僕だよ、晄黎だよ。まさか半年でもう忘れちゃったの?」
呼び掛けても反応する者は一人としていない。それどころか、かつての仲間達は目を泳がせて顔を逸らした。
堪らず晄黎は特に仲の良かった少年に近付いた。すると彼は怯えたように体を跳ねさせると、地面に頭を擦り付けた。
「え……」
突然のことに晄黎の表情から笑みが消える。
少年を皮切りに部屋にいた子供達は皆晄黎に平伏した。
呆然とする晄黎の前に先生がやってきて頭を下げる。授業中によくやんちゃをしていた晄黎の頭を本の角で叩いていた先生が、だ。
「王太子殿下、ここは尊き御身がいらっしゃるような場所ではございません。城へお戻り下さい」
晄黎は全身から力が抜けるのを感じた。
ここに来てから、晄黎は誰とも目が合わなかった。ただ、話がしたかっただけだった。ほんの少し、息抜きがしたかっただけだった。僅かな間で構わないから、ただの子供に戻りたかった。
だがこの場の誰ひとり、晄黎を王太子という身分抜きで見る者などいなかった。
すぐに城へと連絡が入り、晄黎は連れ戻された。
覚悟を持って城を出たけれど、結果として晄黎は友人と師を失っただけだった。
脱走したことは浩佑にも報告が行き、晄黎は呼び出しを受けた。喪失感に苛まれ呆然と立ち尽くす晄黎の頬に衝撃が走る。
あとからビリビリとした痛みが遅れてやってきた。晄黎は熱を持った頬に手をやると、顔を正面に向けた。険しい表情の浩佑と目が合い、その時初めて自分が打たれたことに気が付いた。
「あの高い塀を飛び降りて、脱走したそうだな」
真剣な眼差し、低い声音。晄黎は初めて浩佑の怒った顔を見た。浩佑は晄黎がどんな失敗をしても、思うような結果が出せなくても叱責することなど一度もなかった。
その浩佑が今、晄黎を目の前にして本気で怒っていた。
「も、申し訳、ありませ」
言葉は最後まで声にならなかった。
浩佑がきつく晄黎の体を抱きしめたからだ。
「一歩間違えば大怪我をしていたのだぞ!もっと自分の体を大切にしなさい!お前に何かあったら、私は……」
そう言って抱きしめる浩佑は震えていた。
自分に何かあれば、後継者がいなくなって困るからこんなに必死になっているに違いない。なんて思うほど、晄黎はひねくれていなかった。
自分がいなくなれば、大臣達の進言通り遠縁の子息を養子に迎えれば済む話なのだから。
晄黎は大きな浩佑の背に手を回すと、肩口に強く顔を押し当てた。
忙しい筈なのに、政務を中断して来てくれた。自分のために叱ってくれた。愛してくれた。
誰が何を言おうとも、この人の息子でありたかった。
「申し訳ありませんでした、父上……」
晄黎は強くあろうと心に誓った。
そして自分が唯一浩佑よりも優れている武を持って、父を助け国を守ろうと。
居場所とは与えられるものではなく、自分で作っていくものなのだから。
ぼんやりとした意識の中に、虫の賑やかな声が入ってくる。夜半、右腕を走る激痛によって晄黎は目を覚ました。伯濯が痛み止めを処方してくれたが、傷が深過ぎるせいで効き目は殆どない。今まで経験したこともない痛みに身体中から滝のような汗が流れる。熱も出ているようで、意識が朦朧としていた。その時ふと、額に冷たいもの感じた。乗せていた手巾を新しいものと交換してくれたらしい。心地良い冷たさに体が少し楽になる。
「……伯濯か?すまないな、世話をかけて」
肩で息をしながら声をかける。返事はなかったが、すぐ側で微かに身じろぐ気配がした。
「言う通り大人しくしていて正解だった。こんな状態では迷惑がかかってしまう」
駿栄が率いる援軍は間に合っただろうか。晄黎は今も榻磐で戦っているであろう兵達に思いを馳せた。何も出来ずにいる自分が腹立たしい。晄黎は知らず唇を噛み締めた。病床に伏す陛下も、自分と同じように思っていたのだろうか。
「……懐かしい夢を見たんだ。幼い頃の、夢を。あの時誓った筈なのに、今度こそ私には何もない。何故、私はこんなにも無力なのだろう……」
熱のせいなのか、弱音が溢れ落ちる。なんだか酷く気が滅入ってしまって、心が重く沈んでいた。
もしかしたら、相手が伯濯だから話せたのかもしれない。劉藍や駿栄の前では、頼りない姿など到底見せられない。上に立つものがこんな有様では、不安を与えるだけで誰も付いて来てはくれない。曰く付きの自分では尚のこと、他者以上の技量が求められる。
拳を固く握り締めると、そっとその上に手が触れた。それは遠慮がちで、でも慈愛に満ちた優しいものだった。しかしその手は晄黎の知る皺だらけの伯濯のものとは違っていた。柔らかな感触に晄黎は疑問を口にした。
「伯濯?」
声を発した途端、手は引っ込められていた。優しい月明かりだけを頼りに目を凝らして探してみるが、誰の姿も見つけられない。
一体、誰だったのだろうか。
格子窓から涼やかな風が吹き抜ける。ハラハラと何かが舞い込んで来た気配がして晄黎が視線を落とすと、床の上に薄紅色の花びらが残されていた。疲れ切っていた晄黎の意識は、再び深い眠りへと落ちていった。
少し過去に飛んでしまいましたが、次からまた話が進みます。
さくさく進めたいので、周り道はあまり好きではないのですが、どうしても晄黎の置かれた立場を先に書きたかったので、必要な周り道かと思い執筆いたしました。
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