ヴァージン・アリゲーター 後編
「あっどうも、はずめますて、すまたに、こすろうです」
セクハラだ。東北出身の島谷小四郎の自己紹介はセクハラだ。
「初めまして星野です」
「星野さんは、そうきちに大変興味があるそうですが、生半可な気持ちでやってもらっては、こまっぺ。ここまでそうきちが成長すたのもおらの努力だと思てっぺよ、雨の日も、風の日も、夏の暑い日も、冬の雪の日も、一年中そうきちのことを一番に考えてきますた。まあ、星野さんも相当なワニ好きみたいだから大丈夫だと思うけど・・・そ、そうきちのこと・・・おね、お願いします」と言い深々と頭を下げた。
大場みどり。
あんたはこの人にどんな説明をしたんだ。
島谷先輩は頭を下げたまま肩を震わせ、大粒の涙を落とし地面の色を変えている。
「あああ、がんばります。一生懸命世話しますから、あの、だから、泣かないで下さい」
心を込めてがんばりたくない。泣きたいのはわたしの方だ。でも泣いているのは島谷先輩だ。号泣する島谷先輩に困ったわたしは助けを求めるようにみどりを見ると、みどりは火の点いたタバコを檻の間から正吉君めがけて投げようとしている。
「ちょっとなにやってんですか!」
「いや、動かないからさ、生きてんのかなと思って」
「生きてますよ!立派に生きてますから、挑発して怒らせるようなことしないで下さい。ただでさえこれから危険な檻の中に入るんだから刺激しないでください」
みどりはつまんなそうな顔をしてケータイ灰皿に吸殻を入れた。
「つーか島谷先輩になんて説明したんですか?泣いてますよ。泣きじゃくってますよ、引退試合したかったとか言ってますよ」
「あー。あたし島谷みたいのタイプじゃないのよ。普通さぁ、あたしが擦りよって頼んだら一発よ、それなのに顔色一つ変えずに「先生、腕に胸が当たってるっぺ」って、お前はホモかっつーの、そんな奴ほっといていいわ」
ほっとけるわけないじゃん。
「あの、島谷先輩。リストラになって悲しい気分なのはわかりますけど、とりあえず仕事の引継ぎっていうか、手順なんか教えて貰いたいんですけど。大丈夫ですか?」
「い、いま、な、なんて言ったっぺ?」
「仕事を教えて欲しいと」
「いんや、そのまえだべ」
「リストラ?」
「もう一個前」
「島谷先輩?」
「ああ。ええ響きだ。青春の響きだ。先輩なんて始めて言われただ。いつもスマタ、スマタって、一年にも呼ばれてるもんなぁ、いいなぁ、しみじみいいなぁ。なんか、こぉ、力が湧いてきた。そうかぁ先輩かぁ。いやぁ、まいったなやぁ」
さっきまで泣いてたくせに急に喜んでるし。
「星野さん、分からねぇことがあったら遠慮せずに聞けな、すまたに先輩がやさすく教えてやるからな。よす、これを持っておらについて来い」
わたしの周りには普通の人がいないのか?
「じゃあまんず、エサの入ったバケツを持ってくれ」と言われ手渡された青いバケツには生の鶏が一羽丸ごと入ってた。
「重くないか?」
「重たいです。島谷先輩!」と、ちょっとかわい子ぶって言ってみた。
「そうか、女子には重いか、よす、すまたに先輩が持ってやる」
これは使える。
「エサやれっか?」
「あのー初めてなんで、島谷先輩がやってもらえますか?」
今度はおっさんのことを「おじさま」と言うような純真で、か弱い女子の感じで言ってみた。
「そうだな、お手本見せた方がいいよな、よす、すまたに先輩が見せてやる」
「おい貧乳。貧乳のくせに女の武器使うな。百年早い、全部自分でやれ、おい島谷、お前ホモじゃなくてロリコンだろ、星野にメイド服とか着せたいとか妄想してんだろ、星野は似合いそうだもんなぁ。ああ、やだやだ、日本人の男はロリコンばっか。もう気持ち悪い。吐き気がする。星野は黒髪で色白の肌に可愛いつぶらな瞳でアヒル口。ロリコンにはドストライクだ。ロリコン界の撃墜王だ。もうロリコンと心中しろ。しかも名前がスミレって。ウケる。超ウケる。星野スミレって。ないだろ普通に。島谷はイタイ性癖の持ち主だから、あたしに反応しなかったんだ。ああ良かった良かった。二人ともワニに喰われて死ねばいいのに」
「なに、怒ってんだべ」
「気にしなくて良いですよ、世界中の男が自分のものじゃないとイヤなタイプなんです。教師になったのも戦略上ですから」
「そうかー、偉く屈折した人生を送ってるんだな。じゃあ入る前にまんず説明すっぺな。まあ見てのとおり檻はだいたい十畳程の広さで、半分がコンクリートの床で残り半分が深さ三十センチ程のプールになってっぺな。エサは一週間から二週間に一回でいいっぺ。毎日やったりしたらドンドン大きくなるから気をつけてけろ。ちなみに、おらは毎日やってこのサイズまで成長させますた。通常だともう二回りは小さいけどな。だから星野さんは無理して毎日エサあげなくていいっぺ」
なに余計なことしてんだよ。
「その代わり掃除はできるだけ毎日やって下さい。最低一週間に一回はやってください」
だったらエサと一緒に週一でいいじゃんか。
「やり方はまず今そうきちのいる床の部分に水を撒いて下さい。撒いた水をプールに落とす感じでデッキブラシで磨いて下さい。最後にプールの水を抜きながらプールを掃除して、水を溜めたら終わりです。まあ初心者でも三十分ぐらいで終わっぺよ。質問はありますか?」
「すっごい基本的なことなんですけど噛まれません?」
「噛まれそうになったことあるけど大丈夫だっぺよ」
「それって全然大丈夫じゃないですよ」
「じゃあ、星野さん、ここから見てやってるから行って来い、まんず、大丈夫だからがんばって」
「人の話を聞いてました?噛まれそうになった経験があるんですよね?そう言う場合の対処方を知りたいんですけど」
「がんば」
なんだ「がんば」って。オカマっぽい内股のファンシーなファイティングポーズも腹が立つ。
島谷先輩はポケットから鍵を出した。もちろんキーホルダーは可愛げのないワニだ。
凶器のようにデカイ南京錠を外し、留め金を上に上げてロックをスライドさせ檻を開けて入る。
はあ、近くで見れば見るほど見事にデカイし可愛くないし凶悪そのもの。地球上の憎悪を結集して作ったようなフォルム。
「星野!正吉君に挨拶」と、安全地帯にいる大場みどりに言われ、
「あ、あの、今日からお世話させて頂くことになりました。一年三組星野スミレです。よろしくお願いします。いくらカワイイからって食べないでね」
「余計なこと言わなくていいから、ほらもっと近付いて、大丈夫だって、噛まれたぐらいじゃ死なないって。ほら、指出してさ、わざと噛ませんのよ、それで怖くない怖くないって、言ってごらん。それでさ、脅えていただけなんだよねって言ったらもう平気だから」
わたし風の谷のお姫様じゃないし、指出したら腕ごと喰い千切られるに決まってんじゃん。あーもう、真剣に怖い。
「一つだけ星野に朗報、ワニの世話を三年間やった生徒は就職率100パーだから、島谷なんて二年なのに、もう内定もらってるし」
「はい、歴代OBと同じく熱海のバナナワニ園にすうそくが決まってます」
「わたし進学希望だからいいです」
「だったら遅刻してんじゃねぇよ」
人生哲学は腐りきってるクセに言うことが一々正しいのがムカつく。
「まあ、とりあえず、星野の遅刻の件は揉み消して、生き物係を見つけた功労者として報告出せばいいし、なんなら貧乳だけど星野にスク水姿でワニの世話してるとこ見世物にして入場料収入も得られるし悪くはないか」
「結婚の話も含めて、かなり悪どいっすね。つーか島谷先輩、一回くらい掃除のお手本見せてくださいよ、いきなり無理!」
「んだな、星野さんはこっちで見てっぺよ」
「じゃあ、暑いからあたし帰るね。あとは二人で頑張って」と、全然真剣みのない適当な頑張ってを残して颯爽と帰っていった。
「じゃあ、まず水を撒きます」と、島谷先輩が青いホースの繋がった蛇口の栓を回そうとしたときに、
「おお!新人が入っとー、しかも女子げな、島谷よかなぁ」と聞き覚えのある九州弁が聞こえて、なんだかなぁもう!って感じだ。
「ああ、古賀先輩、今日は休みですか?」
「昨日から連休ば、もらとっちゃんねぇ」
あああ、やっぱり昨日のめんどくさい人だ。そして昨日と同じ変態スタイルだ。
「先輩、新人の星野スミレさんです」
「初めまして星野です」
「可愛らしか子やねぇ、ばってんどっかで、おうたごたぁ気のするとやけど気のせいかいな」
「多分、気のせいです、高確率で気のせいです。まったくの初対面です」
「古賀先輩はおらのニコ上で、卒業したあともこうやって面倒見てもらってるっぺよ、あっ、先輩丁度良かったです、星野さん今日が初日で掃除の仕方を教えるとこだったんです、良かったら先輩の清掃テクニックを披露してもらえたらありがたいっぺ」
おいおい、どう見てもニコ上じゃなくて二十コ上だろ。
「そりゃ、よか考えやね。おいのテクば見てスミレちゃんが惚れたらどげんしよ、プロフェッショナルの仕事やけんね」
惚れるかボケ!
「まず水の撒いてからくさ、正吉の後ろに回るっちゃけど、こん時に視界に入らんごと上手くせんと尻尾で足の払われるけんね、気ぃつけんといかんよ。やけん死角ばついて回ってね、こうやって」と得意げに後ろに回った瞬間、正吉君の尻尾が「ブン」とムチのようにしなり、古賀先輩の足にクリティカルヒットして「バキ」と、足が折れる音がして古賀先輩はプールに転落。
「あたっす!」と、リアクション芸人顔負けの動きで乳首ランニングの腕の部分から、頭と腕が飛び出すターザンスタイルのワイルドメンになり、水深三十センチのプールでバタバタする様は見事なくらい野生の本能をくすぐる溺れっぷりだ。
「これ、ヤバくないですか?わたしがワニなら確実に食いますよ」
「星野さん、助けに行くっぺよ」
「えー、無理っす、無理っす、もう攻撃態勢に入ってますし、それと、ほら、あのー、ほらほら!九州男児だからどうにかなりますよ。この後に、かかってきんしゃい!とか男らしいこと言いますよ」
「足がのうなったけん!きさんら、はよう助けんか!こんバカちんどもがぁ!」
「ほら行くっぺ、星野さん!」
「行かなくていいですよ。あんな調子こいたバカはほっときましょうよ、自業自得ですって。あれがプロの仕事なんでしょ。それになんすかあの上からな感じは、しかもバカちんって。どう見てもバカちんは自分じゃないっすか」
「なんばゴチャゴチャ言いよっとか!はようせんかっ!おいが食われっしまうぞ!」
「じゃあ、星野さんは、このエサを古賀先輩のいない所に放り投げて、その隙におらが古賀先輩を救出してくるっぺ」
「島谷先輩の無駄な使命感に関心しますけど、なるほど、それならここから投げればいいだけなんで、わたしは安全ですね」
「このミッションの成否は星野さんに懸かってるっぺよ」
「まかしてください」と言ったものの、なんか丸ごとの鶏の肉はヌルヌルしてて気持ち悪いし、そもそも球技とか得意じゃないし、でもやんなきゃだよな。
覚悟を決めた時に吹奏楽が練習するワルキューレの騎行が聞こえてきた。
「これは勝ったな」と思って投げたら思った以上に古賀先輩の目の前に落下して、男二人の「ギャー」って声が響いた。
救急車の赤いネオンがチカチカする中「すいませんした」と二人に謝った。
「目の前に肉が落ちてきたときは、人生が走馬灯のように駆け抜けたばってん、おいの頭やなくて肉に喰い付いたけん結果オーライたい、気にせんでよか」
「逆にあそこに投げたがら助かったっぺよ」と、なんか二人とも見た目は悪いけどいい人たちなんだなと思った。
足の骨が折れた古賀先輩を乗せた救急車が去った後、わたしたちは生徒指導室に呼ばれハンプティ・ダンプティみたいな校長と、ストレスに蝕まれてリンゴの芯みたいになった教頭と、生徒指導のホルモン活動が人の三倍はありそうな男性教諭二十七歳独身の三人から事情聴取にあっている中で、大場みどりはいつもより一つ多めにブラウスのボタンを開けて、事情聴取中も我かんせずと言った感じでタバコを吸い、わざと男性陣の前に灰皿を配置して灰を落とすときには、やたら胸を寄せて前のめりで灰を落とすといった汚い技を使い、一言も発言せずその場を完全に掌握していた。
さすが大場みどり。色んな意味でやる女だ。自分の武器を最大限に活用するしたたかさは見習うべきものがある。
それにしても、これから卒業まであんな凶暴な生物の世話をしなきゃならないなんて、考えただけで脳みそが白子になりそうだ。
「星野さん。そんなに深刻な顔せず、前を向いて生きていくっぺよ。今日のことは星野さんの責任じゃないし。そこで、あの、なんつーか、初対面でこんなこと言うのもなんだけど、お互いワニ好きと言うこともあるし、たぶん気が合うと思うので、勇気だして告白します。おらと付き合ってくんねーが」
「イヤです」
「あっ、そう。うん。そのー、星野さんの落ち込んでる顔見だら、あのー、今なら落とせるかなぁって思って、浅はかでした。ゴメン。それにしても即答だったね。清々しい程の即答だったね。反射神経のいい即答だったね。うん、そこまで素早く、イヤって言われたらしょうがないっぺな。よし、気持ち切り替えて、また明日からガンバロ。でもホントに好きです」
「イヤです」
「せめて、ごめんなさいくらい聞きたかったっぺ」
「今日はお疲れっした。あっ。でもわたしが卒業するまで頑張ってくれたら」と、島谷先輩の数歩前に出て後ろ手にカバンを持って振り返り可愛く微笑んで「好きになるかも」と、自分の武器を使ってみた。