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女子テニス部の矢田亜紀

 新チームが中心となる練習はその翌日から1週間を休みにした。


 その翌日の日曜日の夜9時、彼は近くにある全天候型のテニスクラブへ出向き、フリーチケットで、かなりレベルの高いクラスへ入ったが、他の生徒がいなかったため、彼はコーチと二人ゲームをして久しぶりにテニスを楽しんだ。


 その隣のコートで山田の激しいサーブに見とれている一人の女子高生がいた。

 彼女は相良高校テニス部キャプテンの矢田亜紀であった。

 彼女はシングルスで必ず決勝までは行くのだが、いつも決勝で北部高校留学生のウイラムの激しいサーブに屈していた。


 あのサーブでリターンの練習がしたい、終わったらお願いしてみよう…… そう思っていた彼女だったが、着替えている間に彼は帰ってしまい、事務所で聞いても一元客で、どこの誰だかわからないまま、彼女は帰宅した。


 しかし、翌日の昼、食堂で山田を見つけた彼女は、まさか、と思いながら彼に話しかけてきた。

「昨日、9時過ぎに、テニスのレインボークラブにいましたよね」

山田は驚いて顔を上げると、

「ええいましたよ」と軽く答えた。

すると

「お願いです、練習につきあって下さい。あのサーブでリターンの練習させて下さい。お願いです」

「ちょ、ちょっと待ってよ、どうしたの?」

「先生、矢田先輩は内のテニス部のエースなんです」

「ああ、昨日横のコートでやっていたね…」

「はい、お願いします…」

「だけど…」

「先生、矢田先輩はいつも決勝まで行くんだけど、北部高校に男みたいな体格した留学生がいて、すごいサーブを打つんです。ほんとにすごいんです。いつもそのサーブにやられて……」

「そうだったの?」

「お願いします。1週間しかないんです。お願いします」

「ちょっと待ってくれないか? バスケ部のコーチがそんなことしていいのかどうか、よくわからないからちょっと理事長に相談してみるよ」

「はい、お願いします」彼女は礼を言うと顧問の高田の所へ走りその事情を説明した。


「おどろいたわねー、NCAAプレーヤーよ、地区の新人賞も取っている」

ネットでKazuki Yamadaを検索した高田は驚いて矢田にスマホを見せた。

「先生……」

「いいわ、私からも理事長にお願いしてみる!」


 彼女が理事長室へ急ぐと、そこでは既に山田が彼と話していた。

「あっ、ちょうど来たよ」

「理事長!」

「わかっているよ、今状況を説明していたところだよ」

「良かった、助けていただけるんですね!」

「先生、そんな怖い顔で睨まないでくださいよ、私は小心者なんですから」

「ばかなこと言わないでよ、ひどいじゃないの、NCAAプレーヤーのくせに、少しぐらいは顔出してくれても良かったんじゃないのっ!」

「先生、もう勘弁してやって下さい。アメリカでのことを伏せておいたのは私の思いなんです。最近アメリカへ留学し、バスケでロスター入りできる者が増えてきたが、県ではまだいない、彼だけですよ。さらにその彼は偶発的とはいえ、テニスでもNCAAプレーヤーの肩書を手に入れた。これも県出身者では初めてのこと、こんなのを二つも持っているんですよ、この山田先生は…… 

だからとりあえずは積極的にそのことを表に出すのはよしましょうってことにしたんですよ」

「わかりました、でも今日から1週間指導してくれますよね」

「ちょっと待って下さい、相手はできますけど、指導の基礎はないですよ」

「えっ、どういうことですか!」

「高田先生、彼はNCAAプレーヤーですが、テニスを指導するための基礎は何も知らないんですよ、だから指導しろと言われても指導はできない。ただ、彼女にリターンの練習をさせてあげるためにサーブは打ちますよ、相手もしますよって言うことです」

「何か、よくわかんないけど、とにかく来てくれるんですね」

「はい…… ただ、相手の打つサーブは?」

「スライスとストレートです。ストレートは下から相当に突き上げて打ちますから、バウンドが半端ないです」

「わかりました」


 理事長は、山田一樹の人生が楽しそうになって来て、とてもうれしかった。


 その日から、山田がコートに立つと、練習にも拘わらず見物するものが後を絶たなかった。

 だが、矢田は彼のサーブに全く対応できなかった。20本ほどストレートを打った後、彼は矢田の第1歩が不自然なことに気が付いた。

 彼女の所へ行くと「この時点でこんなことを言うのはどうかとは思うが……」

彼は少し困惑していた。


 対応できないことに目を真っ赤にしていた矢田が、

「言って下さい、どうにもなりませんか?」

「いや、そういうことじゃなくてね、踏み出す最初の1歩が右足の時、不自然だ。強く踏み出したいのはわかるけど、ジャンプアップにこだわりすぎているんじゃないの。私はこうだよ……」


 彼は構えから、つま先を残したままャンプアップした後、降りながら右に5㎝踏み出して動き始める仕草をやって見せた。

「ジャンプアップしているように見えるかもしれないけど、俺は肩を上げているだけでニュートラルにしているんだ。昔、私も君みたいにしろって言われたけど、かえって遅くなるからやらなかった。君はそこを忠実に守ることで、元来の野性的な動きを殺してしまっているんじゃないのか…… 俺は基礎的なことはわからないが、ここは動きやすいように動いている」


「……」

「右足の第1歩は、無意識に出ているのか、」

「いえ、まだ意識してやっています」

「そうか、それならチャンスはある、ただ、可能性はあるけど後退してしまう危険もあるよ」

「いいです、やってみます!」

「よし、本能に任せて動きやすいように動いてごらん……」

「はい」


 そして彼が放った第1球目、いままで遅れていた動きが遅れなくなった。

 手ごたえのあった彼女に笑顔が戻った。

 さすがに運動能力は高いのだろう。5球目あたりからは、厳しいリターンがコートの端に狙いすましたように返って来た。

 見ていた者達から大歓声が沸き上がった。


 6日間、彼のサーブを受け続けた彼女は明日の決勝を前にもう腕の上がらなくなった山田に涙を流しながら頭を深く下げた。


 そして決勝の日がやってきた。

 第1セット第1ゲーム、ウイラムのサーブで始まったがリターンを正確に返してくる亜紀に彼女は少し苛々していた。


 亜紀も懸命にリターンしたが、最初のブレイクが効き、第1セットは3-6で落としてしまった。

 ただそれを見ていた山田は、後半は完璧にリターンしていた亜紀のストロークの精度がかなり高くなってきたので第2セットは行けるのではないかと思っていた。

 予想どおり、いらいらし始めたウイラムはダブルフォールトを繰り返し、第10ゲームをブレイクした亜紀が第2セットを奪い返し1-1となった。


 第3セットはもつれにもつれ、タイブレークの末、ここから2ポイント連取した方が勝者、というところまで来ていた。


 ウイラムのサーブ、彼女のファーストサーブは惜しくもネット、疲れていた彼女は、これ以上長引くと負けてしまう、そんな不安に加えて、セカンドサーブは厳しいところにリターンされ、なんどか、リターンエースも取られている、ここは勝負と思った彼女は、渾身の一打を放った。

 そのサーブはライン上でスリップし、サービスエースかと思われ、会場がどよめいたが、かすかにネットをかすめていたそのサーブは打ち直しとなった。

 しかし、悲しくも打ち直したそのサーブは大きく外れ、亜紀のアドバンテージとなった。


 会場がどよめく中、亜紀は山田のたった1つの助言を思いだしていた。

 もし、終盤になって、この1本を取れば……という場面に出くわした時、それがお前のサーブであれば、ファーストサーブの後、ネットについてみれば行けるかもしれない。

 相手の選手は身体が大きくて、体力もない、機敏さもない、動きも遅い、それに何よりそこまでもつれたら精神的に参ってしまう。

 自信をもってエースをねらうサーブをことごとくリターンされたら、それだけで彼女は相当に参ってしまう。

 追い詰められた彼女は、見たことのない光景に我を失う可能性がかなり高い。

 ここでいけると思う場面があれば、やってみる価値はある。


 亜紀は渾身のファーストサーブを打ち込むと、一気にネット中央に向って奪取した。


 それが目に入ったウイラムは、慌ててコートサイドに向けてリターンをしたが、その球は大きくサイドラインを割ってしまった。


 ここまで2年間、屈辱に耐え続けた矢田亜紀の初めての勝利だった。

 会場は大きくどよめいた。その歓声は、隣町にまで響くほどの大歓声となった。

 周辺を歩いていたものは、驚いて立ち止まると歓声の鳴りやまないテニス会場に見入っていた。


 挨拶を済ませた亜紀は、涙にぬれた目を上げて、観客席に山田の姿を探したが、彼はもうそこにはいなかった。


 1年生の時、決勝でウイラムに叩きのめされた彼女は、県外に転校を考えたこともあったが、彼女の父親は

「逃げたらだめだよ、頑張っていれば、いつか報われることがあるよ……」

 そういって彼女を慰めた。

 もう駄目だ、そう思って諦めていた。

 でもたったの1週間だった。山田との出会いが彼女を変えてしまった。



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