第二話 押してダメでも押してくる
「あー、なんで俺が副委員長になってしまったのか……」
幸彦は持っていた箒と塵取りをロッカーに放り込むと、大きく伸びをして筋肉をほぐす。
(こんなことになったのも季節外れの風邪を引いたことが全ての問題だ。休むんじゃなかったよ。全く……)
幸彦は運悪く、委員会を決める当日、休んでいた。なので詳しくは知らないが、風の噂で聞いた所、副委員長を巡る壮絶な争いが起こったらしい。
数多くの方法を試したが、中々決まらず……そんな時、保奈美が放った一言が副委員長を決めるきっかけとなったとのことだ。
「だったら……目隠しをして、休んでる人に投票してみてはどうかしら? それなら文句はないでしょう? とっても公平だもの。不正が入り込む余地もないわぁ……」
保奈美は休んでいる火車の不知火と覚りの幸彦の席を指す。それにみんなは文句を唱えかけたが,彼女はそれを断固として聞き入れなかった。
「私はね? 副委員長をしたい人が欲しいのではなく、副委員長の仕事がしっかり出来る人と仕事がしたいわ。だって、それが委員長と副委員長の役目だから」
ぐうの音も出ないとはこのことであろう。委員長たってのお願いでは、クラス連中は幾ら何でも否定する訳には行かなかった。
そうして保奈美の案が通り、みんながランダムに投票する。こうして公正な投票の結果、幸彦は副委員長となるのだった。
委員長様を幸彦が独占しているのが気に食わない彼らはいつまでも幸彦に嫉妬をぶつけてくる。覚りの能力で無意識に悪口を感知してしまう幸彦にとってそれは多大なるストレスであった。
それで、幸彦は掃除が終わっても、一人自主的な掃除を続けていた訳である。彼は、スッキリした顔で自分の机に座り体の力を抜く。
(やっぱり人が少なくなると過ごしやすいな、あー、一人ってほんと素晴らしい)
掃除が終わって、生徒が帰ったおかげなのか。針の筵がようやく終わった幸彦は存分にだらけるのであった。
「……あぁ、机が気持ちいいナリ〜〜」
幸彦は木製の机に顔を擦り付けて、冷たさを染み込ませていく。
雪女の血も混じっている幸彦にとって、その冷たさは充分眠りを誘うものである。彼が眠るのも時間の問題であった。
(何か忘れているような気がするが…… まぁ気のせいだろう)
そうして彼は空き教室で暫しの仮眠を取ることにした。腹を好かせたライオンが、シマウマを狙っているとも知らずに……
「起きなさい、幸彦君。仕事の時間よ」
「ううん……?」
艶のある声が妙に耳の近くで響く。その声は川のせせらぎのように、心地よかった。
「後五分……」
「えぇ? もぅ、しょうがないわねぇ。じゃあ羊を三百頭数え終えるまでよ。羊が一匹、羊が、二匹、羊が、三匹、保奈美が、四匹、保奈美が大好き」
保奈美は徐々に文言を変えていくが、幸彦はそんなことは全く気にならなかった。
「いい声だぁ。この声好きぃ……」
保奈美の、甘く蜜のようなねっとりとした声が気に入った幸彦は、それをBGMとしてすぐに第二の眠りに付くのだった。
「幸彦君は保奈美が大好き、幸彦君は保奈美が大好きでたまらない、幸彦君は保奈美以外の女が目に入らなくなる。あら? 洗脳もここまでかしら。勿体ない……」
――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ
幸彦の耳に彼女の声と、アラームの音が鳴り響く。どうやら五分経ってしまったようだ。
なぜか、眠りに着く前より彼女に対して、好意が徐々に芽生えてきたような不思議な寝起きであるが、眠気の方が気になる幸彦であった。
「五分経ったわよ? いい加減起きてくれない? 幸彦君」
「うぅん……後十分」
それに彼女は苦笑し、幸彦の頭を当たり前かのように撫でる。その撫で方は幸彦の意識をさらに不確かにするのだった。
「うーん、眠らせてあげたいけど、私にも都合ってものがあるの? 幸彦君は眠たい時、どうやって起きてるの? 私の場合は刺激を与えると起きるんだけど……」
それは保奈美による誘導尋問であったのだが、適当に幸彦は応える。
「あぁ〜……そうだな。じゃあ俺にも強い刺激を与えたら起きるんじゃない? ふぁーぁ……」
そうして、幸彦は彼女に最上級の免罪符を渡すのであった。
「ふふふ。強い刺激で起きるのね? 強い刺激なら任せて頂戴。いい方法を知ってるの……」
すると、彼女は暖かい吐息をふぅと幸彦の耳の中に吹き付けられる。
それは電流が走ったかのように、彼の体を一瞬震わせる。
その一瞬を保奈美は見逃さなかった。彼女はもう一度吐息を吹きかけると、幸彦の反応をつぶさに見つめる。
「おふ……なんかくすぐったい……でへぇへぇへぇ」
幸彦は彼女の吐息から逃れようと身をよじるが、彼女は二回の確かめで確信を得たようだ。
幸彦の耳をグニグニと揉み込むと、さらに唇を幸彦の耳にくっつけて、キスをする様に囁く。
「ふふふ、耳が弱点なのね。なら、こうすれば起きるかしら……動かないでね? たっぷりイイコトしてあげるから」
その発言に幸彦は困惑したかと思うと、突如、彼の体は魚のように跳ね上った。
「??……!!!! おほぉおぉぉおぉぉ⁉︎ あっあっあっぁあっ!!」
――じゅるるる、ぴちゃ、ぴちゃ、れろれろれろ
感じたことのない未知の刺激に彼は、野太い声で喘ぐ。
「あまり動いちゃダメよ。舐めにくいから。はぁむ」
艶のある声が耳にゼロ距離で届くと同時に、再度、にゅるりと耳に何かが入り込む。くぐもった吐息とぴちゃぴちゃとした水音は幸彦を容赦なく蹂躙するのだった。
――ぐぽ、ぐぽ、ぐぽ、ぐぽ、ぐぽ、じゅるるるるるるる、ちゅぽん。
鼓膜に感じたことのないおぞましさが広がると共に、下腹部は痛いほどに固くなる。それは彼女が満足するまで行われるのだった。
「うん、うん、耳掃除ちゃあんとしてたのね。耳垢も全然ないじゃない。エライ、エライ」
彼女は耳から舌を抜くと、ハンカチで幸彦の耳から唾液を丹念に拭き取る。そして幸彦の頭を子供のように撫で続けるのであった。ようやく終わると思った幸彦はホット胸を撫で下ろす。彼女が幸彦の頭をくるりと回転させるまでは……
「はぁ⁉︎」
「さぁって、こっちの耳はどうかしら? 責任を持ってお口でチェックして、あっ・げっ・る」
彼女は片耳では我慢できないのか、幸彦へ口による耳垢掃除を右耳から左耳へと、熟練の職人のように、シフトしていくのであった。
完璧に目が覚めた幸彦は急いでこれを拒否をする。
「いやいやいやいや⁉︎ もう、起きたからバッチリ起きたから、だから顔押さえるのやめてくれる⁉︎ めっちゃ怖いから!!」
「右耳を舐めたんだから左耳を舐めないと、決まりが悪いじゃない。あーん」
――ちゅぷり、ちゅぱちゅぱ、れろれろれろ
「のおぉぉおぉぉぉお⁉︎ 間違ってる! それ間違ってると俺は思うよぉぉおぉぉぉ!! ぁぁぁぁん!」
左耳も同様に彼女に開発されていく。人気がないだけに幸彦が叫んでも誰も助けにはこない。
「いいじゃない。減るもんじゃないし。鼓膜は破らないよう、気持ちよくしてあげるから」
そうして幸彦は新たな扉を保奈美に作り出されるのであった。
「はぁはぁはぁ、ふぅ……それで仕事って一体なんだ」
息が切れ、汗も絶え絶えになった幸彦は肌が艶々した保奈美に質問する。彼女はどうやらその、裏でも、表でも、性に奔放な妖怪だったようだ。
まさか、特に親しくもないクラスメイトに耳舐めを仕掛けてこようとは……予想だにしない行動だった。
「――あぁ、仕事っていうのはね? これを職員室に届けにいくのよ。これを」
そう言って彼女は紙束を二回叩く。それは幸彦も提出した分厚い『能力診断書』だった。
それはパートナーを選出するための重要な書類であり、どうやらこれを運ぶことが副委員長としての最初の仕事になるらしかった。
しかし、彼にはどうも仕事の重要度と自分が起こされたことがピンとこない。
「……これを? 確かに量は多いけど、これ俺起こす必要あった?」
「えぇ、起こす必要あったわよ。喋り相手がいないのって退屈するでしょう?」
「そのためにあんなことを?」
「あんなことしかできないのが残念だけれど……」
そう言って彼女は潤んだ瞳で幸彦を見つめる。おしとやかさはどこに行ったのか。彼女の行動は淫乱そのものだった。
話すために耳舐めをするとはぶっ飛んでいる。なぜ,こんなエロいのに、特定の誰かと付き合ったという噂すら流れないのか不思議である。
しかし、彼女の次の言葉は群を抜いていた。一瞬くらっとするほどに……
「なんなら私と付き合ってみる」
「……なんで?」
「他の人妖だと本気にしてしまうでしょう? 耳攻めに耐えた貴方なら大丈夫と思ったのだけど……」
「いや、おほぉおぉぉおぉぉ⁉︎ あっあっあっぁあっ!! って叫んでる時点で耐えてないじゃん」
「……貴方の気のせいではないかしら? しっかり耐えてたわよ。
あれを陥落していないと認めるのは無理がある気がする。ここに至って鈍い幸彦でも流石に理解する。もしかして好意を持たれているのではないかと……
「百歩譲って叫んでないとしよう。それを抜きにしても、俺はさっきのイタズラでちょっと、いやだいぶ傷ついた。だから付き合うのは今は無理」
そう、何はともあれ、セクハラをされた第一印象は恐怖だった。圧倒的恐怖。身動きが取れない中で、一方的に襲われる感覚。あれは中々に厳しいものであった。慣れるのには時間がかかる。
「そう……今は無理ね……ならまずは友達から始めましょうか。いきなりはびっくりしたでしょうしね。宜しく、幸彦君」
「あぁ、宜しく……ってうぉ⁉︎」
握手をするかと思ったらハグをされた。そして力強く幸彦は抱きしめられる。
「やっぱり可愛い。あぁ、早く付き合いたいわぁ、今すぐにでも襲っちゃおうかしら……」
「ひぃぃぃ⁉︎」
幸彦は本気で怯える。それほどまでに彼女の妖気はドロドロとしたもので、沼のように深かった。
「あぁ、ごめんなさい。まだ友達だったものね……まだ」
(あぁ、俺はどうなってしまうのか……)
こうして幸彦はビクビクしながら保奈美と共に職員室に向かうのであった。