第三話 無意識の依存
保奈美さんは普通のヤンデレとちょっと違います。甘やかすだけではない。失敗したところの指摘もしっかりするし、他者をそれなりに優先したりもする。社会性に富んだヤンデレです。旦那は自分色に染め上げる。そんな前衛的な女性です。
アパートを出た幸彦たちは家の近くで暴動を鎮圧していた巡査部長と偶然合流。暴走した地域住民に囲まれていた彼を救出した後、救援を申し出たのだった。
「えぇ! 貴方たちが力を貸してくれるならありがたい。警部補に指示を仰ぎますので少々お待ちを」
そうして、巡査長は無線で上司に現状を説明し出した。そうして、しばらくすると無線が保奈美に渡される。
幸彦はてっきり保奈美が諸々喋ってくれると思っていたのですっかり油断していた。しかし、保奈美はすぐに電話に出ずにしばらく考え込むと、幸彦の口元に無線を持ってくるのだった。
『お電話変わりました。私が泉南警察署の警部補、白木です。その件について質問があるのですが応援とは? 一体どういうことでしょうか? こちらは何も頼んでいませんよ? もしもし……聞こえていますか?』
どうやら白木は突然降って湧いたような味方の出現を疑っているらしい。幸彦たちをただの部外者だと勘違いしたようだ。イタズラ電話だと思われないよう、幸彦は慌てて自分たちの素性を明らかにした。
『これは失礼しました。白木警部補どの。初めまして。私たちは術士協会に所属する大阪府立人妖術学校の生徒であります。緊急事態につき、術士協会から警察の指揮下に入れとの通達が一斉に下されました。警部補どの。どうかご命令をどうぞ』
『そうですか……妖怪の術師さんですか』
その言葉に白木は心中で妖怪に対し強い嫌悪感と嫉妬心を増幅させた。幸彦はそれを無線越しにいつものように受け流す。
妖はとっくの昔に人権を獲得し平等になったはずだ。しかし、人妖の間で溝がないというのは幻想なのであろう。
そのことを誰よりも実感している、彼にとってはこんなの珍しくもなんともなかった。
『つきましてはこちらの方で検討させていただけないでしょうか? なにぶん初めてのケースですので』
そのせいだろうか、盛大な失言をしてしまったのは。幸彦は平坦に感情を乗せないよう淡々と言い放つ。
『ありがとうございます。ですが、私たち術士は守られる市民ではないのです。どうか、ボロ雑巾のようにお使い下さいませ。私たちは妖怪なので、人間よりも頑丈です」
それを言ってから幸彦は自分の取った行動のヤバさに気づいた。
(あっ……しまった。失言だこれ。白木さんちょ〜怒ってる)
嫉妬や嫌悪を抱かれているせいか、無意識の内に喧嘩越しになってしまった幸彦。本心はどうあれ、結果的に喧嘩を売ったのは幸彦だ。案の定、白木は罪悪感を感じないまま心の中で幸彦に殺意を芽生えさせるのだった。
だが、彼は思ったよりも利口だったらしい。うずまく激情を抑えると彼は口調を変化させるのだった。
『ふっ……はははは。君は子供だねぇ。そんじょそこらの学生よりもよっぽど。ここは君たちの専門分野じゃない。あまり君たちが介入すると現場が混乱するんだ。大人しくしておいてくれるかな? 君がいると現場が迷惑だ』
幸彦の失言は、明らかな失策であった。妖怪と人間の人口比率は妖怪の方が下である。人間にたてついても、いいことは何もなかった。仕方なく幸彦が渋々指示に従おうとすると、保奈美はため息をつきながら無線を取り上げた。
『白木巡査部長どの。どうも初めまして。鈴木保奈美と言います。学生の私たちを慮って下さりとても光栄です。しかし、この状況ではそれは少々悠長ではないでしょうか? 妖怪の私たちを上手く使った方が早く終わりますよ?」
保奈美は、自分の名前をわざわざ使った。それは絶大な権力の象徴でもある。それを聞いた白木は態度を一気に軟化させた。
『そうでしたか。なるほど、なるほど。ではイジワルはやめましょうか。潰されるのが目に見えてますし』
『ごめんなさいね。白木警部補。彼氏が喧嘩売っちゃって。後でちゃんと教育しておくからここは見逃してくれない? 一つ貸しってことで……』
白木は数秒沈黙をすると、返答する。
『分かりました。来てそうそうで悪いですが、すぐさま現場に急行してくれません? 住所は――です。それともう少し我慢強くなった方が良いですよ? 組織でうまくやっていくならね』
それに対し、幸彦は素直に意見を聞くのだった。
『分かりました。もう少し我慢強くなります。何が感じても動じないように』
そうすると、幸彦は無線を苛立ちまじりに切った。そして、それを巡査部長に突き返す。
「おっととと、警部補に何を言われたか分かろませんが、どうか頑張って下さい。では私は市民の避難に急ぎます」
そうして巡査部長は先程酷い目にあったというのに、何も怖くないかのように走り出す。それがなお一層幸彦のワガママな態度を浮き彫りにするのだった。
「なぁ……保奈美」
「どうかした? 幸彦君」
幸彦は無意識の内に保奈美に甘える。それは、子が母に甘えるように無防備なものだった。
「俺、間違ってたか?」
「それは貴方が一番分かってるんじゃない? もし不安なら、私が後でたっぷり叱って上げるわ。だって私は幸彦君の彼女なんだから』
保奈美は幸彦を甘やかすだけではない。時には突き放すのだった。こういうところに引っかかってしまったのだろうか。
幸彦は自分が被虐趣味に目覚めてしまったのかと戦々恐々とするのだった。
助けた時に巡査長に聞いた話では、やはり人手が足りないらしく、殲滅力が高い術士は出来るだけ分散して欲しかったようだ。
保奈美はツーマンセルの行動を強く望んだが、幸彦はそれを拒否。先程の失態を取り戻すべく幸彦は単独行動を取るのだったが、それが仇となってしまった。保奈美と一緒であればこうはてこずっていなかっただろうに。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ! 若い男はええのぉ! こっちをやらしく誘っきよるわい」
「ふぅ……近接戦は苦手なんだがな! お年寄りはもう少し落ち着いてた方が魅力的だぞ。ばあさん!」
「落ち着いとったら、お迎えの方が先にこっちに来るわ! どうか、老い先短いババアをもう一度女にしておくれ」
「それはお断わりだ!」
幸彦は軽やかなバックステップで、老婆のテレフォンパンチを避けていく。しかし、動きは素人くさいのに動きは獣のように俊敏だった。
これまで老婆だからと攻撃を躊躇っていたが、交わす余裕はない。そうして幸彦は、決断するのだった。
「ごめんなさいね。俺彼女いるんで!」
幸彦は飛びかかってくるヨボヨボの老婆を躱すと、すれ違いざまに彼女の背中に躊躇なく後ろ回し蹴りを放った。
背骨を蹴り砕く勢いで放たれたそれは、軽い老婆を勢いよく蹴り飛ばす。
老婆はその勢いのままコンクリートブロックに叩きつけられると、しわがれたように呻き声を上げる。
「うげぇ……俺妖気込めたんだがなぁ……ばあさん、年なんだからそんなハッスルしないでくれよ」
「そんな攻撃屁でもないわい。油断したな小僧!!」
老婆は一瞬の隙をつくと先程よりも早く動き、幸彦を引き倒した。
「げっ! 不味い!! 離れろクソババアァァァァ!!」
「ワシ、男の子襲うのって憧れだったんだよね……」
「ヒィィィィィィ! よるなぁ!!」
「おほ、いい反応じゃわい。興奮させよる」
幸彦は必死で身をよじる。人生で二度目の体験はごめんだった。しかし、老婆のしわくちゃの顔はだんだん近寄ってくる。幸彦が老婆と接吻しようとしたその時、一筋の光が老婆を突き飛ばした。
それは、老婆を遥かかなたまで遠ざけると、ズンズンと幸彦に近づいて、激しいキスをする。
「んむぅぅぅ⁉︎ んんんんん!」
彼女は呼吸も覚束ないほど長いキスをすると、荒い息で幸彦を叱った。
「単独行動ダメ!! 分かった。分かったら返事!!」
「はい……すいませんでした。怖かったです」
「よろしい! 分かったら、私にお礼のキスは!!」
「これしないとダメ? いや、すいません。します。しますから。んむ……ちゅっ、ちゅぅぅ……」
もう一度アレをされるのは体力の消耗が激しい。そうすると自分でペースを調節できる方が遥かにましだった。そうして、幸彦はテロの真っ最中に、己を惨めに感じながら恋人に感謝のキスを捧げるのだった。
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