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六、足跡は未来へ続いていた

 六、足跡は未来へ続いていた


 第二棟二十五階の一番奥のプロジェクトフロアは、プロジェクトが始まった頃とはずいぶん状況が変わっていた。会議用の机は隅に追いやられ、代わって展覧会用の球体プロジェクターが仮設置されている。そこにはシミュレーション結果が投影されていた。

 プロジェクトのデビューとなる展覧会の準備は目処が立っている。キーリスの作った木と鳥のシンボルデザインが誇らしげだ。ナナミはウィルダイスとの打ち合わせで、みんなより少し遅れて現れた。

「評価委員会による審査は二週間後に決まったわ。」

「ようやくだな。一か月半遅れか。」

「ああ。」

「ここで安心しないでよ。ボスは外部機関を手配済みだった。」

 てっきり審査はトオサカとミミの部署のベテラン陣がやると思っていた。外部の採用はウィルダイスが他部署の干渉を嫌がったのだろうか。

「評価委員会は準備万端で待ち構えているわ。」

 そう言ってナナミは新しいファイルを私たちに見せた。評価委員会の詳細だ。外部の評価担当員に見慣れた名前があるのに、私は気づいた。

「タナダさん?」

「みたいだ。」

 たいして驚いていない様子でキーリスは笑って、続けて私に言った。

「まさかこんなところで登場するとはな。あんたにとっては久しぶりの師弟再会かい?」

「新人時代にはだいぶお世話になりましたけど、師弟ってわけじゃないですよ。でも、あの人に審査されるとなると簡単じゃないですね。」

「それが狙いかもな。手を抜かれないように。」


 対面審査の場で私たちは評価委員会のメンバーと顔を合わせた。タナダとアシスタント、それに書記役と三人の構成。つまりは、審査はタナダに一任されているといって良い。プロジェクトスペースに現れたタナダは、最初にキーリスに手を差し出した。

「やあ、キーリス、どんな場でも変わらぬ友情であってほしいね。」

「もう、うちの会社の仕事には手を出さないと思っていたが。」

 キーリスは簡単に握手に付き合うと、からかうように笑みを浮かべた。

「今回は第三者としての契約だ。ウィルダイスさんから頼まれてね。しかもいろいろ手を回されて。君もそうだったんだろう。」

 それから私に向いていった。

「ミヤマくん久しぶり。君が復活させてくれて嬉しいよ。」

「タナダさんがやった方が、ずっといいものが出来るんでしょうけど。」

「いや、私はもう人生を一周したようなものだ。二周目は好きにさせてもらうさ。」

 それからタナダは、初対面のマヤやナナミとも挨拶をして審査が始まった。


 審査は事前資料の提出と関係者へのヒアリング、そして実際のアウトプット確認の三つだ。事前の資料提出は済んでいるので、今日はヒアリングとアウトプット確認がメインとなるはずだ。

「事前に資料は見させてもらった。やり方は全て理にかなっている。論理的で緻密だ。過去データに推定値が多いが、根拠があってまがりなりにも検証はしている。ここで文句をつけるわけにはいかないな。検証量は尋常じゃない。こんな量を見るのは初めてだ。」

 それはほとんどマヤとナナミの仕事だった。

「とにかくもシミュレーションとしての条件は満たしている。ここでの質疑応答は不要だ。たぶん根拠を持って言い負かされるだろうな。」

「はは、最初からずいぶん弱気じゃないか。」

 キーリスはからかい半分だ。軽口ばかりのキーリスだが、特にタナダには気安いように感じた。

「まあ、念のため程度だが、すこし確認させてもらうよ。」

 それからタナダからの質問が続いた。モデルやそれぞれの関係式はマヤが、シミュレーションの細かい話は私が説明の中心になる。トオサカとミミは参加していないが、私たち三人の間では知識はほぼ共有されていた。

「では実際のシミュレーション結果を解説して下さい。」

「はい。」

 そう言って私は過去から未来への早送り画像を示した。統計的なデータのある時代に限って言えば、人の活動度は近似と言っていい程度には収まっていた。といってもその誤差のオーダーは二倍から十倍はある。その性能をタナダは正確に評価した。

「さて、プロトタイプとしてはいい出来だ。ただ、予測式が多過ぎる。その悪影響が見え隠れしている。それに変化が全部緩やかで、ダイナミックなシミュレーションには成功していない。裏でモデルがどんどん切り替わっているから、騙されている感じがするな。」

 その指摘はトオサカやミミが気にしている部分と一致した。

「はい、集団の大きさによってステージを定義し、式を乗せかえてますから。」

「切り替わるタイミングは過去の解析によってでしか決められない。つまり未来は描けていないわけだ。」

「遠い先の未来は確かに不安定ですが、検証資料の通り、過去の再現から近い未来までの予想には十分だと思います。」

「確かに、それだけでも十分価値はある。まあ改良の余地がまだあるということだ。初期値や中間値の作り方は工夫はまだ出来る?」

「はい。」

「それから・・」

「それから?」

「いや、これは私の仕事じゃない。それより気になるのは保険システムの掛け率だね。この変化と環境のズレは構造的なものだ。人の本能はそんなに遅れることはないからね。間接的な要素で計算しているからじゃないかな。」

 全体に広がりつつある誤差、それをタナダは指摘していた。あと百年ほど計算を続けたら計算に大きな矛盾が現れる。それにタナダが気づかないはずがない。今のシミュレーションは、わずか数年先でも間違いのタネが多く散らばっているのだ。

「保険システムでのズレをどこまで許容するかだ。それに保険が破綻した時に劇的な変化があるはずだが、それは計算上起こらないように他につけを回している。だましだまし運営する保険会社みたいなものさ。いやむしろ政府か。それをよしとするかどうかだな。」

「はい、ただ今回の目標の未来まではおおむね妥当と考えています。」

「シンプルな規則で美しい答えをつくる、そこまではたどり着いていないわけだ。」

 そう言って、それからしばらくタナダは黙った。私たちは辛抱強くタナダの言葉を待った。

「まあ、とにかく、それなりに整合性をとって動いている。取り込んでいる推定したデータをもっと解析したいとは思うが、君の言う通りかもしれない。」

 再び話し出したタナダは、達観したような口ぶりだった。

「はい。」

「さて、目的は果たした。これで今日の審査は終了。」

「ありがとうございました。」

 プロジェクトを代表してナナミがそう答えた。

「出来の悪いシミュレーションだったらダメ出しする数が増えるからな。審査する方としては気が楽になったよ。」

「結果はそんなに悪くない、ということでしょうか。」

 机の上の整理を始めたタナダに私は聞いた。

「精査はこれからだがね。致命的な問題はないだろう。準備期間が半年もないことを差し引けば十分な成果だ。」

 そのあとタナダは私の方を見ていった。

「ただ、シミュレーションの出来で言えば、実際との誤差が一定でない可能性が高い。時間軸の制限が必要だろう。完成されたシミュレーションとはとても言えないね。」

「はい、分かっています。ありがとうございました。」


 打ち合わせスペースを立ち去ったタナダを私は追いかけた。言おうとしていた何か、それが私はとても気になったのだ。

「今日はありがとうございました。引き受けて頂いて感謝しています。」

「私にあれを見せたのもウィルダイスさんの作戦だろう。」

「作戦? どういうことです。」

「昔の話さ。」

 そこでタナダは一旦、言葉を切った。話すべきかどうか、ためらっているようにも見えた。

「世の中に出なかったバージョンがあって、ウィルダイスさんはそれに興味を示していた。たぶん君たちプロジェクトに期待されているものと関係あるんだろう。」

「なんです、それ。」

「いや、私は勧めないよ。廃棄したシミュレーションだ。それより木と鳥の意味を教えよう。あれはもともと私が関わった二つのプロジェクトだからね。」

「二つ?」

「そう、それぞれ別のものなんだよ。」

「木と鳥は別なんですか?」

「ああ、自然の進化が環境によって生き残る、その苦しさだよ。人の営みに必要なシミュレーションは二つなのさ。木と鳥が本当に一つのシミュレーションになっていたら人は常に理性的に動けるかもしれない。」

「・・すいません、よく分からない。なにか象徴的なものですか?」

「具体的でないから、抽象的なものにすがっているのかもしれないな。」

「それがシミュレーションに関係している、ということですか?」

 なにかの冗談かもしれない、そう思ってしまうほど、私はタナダの言うことがまるで理解できずにいた。

「次への備えをしておいた方がいいってことだ。あえて無駄なことをする、みたいなね。」

「なんだか、何をしたら良いか分からないです・・」

「じゃあ、シミュレーションに文化や科学なら入れられるかい? それより営みの大元の力を理解しておくべきだと思うな。結局はシミュレーションは事実を超えられない。再現するためでしかないからさ。」

「ええ・・、まるでやり方が分からない。それが今の私の実力なんでしょうね。」

「でも、考えるのは楽しいと思わないか?」

「面白そうではありますね。」

「そうそう、そういう楽しいのがいいさ。」

 そうだ、本来は楽しいもののはずだ。複雑になっただけなら楽しみの実感がない。そう言っているだけなんだ。自分に言い聞かせて、私はなんとか頭の中を落ち着かせた。


 タナダはあのシミュレーションに価値を感じていない。そう分かったから、プロジェクトメンバーにタナダの言葉を伝えた。

「審査員っていうより、先輩としてのアドバイスって感じね。」

「答えは高度化とは違うと言いたかったんじゃないの。別の真実を見つけなさいって。でも、それってプロジェクトの方向性とは合うの?」

 ナナミとマヤはそれぞれに分析をしてみせた。

「未来がどうなるのか、果たしてあるのか、うまく言えないけど、この世に悪意なんてない前提で考えないとシミュレーションはうまく回らないかもしれない。」

 タナダを言葉を聞いてから自分なりに考えたことを私は口にした。

「よく分からないな。自分のしたいことがあって、それがうまくいかない時にどうするか、だけだろ。」

 キーリスはあまり興味なさそうに言うと、続けてマヤも疑問を口にした。

「やりかたの話をしているの?」

「自分が小さな満足がないと争いは絶えないけど、競争がないと高度化しない。でも高度化することがそれほど大切でしょうか。」

 このプロジェクトが生み出すシミュレーションに、たぶん私は漠然とした不安を持っているのだ。それがタナダによって肯定されてしまった気分だった。

「高度化するとしても、それが全て正しいわけじゃないでしょう。」

 考えている間は自分が最善でいられる時だ。私はそう信じていた。シミュレーションするための本質はなんだろう、その時、私はその答えを持っていなかった。このプロジェクトを終える頃には、その結果を知ることが出来るんだろうか。

 次の日、審査は無事通過したという連絡がメンバー全員へ届いた。


 総合展覧会の準備はほぼ整った。前日の夜には、最終確認でナナミと私だけ会場へもう一度入ることになった。

 オープンを明日に控えた会場は、まだ何か所かのブースで準備が続いていたが、大半のブロックは準備を終え照明は最小限に抑えられていた。机が整然と並びパンプレットが山積みされている。私たちは点々とした照明をたどると目的のブースへ向かった。搬入済みの球体プロジェクターに自分の端末を繋ぐと中身を確かめる。今回はデータ更新がないから楽だなと思いながら、私はオフィスで最終調整したセッテングを施す。

「審査通過してからあっという間だったわね。」

「一か月と少しだけですからね。」

「順調で良かったわね。」

 会場にずっとつめていたナナミはそう言ってくれたが、私は素直に喜べなかった。

「このプロジェクトメンバーはみんな優秀ですよ。キーリスのデザインだって指示は明確で無駄がない。プログラムで絵をどう作っているか理解しているんです。」

「そうなの。それは私には分からなかったな。」

「しっかりしてますよ。問題はシミュレーションだけです。」

 今のシミュレーションではダメだ。構造的な限界はあきらかなのだから。でも、今はこの姿を見せることしか出来ないのだ。

「シミュレーションをもっと変えたいのね。」

「ええ、人生は素晴らしいって思えるような、そんなものに。」

 そうだ、人生は素晴らしい。私は自分の一部を切り離すようにそう言い聞かせた。そして、やはり納得できていない自分に気づく。これが今の精一杯、でも限界ではないはずだ。それからナナミと私は一通りのチェックを終えた。

「これでだいたい完了です。」

「お疲れ様。最後はどうしてもあなたにお願いするしかないから、作業が集中して申し訳なかったわね。」

「まあ、こういうのが好きですから。むしろ、いろいろ事前に手配してもらえたのが有り難かったです。そっちは得意じゃないんで。」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。明日は顔を出すの?」

「じつは当日はすることが思い浮かばないんです。」

「そうね。解説は別に担当が立っているから大丈夫。トラブルが発生した時に備えて待機するくらい。」

「じゃあ明日は会場にいなくても大丈夫ですか。」

「ええ、会場の近くか会社にいてくれれば。」

「分かりました。じゃあ、これで。」

「お疲れ様。」

「お疲れ様でした。」

 ナナミと私は互いを労い合うと、会場を後にした。作業が夜遅くまで続いたこともあるが、私は展覧会へ顔を出すつもりはなかった。評判が良かったとしても悪かったとしても、どちらも自分を苦しめるだけだと思ったからだ。

 展覧会の最終日の夜、ナナミからの報告で球体プロジェクターはオブジェとしての役割を果たしたことを知る。会場では多くの人が立ち止まって人気が出たそうだ。特にトラブルもなく終わったと聞いて、私は少しだけほっとした。

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