四、歴史が教えたという場所
四、歴史が教えたという場所
キーリスの仮説の検証を始めた。まず歴史の分岐点について調べてみるが、やっぱり苦手分野だ。シミュレーションをつくるより全然面白くない。
歴史上の分岐点と呼ばれるものは世の中の歴史好きがいくらでも挙げていた。一覧表にしてしばらく眺めてみる。これらから未来が予想できるだろうか、出来るわけがない。その時の延長線上にないのが歴史の分岐点なのだから。
次に流龍団を調べることにする。電子図書館の目録はどうだろう。執事モードのボッチに声をかけた。
「目録で『流龍団』に関わるものってあるかな?」
「流龍団ですね。この文字で信頼性の高い検索を致します・・ありません。・・サイト検索では『民間団体』で一つ登録があります。」
「なんの団体?」
「流龍団はトラスト運動をする市民団体のようです。」
「他には?」
「なにもないですね。」
「うーん・・」
キーリスの指し示した場所、取り立てて特徴のない町だ。この町の地元伝承を調べようと図書センターの目録を見る。流龍団の名前は見当たらなかったが、似通った伝承は簡単に見つかった。こんなに気が乗らないなら、現地調査でもやった方がいいかもしれない。私は予定されているミーティングの前日にその町へ入ることにした。
その町へは電車で向かった。車内は人もまばらで、窓辺の席にのんびりと座ることができる。ぼんやりと車窓を眺めていたら、いつのまにか霧が出ていた。
確か私は霧が好きだったはずだ。尖った色がやさしい風景に変わって、音だけが明確になっていく、電車から見える景色の中にいる自分を想像して、私はしばらく時間を過ごした。
ぼんやりと景色を眺めていたら、私の思考はやがてプロジェクトの目的に移っていった。人の営み、それは活動の範囲でもあるし、人の集まるスケールでもあるだろう。地球の模型に表示させるなら、家族や個人単位の動きでは難しい。都市の変遷や物流、あるいは人間活動の争い。果たしてその全部を計算させるなんて出来るんだろうか。でも、出来ることだけやっていたら限界は近いし、結果は見えているだろう。静かな車内でそんなことを考えていた。
目的の駅について改札を出ると、霧の向こうには緑に覆われた山が頭を出していた。キーリスが指し示した場所は、あの山の手前だ。まずはそこに向かうことにする。
坂道を歩き始めたところでマヤから連絡が来た。あなたの検証は難しい、いくつか質問をさせてほしいという伝言だ。自分は調査中であることを告げ、項目をもらえれば空いた時間に返信するとマヤに伝えた。
細い小道には日差しが出てきた。坂のわきの木々からは街並みが覗いている。そして小道の先、目的の場所には建物がポツリと立っていた。建物のベランダから男が出てきて私の方へ手を振ってくる。
「よう。よく来たな。」
「え?」
それはキーリスだった。
「別に驚く必要はないだろ。」
「なんでここにいるんです?」
私は距離を近づけながらキーリスと言葉を交わす。
「俺の家だからさ。」
「ここから会社に通っているんですか?」
「まさか。週末だけの別荘さ。ただ、最近は会社にわざわざ行く日が少なかったからここにいる方が多いかな。」
「でも、なんで?」
「俺は歴史学者なんだ。この町にいる理由、それは推理さ。古代に謎の集団がいて、その本拠地を探していた。海賊の基地を探すのと大差はないかな。」
「そんな曖昧なもの。」
「複雑なんだよ。人の心と違って。」
「それ逆。」
「まあ興味のないものは単純が喜ばれるからな。とにかく中に入れよ。コーヒーくらいならご馳走する。」
キーリスの別荘、壁には農具がいくつも立てかけられていた。オブジェのようにずいぶんと整然と並んでいる。部屋の中に入っても、家具の配置や調度品にデザインへのこだわりを感じた。
「しかしご苦労さんだなあ、真面目に調べてるんだ。」
「ボスの命令ですからね。仕事ですし。」
窓の先には山肌に張りつく雲が見えた。たぶん私は電車であの雲の中を移動してきたのだろう。
「何かを受け入れる。例えば今のあんたみたいなさ。それを極端にやり過ぎるのは成功の秘訣かもしれないんだぜ。歴史が証明している。」
「はい?」
「外から来たものはなんでも受け入れる。細かいことなしに進めていけば、吸収して自分なりの文化ができるってわけさ。」
「はあ・・。」
「俺はデザインも多少やっているからな。思うんだ。いろいろこだわり続けるとガチャガチャしてくるって。それはあんまり美しくない。印象づけるために一定の細かさがあるのと違う。パーツごとに、大きさで見た時に主張が違う。統一性がないのさ。」
「こだわらない方がいいってことですね。」
「そう。最後の結果が望むものかどうか。すべて思想に沿って世の中が出来上がる、そういうのと違うんだ。」
こだわりは複雑さを生んでしまう、それは不要なんだと私には聞こえた。だから少しだけ反論してみる。
「複雑さは避けられない、必要なことだと思っていますよ。」
「あんまり俺は好きじゃない。まあ、でも結果だけ合わせるなら、そういう史実でも構わないとは思うがな。俺には、別の理想的な史実ってのがある。あんたの理想はどうなんだい?」
「それは分かりませんが、私が選ばない道かもしれません。」
「はは、まあ多様性ってのが大事だよ。シミュレーションしやすいかは俺には関係ないしな。」
「まあ、シミュレーションには均一な情報の方がいいですからね。」
私は当たり障りのない返事をしたつもりだったが、キーリスは呆れたように私に言った。
「世の中が均一なわけないだろう。シミュレーションできる範囲はあんまりにも狭いってあんたは白状したようなもんさ。」
「そういう意味ではなかったんですが・・。でも言っていることは分かります。」
「前から思っていたが、あんたは素直だな。それでいて頭がいい。」
「そうですかね。」
「いい奴だってことだよ。」
「ありがとうございます。いつも不思議だったんですけど、なんで物事の判断がすぐ出来るんですか?」
「そりゃあそうだ。俺は似たような歴史を思い出して当てはめるだけ。考えてなんかいない。」
「すごい。すごいですね。」
不思議なことだがキーリスと友情を感じた。私は技術はつきつめることに意味があると思っていたが、彼は局所的にひどく現実的になる。役に立つことを目的とするか、何かをつきつめていきたいか、おそらくはその違いだろう。それ以上は思考が続かなかったので、私はここに来るきっかけとなった疑問を口にした。
「で、せっかくだから流龍団のことを詳しく教えてもらえませんか?」
「このあたりの民話さ。自分たちの祖先はどういう人でどこまで来たか、そういうのは話になりやすいから。でも、特別なものじゃない。」
「特別なものじゃない?」
「ああ。その時代、異国から特定の技術を持つ集団がやってきて、村々に冨をもたらしたという話が多く存在していたんだ。」
キーリスは笑った。それは私がここまで調べたことと一致するが、それでは調査は全く進展がないことになる。
「では『流龍団』とはなんでしょう?」
「チームの名前さ。地元の仲間たちで共同で畑を管理したり村おこしのイベントなんかにたまに関わっている。それになにより自然への感謝を忘れない。『流龍団』ってのは俺たちが名付けたから、何かの伝承なわけじゃないぜ。」
今のが本当であれば私の検証作業はほぼ終了したことになる。発言者本人が特別なものでないと言っているのだから。
「俺はこれから仲間と畑仕事に出るから。ここで適当に休んでもらっていもいいぞ。」
「ええ。」
キーリスを見送るために部屋を出て、そのまま外のテーブルを借りると、簡単にキーリスとの会話をメモとしてまとめた。ついでにマヤからの質問について返事をメールして、次は一人で近くの図書館へ向かうことにした。
地元の図書館は思っていたより大きかった。公園が併設されていて、図書館の窓辺からは森が続いているようだ。悪くないな、と私は思った。
ここが一番の目的だったが、得られた情報はキーリスとの雑談と大差ない。どこかから宝を求めてやってきた集団が定住したというものだ。外国から来た人々は技術や知識をもたらす神として扱われる、それだけだった。図書館での調査は予定よりずいぶんと早く終わってしまい、この後の現地調査のアテは全くない。町の歴史や他の民話まで広げてみようか、私はそんなことを考えながら図書館でしばらく時間を過ごした。
「明日の準備がまるで終わってないの。」
図書館を出た途端に、再びマヤから連絡が入った。今度は音声でのアクセスだ。
「追加の質問ですね。送ってくれれば今日中に返事しますよ。」
「さっきの質問はあなたが思う正しいを確認しただけ。事前準備が整ったから、直接ヒアリングしたいの。」
「ヒアリング?」
「文字にする時と人と話す時は頭の中の思考過程が違うわ。無意識の別意見が仕草や顔の表情、声なんかに出ることがある。」
「マヤさんがそんなことに敏感だとは思わなかった。」
「基本的には全く興味ない。でもね、ヒアリングは技術だから、その勉強とトレーニングは積んできた。」
「今回は検証でしょう。自信があるかどうかくらいは出るかもしれないけど、正しいかどうかは言っている本人だって分からない。だから無意味じゃないかな。」
「いいえ。今からならいいでしょ。すこし話を聞かせて。」
「構わないけど、映像通信に切り替えるなら、ホテルに入ってからでいいですか?」
「いえ、その前に近くの喫茶店でもどう?」
「え?」
そこで通信が切れた。
「どうも。」
回線を通さないマヤの声がふいに背後から聞こえ、その時初めてマヤの笑顔を見た。それは彼女が何かを要求しているサインなのだが、まだ私はその意味に気づいていなかった。
「あなたの資料と今日の返信はとても明解で助かった。ありがとう。」
「褒めてもらえて嬉しいですよ。でも、まだ疑問があるんですか?」
「シミュレーションの回し方はだいたい分かった。ただ流体モデルと粒子モデルの組み合わせが、このシミュレーションを回すのに適切かが分からないの。」
「それは説明が難しい。だって経験則というか感性で判断している部分がありますから。」
「でも、確信はあるんでしょ。」
「はい、実際には方針が決まったら何パターンかテストの必要がありますけどね。」
「その経験則と感性の話を聞きたいの。」
「うーん、うまくいかないシミュレーションの経験が結構あるから。短い時間で止まったり、想定と全然違う動きをしたりとか。」
「例えば?」
「例えばっていっぱいです。」
「じゃあ、まず入社一年目から五年目までで思いつく失敗例を教えて。」
すでにマヤは、基本的な理解を終えている。だから直接質問をしたいのだと、私には分かった。そして、それからの集中力と一途さは病的と思えるくらいであった。
近くの喫茶店、夕食、その後も長い時間、拘束された。聞き取り調査というより最終的には尋問に近いものに変わってくる。マヤも別にホテルをとって今夜はこの町に泊まることになり、やっと解放されたのは夜明け近くだった。
ホテルのベッドで『曲がりくねった樹木』と『羽ばたきの大きな鳥』の夢を見た。このところ世界の神話や民話を調べていたせいかもしれない。鳥や樹木などはよく神の化身として現れていた。彼ら二人は果たして神の化身なのだろうか。
「だめだ。もう太陽はとり返せない。」
「君は太陽の化身のはずだろ。」
鳥の影が輝くと大きく乱暴な音がする。
「昔はね。でも、もう変えられないし、たぶんもう僕と関係なくなったんだ。」
不恰好な木の問いかけに、羽ばたきをしながら鳥が答えた。
「なさけないな。」
「君だって同じだろ。大地は隠されているし、がらくたをたくさん埋められて、もうくねくねした根と枝しかない。」
「ああ、そうしないと栄養を探せないんだ。」
「僕だって君の枝でしか、もう休めるところがないからさ。同じだよ。」
この世界は鳥や木からいろんなものを奪っているようだ。これは理想的な世界なんだろうか。光を届ける必要のない世界、エネルギーは効率的に、どこにも必要最小限に活用されていく。森の成長は目的別に分割されていた。
「一人占めしたのは私たちなんでしょうか?」
全ての効率が良い世界、そんな世界が目の前に現れた時、私は思わずそう言っていた。私の声に振り返った鳥は、首をかしげて言った。
「君が立っているのは大変な所なんだ。それは分かっているさ。」
「それに、君はもう諦めてるんだろう。」
そう私に声をかけてきたのは『曲がりくねった樹木』の方だ。
「でもね。もし諦めらないなら、まだ僕らの側だよ。」
「いいや、やっぱり残るのは僕ら二人だけさ。」
「ああ、そうだな。」
『曲がりくねった樹木』と『羽ばたきの大きな鳥』は笑った。そして私は何も答えられなかった。
「なんにしても今に怒って何かを責めるのはやめた方がいい。」
「そうだな。全くその通り。」
そう言うと二人はまた私の方を見た。
「たまに人が話しかけてくれれば僕らは十分だ。」
「そうさ。だから黙ってないで、たまには話しかけておくれよ。」
暗い空、植物のない空白地帯。私はそんな世界の中にいる。植物は空気と地面を管理しやすい建物の中にしかいない。私はここで生きていくしかないのだろうか。
プロジェクトの定例会は昼からだ。私の浅い眠りは、会議の始まる一時間前まで続いた。
プロジェクトのミーティングは集会所の一室を借りて行われた。プレゼンの用意はナナミが準備済みで、いつものプロジェクトスペースで行うのと設備は変わりない。窓からは緑が間近に見えて、若葉の匂いが風に乗って入り込んでくる。心地良さはここの方が上かもしれなかった。
「今回は三つの検証があるはずだから、どこからいきましょうか? みんな怒ったらだめよ。いいシミュレーションにするためなんだから。」
この日は、まずマヤの検証から始まった。
「ミヤマさんの話、まずは前提となる気候部分を検証しました。資料の通り、信頼性の高いシミュレーションと言えると思います。ただ、覚えておく必要があるのは気候は平均的な値を使って、特定範囲の平均的な値を求めようとしていることです。そして、これは地形データでも同じ。急流がそそり立つ、そんな印象的な情景は表現されにくいわけです。」
マヤは問題のない部分の説明はせず、いきなりポイントを挙げていくつもりのようだ。
「そしてあの点たちの動きです。先週の話の通り、地形と気候によって決められたドットの成長度、これに依存して移動の方向と速さが決まる。これもあくまで同一のルールに基づく動作ね。よろしい? ミヤマさん。」
「はい。」
その通りだと思ったので、私は素直に頷く。
「環境に依存しない不慮の事故、環境に依存する不慮の事故、これらを平均値である二つのパラメータだけで表せるものでしょうか。ここに疑問があります。」
もっと複雑な統計モデルを使った方がそれはいいだろう。生産性や職種などを新たに定義したり、そこからさらに年齢や男女構成比による出生率など。考えれば追加したいことはいくらでもあるが、計算規模が桁外れになり、すぐに取り扱えるとは思えなかった。
「平均値にした時に失われたデータがあり、計算に大きな影響を与えていると私は考えています。」
「私だったらもっとうまくやれるってことだろ。」
キーリスの合いの手は相変わらず鋭い。マヤは聞こえないように話を続ける。
「危険なのはモデルの発散ってことよね。」
「ああ、散々君に説明させられた。」
私は昨夜のことを思い出しつつ、そう答えた。
「発散って、数学的な意味じゃないのよね?」
それはたぶんナナミやキーリスのための確認の問いだ。
「計算が暴走するというか、どこかに現実でありえない変換やデータが残っていて、それが原因で計算不能になること。それはどこか一点で始まることが多い。」
「歴史上の分岐点?」
キーリスはすこし嬉しそうに聞くが、マヤの返事は冷たかった。
「いえ、それとは全然違う。計算上の矛盾が分かりやすい所よ。例えば全体の流れを細かい現象で解消している時、細かい現象を平均化したシミュレーションなら矛盾がある。」
「ミヤマと話し過ぎたのかな? あんたも話が難しくなってきた。」
「今回は検証だから、それはしかたないでしょう。」
からかう方法を探しているのか、キーリスがまた口を出して話題をかえる。
「歴史上の分岐点って話はさ、見かたが全然違うんじゃないかな。例えば、朝に花屋が通りまで植木なんかを広げる。素敵って感じるやつもいるだろう。でもそれを見て、儲けたい店にしか見えないやつもいる。みんな全然違う。」
「そうね。」
「君の場合は人に興味はなく、交通ルール違反だけを気にする通行人ってところか。」
「じゃあ、あなたの場合は何かを得ようとネタを探している人かな。私が心配なのはそれよ。道徳性とか人生観とか人によって違いが大きいから、何かに寄せれば大きな欠落が出るはずよ。」
マヤは怒ったり呆れたりすることなく、淡々とキーリスと会話を交わしていた。私は話に割り込む形で、マヤの指摘に答えることにした。
「今は位置によって動きに違いが出るだけですから。そうした欠陥が出るとしたら、これからでしょうね。」
「そう、天候と地形、人口密度だけで分かることの限界ね。あとは一定の確率にしている部分をもっと正しく計算させる必要があるわ。人の営みのシミュレーションにおいてわね。もちろん発散させずに。」
「ただ息をしている身体の数じゃなくて、もっと社会的なものだって言いたいんだろう。じゃあ、このシミュレーションは捨てた方がいいってことかい?」
そのマヤの発言に答えたのは私でなくキーリスだった。場所が変わったせいだろうか。今日のキーリスはずいぶんと議論に積極的だ。
「違うわ。シミュレーションを使った可視化が最終目標であれば、ミヤマさんの作ったのがベースとなるべきよ。ただ、この点の定義と予測モデルをもっと準備しないといけないと思うの。今のブロック単位に区切った平均データと点の情報の組み合わせはアンバランスだわ。」
「それを最初に言ってくれなきゃな。」
私のシミュレーションの検証は、結局キーリスとマヤのやりとりになってしまう。
「まあ、彼女の指摘は納得感があります。気象や気候なら全部同じブロックサイズに入れますが、現代の地形データはそれより細かい。だから点の位置情報は気候のブロックよりも細かくなります。もし何世紀も計算させるなら地形や住みやすさの情報も毎年変えて計算させなきゃいけない。つまりは私が手を抜いた所を指摘されたんだ。」
「なるほどね。それって改良できるの?」
「できる、とは思いますが、点の動きと環境の計算のさせ方が全くアイデアがない。だからマヤさんの計算に興味を持っています。」
「その検証はキーリスさんが担当よね。」
ナナミはそこで次の担当へ話を振った。
「俺の検証は簡単さ。全てを認めたい。でも、今のものじゃあ数字への不安になってしまう、それだけだ。」
「え?」
「だからさ、人の一生を表現できていたとしても、温かみがない。例えば成長っていうもんがない。俺があんたの資料を斜め読みした時に思ったのは、冷たいやつが書いたんだなってことさ。危険がなければ社会が豊かになる。それは寿命に関係あるだろう。でもな、人の集まりってそういうことじゃない。あんたの資料にある要素は全部さ、なんていうか本質の影ばっかりなんだ。そうじゃなくて、単純に優しい人が街で増えたらどう変わるかって考えないか。社会や文化、その成熟度がないし、愛情が感じられない。俺の嫌いな世の中だ。」
「・・・」
「以上。」
「以上? それだけ。」
「それ以上ないだろ。」
またその場で考えたな、と私は思った。
「どうマヤさん?」
そう問いかけたのはナナミだった。
「社会や文化は階段的な成長だけじゃないし、いろんな方向があるのには同意するわ。でも、それは未来の予想に必要?」
「シミュレーションの計算に関係ないってのは作った人が知らないだけさ。」
当然のようにキーリスが言ったが、そんなに間違ってないと私は思った。だから自分の思うことを付け足してみる。
「単なる派生だと思っていたものが実は本質だったりすることはありえますよ。でもね、モデル化は出来るはずです。さぼっていたら何も進まないと私は思います。ちゃんと理論があって、その検証が確認されれば一般に採用されるわけです。」
「理論がなければ採用できない。採用結果を検証する材料がない。そのあたりが重大な懸念事項ね。」
そう言うとマヤはすこし考え込む仕草を見せた。その時、嫌いな世の中をシミュレーションすることに意味があるのか、そんな疑問が私には湧いた。ひょっとしたら、キーリスにどこか共感している自分がいたのかもしれない。
「まあ、最後いきましょうか。」
マヤが考えることに集中し始めたのを察したのか、ナナミは次を促す。
「はい。」
そう言って私は資料を映し出した。それなりに時間をかけたが、あまり心に高揚はない。つまりは気乗りがしないのだ。
「この検証は正直難しかったです。まずは歴史上の分岐点とは具体的になんだったか、歴史的な出来事から無難なものを選んでみました。こちらです。」
私は表を出した。
「やってみますと、ある国の分岐点なのか、世界の分岐点なのかで全然違いましたね。今回は全球がターゲットなので世界とする。人類の発生、稲作の伝搬、産業革命、ほとんど歴史の話でした。」
「そう、その通りだ。」
向かいの席から、キーリスが嬉しそうに声を上げる。
「これだと現代までしか分からない。この一覧を眺めて次の項目を予想できるかという問題に当たりました。」
私は二つの論点を持っていた。まずはそれを順に伝えることにする。
「それからもう一つの検証事項であるキーリスさんの言っていた流龍団、こちらはデータが不足ぎみです。この町の伝承には流龍団は存在しませんでした。」
「ああ。」
「残念ながら流龍団の新たな情報は出てこなかった。もしここがかつて歴史の分岐点だったとしても、得られる情報がない以上は未来の予測に無意味だ。ここはキーリスさんコメントあります?」
「いや、それはもう信じるか信じないかの世界だからな。」
キーリスからは反論はなく、ただ笑ってみせるだけだった。
「積み重ね型で歴史を辿ることの限界です。新しい分岐点を次々と予想していくことはシミュレーションの目的に合うのかもしれないけど、親和性は低いと思いますね。このアプローチは一旦あきらめた方がいいかと私は思いました。」
「ちょっとあきらめが良すぎるけど納得感はあるわね。キーリスさんのご意見は?」
ナナミはそう言ってキーリスに発言を促した。
「まあ、そんな結果が出るだろうと思っていたさ。」
「まず親和性が低いと考えた根拠から説明します。」
この先の資料からが私が時間をかけた部分だ。いよいよ本格的な検証に入ろうとしたのだったが、それは簡単に遮られた。
「それよりどうだい? このあとバーベキューでもしないか。近くの穴場を俺は知っているんだ。」
「はい?」
「言い出した俺がその通りだって認めているんだから、もういいだろう。」
その先の私の資料の出番はなく、打ち合わせはそれで終了となった。
車で山道をたどってキーリスの別荘に到着する。そこにはバーベキューの道具がすでに用意がされていた。キーリスは慣れた手つきで火を起こして、食材をどんどん並べていく。
「最初の十五分だけ準備を手伝ってくれ。切って焼ける状態にしてくれればいい。あとは任せておきな。」
仕事場では見たことのない張り切りようだった。そのキーリスにみなが付き合う感じでバーベキューは進む。
「焼けたの渡すからその辺並べてくれ。」
「はい。」
「あとは自由にしていてくれよ。」
飲み物が配られ、キーリスは焼くことに夢中になっていく。
「ありがとう。」
私がコップを手渡すとマヤは久しぶりに言葉を発した。打ち合わせの途中から自分の考え事に没頭していたのだ。
「考えはだいたいまとまったわ。やっぱり理論にいいも悪いもない。私はそれを証明する。」
やけにきっぱりとマヤは私に言い放った。
「理論がなければ、その先には進まないから、私は理論を作る部分をやろうと思うの。それから検証ね。」
「ええ、いいと思います。」
バーベキューとは似つかわしくない話が、どうやらマヤの頭の中では続いていたようだ。
「理論があれば、それをシミュレーションにして計算させることは、あなたが出来るでしょ。」
「内容によりますが、だいたいは。あとは計算の元となるデータですね。地形や気候のデータしか今はないですから。」
「その推定も私がやるわ。推定分布は、他の仕事でもやっているから。」
「そうですか。」
「うん、今日でだいたい自分のすべきことが分かったわ。」
そう言うと、ようやくマヤの顔に表情が戻ってきた。
「キーリスさんは焼くのは全部一人でやりたいみたいね。」
もてなし役を諦めたナナミが会話に加わる。火のそばの仕事はやらせてもらえなかったようだ。鈴なりに並んだマヤとナナミは、二人で話し始めた。
「野菜が足りないわね。」
「ええ、お肉は質が良さそうだけど。」
それからの二人の話題はオフィス周辺のランチの品定めだった。スケジュールや原価計算の話でもするのかと思ったので、私にはちょっと意外だった。
二人は店とメニューの名前を変えただけの話がひどくお気に入りで、話の合間にはしっかり食べ物を口に入れていた。私には繰り返しにしか聞こえないのだが、マヤとナナミの会話は弾んでいた。一方で、私はやや手持ちぶさたな時間を過ごす。
「こういうの苦手だな。」
思わずそう呟いた。いつもはパーティなどあると聞き役に徹している。こういう時、決まって私は同じことを思い出す。以前の部署にいた仲間たちのことだ。
『私たちは社交的に振る舞う必要がある』
『まるでわずかな人間性を絞り出しているみたいだな』
彼らとの会話の記憶。そうだ、私たちは頑張って生きていくしかない。
「バーベキューは苦手かい?」
私の呟きが聞こえたのか、あるいは気を使ったのか、火の向こうからキーリスが大声で話しかけてくる。
「食べるのは嫌いじゃないですが、ちょっと寝不足で。」
私は曖昧な言い訳をする。
「なに、いつも通り、ぼんやりしていればいいんだ。得意だろ?」
そう言ってキーリスが新しい食材を鉄板に投入すると煙が一気に上がる。私は一瞬、キーリスを見失った。
「そんなことないですよ。」
「いや、そう見えているよ。」
煙ごしのキーリスは手の動きを止めずに、また笑った。




