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一、世の中は複雑に満ちている


  太陽は力強く輝いていた。


  だから人間はとうとう独り占めを始めた。


  昼間の空は暗く、海の味が変わっていく。


  この世界は森をなくしてしまった。


  そして街は光で溢れている。


  空。海。森。


  その異なる姿のおかげで、

  人々の生活は豊かでいられた。




   * * * * * *


   一、世の中は複雑に満ちている


 いつものベッドの上で目覚めた。夢の終わりと繋がっているような、そんな朝だった。

「おはよう。」

「おはようございます。」

 寝床からボッチに話しかけると、すぐに返事がくる。そして部屋の照明がゆっくりと調整された。

「今日も定刻ですね。素晴らしい。」

 私が目覚めたのを確認したボッチはさらに話しかけてくる。極めて礼儀正しい執事モードだ。

「ああ、今朝も人生は素晴らしい。」

 いつも通りに私も応えた。そのタイミングで壁掛けブラウザが動き始める。朝の光が入ったことに反応したのだ。額縁の中の世界地図、波と風が静かに動き出す。模様の変化に合わせるように雲が現れては消えていった。まるで地球の呼吸、それは二週間先までのシミュレーションだ。単なる観賞以外の目的はない。だが真面目に気象データを取り込んで、正しい計算式を使っている。自分が作ったものの中ではかなりのお気に入りだ。

「天気はどうだい?」

 私は起き上がりながら再びボッチに話しかけた。

「晴れています。気持ちの良い朝ですよ。夜まで変わらないでしょうね。」

「ふうん。」

 習慣どおりに行動することで気分が落ち着く。ボッチに天気予報を聞くのはそのためだ。窓の外に目をやると、青い空が広がっていた。太陽の光は、街に惜しみなく降り注いでいる。少なくとも今日の天気は、天気以外の何かに管理されてはいなかった。

「変な夢だったな。」

 私はそう呟いた。今朝の夢では空が一日中暗かった。それが最も効率良く太陽のエネルギーを使うためとしても、ずいぶんと極端な世界だ。果たして実際に存在できるものだろうか。

 まあ変な夢を見るのも余裕があるからだ。たぶん寝る時間がのびたせいだろう。すこし前までは寝ながらも頭の中には図面やプログラムがよく登場したものだ。

「そろそろ支度を始めてはいかがでしょう?」

 寝床でぼんやりしていたらボッチに注意された。ともかくも出勤に向けて準備をしよう。


 バスを降りると、幾重にも連なった建物たちに出迎えられた。私の職場だ。穏やかな日差しを受けて、一層気分が軽くなる。左から二番目の棟へ進んだ。プロジェクトチームは全て同じフロアにデスクを持っていて、私はエレベーターを使っていつもの部屋へ向かった。

「おはようございます。」

「お疲れさまでーす。」

「おはようございます。」

 その日、みんな申し合わせたように散髪したての頭で出社していた。先月までは全員が身だしなみに気を使う余裕などなかったから、こんな朝は微笑ましい。私も久しぶりに昨日髪を整えていた。人並みに戻れた証拠と言えるのかもしれない。

 テーブルの上にはいくつかの報告書が上がっていた。社内引き継ぎ用の資料だ。私が開発側のまとめ役なので、最後はすべて回ってくる。今週の仕事はプロジェクトの最終成果を書類にまとめることだ。作られたプログラムや設定ファイルの一覧、使った費用の詳細、メンバーそれぞれの役割や果たした機能。この裏には各人の思いや今回で得た知識、それに、それぞれの相性がある。一つの答えにたどりつくには複雑な経過が必要で、壮大なパズルだ。これに楽しみがあるとすれば、パズルゲームというのは世の中を分かりやすくしただけなんだろう。

「ミヤマさん、資産登録の資料なんですけど、直接ご説明した方が良いでしょうか?」

「資料がしっかりしているからね。大丈夫だよ。」

「そうですか。」

「あとはバックアップの確認とか、見出しつけてまとめといてもらえれば。」

「はい、分かりました。今日は早く帰れそうです。」

「これまでの分を取り戻すだけってこと。」

「はい、先月までと今週とは、まるで違う職場みたいですね。」

 そういう彼も、今日はずいぶんと穏やかな顔つきだ。私たちは笑顔を交わしてそれぞれの仕事に戻った。

 まとめで一番時間がかかるのは、完成したシステムの詳細を図書にすることだ。多機能でそれを支える仕掛けは何重にも仕込まれている。さらにその隙間を縫うように安全を担保するしかけが入っていた。

「複雑過ぎだ。それにしても、よく作ったものだな。」

 あらためて細部から見直してみても、無駄なものはない、効率的な作りになっていた。それでもシステムが大掛かりで、簡単に全体が理解できなくなっていた。

「こんな動きができるわけさ。」

 だからって全部を面倒みるのは無理だな、資料なしに覚えられない。そう思ったところで、私の意識がふいに他のところへいった。単純に見えるものが、じつは意思を持って変わっている、そして違う世界が広がっていく、そんな世界があるのかもしれないな。それから私はまた暗い空の夢を思い出した。

 まるで仕事に集中できない、思考がとどまらないのだ。でも職場でのこんな時間の過ごし方はプロジェクト終わりしかないものだ。私はそんな思考の漂流を楽しんだ。

 予想外の呼び出しが入ったのはそれから一時間ほどした後だ。ネットワーク越しに集合場所と時間が知らされ、そこにあった名前から断れない内容だと分かる。私はすぐにスケジュール表を確認して、了解の返事をした。ウィルダイス、会社の上層部だ。マーケット部門の幹部がいったい私になんの用だろう。


 午後二時まであと十分、私は第一棟の二十階にある会議室へ向かう。第一棟のエレベーターホール、そこで私は市場調査部のマヤと出くわした。

「お疲れ様です。」

「どうも。」

 私たちは二人とも上へ向かうエレベーターの前で待つ。お互い顔を知っている程度で、ほとんど話をしたことはなかった。マヤも行き先は同じかもしれない、彼女も呼び出されたんだろう。私は直感的にそう思った。

 エレベーターの中では礼儀正しく沈黙を守ることにする。マヤはかなり優秀だと社内で評判の人物だ。ただ一緒に仕事をした後はみんな彼女を避けるのは有名な話で、あまりの能力差に何か心に傷を負うらしかった。もっともらしい噂の一つなのだが、本当なんだろうか。

「あなたもいるのなら、この後は新規プロジェクトの話かな?」

 エレベーターの表示盤をぼんやり眺めていたら、彼女から話しかけてきた。それに応えるのなら礼儀に反しない。

「・・なるほど、そうですね。私は新しい技術連携の話かもと思っていました。新しいプロジェクトで、わざわざこの棟の最上階なんか使わないですから。」

「それだけ特別なのかもね。新しい特殊プロジェクト、技術系がコアな事業連携の検討、社内の極秘調査、くらいの順番ね。」

 慌てて頭を働かそうしたが、マヤの速度とはまるで合わなかった。彼女はこれから起こることを根拠を持って予想だてているのだろう。やがてエレベーターは最上階に到着する。会議室をノックして入ると、ナナミが待っていた。

「マヤさん、来てくれて嬉しいわ。」

「どうも。」

「ミヤマさん、久しぶりね。」

「ご無沙汰でしたね、ナナミさん。」

 ナナミとは二年ほど前に終わったプロジェクトで一緒だった。今はウィルダイスの秘書をしているはずだ。用意周到なタイプで仕切りもうまかったので、重役の秘書としても手腕を発揮しているのだろう。

「呼び出されたのは私たち二人ですか?」

「あと一人よ。」

 ナナミが笑顔で答える。秘書の仕事に変わったせいか、ずいぶんと表情が柔らかくなったように感じた。

 デザイン部門のベテラン、キーリスが現れたのは呼び出し時間の午後二時を過ぎていた。

「なんだ、ここか。」

 そう言ってからキーリスは、片手で挨拶してみせた。この男は歴史学者を名乗っていて、生活のために会社員をしている変わり種だ。キーリスが席に着いた途端に会議室の別の扉が開く。私たちを呼び出した張本人、ウィルダイスだった。

「やあ、全員揃っているな。」

 会議室に現れたウィルダイスは気さくに笑うと席に着いた。

「集まってもらった君たちは皆よく似ている。」

 ウィルダイスは私たちを見回して言う。

「話は簡単だ。君たちは、これから新しいプロジェクト専任になってもらう。がんばってくれ。」

 ウィルダイスは会社の上層部の人間だから、こんな乱暴なことが出来るのかもしれない。だけど全く内容が分からなかった。とりあえず私は聞いた。

「なんのプロジェクトでしょうか?」

「人の営みをシミュレーションしてもらうのさ。」

 それに対してマヤから新たな疑問が出る。

「手法を言われても分からないわ。目的に対して、あなたの言う方法が適しているのか、そういう検討は終わっているの?」

 ウィルダイスが返事をする前に、今度はキーリスが口を開いた。

「俺はあんまり興味ないな。面白そうに聞こえない。」

 マヤの言い方は挑戦的な含みがあったが、キーリスは肩の力を抜いた感じで嫌味がない。私とはまるで違うリアクションだ。たぶん、この人たちとは話が合わないだろうな、と私は思った。

「では、まずイメージを共有しよう。曲がりくねった樹木、そこで休んでいる羽ばたきの大きな鳥、それがプロジェクトのシンボルだ。」

 ウィルダイスの言葉にあわせるように、ナナミがプロジェクターに鳥と木を映し出した。動物のシルエットをデザイン化したものだ。

「どういう意味か全然分からない。」

「キーリスくん、これは君のデザインだろ。気に入ったよ。」

「まさかこんな所で再会するとはな。」

 急に呼びかけられたキーリスは曖昧に返事をした。ウィルダイスの説明は続く。

「自然と人間の共生を目指すほど、もう余裕はない時代だ。そんな時代に生き残る自然があるならば、それは異形の姿をしているだろう。木の根を醜くのばして僅かな栄養で生きていくか、羽だけが特異に進化したアンバランスなものか。どんな形であろうと、この鳥と木だけがかろうじて生きている。この鳥と木を救うためのプロジェクトさ。」

「やっぱり、まるで分からないな。」

「うーん。」

 私はそう答えながらも朝の夢を思い出していた。昼間でも暗い空、そこになら、異形の鳥や木はいるのかもしれない。

「まあ、最初はイメージがつかないかもしれないな。なんにしろ、最終的にほしいのはシミュレーションの結果だ。シミュレーションでなくてはいけない。それが目的なんだ。詳しいことは彼女に聞いてくれ。」

 そう言われて促されたのは秘書のナナミだ。ウィルダイスの後ろに素早く回り込んでいたナナミは、軽く会釈をしてみせた。

「プロジェクト進捗はナナミくんを通して随時確認する。彼女もプロジェクトの一員だ。じゃあ、諸君、あとはよろしく頼むぞ。」

 それだけ言うとウィルダイスは部屋から出ていった。たぶんウィルダイスはせっかちな性格なのだろう。


 ウィルダイスがいなくなると、ふいに空白の時間が訪れる。そのタイミングで遅れてきたキーリスが話しかけてきた。

「一体、何考えているんだろうね?」

 その声はひどく呑気だ。遅刻したのを気にしている様子はない。

「それにしてもウィルダイスさんが遅れて良かったですね。ぎりぎり間に合った。」

「何言ってるんだ。全員が揃うのを待ってたに決まってるだろ。あの秘書が合図を出したんじゃないかな。」

 そう言ってキーリスはナナミを指し示す。

「へえ。」

 それからキーリスは、今度はマヤの方を見て声をひそめた。

「あれ、市場調査部のマヤだろ。すげえ頭いいらしいな。」

「優秀だとは聞いたことあります。」

「でも、変わりもんだろ?」

「あなたもそう評判ですよ。」

 私は思わず笑ってそう言った。

「いやいや、俺とは全くタイプが違う。」

「ウィルダイスさんに私たちは似ていると言われましたから。私も変わりものなんでしょうかね。」

「はは、本人は知らないものさ。」

 話している間にどんどんキーリスの声が大きくなっていく。彼に内緒話は向かないようだ。この会社は規模が大きいから様々な人間がいるが、その中でもこの二人は特に風変わりだ。彼らと同じプロジェクトとはなんだか先が思いやられる。キーリスのおしゃべりが途切れると、タイミングを見計らっていたナナミが話し出した。

「まずは私の知っていることを皆さんにお話しします。それから、どうするかを話して決めましょ。」

 そう言うと、誰の返事も待たずにナナミはモニタの操作を始めた。

「プロジェクトに専任してもらうため引き継ぎ期間は今日を入れて五日。来週月曜日からは第二棟二十五階に集合。その一番奥のフロアがプロジェクトチームの居場所よ。」

 フロアの様子がモニタに映った。今は机と椅子が整然と並んでいるだけのスペースだ。

「パスカードは明日から有効になるから、荷物は運んでおいても構わないわ。」

「一番眺めのいい方角じゃないか。いいぞいいぞ。」

 フロアの窓の方角にキーリスは反応した。次にナナミが画面に出したのは、私たち三人の顔とその上にそれぞれの上司たちの顔だ。上司からの短いコメントが載っていた。

「あなた達のレポート先のこの五人には、ウィルダイスさんから話を通してある。仕事の引き継ぎも確認は終わっているわ。キーリスさん、あなたの場合はオリジナルファイルを共有してくれれば、それでいいそうよ。すでに過去二年分くらいは未提出だそうね。必ず全部出せって、それからプロジェクトが終わっても戻ってくるなって剣幕だったわ。」

「ああ、ボスらしいな。」

 キーリスは薄く笑って、まるで悪びれた様子はない。

「ミヤマさんはちょうどプロジェクト終わりでキリがいいわ。予定通り今週でプロジェクトのまとめ資料を全部作ること。」

 それからナナミは手元の資料を見ると、マヤの方に向き直る。

「あとマヤさんが一番厄介ね。あなたと同じことを出来る人がいないの。代わりの人員を三人も用意させられたわ。」

「私の仕事はいつでも引き継げるように文章にまとめてあるわ。それを渡すだけ。今日この後からでも引き継ぎは終わらせられる。」

「その引継書を正しく解釈できる人がいないそうよ。あなたに聞いてもきっと引継書と同じことしか言わない。だから引き継ぎ自体はすぐ終わると。まあ、引き継ぎに時間がかからないという点では、あなたの元上司と意見は一致しているわ。良かったわね。」

 ナナミの言葉は驚嘆なのか嫌味なのか、ニュアンスが分からなかった。マヤは別に気にした様子もなくわずかに頷く。それを確認してナナミは再び話し始めた。

「では、プロジェクトの説明に入るけどいいわね。」

「ちなみに断ることって出来るのかい?」

 キーリスがからかうように言うと、ナナミは顔色一つ変えずに返事をした。

「契約に基づく業務命令ですからね。従わないなら契約を変える必要がある。つまりは報酬体系の変更ね。半分くらいに悪くなるか、十分の一になるか、それはキーリスさんの日頃の行い次第じゃない?」

「ずいぶんと丁寧なやり口だ。」

「ウィルダイスさんは進め方が乱暴な所はあるかもしれない。でも、これほど望まれたプロジェクトは今までなかったんじゃないかな。」

 適度におだてを入れたのだろうか。乱暴なやり方はウィルダイスでなくてナナミではないのかと私は疑った。ナナミの説明は続く。

「プロジェクトのシンボルはさっきの『曲がりくねった樹木』と『羽ばたきの大きな鳥』。ウィルダイスさんの閃きらしいけど、意味はいつかウィルダイスさんに聞いてみて。」

「・・はい。」

 キーリスもマヤも相槌を打つ気はなく、私だけが返事をした。一方、ナナミは同意の数など気にしていないようだ。

「世の中を動かしてきたものは昔は命、自分たちの獲物の命も含めてね。それから紙幣になる。今はそれが共感とか信頼とか人の感情が主体になっている、という学者もいるわ。」

「最初の時代はそれで道具が発達した。貨幣が出現したらやがて経済システムが花形になる。最後のはネット世界の話しだろ。」

 分析がずいぶん早いな、と私は思った。少なくとも自称歴史学者であるキーリスは、歴史を語る時はふざけないようだ。

「そう、力や技を持っている人が勝つ世界から、ルートを知っている人が勝つ、そしてルールを作ったものが勝つ時代へと変わってきた。では、次に勝つのは誰?」

「誰って・・」

「・・・」

「ウィルダイスさんの持論では、見渡せるものが勝つの。ルールは高度化されていって、自ら成長を始めるものだそうよ。ルールの高度化を予想するのが目的よ。あなた達には、そのためのシミュレーションを作ってほしいの。」

「そんなものが役に立つの?」

 マヤがぽつりと言った。彼女はたぶん深く思考するタイプだ。ナナミはマヤに同じくらいの冷静さで言葉を返す。

「そういう判断よ。ひょっとしたら単なる趣味嗜好かもしれない。だけど、そんなチャレンジに成功したから、今、この会社もあるの。」

「よく分からないな。」

 今度はキーリスが口を出した。ナナミはその疑問に答えずに話を進める。

「まあ、そういうこと。それからね。完成物のヒントはもうもらっているの。」

「ヒント?」

「これよ。」

 そう言って彼女がスクリーンを操作すると、回転する球体が現れた。色づきが常に変化している。混ざり合いながら、所々でコブができてはまた新しい色が生まれていた。流体シミュレーションだなと私は思った。

「ミヤマさん、これに見覚えない?」

 ナナミがふいに私に聞く。

「惑星を模したものでしょうか。表面を覆う流体、大陸は固定されたダミー、ハビタブル惑星のシミュレーションかな。」

「そういうことじゃなくて、あなたは前にこれを見たことがあるんじゃない?」

「え?」

 すぐに思い当たることはなかった。

「あなたの師匠、タナダさんが作ったの。試作品はあなたが同じ部署だった時に出来た。」

 懐かしい先輩の名前だ。入社して最初の五年ほど、直属の上司だったタナダの手ほどきを受けて、技術的な基礎が固まったのだ。ただ、その頃のタナダの仕事を全部把握していたわけではなかった。

「それにキーリスさん、あなたと同期のタナダさんのことよ。」

「へえ、そうかい。そういえば、そんな名前のやつがいたな。」

 キーリスは興味なさそうに言った。

「実際に完成したのはこんな画像ではなくて球体スクリーン上よ。そして惑星の一生を再現していた。商品としては残念ながら売れなかったわ。結局いくつかの博物館に寄贈しておしまい。企画して開発をほとんど一人でやっていたタナダさんのプロジェクトは失敗に終わった。」

「確かタナダさんが辞めてもう五年以上は経つんじゃないですか?」

「そうね。」

「これをもう一度商品化するってこと? 売れるとは思えないけど。」

 マヤはまた冷静に指摘する。

「私たちのボスは、そう考えてないわ。シミュレーションの結果で未来を決める。社会構成や人の購買意欲まで分かれば価値は高い。ちょっと壮大よね。」

「壮大っていうか妄想に近いな。なんでそんなこと考えたんだろ。」

「さあ。私が知っているのは以上よ。」

「ちょっと待って。それだけ?」

「ええ。求められていることは十分伝わったと思うわ。」

「さっきの映像のプログラムソースは?」

 話が終わりそうだったので、慌てて私は聞いた。

「プログラム類はバージョン管理システムに一部あります。あとは会議のメモとか、断片的なもの。残念ながらミヤマさんの好きな完成図書は作られていなかった。」

「そうですか・・」

「あとは予算規模とマイルストーンね。」

 ここでナナミはもう一度、全員を見渡した。しっかり聞けということなのだろう。

「予算規模はそれぞれ用意されている。ミヤマさんには最新の計算リソースが二年前の気象シミュレーションの時の三倍。それから協力会社の手配はいつものようにゾノさんがやってくれる。それ以外の予算もとりあえず同じ三倍ね。」

「は?」

 信じられなかった。以前にナナミと一緒にやったプロジェクトだって、相当予算面では優遇されていた。それを大きく上回るとなれば、会社のトッププロジェクト扱いじゃないだろうか。

「あとマヤさんが使っていた調査解析用のライセンスや協力会社も確保済み。あと倍は契約してくれても構わない。」

「そう。」

 マヤの返事はやっぱり素っ気なかった。

「俺のは?」

「キーリスさんは今の環境と同じものを一つ。予算をもたせると仕事をしなくなるからと、あなたの前のボスからもアドバイスがあったわ。」

「ふん。」

「使いたくなったら、ミヤマさんかマヤさんに相談してね。」

 以前の上司は、キーリスに相当手を焼いていたんだろう。

「それ以外にも、ウィルダイスさんの判断で動かすことが可能な予算枠があるわ。あなた達分の十倍ね。」

「それって会社の年間予算の五パーセント規模ね。」

 マヤがポツリと言う。今の話だけで予算の割合を推定したのだろうか。

「さすがマヤさん。実際はほぼ六パーセントよ。」

「それは去年の予算に対してじゃないの。今年の方が予算が増額されているわ。」

「あら、かなわないわね。今年の最終予算なんて私は詳しい数字がないから。」

 マヤもナナミもお互いを刺激するような素振りはなかった。ウィルダイスはみな似ていると言っていたが、この二人が一番似ているなと私は思った。

「まあ、それだけ規模は大きいってこと。それから期間は二年の予定だけど、不定期にウィルダイスさんの審査が入る。そこで失敗と判断されたらメンバー入れ替え、あるいはプロジェクトを解散ね。二年以内に成果が出なければおしまい。」

「本気なのかい? ウィルダイスさんだけのわがままで通るとは思えない。」

 キーリスの疑問はもっともだ。

「そうかもしれなけれど、私は知らない。だからあなた達には説明できないわ。それから最後に守秘義務。就業規則より厳しいのよ。プロジェクトメンバー専用の罰則事項も用意したから、これにサインをお願い。」

「サインしなかったらどうなる?」

 冗談が諦められないのかキーリスはもう一度ナナミに食い下がるが、返事は冷ややかだ。

「あら、ではお好きな業務に契約変更ね。給与体系の変更はどこからお話しましょうか。」

 ナナミの表情にはなんの変化も現れない。それでキーリスは観念したようだ。

「・・分かったよ。」

 そうして第一回目のプロジェクト会議は終わり、私たちはそれぞれ今週の居場所に戻った。


 自分の席に戻って、目の前の資料に意識を戻そうとしたが、どうもうまくいかない。新プロジェクトについて、整理がつかないのだ。一体何が目的なのだろう。少なくとも気候シミュレーションを求められているわけではない。人口変動や分布を知りたいのか。

 しばらく考えて一番思い当たったのはエネルギー問題だ。環境と人口の問題のビジネスに取り組みたいのかもしれない。それは今朝の夢の世界。太陽エネルギーを無駄なく使う、そんな時代への準備なのかもしれない。まとまらないながらも、私はそんな思考をした。

「ミヤマさん、さっき知ったんですけど、人事異動、ずいぶんと急ですね。一息つく暇もない。」

「いや、今週はのんびりさせてもらうから、それで十分さ。」

 新プロジェクト発足の速報は先ほど社内に流れていた。

「もう来週から新しいプロジェクトでしょ。」

「うん、そうみたいだ。」

「よくそんな他人事でいられますね。」

「最近になってさ、分かったことがあるんだよ。」

「え? なんですか。」

「頼まれたことをやり抜くのが一番の幸せってこと。」

「なんだか面白くない話に聞こえますが。」

「そう、やっと分かったことはつまらない。でも、それは大事だって分かっているつもり。」

「まあ、分かったような、分からないような。」

 ともかくも今週中にやるべきことと、来週からやるべきことが決まったのだ。私は両方大事にしようと思った。

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