教皇と初対面
私が今住まわせてもらっているこの部屋は居間や寝室に浴室もあるのだが、なんとそれに衣装部屋までついている。
いつもはそこから気の向くままに着たいものを選ばせてもらっていたが、その日はサネリとモネリにそっと制された。
「聖女様」
「聖女様」
「本日は教皇様にお会いになっていただきます」
「そのためこちらで用意したものをお召しになっていただきます」
そんな予定、一言も聞いてない。
目を剥いた私に、二人は表情一つ変えずに真っ白なワンピースを差し出してくる。今の今まで全くコンタクトがなかったため、教皇の存在なんて忘れ去っていた。
サネリとモネリに促されながら、渋々手渡されたワンピースに着替えることにした。
暫くしてから迎えに来たティリオロ大司教は、真っ白なワンピース姿の私を見てにっこりと微笑みを浮かべた。
「これはこれは聖女様、きらびやかなドレスもお似合いですが、本日の御姿も実に神々しい」
「そうですか、それはありがとうございます」
「では、早速」
大司教に連れられて、部屋の外へと踏み出す。
朝のお祈りの時とは違う道筋だ。初めて通る廊下には大聖堂へと向かう廊下と違って、絵画や花瓶が沢山飾られている。その絢爛さに目を奪われながら暫く歩いていると、ティリオロ大司教は一つの扉の前で立ち止まった。
扉の前の騎士に一言話しかけると、こっちを振り返ってくる。
「どうぞ」
騎士が扉を開け、ついて来ていた護衛もサネリ・モネリも、みんな道を開けるように端に寄った。花道みたいだなぁなんて、少し気恥ずかしさを感じながらも言われた通りに扉を通る。
「それでは聖女様、私たちはお待ちしておりますので」
厳かに頭を下げたティリオロ大司教。彼にならってみんなが頭を下げるのを、閉まる扉越しに唖然としながら見送った。
静かな室内で一人待つ。
まさか皆に置いてきぼりにされるとは思わなかった。言ってもしょうがないからもういいけど、でもそれにしても暫く待っていても教皇とやらが来る様子もない。
仕方なしに目についたソファへと勝手に座り込む。何度かあくびをかみ殺していたら、ふいに衣擦れの音がした。
「随分お待たせしてしまったようだな、申し訳ない」
思ったより甲高い声に違和感を覚え、振り返った先に現れた人物に息を呑む。
「なるほど、実に神々しい……ここまでそっくりとは。まさに麗しき女神の御子たるお方だ」
なんというか、教皇というからてっきり勝手に壮年くらいのおじさんかと思っていた。
だけど目の前にいたのは豪奢な祭服を纏った年若い少年。これまた見事な装飾のせいでずっしりと重そうなミトラがその頭に乗っかっている。
「聖女様、ようこそこの世界においでいただいた」
「はい、あ、いえ……」
「私はファラウンド。テルメディア教皇を務めている」
「どうも……」
名乗り返そうとして、名前を思い出せないことを思い出した。
あれ、自分の名前が分からない。私は聖女で、祝福をしないといけなくて、でもそれって一体なんで――。
「麗しき女神の御子たる聖女よ、祝福をいただいても?」
足元に跪かれ、きらきらした好奇心いっぱいの瞳で見上げられて、思わずうっと詰まる。
可愛い。非常に可愛らしい少年だ。
気まぐれな子猫が懐いてくれたかのような可愛さに、柔らかそうな髪をわしゃわしゃと撫でてあげたくなる。危うい衝動をなんとか抑えて、軽く祈りを呟くだけに留める。すぐにサッと光の粒が散らばって、少年の全身を覆っていった。
彼はその様子を大きな猫目を細めながら眺めていた。
「感謝する」
テルメディア教皇は全ての粒が消え去るまでたっぷり様子を見終わったあと、ようやく立ち上がった。
「こちらへ」
すぐに手を差し出され、躊躇いがちにその手をとる。白くて柔い手はすべっすべの感触だ。
「様子はティリオロ大司教より聞いている。王城への訪問を無事に終えたようでなによりだ」
ニコリと笑う笑顔がまたキュート。その笑顔を見ていたら、無意識に構えていた気持ちもいつの間にか解れていた。
「ところで」
少年教皇はエスコートしながらどこかへと進む。
「大聖堂へも日参されているそうだな。熱心に祈りを捧げられているとも」
「それが聖女の務めですから」
胸を張ってそう答えると、彼は声を上げて笑った。
「ははっ! 此度の聖女は頼もしいな」
「そうでしょう。祈るくらいなんてことないですよ」
「これからも是非ともお願いするよ。この世の平穏のためには、貴女の祈りが必要不可欠なのだ」
ファラウンドににっこり満面の笑顔を向けられて、思わずデレッと頬が溶けた。
かわいいねぇ。癒やされるねぇ。君の笑顔のためにお姉さん、もっと頑張っちゃおうっかな。
内心もだもだと悶える私をよそに、教皇は目的地があるのかてくてくと私を引っ張っていく。
やがて着いた先には開けたホールのような場所に出た。一面ガラス張りのホールには、大小さまざまな草木や花々が鉢に植えられて飾られており、さながら屋内庭園のようだ。
「ここは私の個人的な空間なのだが、こうやって草花を愛でるのが趣味でね。だがこの一画だけなにを植えようか、まだ決めかねている」
ファラウンドは部屋の隅に置かれている木箱をゴソゴソと漁ると、なにかを手に戻ってくる。
「これはラタの種。ここでは広く一般的に知られている花だ」
キラキラした琥珀色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「聖女よ、この種に祝福を与え、貴女の花を咲かせてみせよ」
種を手渡され、期待に満ちた目で見上げられても、正色私にはどうしたらいいのかわからなかった。
……だいたい、聖女の祈りがどのような祝福をもたらしているものなのか、私は知らない。そもそも、適当に言えばなにかそれらしい光が出てきて、周りが勝手に祝福だなんだって騒いでいるだけだ。
だから、可愛い少年に促されるままにそんなこともできるんだなって軽い気持ちで手を翳した。
丁度頭に浮かんだのは雨の季節に咲くあの花。いつものように光の粒が降り注ぎ、やがて種へと吸い込まれていく。
その様子を見守っていた教皇は、おもむろに空いていた鉢へと種を撒き出した。間髪置かず、植えたそばからにょきにょきとすごいスピードで芽が出始めて蕾をつける。あっという間に見事な花が咲いた。
「これは……」
教皇はその琥珀色の目を見開いて、鮮やかな色とりどりの花をなにを言うでもなくじっと眺めている。
「さて、そろそろ戻るとしよう」
結局教皇はそれだけを言うと、踵を返した。
少年教皇に連れられて最初に会った部屋まで戻ると、お別れする前にここぞとばかりに切り出した。
「私からもお願いがあるんですけど、私に外に出る許可をいただけませんか」
「許可?」
きょとんと首を傾げる仕草に癒やされながらも、これだけは譲れないと語気強く詰め寄る。
「ええ、ティリオロ大司教に言っても危険だから駄目だって断られるんです。でも日がな一日中部屋にこもっているのもさすがにつらいというか……」
あのときティリオロ大司教に誤魔化すように言った言葉だが、部屋に閉じ籠ってばかりというのもつまらなくて出れるものなら外に出たいとずっと思ってた。
「ふむ。つまり聖女は民の暮らしぶりを見たい、と?」
「ああ、そう! そうなんです、祝福を与える人たちの存在がいまいち実感できないのも、力不足になってるのかもって自分なりに思って」
「貴女の言うことも一理あるな」
さすがテルメディア教皇。可愛い上に話も通じるなんて。
「そうだな、では……護衛の騎士たちを連れて行くのならば、許可しよう」
「やったぁ! ありがとうございます」
テルメディア教皇は微笑んだ。
瞳を細めて笑う者が多い中(そもそもみんな目が細い)、そのキラキラした瞳で上目遣いされながらの微笑みに、なでなでしたくなる手を既のところで抑える。
「……そしてこの国の現状を、しっかりその目で見てくるといい」
ファラウンド教皇はコンコンと扉をノックした。扉が開くと、行くときと同じようにティリオロ大司教たちが頭を下げて待っている。
教皇に手を振りながら、私は上機嫌で退室した。