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劇場デートで二人きり

ここまでお付き合い頂いて、本当にありがとうございます!

 

 穏やかな陽射しは傾いてきて、夜の帳が下りようとしていた。


「さて、着きましたわ」


 馬車の窓から外の様子を伺うと、ファノメネルさんはニコリと微笑みかけてくる。


「アグランナ劇場ですわ。こちらでも夢のような一時を約束しますわよ」


 自信満々に胸を張ったファノメネルさんに連れられて、豪華絢爛に飾り立てられている入口を見遣る。


「ほら、エスコート役はなにしてますの。ボーッと突っ立っていないで、聖女様に恥をかかすおつもり?」

「……いちいち言われなくてももうわかっている。失礼いたしました、聖女様。お手を」


 リングロッドさんは今度は素直に手を差し出してくれた。若干死んだ目になってる辺り、抵抗することはもう諦めたんだろう。

 それでもエスコートしてもらえるだけありがたい。気が変わらないうちにとその手に飛びつく。


「すみませんが、お願いします」


 リングロッドさんは遠い目をしながらも、恭しく手をとってくれた。ため息をつく横顔を見上げると、視線に気づいた彼は片眉を上げて見返してくる。

 そうやって視線を合わせてくれるのが嬉しい。今まで見せなかった感情を見せてくれるのが嬉しい。 

 昼間勇気を出して色々と曝け出したおかげだというのなら、私の努力も少しは報われたというものだ……。

 玄関をくぐるとホールの向こう側に大階段があり、そこを上がって回廊へと向かっていく。廊下もこれまた豪華で、柱には細かい彫刻が施され、天井にはなにかの物語なのか同じ人物が延々と描かれている。


「これは女神テルメンディルが破壊の神イシルヴァラを説得し、やがてこの地上に平穏をもたらすまでの話が描いてありますの。歴史的にも大変貴重な天井画ですのよ」


 たしかに天井一面に描かれた緻密な絵画は圧倒的な存在感を放っている。が、それも女神にまつわるものだと知ると、途端に興味が失せた。

 今日一日くらい女神のことなんか忘れたい。

 ファノメネルさんはフラ家の総力をもっていい席を押さえてくれたらしく、豪華な個室へと案内された。なんと! ここでリングロッドさんと二人きりで観劇するそうだ。

 これは嬉しいサプライズ!


「それでは聖女様、素敵な時間をお楽しみくださいませ」

「ええ、本当に! ファノメネルさんも楽しんで!」


 心底嬉しそうな私に、ファノメネルさんがけっとやさぐれた顔を見せる。


「ファノメネルさん?」


 だが去っていく後ろ姿はしずしずと麗しい。……私の見間違いかな。


「では、邪魔者は退散するといたしましょう」


 カラ・ハドさんも見事なウインクを飛ばしながら颯爽と退室していった。

 鮮やかな色の絨毯が敷かれた狭い部屋の中で、ふかふかのビロードのようなソファが鎮座している。そこにリングロッドさんと二人、隣同士腰掛ける。

 二人の間に開いた僅かな隙間。妙に視線を合わせられない気恥ずかしさ。

 思ってもなかった近い距離に、バクバクと心臓が音を立てている。

 やっと、やっと甘酸っぱい意味でお近づきになることができた。今まで散々お姫様抱っこされたり身を挺して庇ってもらったりしてきたけど、いつだってこんな雰囲気とは無縁だった。

 ――ファノメネルさん、素敵なシチュエーションをありがとう……。

 本当にいい仕事をしてくれたファノメネルさんに心の中で祝福を送っていると、次第に照明が落とされていってほんのりと薄暗くなる。するすると幕が引かれると、舞台の上に二人の男女が姿を表した。








 劇の内容は簡単にいうと、稀代の美女アイナと彼女を巡る時の権力者たちの愛憎劇、という感じだ。見事な糸目の、ここでいう麗しい容姿の演者たちが情感豊かに舞台上を動き回っている。

 だが正直に言うと、――役者さんたちには本当に申し訳ないが――、劇の内容なんか全然頭に入ってこなかった。

 すぐ隣にいるリングロッドさんのことをいちいち意識してしまって、どうにも思考が散ってしまう。あ、今リングロッドさんが微かに笑ったな、とか。

 思ったより真剣に観てるんだな、とか。薄暗い中でもやっぱり髪も睫毛もキラキラしてて綺麗だな、とか。

 とにかく雑念しか湧き出てこない。あとでファノメネルさんに感想を聞かれたら自滅するのは目に見えているが、それでもその横顔から目が離せなかった。








「……女様、聖女様」


 優しく揺り動かされて目を覚ます。

 いつの間にか劇場内は明るくなっており、微かに人々のざわめきが聞こえてくる。あれだけリングロッドさんを意識していたはずなのに、迫る眠気には勝てなかったようだ。

 ほんと、ここに来てから格段に体力が落ちたような気がする。ちょっと外に出るだけですぐに疲れてしまう。こんなに寝落ちするようなこと、あったかしら。

 それにこの劇の長さだ。いくらリングロッドさんにドキドキしていたとはいえ、そんなに長時間ずっとドキドキし続けてなどいられない。眠気を誘う音楽や座り心地のいいソファに薄暗闇なことも相俟って、実に心地よい睡眠をとってしまった。

 願わくばもう少しここで寝かせてもらいたかったくらいだ。


「ああ……終わったんですね」

「ええ、終劇して暫く経ちます。そろそろ出ませんとフラ嬢にどんな勘繰りをされるか」


 それは絶対に避けたい。せっかくの甘酸っぱいイベントをまさか寝こけてふいにしたなど、口が裂けても言えない。


「すいません。普段外に出られない分疲れやすくなってるみたい」

「無理もありません」


 差し出された手をなんの違和感もなく取る。眠気に重くだるい体に鞭打ちながら玄関までの道がてら、しょうがないのでリングロッドさんに簡単に劇の顛末を話してもらった。

 ぽつりぽつりと話すリングロッドさんの声にうっとりと耳を傾ける。こんなにリングロッドさんがずっと話し続けるのなんて初めてだ。

 今日は初めてなことがいっぱいで嬉しい。始めはどうなることかと思ったが、終わりよければ全てよし、だ。

 本当に来てよかった!

 そんなことをつらつらと思いながら夢見心地でふらふらと出てきた私を見て、ファノメネルさんはわかりやすく顔を引きつらせた。


「……その様子だと存分に楽しんでいただけたようですわね」

「そりゃあ、もう!」


 夢のような一時でした。

 満面の笑みでお礼を言うと、ファノメネルさんの白い頬に紅が差す。


「ほんと、ファノメネルさんのおかげでうじうじ悩んでいたのがバカみたいに解決できました! またぜひ一緒にお出かけしましょうね!」

「……ええ、またぜひ」


 大聖堂からの迎えの馬車が来ている。それに乗り込んで窓から顔を出すと、ファノメネルさんはなにか言いたげにこっちを見上げていた。


「どうしました?」

「……いえ。それでは聖女様、ごきげんよう」

「また手紙書きますね」


 ファノメネルさんの綺麗なカーテシーに見送られながら、馬車が走り出す。夜の闇の中、その姿はあっという間に見えなくなった。









 

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