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糸目王太子はやっぱり苦手

 

 そこにはなぜか、糸目王太子が桟橋で待ち構えていた。


「なぜ王太子様がこんなところに?」

「……さあ、分かりかねます」


 リングロッドさんの眉間に皺が寄る。

 接岸していると王太子が近寄ってきて、お茶会のときみたいに優雅な礼を披露してきた。


「ごきげんよう。聖女様がこちらにいらっしゃっているとお聞きして、居ても立っても居られずに来てしまいました」


 爽やかな笑顔を浮かべながらも、こっちに向けられた視線に滲むのは嘲弄。ほんのわずかなものだったけれど、それに気づいてしまってなんとも嫌な気持ちになった。


「舟遊びは気に入っていただけましたか?」

「はい、いい気分転換になりました」

「それは良かった。せっかくの機会です、私ともご一緒していただければ嬉しいのですが」


 口調は柔らかく、焦がれるような懇願の言葉は優しく響いてくる。けれどその態度は裏腹で、まるで応えるのが当然だとでもいうようにリングロッドさんに向かってぞんざいに払いのける仕草をした。

 ハエでも追い払うような、不躾な手付き。


「すいません、王太子様。この舟はこれ以上誰かを乗せるには、狭すぎると思います」


 それを見たら、思わずそう声を上げていた。

 糸目王太子の視線がゆっくりと私に向けられてくる。その視線の色に息が止まりそうになる。爽やかな笑顔とは裏腹の、射抜くような冷たい視線。


「……それに今はお姿が見えませんが、今日はファノメネルさんも一緒に来ていますよ。王太子様はどうぞファノメネルさんと」


 なんとか詰まった息を吐き出すと、負けまいと必死に笑顔を作る。

 さ、さすが将来の王様なだけあって無言の威圧がすごい。だけどいくら私が女神の御子だからって、婚約者がいるくせに会うたびにこういう振る舞いをされちゃ困る。


「リングロッドさん」


 いつになく大きな声で呼んだ私に、リングロッドさんは訝しげな視線を向けてきた。


「せっかくのデートなので、もう一周してくれませんか?」


 王太子から顔を背け、リングロッドさんをひたと見つめる。明け方の瞳が今度は逸らされずに見つめ返してきた。

 が、すぐに返事が返ってこない。

 ――あれ? まさかのリングロッドさんからの拒否?

 と心配になったものの、糸目王太子を避けたがっている気配は感じてもらえたのだろう。逡巡のあと、リングロッドさんは「かしこまりました」と頷いて静かにオールを漕ぎ出してくれた。

 王太子はなにも言わずに一歩後ろに下がったが、きれいな笑みのその下に隠している内心が笑えていないのは、一目瞭然だった。








「良かったのですか」


 湖上で唐突に話しかけられた言葉に、油断していた私は瞬きののち視線を目の前の美貌に合わせた。


「え?」

「王太子殿下をあんな風に袖にしてしまって」


 伏せられていると思っていた夜明けの瞳が真っ直ぐこっちに向けられていて、ドキリと心臓が音を立てる。


「やっぱマズかったですか?」


 今ごろになってドキドキしてきた。

 なんてったって将来はこの国の頂点に立つ御方だ。言い捨てて逃げるように湖上に戻ってきたけど、また待ち伏せされてたらどうしよう。


「うう……逃げたい。不敬罪で捕まったらどうしよう。なんとか顔を合わせずにファノメネルさんと合流できませんかね?」


 リングロッドさんはなんとも言い難い感情を瞳に宿してじっと私を見つめてくる。ずっとその目を向けられたらと願っていたけれど、こうも熱心に眺められるとそれはそれで気恥ずかしい。


「っていうか、ファノメネルさんどこに行ったんだろう。さっきいなかったですね」


 てれてれと恥ずかしさを笑みで誤魔化す私に、リングロッドさんはしかし表情を崩すことなく見つめ返してくる。 


「聖女様、いかに王族であろうとも人たる存在の我等には、女神の御子たる聖女様を罪に問うことなどできません。あなたが恐れることなどなにもない」


 凪いだ静寂の中、その声だけが響いてくる。


「それこそあなたが望めば、王太子殿下との婚姻も不可能じゃない」

「え?」

「思うがままに求めればいい。この国を統べる一族だろうが誰だろうが、あなたは望むだけで手に入れられるのですから」


 ――思った以上にショックだった。

 リングロッドさんからそんな言葉が出てきたことに、予想以上に動揺していた。


「リングロッドさんには、私が王太子様との結婚を望んでいるように見えますか」


 そう問いかけると、淡い色の混じり合った瞳が揺れる。


「さっきここで言ったこと、もう忘れちゃいましたか?」


 声に落胆の色が滲むのを抑えられなかった。


「王太子殿下と結婚することが、全ての女性の幸せですか? 婚約者の目の前で求婚してくるような男なのに? それにさっきも見たでしょう? 人を見下したような感じで全然目なんか笑ってなくて……そんな男と結婚して、果たして私は幸せになれる?」


 咎めるような口調になってしまった。

 問い詰める私を、常ならすぐに視線を外すリングロッドさんは珍しく真っ向から見返している。


「そんなこと、これっぽっちも望んでないのに……それに望めば手に入るだなんて、女神の御子の命令だからって強要して側にいてもらうだなんて」


 風にそよぐ青銀の髪を抑えようともせず、夜明けの空の瞳をひたりと向けてくる様は、初めて私と向き合おうとしてくれている様だった。


「じゃあそれなら、あなたと一緒にいたいと言えば、あなたはずっと側にいてくれる? でもそれは私が女神の御子だから? それはなんて、虚しいことなんでしょうね」


 その目に浮かぶ感情は何だろうか。

 無関心でもなく、拒絶でもなく、かつてないほどに真っ直ぐと注がれる視線。


「リングロッドさんにそんなこと言われたくなかったな。私はリングロッドさんのことを素敵だって……せっかく勇気を出して伝えたのに、そのあなたから他の男性を薦められるなんて……傷つきます」


 一際責めるような声が湖面を反響していって、はっと我に返る。

 うわわわわ。

 感情的になってなにめんどくさいこと喚いてるんだ、私は。勢いに乗って言いたい放題言い放ったその流れで、言わなくていいことまでつい口にしてしまった。


「……すいません、今のナシで。なにも聞かなかったことにしてください。あーなに言ってんだろ。めんどくさいこと喚いちゃってほんとすいませんでした」


 あわあわと訂正するも、時既に遅し。

 思うさまをぶつけられたリングロッドさんは、珍しくきょとんと目を見開いている。それからリングロッドさんの耳の縁がじわじわと赤く染まってきて、長い睫毛を伏せると顔を背けてしまう。

 そうやって俯く様はなんというか、その。


「すみません、でした」


 ……ほあぁぁぁ。

 貴重だ、貴重すぎる。いつも頑ななリングロッドさんの素直な謝罪もそうだけど。

 冷めた表情しか見せてくれなかったリングロッドさんの恥じらうように照れる姿は、憂うような色気が漂っていてなんというか直視できない。……直視できないって言いながらも、陽の光に透けるような青銀の髪とか伏せられた睫毛とか、これでもかと凝視してるけど。


「聖女様?」


 怪しげな目線を察知されたのか、リングロッドさんが瞬く間に胡乱げな目つきになる。


「真剣な話の途中だったと思いますが」

「……すいません、でもリングロッドさんだって悪い」

「……はぁ?」

「そんな顔されたら、私だって照れちゃいます」

「そんな顔ってどんな顔だ」


 益々胡乱げに目を細められたが、ややあって苦笑気味にその口元が緩められた。


「……本当に調子が狂う」


 悪戯っぽく緩められた口元。


「趣味が悪すぎます、聖女様」


 どこかからかうような色を秘めた瞳に撃ち抜かれて、私の思考は弾け飛んだ。








 気づいたら再び桟橋に戻っていた。

 どうやらあの夢のような時間は早々に終わっていたらしい。貴重で可愛らしいリングロッドさんはいつもの仏頂面のリングロッドさんに戻ってしまっていた。

 桟橋には今度はカラ・ハドさんが待っていてくれて、夢見心地にふらつく私を手を差し出して引き上げてくれる。

 まだ王太子がいたらどうしようかと思ったけど、幸いもう立ち去った後なのか、その姿はどこにも見えなかった。


「すみません、お待たせしました」


 今度は待っていてくれたファノメネルさんに謝罪と一緒に感謝を伝えると、いつもの完璧な笑顔の中、ヘーゼルの瞳が揺れている。


「どうかしましたか?」


 そう問いかけても先ほどとはどこか様子の違ったファノメネルさんは、静かに首を振るだけだ。


「……いえ、本当になんでもありませんの」


 これ以上の追求を許さないような強張った声でそう言われ、本人が言うのならそうなのだろうとあまり気に留めなかった。


「さて、湖畔でのデートは楽しんでいただけましたか?」

「はい、それはもう! 素敵な時間をありがとうございました」

「それはよかった。ですがまだまだこれからですわ。次のデート先へと移動いたしますわよ」


 切り替えるように促されて馬車へと乗り込む私の後ろで、ファノメネルさんとリングロッドさんがなにか会話を交わしていたが、私には聞こえなかった。









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