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湖畔のデートは荒れ模様

 

 エフェルミア王城はいくつかの広大な庭園を有しており、その内の一つが上流階級向けに開かれている。ファノメネルさんはその庭園へとやってくると、私たちを奥へと案内した。

 緑豊かな並木道を抜けていくとやがて広々とした池へと出る。その池の畔に小さな小屋があって、桟橋にはいくつか小船が繋がれていた。


「もしかしてこれに乗るんですか?」

「ええ、そうよ」

「すごーい! 楽しそう!」


 はしゃぐ私に日傘を差したファノメネルさんが笑う。早速桟橋の方に向かうと、ついてきていた聖騎士コンビがうしろで揉め出していた。


「カラ、頼む」

「リングロッドさん?」


 逃げるように背を向けるリングロッドさんにカラ・ハドさんがちらりと私を見る。


「俺はこんな服を着せられて動きにくい。もし湖上で襲われでもしたら大変だ」

「でもそのためにそんな大層な服を着てきたんじゃないですか。私が乗ったら着替えた意味がないと思うんですが……」

「ちょっと。淑女を待たせるなんてどういうおつもり? 王家の庭園で誰が聖女様を襲うといいますの。あれこれ言い訳せずにさっさと乗ったらいかが」

「言い訳じゃない。安全だとは言い切れないし、万が一を考えて……」

「懐に仕込んでるくせに」

「そう、なら安心ですわね。はい行った行った」

「だから、この服のせいで!」

「あの、聖女様はもうお乗りになりましたけど、大丈夫ですか?」

「はぁ!?」


 イルシアさんがエスコートしてくれたので、みんなが揉めている内にもういいやと思ってさっさと乗り込んでいた。てっきりそのままイルシアさんが漕いでくれるのかと思ってたら、彼は振り返りもせず降りてしまう。

 ……まあ、一人で乗れなくもなさそうだからいいけどさ。


「オールってこういう持ち方で良かったですっけ? これってどっち回し?」

「おい待てって……お待ちください!」

「早く行かないと聖女様が一人で出発しちゃいそうですよ」


 オールを手に構えると、なにやら揉めていたリングロッドさんが慌てて飛んでくる。彼は乗り込むと乱雑に上着を脱いでクラヴァットを緩め、オールを渡すように要求してきた。


「あの、一緒に乗りたくないのなら無理しなくても」

「……」


 苦々しい顔をしながらも、絞り出すように「そんなことは……」と一応否定してくれる。

 リングロッドさんはそれきりしばらく黙々とオールを動かしていた。すぐにファノメネルさんたちは遠ざかって小さくなり、もう話し声も聞こえなくなる。

 微かな風が吹き抜ける、森閑とした湖上。ちゃぷり、ちゃぷりと水面をかく音だけが辺りに響いている。


「……その服」


 上着を脱いだベスト姿のリングロッドさんにボーッと見惚れていたら、いきなり服の話題を出されて心臓が止まるかと思った。


「あの、これはですね、事情がありまして」

「その服を着ているときは、私はそばにいない方がいい」

「ん?」


 その眉間に険しい皺が寄っている。


「あらぬ勘繰りを受けることになります」

「うんん?」


 視線は逸らされたまま、湖面に向けられたままだ。


「その服は私の瞳の色に似ているように思います。恋人の色を身に纏うのは市井の者が好んでする行為ですので、平民の私といると揶揄されるかと」

「そうだったんですね」


 それなら安易にこの服を着ちゃいけなかったなぁ。

 故意ではないけど、許可なく恋人同士の真似事みたいなことをさせてしまった。


「ごめんなさい。そうとも知らず」

「私は別に構わない。ただ、こんないつ誰が来るかもわからないような場所でもし目撃されたら、不快な思いをされるのは聖女様ですから」

「そうなんですか?」


 とぼけた私の態度が気に入らなかったのか、リングロッドさんは鋭い視線をやっと上げた。


「わかりませんか。聖女様は醜男の聖騎士と恋人ごっこをしていると、笑い者になってもおかしくないと言っているのです。そしておそらく、フラ嬢の目的はそれだ」


 思わず大きくなった彼の声はよく響いた。


「……リングロッドさん」

「ここまで来たからもういいでしょう。船を戻します」

「いえ。このままで」


 ちゃぷりと音を立ててオールが跳ね上がり、そのまま空中で止まった。


「話をわかっていただけなかったようですね。私といると……」

「笑い者になるかもしれないんですよね?」


 オールの音さえもしなくなった湖上は本当に静かだ。狭い小船の中で二人きりだからなのか、今日はいやにリングロッドさんとの距離が近く感じる。


「私と笑い者になるのは嫌ですか?」


 聞いてからしまったと思う。私が言いたいのはそこじゃない。


「いや、そりゃ笑い者になるのは誰だって嫌ですけど。私が言いたいのはそうじゃなくてですね。こうしてご一緒するのは迷惑ですかと、そう聞きたくて」


 言葉を口に出す前に一呼吸躊躇ってしまったけど、がんばって勇気を振りしぼる。さすがにこれは拒否られてしまうかなと、半ば諦めの境地でその姿を眺めていた。

 リングロッドさんは暫く目を伏せていたけど、やがて微かに首を横に振る。

 あー……よかった。

 もしかしたら否定されるかもなと無駄にドキドキしてしまった。手に汗かいてるし喉もカラカラだ。


「よかったです。ああ、変に緊張しちゃいました」


 受け入れてもらえた安堵感からか、つい口が滑った。


「心配されなくても今日のリングロッドさんはとても素敵ですよ。むしろ私の方が釣り合いがとれてなくて笑い者になりそうな感じで……」


 淡い夜明けの空の瞳が、絶句している。見開かれた瞳が信じられないとその感情を如実に浮かべて、拳は白くなるほどオールを握り締めている。


「貴女はまた……そういうことを口にする」


 青銀の睫毛が帳を降ろし、頬に陰鬱な影を作る。


「口にしちゃ駄目でしたか」


 リングロッドさんは再び俯いて、黙って再び船を漕ぐ。結局戻ることもなく、そのまま湖上を進んでいく。


「自分が素敵だと思ったものを、そのまま口にするのって駄目ですか」


 返事はない。視線も向かない。


「……確かにそうですよね」


 自分だってそうだ。

 急に糸目が女神級に美しいって言われて、自分だって最初は信じられなかった。今でも実は壮大なドッキリでしたって言われたらどうしようって思ってる。


「リングロッドさんと私の中での美的感覚が違うってことを踏まえて話を進めないから、こんなにこんがらかっちゃうんですよね」

「……独り言ですか?」

「違います。ちゃんと聞いてください」


 一人でべらべら喋る女は苦手かもしれないけど、大事なことだからちゃんと聞いていてほしい。


「まず、私の美的感覚はあなたたちとは違う」

「……違う?」

「そう。私の美的感覚はこの世界の基準には当てはまらない。つまり、この世界の美しいが必ずしも私に当てはまるわけではないということです」


 その前提を言ってないから、価値観の違いを受け入れられないんだ。


「そして私の美的感覚はあなたたちとは違うから、私にとってはリングロッドさんのその容姿が……えっと、その……つまりは大変好ましく思っている次第です」


 ちょっと照れが先行して語尾が変になったけれど、なんとか言い切ることができた。


「……もうこの際だからぶっちゃけて言っちゃいますけど、リングロッドさんの目の色、ずっと素敵だなぁって思って見てたんですよ。それとその長い睫毛。めっちゃキラキラ光ってますよね。どんな原理か一本ぐらいもらって調べたい。あと髪の毛もついでに……」

「もうその辺で結構です。わかりましたから。おやめください」


 一度言ってしまえばあとはもう気楽なもんで、ぺらぺら喋り倒していたらリングロッドさんに止められた。よく見るとその頬がほんのり赤く染まっている。


「本当ですか? じゃあ睫毛と髪の毛一本ずつもらえます? あ、もちろん変なことには使いませんから! ただ見たいだけですから!」

「睫毛と髪の毛はあげません。話がもう充分だという意味です。元々聖女様は私にも変わりなく接してくださってましたから、どこかおかしいと思っていましたが。やはり美的感覚が壊滅しているんですね」

「壊滅はしてないです。リングロッドさんのことちゃんと綺麗に見えてますから」

「確実に壊滅しているようですね」


 リングロッドさんは呆れたようにため息をつくと、しかし微かに微笑んだ。陽気な日差しに照らされて、キラキラキラキラ眩い笑顔に目がやられそうになる。


「まぁ、この際からかわれていてもいいか」

「むぅ。信じてない。からかってないのに」


 でも、初めてリングロッドさんと二人きりでこんなにも気安く話せた。それだけでもファノメネルさんにこの場をセッティングしてもらった甲斐があるというものだ。

 ちょっと気分が上がったリングロッドさんを存分に堪能していたら、いつの間にか一周していたみたいで桟橋が近づいてくる。ファノメネルさんに感謝しようと視線を遣ると、なんだか人影が一人多い。


「あれ? ……げっ」


 今は見たくなかった。もう少しこの浮ついた気持ちを楽しみたかった。


「聖女様?」


 振り返ったリングロッドさんがすっといつもの冷めた無表情に戻る。

 そこにはなぜか待ち構えている、糸目王太子の姿があった。









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