ファノメネル嬢との秘密の会話
ティリオロ大司教たちは少し先の方を歩いている。王妃様が楽しそうにお喋りするのに合わせて相槌を打つのに忙しく、私に構う余裕はなさそうだ。
私も王城の騎士たちに先導されながらファノメネル嬢と連れ立って庭園へと向かう。彼女は暫く無言で歩いていたが、広大な中庭に着いた辺りで唐突に口を開いてきた。
「お美しい王子様方にはご興味ないのかしら」
マイペースな王妃様に振り回されているティリオロ大司教。
その様子から目を離して隣の令嬢に視線を遣る。大仰なドレスに華奢なヒールで、それでも品よく歩いているファノメネル嬢。骨の髄まで染み込んでいるのだろう洗練された所作の美しさは、同性の私でもうっとりと見惚れてしまう。
「今ならどの御方と結ばれても王妃の座までついてきますのに。それとも、聖女様ほどの美貌があれば皆様こぞって望まれますものね。躍起になる必要もないのかしら」
艷やかな唇から紡がれた言葉に考え込むけど、言われたことがいまいちピンとこなかった。
「王子様と結婚するとか、王妃になるとかよくわかりません。考えたこともありませんし、それに私、聖女の役目を果たさないといけないらしいので」
「……浮世離れされた方の考えは分からないわ。富も権力も、美貌の男も用意されているのに飛びつかないだなんて」
美貌の男なら私だってもちろん飛びつきますよ! だって、私の意識は常にあの綺麗な人に向かっている。
見惚れるほどの美貌、不思議な夜明けの瞳の色。
「ファノメネルさん、あのですね、その……」
「一体なんでございましょう、聖女様」
急にもじもじして躊躇いがちに話しかけた私に、ファノメネル嬢のヘーゼルの瞳がわずかながら戸惑いに染まる。
ちらりと視線を寄越してきたティリオロ大司教に聞こえないように、私は声を潜めた。
「それがですね……実は私、ちょっと気になっている騎士がいるんです」
ファノメネル嬢はうっすらと浮かべていた微笑みを深くした。
「……まあ、聖女様に望まれるだなんて羨ましい方だこと。一体どなたのことかしら? 聖女様ほどの美貌をお持ちなら、どなたでも容易く想いを実らせることができますでしょうに」
「それがあの、その人は素っ気なくって」
気恥ずかしさを誤魔化すように、一息にまくし立てる。
「思い切って聞いてみたんです。どうしてそんなに頑なな態度なのか。でも本人からはそんな態度なんかとってないって言われて、でもでも未だに気まずいし。どうしたら距離を縮められるのかなって……」
「はぁ?」
最後まで言い切る前に、尋常でない口調で遮られた。
「聖女様に素っ気ないって? 貴女女神の御子ですのよ? その貴女に素っ気ないだなんて、そんなことあるはずがないでしょうよ! そんな阿呆なことをぬかしてるのは一体どこのどいつですのよ?」
「……え?」
「コ、コホン……失礼いたしました。わたくしとしたことが少々取り乱したようですわ……それでその奇特な殿方は一体どなたですの?」
「それは……」
「安心なさって。誰にも言わないわ」
「でも」
「わたくしと聖女様の二人の秘密にいたしましょう。ね?」
涼やかな美女に可愛らしく小首を傾げられて、私の警戒心は陥落した。
「……あの、リングロッド・アルフィディルさんってわかります?」
ファノメネル嬢は思わずといった風に小さい悲鳴を上げ、くわっと目を見開いてきた。
「もしかしてわたくしをからかっていらっしゃる?」
「そんな。からかうって……?」
「残念ながら、わたくしの頭では仰っていることが理解できませんでした。もう一度、ゆっくりと仰っていただけます? 誰が、誰を……」
「私が、リングロッドさんに素っ気なくされていて……」
「え?」
「だから、私が、リングロッドさんのこと!」
「……どうやら私の聞き間違いではないようね」
ファノメネル嬢は見開いた目のまま私をまじまじと見つめた。
「この顔でアルフィディル卿のご子息に懸想してるっていうの」
「懸想って……」
言い方がちょっと直接的すぎない?
そこまで形があるものなのかは分からないけど、でも、うん。
「もっと仲良く、なれたらいいな、と思ってます」
「でも素っ気なくされていると」
「……ヘコむんで何度も言わないでください」
一方的に話しかけている自分が悲しくなってくる。
「リングロッド・アルフィディル……人のことは言えないけれど、一体何様のつもりかしら」
真正面からまじまじと見つめられて困惑する。
長い睫毛をバシバシ揺らしながらヘーゼルの瞳が上へ下へと眺めてくるものだから、気恥ずかしさにごまかし笑いを浮かべて視線を外した。
「麗しい聖女様を袖にするなんて、アルフィディル卿のご子息はどういう神経をなされているのかしら。まさか拗らせすぎて歪んだ優越感に浸っているとか……? わたくし、この件についてはぜひとも一度御本人にお会いいたしまして、詳細に問い詰めてみたく存じます」
「そんなこと! 嫌いだって言われたらちょっと立ち直れなさそうだし、絶対にしないでくださいよ……ただファノメネルさんだったらどうアプローチするのか知りたかっただけというか、話を聞いてほしかっただけというか」
ファノメネル嬢が不意を突かれたようにきょとんとする。
「っていうのも私、ここに来てから気軽に外出できなくてずっと大聖堂の中にいるんです。外に出たいって言ってるのに聞き入れてもらえないし、話し相手も騎士の人たちとか、サネリとモネリにはこんなこと言えそうにないし……だからついうっかり言っちゃっただけなんです。だからほんと、今のなかったことにして」
ファノメネル嬢は私を凝視したまま低い唸り声のようなものを上げた。たおやかなご令嬢があげるような声じゃなかったのでちょっとびっくりする。
大司教も怪訝な顔で振り返ってきたので、慌てて声を抑えるよう頼み込んだ。
「美人なんてみんな高慢ちきで見下してくる。高飛車で、陰でネチネチ笑い者にして……不細工なんて人とも思っていないんだから。あいつらはそうでしょう、ファノメネル? しっかりして、騙されたらいけないわ……」
ファノメネル嬢はなにかブツブツ呟いたあと、すっと姿勢を正すとキッと眼差し強く私を見下ろしてきた。もともと切れ長の目に更に気迫がこもって、思わずたじろぐほどの迫力だ。
「聖女様はその騎士と仲良くなりたいんですのね?」
「……あの」
どうなりたいか、なんて……。
たった一度だけの外出だったけれど、一緒に料理を選んで味見して、どことなく楽しそうな姿はやっぱり目の保養で、まだまだ全然知らないから。もっとリングロッドさんのいろんな顔が見たいって、いつも目で追いながら思ってた。
「もっと話せるように、なりたい」
「聖女様……」
「リングロッドさんに笑いかけてもらいたい、です」
「……ええ、ええ。そのお気持ちわかりますとも」
白く華奢な手が私の手に触れる。ヒヤリと気持ちのいい感触に握り返すと、ファノメネル嬢は少し頬を染めた。
「いいでしょう、聖女様。貴女のその気持ちが本物であるというのならば、我がフラ家の名誉にかけてわたくしが必ずや叶えてみせましょう」
やけにきっぱりとファノメネル嬢は言い切った。……どう叶えてくれるのかよくわからないが、あまりいい予感はしない。
「ファノメネルさん、叶えるってでもどうやって?」
恐る恐る尋ねた私に、ニヤリと令嬢にあるまじき笑みを返される。
「心配なさらなくとも、わたくしが総力をもって聖女様をご支援いたしましょう。全てを完璧に整えてみせますわ。なにもかもこれ以上ないってくらい完璧に……そしてあの身のほど知らずの騎士をギャフンと言わせてやりますの! それはもうこてんぱんのぎったぎたに!」
「こてんぱんのぎったぎたって……」
「目指すは完全勝利です。ぐうの音もでないほど見惚れさせてさしあげます」
「そんな……いいんです。私は」
「ご辞退なさいますの」
さっと一陣の風が吹きすさび、ファノメネル嬢は風に揺れるおくれ毛をそっと抑えた。ふわりと漂う花の香りの中、ヘーゼルの瞳がゆらゆら揺れながらこっちに向けられている。
「それとも聖女様はわたくしをただからかっただけですの? 本当はアルフィディル卿のご子息なんか興味もなかったのに、わたくしを嘲笑うために……」
「からかうとかよくわかりませんけど、リングロッドさんと仲良くなりたい気持ちは嘘なんかじゃないです」
訳のわからない勘繰りをされて、ムッとして言い返す。
「ただ、こういうのって第三者が関わると変にこじれたりしちゃうから。これ以上リングロッドさんと気まずくなるのも嫌だし……」
「そういうことなら心配御無用ですわ。なんていったって我がフラ家がついているのですから」
途端にファノメネル嬢は自信満々に断言した。
最初は敵意すら感じるほどの態度だったのに、今はやけに協力的だ。……本音をいうとできればそっとしといてほしいんだけどな。でも変に反論するとまた拗ねられて面倒くさいことになりそうだ。
誰かに聞いてほしかったとはいえ、これは聞く相手を間違えたな。ファノメネルさん、女子力高そうだからいい参考になると思ったんだけどなぁ。
「心配されなくとも聖女様ほどの美貌をお持ちならあっという間に陥落できますわよ。だって貴女はわたくしと違ってお美しいのですから」
ファノメネル嬢はにっこりと笑った。
完璧な微笑みのはずなのに、心が締め付けられるような寂しい笑顔だった。その笑顔を見ていたら、言わなくていいことまで口走ってしまっていた。
「……そんなの、あなたの方がよっぽど綺麗なのに。艷やかな髪はきちんとお手入れされているし、色合いの混じった瞳も素敵。でも一番素敵なのはファノメネルさんのその身のこなしです。頭の上からつま先までとても洗練されていて、見惚れるくらいに優雅な動き。お姫様ってこういう人のことをいうんだなって、私、おだてられて天狗になっていた自分が恥ずかしくなりました」
「だって、私だって努力したもの」
小首を傾げて微笑む様子はどこか可愛らしい。満面の笑みだって完璧で、見惚れるくらいなのに。
「いっぱい努力したの。わたくしには美貌なんてもの、端からなかったから」
ファノメネル嬢は表情を隠すように身を翻すと、近くに咲いていた花に軽く手を添え、無邪気に香りを楽しむ様子を見せた。
それきり黙り込んでしまった彼女にかける言葉が見つからない。
私もいっぱい努力した。もっと目が大きかったらとか、二重だったらとか、幾度となく考えて、そして何してもどうにもならない自分にどれだけがっかりしたことか。
そう、私だって―――。
思考は途中で途切れ、眼の前でぼんやりと物思いに沈んでいるファノメネルに意識が戻される。
「この花の色、とっても綺麗ですね。ファノメネルさんの髪の色に合いそう」
淡いオレンジと黄色の混じった多弁の花を指差すと、照れ混じりの笑みを返してくれる。
「そう? ありがとう。聖女様に似合う花を選んで頂けるなんて光栄ね。ではわたくしもお返しに選んでさしあげますわ」
庭園の中を歩き出し、あれでもないこれでもないと真剣に悩み出した美女を眺める。
午後の時間は穏やかに過ぎていった。




