こんなところで親子ゲンカ
「落ち着けよ、リング。お嬢ちゃんが困ってるよ」
「リーンロッドさん!」
ピシリと撫で付けられたターコイズブルーの髪に冷たい瞳、先ほどの正装姿のままのアルフィディル枢機卿がいつの間にか後ろに立っていた。
飛び付く勢いで振り返って駆け寄ると、アルフィディル枢機卿は「おっと」と両手を前に出してきて制止してきた。
「無事に見つかってよかったじゃないか」
「どうして無事だと言い切れる? あのクソ王子がなにもしなかったってあんたに断じれるのか」
「だから落ち着けって」
アルフィディル枢機卿の冷静な視線がさっと上から下まで降り注ぐ。
「見たところ衣服の乱れはないし、髪型も崩れてない。拷問器具みたいなコルセットもがっちり嵌まったままだ。まぁ唇くらいは奪われてるかもしれないけど……」
言われるや否や短剣を手に走り出そうとしたリングロッドさんを咄嗟に掴んで止める。
「ないから! そんなこと一切なかったですから!」
アルフィディル枢機卿はゲラゲラ声を上げて笑った。
さっきの夜会でのストイックな面影のまま除け者通りにいたときのように振る舞うものだから、なんだかちぐはぐすぎて調子が狂う。
「心配してるようなことはなにもなかったんです。なんか泣いていたから、ただ話を聞いていたってだけで……」
「だろうね。なんてったって相手はあのテルメナシュ王子だ。そこまでの意気地はなかろうよ」
「おい。ふざけるのもいい加減にしろよ。言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「ごめんごめん。でも、リングが変にひねくれて当番を変わったりするからこんなことになったんだろ?」
「……っ」
「リングなら、あんな虫どもなんか屁でもなかっただろうに」
「おい」
「面と向かったらそっけないくせに、心配するくらいなら他の奴らみたく堂々と……」
「止めろ」
ブンと投げられた短剣を、アルフィデル枢機卿は一瞬で姿を消して回避する。その先の木に刺さった短剣をノロノロと取りに行ったリングロッドさんはポツリと呟いた。
「別にひねくれてなんかない。ただ……」
結局続きを口にすることなく、彼は頭を振って目を伏せてしまった。
「……聖女様、面識のない者と護衛を介さず二人きりでいたというのは看過できません。今後はこのようにお一人で出歩かれることのないよう、重々気をつけていただきたい」
「はい、すみませんでした。……あの、ところで」
別の場所から面白そうに眺めていたアルフィデル枢機卿に向き直る。
「リングロッドさんって王子様に剣を向けていたけど、王族に対する不敬罪、とかで捕まったりとかしないですよね?」
私の護衛という職務の一環でこういうことになって、それで彼が罪に問われるなんてことになったらどうしよう。そう心配で尋ねると、アルフィデル枢機卿はニヤッと笑った。
「まぁ、大丈夫だろう。聖女付の護衛は少し立場が特殊だからね。護衛任務に限っては一部特権が与えられている。テルメディア教とエフェルミア王国の関係性も悪くはないし、今回の件は聖女様に関わることであるから、表立って罪を問うことはおそらくないと思うよ」
「表立っては、ですか」
「なんか言われたら適当にはぐらかしておくさ。おじさんそういうの得意だから、任せといてよ」
「ありがとうございます」
頭を下げるとアルフィディル枢機卿はヒュッと口笛を吹いてニヤニヤし出した。
「聖女様に心配してもらうなんて、リングったら妬けちゃうなぁ」
「黙れクソ親父」
リングロッドさんの冷めた視線が枢機卿に突き刺さる。
「聖女様を探し出すのに協力してくれたことには礼を言う。が、安易な軽口を叩いたことは許してないからな」
「おお、怖いねぇ我が息子は。誰に似たんだか」
「あんたしかいないだろ」
なんだかんだで、仲のいい親子なんだろう。いつもと違う気安い様子や軽口に、ちょっと羨ましくなる。
「聖女様、そろそろ戻りましょう。アデハルドたちが心配しております」
「あ、はい。でも足も痛いし息も苦しいので、もう夜会は抜けたいんですけど……」
リングロッドさんは溜め息をついた。
「……アルフィディル枢機卿、聖女様を客間へと送って頂くようお願いいたします。私は事情を説明してきますのでこれで」
「断る」
アルフィデル枢機卿が鋭い視線をリングロッドさんに送った。思わず姿勢を正してしまいそうな、冷たい視線だ。
「ただの一聖騎士がこの主席枢機卿を顎で使うとは何事か。っていうか普段無視するくせに都合のいいときだけ頼ってくるな」
「別に頼ってるわけじゃない」
イラッときたのか、リングロッドさんは再び視線を上げて枢機卿を見据えた。淡く美しい色の瞳には、今にも燃えそうな夕焼けのようにチリチリと茜がうねっている。
「この状態の聖女様を人目につかずに戻すにはあんたの方が適任だし、聖騎士に事情を説明しに行くのが主席枢機卿だなんて不自然だと思っただけだ」
「だけどさ、それってもし主席枢機卿がパパじゃなかったら絶対に頼めなかったよね?」
「自分のことをパパとか言うな」
「パパはパパだから。パパなのにパパって言ってなにが悪い」
「パパ、パパ煩い。しつこいんだよ」
「ひどい! 昔はパパのあとを必死に追いかけてきて可愛かったのに……」
「いつの話をしてやがる!」
「あのー」
子供じみた言い合いをしている大の男二人は見ているだけでも面白いが、生憎と眺めてもいられない。
私のこと忘れてないよね?
そう思って声をかけると、二人ともキッとこっちを見据えてきた。
「お嬢ちゃんはどう思う? リングはパパに甘えきっているよね?」
「聖女様、公私混同しているのはお前の方だって言ってやってください」
「……どっちでもいいです。とりあえず客間に連れていって」
私のジト目に気づいたアルフィディル枢機卿は「リング、よろしく!」とウインク付きで言い放った後、さっと姿を消してしまった。リングロッドさんはそれにもう一度溜め息をこぼすと、淡い色の混じりあった瞳を私に向ける。
「……仕方がない。お送りします、失礼」
瞬く間に私を抱えあげ、リングロッドさんはさっさと歩きだす。二人きりになって再び漂い出した気まずい雰囲気を払拭できないまま、私は黙ってその胸に身を寄せるしかなかった。
客間で待機していたサネリとモネリは、抱えられたまま戻ってきた私を見て二人同時に目を細めた。
「聖騎士様、先日の件より申し上げたかったのですが」
「聖女様への接触が、些かいきすぎているのではないでしょうか」
青銀の眉が、ピクリと動く。
「聖女様は麗しき女神テルメンディルの御子たるお方」
「そう軽々しく触れていいお方ではない」
「聖騎士様がそのことをわからないはずもないと思いますが」
「もしやお忘れになっていらっしゃるのかと」
「サネリ、モネリ。私はリングロッドさんがこうして気遣ってくれるのは助かるし、ありがたく思ってるよ」
「……出過ぎた真似をいたしました」
「……聖女様がそう仰るのならば、私たちから言うことはありません」
リングロッドさんは私を長椅子に下ろすと、サッと立ち上がって去っていこうとする。
「心配されなくとも重々承知している。職務上のことだ、勘弁してもらいたい」
「……そんなこと、言わないでください」
翻ったコートの裾を咄嗟に掴む。掴まれた本人はぎょっとしたみたいで、固まっている。
「そんな言い方、ちょっと傷つきます。いつも思ってたんですけど、リングロッドさんはどうして私に対してそんなに頑ななんですか?」
見上げたリングロッドさんは虚をつかれたように目を見開いていたけど、すぐに視線を外された。
「……別に頑なな態度をとっているつもりもありませんが、貴女は女神の御子で、私は一介の護衛騎士。それを弁えているだけです」
リングロッドさんは言葉を挟む余地なく軽く頭を下げて部屋を出ていった。
「なにそれ……」
そんなの、ただの屁理屈だ。だって、他の騎士はみんな仲良くしてくれる。それとも聖女は騎士と仲良くなってはいけない決まりでもあるの?
もしや本気で好かれていないんじゃ、そんな考えが浮かびそうになって、慌てて頭を振った。




