まさに女神そのもの
「我が女神テルメンディルよ……」
ティリオロ大司教は呻くように呟くと、それきり黙り込んでしまった。私を誉めそやすのがもうデフォルトとなってしまった騎士たちも、いつものように囃し立ててこない。
しんと静まりかえっている。
「あの、行かなくても?」
「……っええ、そうですね。行きましょう」
アデハルドさんにエスコートを指示した大司教は、くるりと背を向け足早に先に行ってしまう。
アデハルドさんから差し出された手はわずかに震えていて怪訝に思って見上げると、その顔は少し青ざめていた。
「アデハルドさん、どうしたんですか。大丈夫ですか?」
「すみません」
気弱な笑みを浮かべた彼は、軽く頭を振る。
「まさに女神と見紛うほどに出で立ちがそっくりで……あまりに神々しくて、少し怖いとすら感じてしまいました」
そんなに?
あまりにも過剰な反応にちょっと大袈裟ではとも思ったけど、普段賑やかな護衛騎士たちが異様なほどに静まり返っているのを見ると、あながちおべっか……でもないのかな?
皆の強ばった空気に自然、私も無口になって、粛々と王城内の聖堂へと向かうことになった。
異様な空気のまま聖堂へ到着すると、既に着いていたティリオロ大司教が待っていた。
彼は私の姿を目にすると、挙動不審に視線を逸らした。
「聖女様、臆することはございません」
ティリオロ大司教は目を合わせないまま、俯き加減に囁いてきた。
「今の貴女様を見れば、誰もが恐れ戦き畏怖するでしょう。なにもなされなくて結構です。むしろそのまま粛々としていただければいい」
なんか余計なことをするなって言われてるように聞こえたけど、とりあえず頷いておく。
「では、アデハルド」
アデハルドさんは俯けていた頭を上げると力強く頷いて、私の手を握り直した。
ネイミスともう一人の騎士が同時に扉を開ける。中から透き通った美しい歌声が漏れ出てきた。
聖堂の中は少し薄暗くて、ひんやりと涼しい。両側の信徒席には様々な色の頭髪の人々が並んでいて、まるでカラフルなお菓子を無造作に並べたみたいだ。
その真ん中の通路をゆっくりとした足取りでアデハルドさんが先導する。荘厳な聖歌が響く中、静謐な空気に満ちた聖堂の中をゆっくりと進む。
きょろきょろと辺りを見回したい気持ちを堪えて、自分の足元に視線をやるように目を伏せた。たったそこまでの距離がやたらと長く感じる。澄みわたるような歌声の合間に届くヒソヒソ声を気にしないようにしながら、ようやく信徒席の先頭、一番高いところにある祭壇の前までたどり着くと、左前方に見知った顔を見つけた。
「麗しき女神テルメンディルの御子よ、よくぞ参られた」
厳かな声を上げたのは久しぶりに会う猫目の可愛い少年教皇、ファラウンドだった。
「女神テルメンディルの深き御心に感謝を」
ファラウンドさんはあどけなさの残る顔に老成した表情を浮かべると、軽く目を瞑って何事かを呟いた。それに伴って同じような囁きが信徒席のあちこちからも聞こえてくる。
「敬虔なる信徒たちよ、麗しき女神テルメンディルは私たちの祈りに耳を傾けられ、そして望み通りに尊き御子たるこの御方を世に遣わしてくださった」
ファラウンドさんの琥珀の瞳が向けられ、それに伴って多くの視線が背後に突き刺さってくるような気がして落ち着かなくなる。
「麗しき女神の御子たる聖女、その天の調べのような言寿ぎはこの世に繁栄と豊穣をもたらすだろう。私たちが感謝と信仰を忘れない限り、美しき神の御子は私たちを安寧の眠りへと導くだろう」
それからファラウンドさんはなにか高説のようなものをひとしきり信徒席のみんなに語りかけてから、最後にもう一度祈りを捧げるように呟いた。
「女神テルメンディルとその御子のご加護を給えるのは真に敬虔なる信徒のみである。神の僕たちよ、その行く末まで更なる信仰を捧げよ。……さあ御子よ、この場にいる敬虔なる信徒たちに慈悲深き祝福を」
ファラウンドさんは再びあどけない笑みを浮かべて私を見やった。こんなときだけどその笑顔にキュンと癒やされる。
ああ、今日も抜群に可愛いなぁ。くしゃくしゃの柔らかそうな髪を撫で回してあげたい。
「聖女様、こちらの花弁をどうぞ」
プリティ教皇ファラウンドに見とれていたら、いつの間にか目の前に人がいて、私に籠を差し出してきていた。……この人、さっきまでファラウンドさんのうしろに影のように付き添っていた人だ。存在感を全く感じさせないものだから、近づいてきたのも気づかなかった。
彼はいっそ冷徹にも聞こえるようなひどく無感情な声でそう告げると、手に持っていた籠を更に差し出してきた。籠の中には薄紫から淡いピンクの小さな花びらがふんわりと積もっていて、仄かに甘い香りが漂っている。嫌というほどに見飽きた、祝福をかけまくった花びらだ。
「これは?」
「どうか参列者の頭上へと振りかけていただきますよう」
慇懃な言葉とは裏腹に、男性は感情のこもっていない機械的な動作で私の手に籠を押し付けると目礼した。ファラウンドさんはにんまりと目を細め、満面の笑みを浮かべて私たちを見守っている。
静かに佇む男性と、ファラウンドを交互に見つめる。
なんかこの人、どっかで見た気がする。気のせいかな、でも初めて会った気がしない。……というか、この人、多分あの人だよね。
視線を揺らしながらも、目の前に佇む男性を観察する。
一筋の乱れもなく後ろへ撫で付けられた鮮やかな蒼の髪。グレーにも見える薄い青の目は、凍てつくように私に向けられている。若くはないけど歳を重ねた深みがまた渋い、薄い皺の素敵な美形。
――その美貌を忘れるわけがない。思わず声を上げそうになって、咄嗟に口を抑える。さっきから凍えるようなアイスブルーの瞳が、一切逸らされることなく私に注がれている。
「聖女様、ご挨拶が前後して大変に申し訳ありません。お初にお目にかかります。私はリーンロッド・アルフィディル、僭越ながら主席枢機卿を務めさせていただいております」
本当に――まるで、初めての邂逅であるかのように言われた。
ひょっとして似ているだけで私の勘違いかも? とも思ったけど、キャラも格好もなにもかも違うけど、ハンチング帽もかぶってないけれど、でもあの美貌を見間違えるわけがない。……それに、二人のうしろでリングロッドさんが僅かに眉をひくつかせているし。
……リングロッドさんたら、すぐ顔に出ちゃうんだから。
基本無口クールというか無表情なんだけど、たまにこうやって顔に出るんだよなぁ、彼は。建前を作るのは、パパの方が何枚も上手だね。
「丁寧な紹介どうもです。私は……あれ、この国の聖女で、その……」
「存じ上げております」
自己紹介しようとすると、自分が誰だか分からないことを思い出して軽く混乱してしまう。そんな様子は既に知られていたのか、遮られて軽く往なされた。
流れるような動作で礼をとると、彼は花びらの入った籠を指し示す。一切ブレることのないその所作。
彼は完璧なまでに“アルフィディル主席枢機卿”として、その場にいた。
とりあえず花びらを撒くだけの簡単なお仕事だったようで、なんだか高貴そうな人々にありがたがられながら、その頭上を花びらで散らかしつつ聖堂を後にする。
うーん、たったこれだけのことをここまで大掛かりにしないといけなかったのか。というかこれだけのためにわざわざこんな格好をさせられてここまでこなけりゃいけなかったのか。
ま、なにはともあれ無事に終わらせることができた。大聖堂から出た途端、その場にへたりこみそうになる。
「やっと終わったよ……早く帰ろう」
「聖女様、お言葉を返すようですが」
「すぐに夜会の準備へと移らせて頂きます」
「えっ、夜会?」
なにそれ、そんなの聞いてない。
慌てて事情を問いただそうとティリオロ大司教の姿を探すけれど、こんなときに限ってどこにもその姿は見えなかった。私の周りには戸惑った護衛の騎士たちがおろおろしているだけだし、聖堂の中にもすでに教皇たちの姿はないみたいだ。
「嘘でしょ……」
思わず仰いだ空は、憎らしい程に晴れ渡っていた。




