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ローヴァルとの攻防

 

「その手を離してもらおうか」

「なんだお前」


 ローヴァルが私を背後に隠すように立ち上がる。リングロッドさんはそれを一瞥すると、一歩こっちへと踏み出してきた。


「来るな。……聞こえねぇか? 近寄るなと言ってる」

「そのお方はお前ごときが触れていいお方ではない」


 いつもと変わらない静かな声。淡い瞳は相変わらず無表情だが、その右手は剣の柄にかけられている。


「おい、“除け者通り”のルールは知ってるよな? 拾った奴がその持ち主だ。()()は俺が拾った。俺のもんなんだよ」

「このお方は誰のものでもない」


 リングロッドさんが構える。


「手に入れられるのは……」


 なにかを言いかけたリングロッドさんは、しかし言葉を紡ぐ前に抜剣しながら駆け寄ってきた。と同時に私はローヴァルに長椅子へと突き飛ばされ、勢い余って倒れ込む。

 すぐに聞こえたブンと空気の震える不穏な音。


「リングロッドさん!」


 側に剣を構えたリングロッドさんの背中があった。その背中越しにローヴァルが顔を歪めている。


「……諦めろ。お前には決して届かない」

「いいや、そんなはずはない」


 突然ローヴァルからものすごい圧がかかってきた。まるで暴風にでも吹き飛ばされそうな空気の圧だ。巨大扇風機でもいきなり回されたかのような風圧に、思わず悲鳴を上げる。

 その風圧で長椅子に押し付けられて身動きの取れない中、なんとか視線だけでもと二人に向ける。ガァンガァンと金属が鍔迫り合う音が響き、ブォンブォンとその都度押し潰すような空気の圧が襲ってくる。

 何度も何度も長椅子に叩きつけられるような衝撃を受けて立ち上がれるわけもなく、そのまま長椅子に蹲っているしかなかった。

 状況がよく分からない。

 ひしゃげたカエルみたいに長椅子にしがみついていると、背もたれの向こうからニュっと腕が伸びてきて掴まれた。


「こんな所にいちゃ命が幾つあっても足りねぇ」

「おい、逃げるぞ!」


 先ほどのローヴァルの取り巻きたちだった。

 長椅子の背面に隠れて暴風を避けながら、私を連れ出そうと無理やり腕を引っ張ってくる。


「いや逃げるって……てか、痛いから! 引っ張らないで!」

「あの厄介な兄ちゃんはちょうどローヴァルが相手してくれてらぁ。あとは俺たちだけで楽しもうぜ、な?」


 この期に及んで明らかに下心丸だしの顔でそう言われ、思わず半眼になった。そう言われて誰が一緒に逃げるってのよ。


「腰が抜けてんのか?」

「しょうがねぇ。抱いてくか」


 もう一人の男が抱きかかえてこようと覆い被さってくる。咄嗟に声を上げた。


「リングロッドさん!」

「雑魚は大人しくしてろ!」


 横目で確認してきたリングロッドさんは、ローヴァルを薙ぎ払ってこっちに来ようとするが、ローヴァルもその好機を逃さない。リングロッドさんが背を向けた隙を見計らって、あの変な空気の衝撃のようなものが飛んできた。

 リングロッドさんが飛ばされてくる。一際強い風圧に巻き込まれて、私を乗せた長椅子も壁際までザザザッと押し飛ばされた。


「おわっ!」


 思わず野太い悲鳴を上げてしまったが、誰も聞いていない、それどころじゃない。

 壁にぶつかったリングロッドさんは呻き声を上げた。 長椅子の後ろにいた取り巻きたちも巻き込まれてしまって、壁との間に挟まれて伸びている。

 立っているのはローヴァル一人だ。


「なぁ、あんた」


 エメラルドグリーンの瞳をギラギラに滾らせて、ローヴァルは手を伸ばしてくる。


「あんたは女神ソロルインの贈り物だよな? 俺たち“除け者”を救ってくれるために、ここに来てくれたんだよな?」


 ローヴァルが伸ばした手は、私に届かなかった。


「情けないな、リング」


 ローヴァルの手が届く直前、目の前にいきなりハンチング帽の男が現れ、ローヴァルは咄嗟に飛び退いた。

 ターコイズブルーの鮮やかな髪。少し丸まった背中。薄汚れたハンチング帽を目深に被った男がチラリと振り返ってくる。


「……っさい……」


 悪態をつきながらリングロッドさんは起き上がると、剣が手元にないことに舌打ちして、よろよろと取りに行った。


「仲間か?」


 ローヴァルがまたあの酷く酷薄な笑みを浮かべた。


「これは女神ソロルインの試練か? お前らを倒せば今度こそ彼女が手に入るんだな?」

「残念だけど、不正解だよ」


 ハンチング帽の男の声は、どこか面白がるような色を孕んでいる。


「勘違いしてしまうのも仕方がないけどな、こんだけの美貌なら。けどそれにしてもさ、ちょっとキミ、狂信的すぎやしないかな」

「おい、余計な仕事増やしやがって。責任とれよジジイ」

「わかってるよ、リング。だからこうして駆け付けてきたんじゃないか」


 ハンチング帽の男はくつくつと小さな笑い声を上げた。


「どれ、久しぶりにちょっと楽しませてもらおうかな」


 あくまでも茶化すような態度を崩さないハンチング帽の男に、ローヴァルは笑みを引っ込めた。


「ごちゃごちゃうるさい……それを返せ!」


 向かってきたローヴァルに、ハンチング帽の男は拳を振りかぶった。







 結論からいうと、ハンチング帽の男はとんでもなく強かった。

 速すぎてよくわからなかったが、いつの間にかローヴァルのうしろにいたかと思うと、ポコンと一発。まるで悪戯した息子を叱るかのように頭上に拳骨を一発お見舞いして、それでローヴァルは嘘のように気を失って伸びてしまった。


「あれは痛い……」


 顔を顰めて頭を振っているリングロッドさんを見上げる。彼は見られていることに気づくと、誤魔化すように顎に手を当て表情を取り繕った。

 ハンチング帽の男はしばらく伸びたローヴァルを見ていたが、リングロッドさんに呼ばれてこっちへとやってくた。

 帽子のつばをぐいっと押し上げると、中から四十くらいの端正な顔が現れてくる。刻まれた皺がまた若者にない渋みを添えている、触れたらヤケドしそうなイケオジだ。


「大丈夫か?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら手を差し出され、反射的にその手をとってしまった。


「すみません。ありがとうございます」

「無事で良かった」

「一体どうしてこんなことに……ここってどこですか?」

「んー、説明してもいいけど」


 男はアイスブルーの瞳で私の上から下までジロジロと眺め回した。


「本当に見事な糸目の嬢ちゃんだ。麗しき女神にそっくりだってよく言われるだろ?」

「あー、それは、まぁ……あの、それよりこれはどういう状況なんですか?」


 さっきから無遠慮な男の視線が、居心地悪くてしょうがない。


「……物怖じしないんだな」

「なにがですか? この場所のこと?」


 スラムのような場所なんだろうか?

 なににせよ、これ以上トラブルに巻き込まれる前に早々に立ち去りたい。


「あの、助けてもらった上でこんなこと言うのも申し訳ないんですが、そろそろ帰りたいんです」

「そうだな。だけどその前に」


 男はハンチング帽をかぶり直すと、急に手首を掴んでくる。そのまま引っ張り上げられたかと思うと、あっという間に壁へと押し当てられた。


「ちょっとオジサンとも遊んでいかない? 周りって若者ばかりだろ。たまには年上もどうよ?」


 言葉とは裏腹に、酷く冷静なアイスブルーの瞳が観察するように私を眺めている。


「はい?」

「茶番はやめろ。ふざけたこと言ってないで、さっさと後始末してくれ」


 リングロッドさんが乱暴な仕草で男の肩を掴むと、あっさりと男の手は離れていった。

 今のはなんだったんだろう。からかわれたのかな?


「なんでそんなバカなことを言い出した。恥ずかしい」

「いやー、あの話本当かなと思ってさ」


 あの話ってなにだろう。私に関係あること? 悪い噂とかだったら嫌だなぁ。


「これはどうやら本当みたいだ」

「いいから。今はその話、いいから!」

「いや、だってさ。お前、やりにくいだろうって思ってさ」

「あのー、さっきから二人だけでなんの話をしてるんですかね?」


 恐る恐る尋ねてみると、ハンチング帽の男は振り向きざまににっこり笑った。


「ん? あ、ごめんね。実際に確かめるまで信じられなかったんだけど。君、美的感覚狂ってるよね?」


 あまりにも唐突な話で、すぐに頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされてしまった。

 その話、今、ここで必要?


「えーと、今はそんなことより、いい加減帰りませんか? それと私、美的感覚狂ってません」


 なにを失礼な。別に自分のことをセンスいいとか思ってはないけどさ、人並みにはある! はず!


「そうだよ、どうでもいいだろそんなこと。それより早く戻せよ」


 リングロッドさんは強引にこの話を終わらせると、「失礼します」とこれまた強引に私を抱えあげた。

 全く躊躇いのかけらもなかった行動に、とっさに対応できなかった。驚いて慌てふためいて、――そして心臓がドキリと音を立てる。


「リ、リングロッドさ……」


 恐る恐る、気持ち上目遣いでリングロッドさんを見上げる。

 だが期待していたような甘い展開はあるはずもなく、彼はいつも通りの淡々とした無表情で、その目は疲労感からかどんよりと曇っていた。

 舞い上がりかけた思考は無事に通常運転へと戻る。私は無用な刺激を与えないよう身を縮こまらせた。

 ――うん、なんにせよ、私だってこの場からは一刻も早く立ち去りたい。

 運んでくれるというのならこっちも甘んじてそれを受けよう。


「ところで、根回しは済んでんだろうな?」

「ん? まぁなんとかなるだろ。無事に見つかったんだし。みんなで内緒にしとけばバレないよ。ね、お嬢さん?」

「え?」

「……勘弁してくれよ。これ以上の厄介事はごめんだ」

「わかってるって。ちゃんと手も回しとくから」

「当たり前だ。元はと言えばお前のせいだからな」


 男はお茶目に舌を出した。

 端正な顔立ちにアイスブルーの瞳はとっつきにくそうにも見えるが、どことなく茶目っ気があって憎めないような、愛嬌のある人だ。

 だがリングロッドさんはその愛嬌を「気色悪い、こっち見んな」と容赦なく切り捨てていた。


「それでは戻ります。動かないでください」

「じゃあね()()()、またいずれお会いいたしましょうね」


 笑みを滲ませながら、ウインクを飛ばしてくる。

 そして男が触れてきたと思った次の瞬間には、私たちはもう元の通りへと戻ってきていた。







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