68.宝を護る者
巨大な鉄の扉に耳を近づけ、扉の中を探る。
波紋一つない湖のように静かで、扉の隙間に鼻を近づけても血の匂いはしない。
古い、錆付いた鉄の匂いだけだ。
恐らくここがこのダンジョンの最奥、所謂ボス部屋だろう。
僕たちと同時に出発した人はまだ誰も到達していないのだろうか?
それだといいんだけど。
「アリア、多分ここがボス部屋だと思う…」
「どうしたの?歯切れが悪いじゃない。」
「いや、なんだか不気味なんだ。言葉にはしにくいんだけど…」
異様な感覚だ。
感知にも何も反応しないのに、鳥肌が立ち、全身の皮膚の下を何百匹もの百足が這い回っているかのようにゾワゾワとする。
無意識に奥歯がカチカチと震え、怖気がする。
今すぐ逃げ出したくなるような、そんな感覚だ。
「そうね、何か、不気味ね。…変な感覚。」
和也の感覚はアリアも感じているようで、寒さに耐えるように、腕を組んでいた。
でも、このまま怖気付いてタラタラとしている訳にはいかない。
さっさとボスを倒し、宝を手に入れなければならないのだ。
「準備は出来てる?」
「ええ、いつでもいいわよ。和也は?」
アリアが準備完了を示すかのように、腰に提げた剣の柄を軽く上げる。
「僕も準備出来てるよ。」
そう言って、左手で柄頭をなぞる。
剣は替えがあるからいいが、利き手が使えないのが不安だった。
しかし、回復薬で無理矢理くっつけたと言っても、まだ痛みは残っている。
折れた右手を使うよりは大分ましだろう。
「じゃあ…いこうか。」
「……うん。」
「せーのっ!」
意を決して、扉に手を当てる。
そして2人で呼吸を合わせ、ゆっくりと押し開けていく。
ギギギギッと扉が地面を削る。
幸い、錆び付いていなかった為、重いものの、簡単に開くことが出来た。
扉を全開にし、いつでも逃げられるようにする。
ゲームみたいに、勝手に閉まる可能性もあるが、できればないと願いたい。
扉の中は、質素で無機質な部屋だった。
装飾も何も無い。
あるのは等間隔で設置された松明の灯りだけ。
床は白っぽい色の石畳で、壁はごつごつとした岩肌が剥き出していた。
一つ特筆あることを述べるなら、ただ、広いことだろうか。
広いというか、広すぎるというか。
学校のグラウンドよりも広く、天井は和也が全力でジャンプしても、到底届かないほど高かった。
まるで、ここに巨大な生物が住んでいるかのようだった。
しかし、姿形も見えない。
感知にも引っかからない。
「どういうことだ…?」
「カズヤ、あれは?」
声を掛けられ、アリアの指さす方を見る。
感知に集中しすぎていたせいか、この巨大な部屋に呆気にとられていたせいなのか分からないが、奥に、入口と同じ扉があった。
だが、大きさが違う。
もっと小さい。
見慣れた、普通の扉と同じ大きさだ。
まるで人が使っているかのように。
「もしかして、奥がボス部屋なんじゃない?」
「そう…かもね…」
「行ってみる?」
「…うん」
アリアが奥に進むことを促してくる。
落とし穴の一件以降、こういうことを聞いてくれるようになった。
焦りが消えたのか、それとも和也が認められたのか。
それは分からないけど、どっちにしろ、いいことに変わらなかった。
恐る恐る、奥に進む。罠を警戒しながら進んでいたが、特に何も無かった。
しかし、半分ぐらいまで進んだところで、それは起こった。
奥の扉が蹴り開けるかのように勢いよく開いたのだ。
扉の奥になにやらキラキラと黄金に輝くものが見えたが、そんなことに目がいっている場合ではない。
和也とアリアは柄に手を当て、臨戦態勢をとる。
動悸を抑え、呼吸を整え、ギラッと扉の奥を睨む。
「え?」
しかし、現れたのは一人の小柄なドワーフだった。
アリアが肩の力を抜き、小声で話しかけてくる。
「私たちと同じ、攻略に来た人かしら?」
「いや…」
あのドワーフはなにかがおかしい。
普段ならなんとも思わないが、ここだからこそ感じる違和。
そのドワーフは、何も武装をしていなかった。
もしも僕たちよりも先に着き、ボスを倒したとして、普通装備を外すだろうか?
いくら油断したとしても、そんなことをするのは経験の少ない冒険者だけだ。
たとえあれがそうだったとするとさらにおかしい。
そんな者に、この罠と魔物に溢れたこのダンジョンを攻略できる道理がないのだ。
しかも、痩せこけた様はどこからどう見ても強そうには見えない。
異物感。
あまりにも合わなすぎる。
和也がそう考察していると、
「…お前らか」
そのドワーフがゆっくり歩きながら近付いてきた。
「…お前らか、ここを荒らしているのは。」
間違いない。
黒だ。
そう確信した瞬間、和也は走り出した。
「ごそごそごそごそ暴れやがって!目障りなんだよ!!」
血管がはち切れそうなほど、顔を真っ赤にしたドワーフが吠える。
一言を重ねていくうちに、だんだんその存在が大きくなっていく気がした。
それに気づいた和也は、更に速く、駆ける。
そして――――――――
「ここは俺の城だ!俺の宝だ!誰であれ、ここは通さねぇ!俺の─────」
そして、ドワーフが言い切る前に、彼の首をはねた。
身体を失った頭が、ゴロゴロと転がる。
頭を失った身体の切断面から、噴水のように、勢いよく血が噴き出す。
どす黒い、粘っこい血だ。
和也は、頬についた血を左手で拭う。
「ふう…」
人型モンスターを殺したことはあるが、人は初めて殺した。
それなのに、なんだかあっけなさというか、殺したことに対する罪悪感は何も感じなかった。
「これで、やっと…」
未だ血が流れ続ける死体を眺めながら、そう呟いたその時。
『お…れの、たか、らだ。…お前なんぞ、に、渡し、て、たまるものか!』
眼がぎょろぎょろと動き回る。
瞳がまるで爬虫類のように縦に切り裂かれたかのように鋭くなっていく。
生気が消えていた指先は何かを求めるかのように蠢く。
痙攣するかのようにつま先が石畳を蹴り続ける。
ぼこぼこと、背骨のあたりが隆起しだし、だんだん体が大きくなっていく。
蒸気みたいな高熱の煙が全身を包むかのように立ち、あたりが白く深くなり、そして何も見えなくなった。
「…なにが起こって!?」
驚き和也は後ろに下がる。
時間が経つごとに、どんどん煙の範囲が大きくなっていった。
「とりあえず下がろう!」
「わかった!」
和也とアリアは一旦入り口まで下がり、煙が晴れるまで待つ。いつの間にか、煙はまるで積乱雲かのように天井まで大きくなっていた。
バキバキバキと、地割れのような音が響く。
そして、煙が晴れると――――――――
『グギャアアアァァァッ――――――――!!!』
黄金色に輝く龍が悠然と佇んでいた。