56.後悔
「まさか、カズヤさんが護衛に付いてくれるとは思いませんでした。」
無事にクエストを終えた和也はレーナとギルドでお茶をしていた。
レーナはもう他のギルド職員に挨拶したらしい。
ほんのり甘い紅茶の香りが辺りを漂う。
「こうして会うのは2年ぶり…くらいですかね?」
「そう、ですね。」
「カズヤさんが元気そうで良かったです。」
レーナが懐かしむように目を細め、ふふふっと朗らかに笑った。
「カズヤさん身長も伸びてるし、体つきもガッシリしてるし……一瞬誰だか分かりませんでしたよ。」
「そうですか?」
帝国に来てからの2年間、和也はレベルを上げることだけに勤しんでいた。
毎朝ギルドに行き、クエストをこなす。
そして泥のように眠りにつき、明日に備える。
機械的な日々だ。
そこには何の思い入れも無い。
「私はどうですか?」
和也は何かを期待するかのように胸を張るレーナを見る。
艶やかな茶髪は背中の半ば程まで伸ばされ、薄く引かれた口紅が蠱惑的な魅力を引き出す。
顔も幼さが抜け、代わりに大人の美しさが溢れていた。
「今思ったことを言ってくれてもいいんですよ。」
和也の反応を予想してかニヤニヤとレーナが笑う。
見た目が変わっても、中身はレーナそのものだった。
当たり前だが。
「レーナさんは前よりも綺麗になりましたね。」
「……変わりましたね。」
レーナが頬を染め、ぼそっと呟いた。
「あーあ、昔のカズヤさんなら動揺してくれたのに。」
ブー垂れたレーナがつまらなさそうに脱力した。
「…レーナさんは、どうしてここに?王都の担当だったのに。」
レーナが難しそうな表情を浮かべる。
「……カズヤさんの話を聞いて、このまま王国に居てもいいのかってずっと悶々としてたんですよ。で、結局王国を出ようって決めて、ギルド長に転勤願いを出したんです。」
「それで、帝国に?」
「やっぱり王国と敵対している方が良いかなって、しかもカズヤさんも居るから──って感じですかね。」
そして、「ちなみに、帝国内のギルドはここで2箇所目です。ずっとランベルに居たんですけど、このギルドが忙しくなったってことで転勤になりました。」と笑いながら付け加えた。
「…敵国なのに、よく転勤の申請が通りましたね。」
「ギルドは中立がモットーですからね。まあ、かなり厳しい審査を受けましたけど。」
「…それは大変でしたね。」
正直に言うと、レーナさんと会うことはそこに嬉しさなんて無く、ただ苦しさがあるだけだった。
そのせいで、つい無愛想な返事をしてしまう。
レーナ達を見捨ててまでエリナを助けると誓ったのに、それも叶わず。
今度はその見捨てた相手に甘えようとする自分が居る。
そんな自分が反吐が出る程嫌いだった。
「今度はカズヤさんの番ですよ。帝国で過ごしてどうでしたか?」
無愛想な和也の返事に対してもフレンドリーに返すレーナ。
それはとても安心感があるもので、和也がいくら壁を作ってもどんどん乗り越えてくる。
気がつくとレーナに絆されそうになる自分が居て、そしてそれが自身に対する嫌悪感を助長させた。
「…特に、思い入れなんてないですよ。毎日クエストに行くだけの日々の繰り返しです。」
「でも、あそこの女の子とは仲良くなったんですね。」
レーナが指差す方──ギルドのカウンターを見る。
そこにはジト目で和也達の動向を見る栗色の髪の受付嬢が居た。
和也達に見られていることに気が付くと、なんでもないように振舞うが、『聞き耳』スキルがポツリと呟いた言葉を拾った。
『後で話、聞かせてもらいますよ。』
それに一瞬背筋が凍るような悪寒が和也を襲うが、彼女とは何も無い。
一方的に懐かれているだけだ。
「…別に、何も無いですよ。」
「少なくとも向こうは何かありそうですけどね。……あ、そうだ。そう言えばベナンの洞窟が崩落したって聞いたんですけど、あれってやっぱりカズヤさんの仕業ですか?」
「あ、はい。…あまりにもレベルを上げられると面倒なので。」
王国を出る前に、爆発ポーションで崩落させておいた。
あの洞窟は経験値効率が良すぎる。
レベルを上げられない為にも潰しておくのが正解だ。
「…まだ、復讐をするつもりですか?」
「……」
「復讐なんて………やってもカズヤさんが苦しむだけじゃないんですか?」
レーナが諭すように声を掛ける。
その声色からは、本気で和也のことを心配していることが感じ取れた。
「…それが、僕が出来る唯一の弔いですから。」
違う、こんなのはただの自己満足だ。
このやり切れない怒りを、哀しみを、後悔をぶつけているだけだ。
「そんなの……」
「僕は弱い人間なので、そんなものにでも縋らないとどうしていいか分からなくなるんですよ。」
もしも復讐を終えてこの指針を無くしたとしたら、僕はこの先どうやって生きて行けばいいのだろうか。
ずっと無気力に過ごし、一生を終えるのだろうか。
そう思うと怖い。
心中でメラメラと燃え続けている復讐の炎が消えてしまうのが怖かった。
「そんなこと…」
「ありますよ。」
レーナの言葉を遮り、断言する。
彼女に、何がわかると言うのだろうか。
「…毎晩、同じ夢を見るんですよ。」
「……」
「夢の中でエリナが僕に助けを求めるんです。そしてその後、何も出来なかった僕を責める。…きっとあれは僕の後悔だ。皆を見捨てた癖にエリナを助けられなかった僕の。」
目を瞑るだけで、あの日の光景が鮮明に思い浮かぶ。
失われていく瞳の光に、噎せ返るような血の匂い。
一層と白くなった肌は氷のように冷たい。
「…僕は、エリナに許してもらいたい。きっとそれが復讐をすることなんです。」
「…エリナちゃんはカズヤさんを恨んでなんかいないと思います。」
「……たとえそうだとしても、僕はあの時の自分自身が許せない。」
和也は伝票を持って立ち上がる。
夜も老けてきた。
もうすぐ寝ないと、明日に支障が出ても困る。
「……じゃあ、また今度。」
レーナに短く挨拶をした後、和也はカウンターの方へと向かう。
「…あの、カズヤさん。」
「?」
「い、いえ、やっぱりなんでもないです。」
おずおずと受付の少女が和也に話し掛けるが、何かを察してか言葉を引っ込める。
「じゃあね。」
「あ、はい、さようなら。」
手短に会計を済ました後、和也はギルドから出て行った。
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レーナはカズヤが出て行ったギルドの扉を見つめる。
やはり、余計なお世話だったのだろう。
レーナはあの日、思い詰めた表情のカズヤに何もしてあげることが出来なかった。
エリナが亡くなり、精神状態も不安定になっているはずなのに、出て行く彼の背を見送ることしか出来なかった。
あの日の後悔がレーナに余計な言葉まで話させた。
「また今度、か。」
もうすっかり冷めてしまった紅茶のカップを両手で包み込む。
ツンとした陶器の冷たさが、手に伝わる。
前回は『さようなら』だった。
しかし、今回は違う。
また会うことがあるから、そういうことだろう。
そんな当たり前のことだが、レーナは嬉しかった。
前回の様な冷え切った別離では無いからだ。
「…今度謝ろう。」
レーナは残った紅茶を飲みきる。
それはほんのりと暖かかった。
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