54.別離
この章はこれで終わりです。
和也の目には全てがスローモーションのように見えた。
ゆっくり、ゆっくりと剣がエリナの胸に吸い込まれていく。
懸命に手を伸ばすが届かない。
エリナの瞳には恐怖、諦観、絶望。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
そして、切っ先が服を裂き、エリナの白く艶やかな肌を、そして身体を───貫いた。
「剣崎───っ!!」
和也は腹の痛みなんか忘れて剣崎に突貫する。
「ぐあっ!」
短剣が剣崎に触れることなく和也は蹴り飛ばされ、ごろごろと地面を転がる。
「…やっとだ。……俺、やったよ…彩。……あとはあの魔族だけだ。待ってて、直ぐに終わらせるから。」
ブツブツと血走った目で剣崎が何かを呟く。
そして、エリナの体から剣を抜き血を払ったあと、門の外へ歩き出した。
「…え、りな。」
血を流しすぎたのだろう。
視界が霞むが、それでもエリナの元へと這いずる。
指先はボロボロで爪の端からは血が流れていた。
やっとのことで辿り着き、エリナの手を握る。
さっきまで人肌の温もりがあったのに、もう冷たくなり始めていた。
膝立ちになり治癒ポーションを掛け始めるが、手遅れという言葉が頭をよぎる。
「…カ…ズ?」
首を傾け、エリナが和也を見つめる。
「…うん、そうだよ。」
涙を堪え、優しく声を掛ける。
「…いま……まで、あり、がと。」
「今すぐ助けるから!……だから、そんなこと言わないでよ!」
エリナの言葉に和也は我慢出来ずにボロボロと和也の瞳から涙が溢れ出る。
どうしてそんなこと言うんだ。
まるでもう会えなくなるみたいなこと……
和也は治癒ポーションを掛け続ける。
地面はポーションの水色と血の赤が混ざり合い赤紫色の水溜まりが出来ていた。
「……それは…カズ、が、使って。……私は、もう…」
最後の1瓶の蓋を開けようとする和也の手をエリナが優しく押し留める。
和也はそれを無視して、エリナの傷口に掛ける。
「エリナ!…エリナ!」
だんだん色白くなっていく彼女に声を掛ける。
「…楽し、かった。みじか、い間だっ、たけど……」
「…誰でもいい!誰かっ!…助けて、助けてくれっ!!」
辺りをキョロキョロと見渡す和也の手にそっと、エリナが手を重ねる。
「…っ!」
「カズ……だい、すき。」
「僕も、好きだよ!愛してる!ずっと隣に居たい!…だから僕を、」
溢れ出る涙が止まらない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
「……僕を一人にしないでよ。」
エリナとの思い出が蘇る。
初めて会った日のこと。
クエストに行ったこと。
慰められたこと。
デートに行ったこと。
告白したこと。
抱き締めたこと。
「僕は、エリナが居ないと……」
「……あの、ね。わたし、さいごに………キス、してみたい。」
和也は袖で涙を拭い、そっと口付けをした。
エリナの頬が僅かに染まる。
そして、涙が彼女の頬を伝う。
「……私、カズ、と出会え、て、うれし──」
言い切ることなく、エリナの瞳から光が消える。
「え、エリナ?」
慌てて手首の脈を計るが、何も感じない。
肩を揺らしても、何度声を掛けても返事は無かった。
エリナの死。
理解はしているが、脳がそれを拒絶する。
和也はそっとエリナの瞳を閉じる。
エリナの顔は、薄らと満足そうに笑顔を浮かべていた。
その後、和也は騎士に捕縛され、朝まで牢屋に入れられたのだが、アリシアの一言により無罪となった。
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次の日の夜。
雨の中、ずぶ濡れになりながら和也は傘もささずにフラフラと行く宛もなく街を彷徨っていた。
陽は沈みかけ、辺りは街灯の明かりに照らされている。
頭の中はアリシアと剣崎への憎しみ。
そして、エリナを助けることの出来なかった自分への怒りで埋め尽くされていた。
和也は道路の傍に設置してあるベンチに腰掛け、俯く。
とりあえずこの国を出よう。
あいつらと同じ空気を吸いたくない。
…そして、レベルを上げていつかあの二人を────
「ふふっ。」
そう考えた時、和也の顔に暗い笑みが浮かんだ。
どこの国へ行こうか。
王国に復讐するのなら、王国と敵対している帝国が一番だろう。
しかし、王国から帝国への国交は完全に途絶えているため、馬車は出ていない。
途中からは徒歩になるだろう。
いや、そもそも王国から来た者が国境を越えられるのだろうか。
まあ、その時はその時に考えるとしよう。
「……?」
そこまで考えたところで、和也は異変に気がついた。
雨が止んでいるのだ。
いや、違う和也の頭の上になにか遮蔽物ができ、雨を防いでいるのだ。
和也は頭を上げる。
「…こんな所で何してるんですか。」
そこには、和也に傘をさしたレーナが居た。
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「あの、お風呂、ありがとうございました。」
風邪を引くからと、レーナの家に連れられ、お風呂を借りたのだ。
服は着ていた服を洗濯し、魔道具で乾かした。
コトッと小さな音を立てレーナが和也の前にマグカップを置く。
コーヒーの香ばしい香りが湯気と共に辺りを漂う。
「あ、砂糖とかミルクっていります?」
「…大丈夫です。…ありがとうございます。」
和也は椅子に腰掛け、机の上のマグカップに口をつける。
体の奥に熱が広がっていく。
「……大丈夫ですか?」
レーナが遠慮がちに声を掛けてくる。
何が?とは聞かない。
もちろん分かっている。
「…話は聞きました。」
和也の名前は出ていないが、死刑囚を脱獄させようとした人が居て、それを勇者が捕まえたという話は公表されていた。
そして、死刑囚は勇者がその場で死刑を執行したということも。
「あれって、和也さんのことですよね。」
「……はい。」
「そもそも、エリナちゃんが反逆罪を犯したって本当なんですか?」
「……レーナさんはどう思いますか?」
和也は恐る恐る質問を返す。
レーナにまでエリナが疑われることが怖かった。
「…私は、正直に言うと嘘だと思います。それか、何か事情があってのことだったとか。私は、エリナちゃんがそんなことする人だなんて思えない。」
「……」
「……違うんですか?」
「……もし僕が王国が犯人で、僕の軽率な行動が今回のことを引き起こしたって言ったらレーナさんは信じますか?」
レーナが無言でコクリと頷いた。
それだけで泣きそうになる。
自分とエリナを信じてくれる人が居ることがどんなに心強いことか。
和也はこれまでの出来事をレーナに話した。
話す途中に自分の愚かさに嫌気がさすが、何とか最後まで伝え切った。
「──ということです。…エリナが死んだのも、全部僕のせいなんです。」
固く握り締められた拳は血が出そうなほどだ。
「そんな、和也さんは何も……」
「あの時、僕が探偵気取りで王国に忍び込まなければ、こんなことにはならなかった。」
今思えば、あの時の僕は浮かれていた。
初めての彼女ができ、浮かれていたのだ。
いつもなら、佐藤の死に不審な点があることに気が付いたとしても、王城に忍び込むなんて絶対にしないはずだ。
前に倣えの生き方で、周りに流されて動くはずだ。
「……エリナが死ぬことなんて無かった!」
「……」
拳を机に打ち付け、マグカップのコーヒーが波打つ。
「……僕は馬鹿だ。」
今まで溜めてきたものがとめどなく口から溢れ出る。
「エリナを何としてでも助けるって、そう誓ったのに。…あんなこと、しなきゃよかった。」
「で、でも、その情報が何か役に経ったんじゃないんですか?ほら、他の勇者に警告したりだとか。『魅了』が完全に掛かってないのなら、もしかしたら───」
「無駄でしたよ。」
レーナの言葉を遮る。
「さっき他の勇者を集めてその事を話してきたんです。でも、」
和也は先程のことを思い出す。
「でも、信じて貰えませんでした。」
突き刺さる様な侮蔑の視線に、罵詈雑言の数々。
和也はそれに耐えきれずにその場から逃げてきたのだ。
「むしろ、裏切り者って言われましたよ。」
「そんな……」
和也は話をそこで切るかの様にコーヒーを一気に飲み干す。
「レーナさん、今までありがとうございました。…僕は、帝国に行こうと思います。」
「復讐…ですか?」
「……はい、僕はどうしてもアリシアと剣崎を許す事が出来ません。」
アイツらの顔を思い浮かべただけで、吐き気がする程だ。
「……レーナさんも、気を付けて下さい。」
「……」
「…さようなら。」
そう言い残し、和也はレーナの家を出た。
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