第18話 リザードマンの心証
8月24日
俺は知っている。
女神様は朝起きるのが苦手だ。必ずといって良いほど、メイドのリゼに起こされる。
それから着替えはどんな服でも1人で行いたいらしい。通常、貴族ややんごとなき身分の高い方の服やドレスは構造上1人では出来ない。しかし、何をどうしてか1人部屋に篭って着付けを行う。数分後には完璧に着こなし、俺に向かって上目遣いで「どうでしょうか?」と不安そうに言うから驚きである。この様に女神様には完璧?主義な一面があるも、寝癖を治すのは絶対に忘れる。我らが魔王ライラ様が「お姉様、今日も素晴らしい寝癖ですね」と言うまで治しはしない。ライラ様の言葉の後には必ず、女神様は「食べたらすぐに治す…」と眠さと恥ずかしさを含んだ謎の甘い声で言う。もちろん今日もそうだ。女神様はフワフワした雰囲気を纏いながら黙々とパンをかじる。
この様なフワフワした生き物を護衛する日がくるとは思わなかった。少なくとも、魔王様の親衛隊として血を流した20年前からはとうてい考えられない。1週間前、アーブラムの魔族牢の棺桶から目を覚ました俺にライラ様が下した命令は、女神様の護衛であった。
初めての拝謁した女神様の容姿はか細く弱い人間族の少女だった。
しかし昨日、女神様は我ら魔族の土地を人間族に約束させたのだ。これは驚くべきことだ。我ら魔族が数千年成し得なかった領土獲得をこうも易々と成し遂げる。俺は感銘を受けた。この御恩は未来永劫返さねばならない。
俺は、女神様がアーブラムの魔族牢で閉じ込められていたおよそ300人の魔族に言った事を思い出した。
「先の大戦で戦った者たちよ。
あなた方はたった今、自由になりました。好きな所に好きな様に生き、自由を謳歌することが出来ます。家族を探すのも良いでしょう。
しかし、あなた方が囚われていた20年という歳月はあまりにも長いものであったという事を私は伝えなければなりません。魔国は滅び、魔族は各地に息を潜める悲しき時代となってしまいました。家族の行方を捜索するのは困難を極めると思います。
この様な世界を作った人間族に恨みを感じる者もいましょう。魔族の復興を願い、戦うというのは一つの提案です。しかし、いくら個々の力が強くとも、それだけで魔族の領土を取り返したり、国を再建するのは限りなく無謀な話になってしまいます。
目的を見失ってはいけません。魔族や愛する者を想うあなた方、そして魔王ライラの願いは魔族の復興であり、本来、人間族などどうでも良い事なのです。20年前、あなた方は何の為に戦ったのですか?憎しみや怒り、殺戮の為に戦ったということもあったでしょう。しかし、本来の目的は全て魔族の為でありましょう。何度も言います。目的を見失ってはいけません。
もし、あなた方が本当に魔族を思うのならば、もし、この後の余生を一族や愛する者に誓うのならば、女神である私が力を授けましょう。
この力は剣や弓の様に原始的なモノではありません。そしてこの力は知的生命体なら全てが行使出来るモノ。
数日後、私はこの力であなた方の領土を確保してみせましょう。そして、その時に問います。
20年前とは違う本当の意味での魔族の復興をあなた方の力で掴んでみませんか?と」
その声は時たま震えていたりか細かったりしたが、年若い少女にしてはハッキリとした喋り方であった。
このおなごが何を言っているのか、その背景に何があるのかを見抜こうとしたが、そのときの俺には全く見抜けなかった。長寿民族であるリザードマンの特技として、その長寿故の経験則から大抵の生き物の考えていることは見抜くことができる。しかし、このときの女神様からは何も捉えることは出来なかった。ただ何かに対して緊張や怯えを抱いているようには感じ取れた。人間族の弱き身体故の魔族に対する恐怖なのか、そのときの俺には摘めずにいた。そして、たった一週間の仮の護衛期間ではあるが、今にして思えば、女神様は大勢の人の前で話すのが好きではないというだけなのかもしれない。という一番単純な話に思えている。女神様は魔族にしても人間族にしても関係なく大勢の前にいると緊張してしまう少女なのだ。
しかし、捉えるべきはそんなことではない。女神様がその力とやらを行使して、本当に我々の領土を確保したということだ。そして、今宵は我々の決断の日だ。しかし、俺の答えは決まっているし、きっと皆もそうだろう。
〜〜〜
8月25日
昨日、女神様はアーブラム領主から正式にアーブラム北部の小領土を譲り受けた。それを受け、ライラ様含む我々魔族とアーブラム自治政府の関係者は北部のラスタという魔族の隠れ村に向かう準備を始めた。
牢獄にいた俺には準備するモノがないので、ただひたすら女神様の護衛をする。しかし、この護衛の任は俺だけではない。人間族の男と女も同じくこの任務にあたっている。男はやや年老いた戦士で、身体中に傷跡が確認出来た。そして男も同じく俺のことを戦士としてみている節がある様に思えた。実際、初めてあった際にお手を合わせをお願いした。女神様は「お互い大事な私の護衛ですので、お怪我のないようにしていただければ構わないです」っと仰られたので、我々すぐに試合を行なった。
男、いや、戦士マルクスの剣は鋭く、腰の入った良い重みのある一振りは中々のものであった。しかし、私も戦士だ。マルクスの剣を受け流し、すきあらば尻尾を使い足払いを企てたが、足腰の重心から美しく振り下ろされる剣さばきに阻止された。
それから俺は良い戦士に会えたこの素晴らしき出会いに感謝し、互いに叩いて激励の挨拶をした。
女は形こそ剣士ではあるが、まだ若さを感じる心技体の未熟さに、マルクスが「奴はまだまだ成長の余地がある」と言っていた。この女に護衛が務まるのかは疑問だが、戦士がそう言うのだ。俺には言うことはない。
女神様の周りには護衛の他にリゼがいる。リゼは女神様と同じ様な背丈の少女でメイドだ。女神とライラ様の身の回りは全て彼女がこなし、人間族ながらライラ様にも目をかけていただける稀有な存在だ。リゼは人間族ながらも仕事に対する姿勢やその真面目さ、忠実さは評価に値する。この若さでこのヤル気は人間族という敵ではあるが、将来が楽しみだ。
しかし、このように現在ライラ様には、お世話係りが1人しかおらず、しかも女神様のお世話を兼任しているという状況だ。これほどまでに不自由な生活をさせてしまわせているということに親衛隊としてとても心苦しい限りだ。早くお世話係りを増やしてあげたい。健気にも、ライラ様はご不満の声すら言わず、女神様と文字通りの汗水垂らして働かれている。涙を禁じ得ない。
〜〜〜
同日
次は同僚を語ろう。
姫様の護衛の任についた獣人のガルは、俺の信頼出来る仲間の1人だ。トラの頭に勝るとも劣らない鍛え抜かれた身体、驚くべきは筋肉ではなくその剣士としての技量である。しなやかに流れる剣技、そして牙はリザードマンの硬い鱗であっても困難を極める相手となろう。
そして彼は牢獄で20年間の冬眠をしていた俺とは違い、その肌で20年を噛み締めてきた。俺には想像を絶する苦難の日々であっただろう。それを経てなお、彼はは20年前から少しも変わっていなかった。俺の知っている慈愛に溢れた紳士であった。これはとても喜ばしいことだ。
だが、昨日は違った。どこ吹く風かと思っていたいつもの姿ではなく、そこには牢獄で20年間過した獄人がいた。
事の始まりは、女神様の問いかけに答える為、我ら獄人は女神様の元に集まったところにある。俺は最初に囚われていた魔族の代表として、女神様に「魔族の復興の為、力を授けて欲しい」と答えた。女神様はにこやかに言った。
「いいでしょう!
まずはじめに私が授ける力について教えましょう。それは知識と文化、それと尊敬です。
これはとても偉大な力なのです。しかし、現在人間族は魔族にそのどれも感じていないです。そこで、この力をあなた方が人間族に提示することが重要なのです。そうすれば自ずと人間族は魔族を本当の意味でその存在を認めることになるでしょう。その結果、領土だけでなく、その存在、果ては尊敬や信頼を勝ち得ることが出来るでしょう」
その言葉に獄人ガルは吠えた。
「女神様、あなたの仰ったことは分かります。現に、あなたはそうして領土を手に入れ我々に与えて下さった。これにはとても感謝しております。
しかし、何故我らは奴らに認められねばならぬのか、という思いが私の心の中で大きく渦巻いているのだ!」
辺りは静まる。
「女神様、何故人間族に認められるということをしなければならないのか!
魔族としてのプライド、そして戦後の雪辱を胸に刻み込まれたモノにとってそれはとても酷なことではないのか!
少なくとも俺は辛い。
答えてくれ、女神様!
この胸の騒めきをどうすれば良いのだ!」
ガルは女神様に近づいた。俺はすかさず女神様とガルの間に入ろうとしたが、女神様は首を横に振り、俺を阻止した。ガルは女神様の目前に立ち、吠える。
「女神様、これはどうすれば抑えられるのか!あなたが収めてくれるのか!」
すると女神様は言った。
「あなたやその様な方々を今慰めたとして、あなたやその様な方々は満足することなど絶対にないでしょう。
そしてその騒めきは悲しくも一生消えることはないでしょう。それでは、どうすれば良いか、そうあなたは思うでしょう。答えは分からないがヒントはあります。それは、魔族に認められるモノになることです。
私が今後行う戦いは武力は用いない。しかし、特には武力も必要となる日が来ます。あなたは魔族の中でとても誇り高き戦士。20年の雪辱にすら耐えられる素晴らしき戦士。頼もしき者たちをなのを私は知っています。もし、魔族が困っていたら助けて下さい。魔族として、戦士として、そこに人間族など気にする必要などなく、魔族の為に戦うこと。
私はこの世界の神でも人間族の神でもあり、魔族の神でもあります。そして今宵、魔族の神としてあなたに求めようと思います。
これから先私たちの前には様々な困難が立ちはだかるでしょう。その時は、戦士として力を貸して下さい!
報酬は、魔族が幸せに暮らせる世界でどうでしょうか?」
ガルは女神様の前で何かを納得したように頷いた。それを見た俺は、やはりこの女神について行こうと思った。
〜〜〜
その後、俺は女神様を部屋まで護衛していた。もうすぐ部屋かと言う場所で、女神様はペタンと尻餅をついた。
「どうしましたか、女神様」
「いや、なんか疲れてバランスが崩れただけ…」
そう言ってから女神様は急に涙を流し始めた。俺は慌てて尋ねた。
「何故泣いているのですか!どこか痛いのですか!今すぐ療養のものを呼びますか」
「いや、良いの大丈夫です。なんだか、急に涙が出てきただけです。
本当のことを言うと、さっきガルに詰められたとき、とても怖かったんだ。だめだよね。こんなことで怖がってたら指導者として失格だよね」
そういうと女神様は取り繕うように笑顔を見せた。だが、俺には分かる。女神様はとても強い恐怖や緊張を感じていたことや、今それが一斉に解消されたせいで身体に力が働かないこと。涙はまだまだ流れ出るだろうことも。
「そんなことはありません、女神様。あなたはとても良い指導者です。その涙がその証です。我々の為に涙を流すモノが指導者として失格なはずありませんから」
「ありがとうガラナン」
俺は女神様の涙を指ですくった。すると、女神様は俺に抱きついた。俺は優しく抱きしめ返した。