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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
小さな異変
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04

 あたしたちの住む町は郊外にある。さっきまで遊んでいた町と違い、緑も多くて静かでゆったりとしている。

 それは駅周辺でも変わらない。平日こそ通勤や通学で人の出入りが激しい場所だが、日曜日の夕方となると駅でも意外と閑散とした雰囲気になってしまう。動く人影といえば、あたしたちのように遊びに出掛けていた若者数人くらいしかない。


 あたしは、そんなこの町が好きだ。日が沈みかけ、夕焼け色に染まった町の景色はとても落ち着く。



 だけど、今はこの静けさが苦痛だった。



 あたしはご機嫌伺いのように、黙ったままの洸太に視線をやる。洸太の顔はハンバーガーショップで見せた、あの複雑な表情と同じだった。

 洸太がこんな風になってしまったのは、帰りの電車のなかでの会話からだった――……。



 乗客の少ない電車内で、あたしたちは並んで椅子に座っていた。電車の適度な揺れに揺られながら、のんびりと話しをし帰路の時間を過ごしていた。


 初めは観てきた映画や過去の名作などの話しで盛り上がっていた。しかし、車窓から見える風景が見慣れた町に変わってくると、話題も学校や授業などに変わっていった。それは楽しかった休日が終わり、またいつもの日常が始まってしまうという、少し寂しい変化でもあった。

 そんな寂しさを感じながらも、あたしは高校に入ってから持っていた疑問を洸太にぶつけてみた。


 それは部活についてだ。


 洸太は中学の時、陸上部に在籍していた。成績も優秀で、将来有望なんて周りから言われていた。あたしも洸太が頑張っている姿は見て知っていた。それに、尊敬もしていた。何より、洸太自身が走ることを楽しんでいた。だから高校に行っても、洸太は陸上を続けると思っていたのだ。


 しかし、高校生になった洸太は陸上を辞め、叔父さんのカフェでバイトを始めたのだった。

 意外な選択に理由が気になっていた。だけど、自分が神志那先生の傍に居たいという不純な動機で、高校に入っても続けるつもりでいた部活を辞め美術部に入ってしまった手前、何となく聞きにくく聞かずじまいでいたのだ。


 それを、今日が良い機会だと考え、尋ねることにした。

 質問に対しての答えは「何となく」だった。その曖昧な答えに拍子抜けしていると、逆に洸太が尋ねてきた。


「なんで、美術部なんて入ったんだ?」


 あたしは返事を渋った。

 素直に神志那先生の傍に居たいからなんて言えるはずもなく、あたしの答えも洸太と同じ「何となく」になってしまった。

 洸太は呆れたように笑みを浮かべながら、


「部活、楽しいか?」


 と、続けて聞いてきた。


 あたしは、さらに返答に困ってしまう。邪な理由で入部したのだ。絵を描くという楽しさを、誰よりも感じることはできていない。それどころか、今はルーチェの存在や隠しきれなくなってしまった気持ちなど、様々な感情が入り乱れてしまい、美術の楽しさを感じる余裕なんてないのだ。

 それでも、あたしは洸太に悟られまいと、少し間をおき「楽しいよ」と、心ない返事をかえした。



 それからだ。洸太の表情が変わり、話し掛けても「ああ」や「うん」などと、素っ気ない返事しか返ってこなくなったのは。

 何かを考えているようだが、あたしにはそれが分からない。しだいに話し掛けることもしずらくなってしまい、沈黙のまま地元の駅に着いてしまったのだった。



「ねえ、洸太。どうしたの? さっきから、黙ったままで」


 沈黙の重みに耐えきれなくなり問いただすが、やはり返事はない。

 あたしは返ってこない返事を待つよりは、この沈黙から逃げ出すことを選んだ。少しずつ歩く速度を速め、急ぎ家路に向かう。



「……なあ、美夜。お前、本当に楽しいのか? 今のままで良いのか?」


 少し後ろを歩いていた洸太が、足を止め口を開く。

 あたしは洸太が言わんとしていることが理解できていなかった。でも、やっと話し掛けてくれて、沈黙の苦痛から解放されることが嬉しく、晴れた気分で振り返った。



 ――しかし、その嬉しさは一瞬で打ち消されてしまった。



 洸太の表情は少しも変わっていなかった。それどころか、思い詰めたような感情も加わり、深い感情が現れたものになっていた。


「…………洸……太?」


 夕焼けの赤い光が、色素の薄い洸太の髪を染めている。そのせいなのか、目の前に立っているのが、自分の知る洸太に見えなかった。

 再び口を閉ざし、静かにあたしを見据える姿は、知らない男の姿だった。


「……ど、どうしちゃったの?」


 今までより、さらに重い空気で息が詰まりそうになる。言葉を上手く出すこともできない。

 洸太が無言のまま、一歩近付いてくる。あたしは反射的に一歩下がってしまう。


「洸太……何か、変だよ」


「……変? 変なのは美夜も同じだろ」


「どういうこと? あたしが変って、何が?」


 煽り言葉を受け、つい口調が強くなってしまう。洸太は苦虫を噛み潰したような顔をし動かない。


「いつまで……あんな奴のこと追いかけているんだよ」


「――――えっ!?」


 心臓が止まりそうだった。

 まさか……洸太は知っているの? あたしが神志那先生に抱いている気持ちを――


「な、何、言ってるの。あたし……」


 どうにか誤魔化そうとするが、動揺で頭が真っ白になり言葉が浮かんでこない。


 でも、何で洸太があたしの気持ちに気付いているの?


 たしかに、あたしは分かりやすい性格かもしれない。常に一緒に居て、色々な話しをしていた結衣が、本人よりも早く気付いていたのは理解できる。――でも、洸太は違う。あたしの夢の話も知らない。神志那先生の話題を出したこともない。それどころか、選択教科で美術を取っていない洸太は、神志那先生と全く接点がない。

 それなのに、あたしの気持ちに気付き、その相手まで知り得るなんてあり得ない。


「――いたっ」


 いきなり洸太の手が伸びてきたかと思うと、その手はあたしの両肩を掴んだ。無意識に力を入れているのか掴まれている場所にジンジンとした痛みが走る。痛みで顔を歪めるが、それが洸太に届くことはない。

 一瞬だけ切なそうな顔を見せた洸太は、そのまま俯いてしまい、顔をあげない。


「……美夜は、昔からそうだ」


 洸太の手から力が僅かに緩む。肩から痛みが退いたことで気が付いた。その手が微かに震えていることに。どういう心境が現れた震えなのか分からない。でも、あたしはその手を振り払うことはできなかった。


「ずっと、そうだ。お前は……あいつばかり……」


「…………」


「強い奴を求めて――」


「…………? ちょ、洸太? さっきから、何を言っているの?」


 最初こそ神志那先生への気持ちに対して言っているのかと思った。……でも、どこか様子がおかしい。しだいに感情がこもり語尾が強くなってくるが、言っていることが妙だった。


 「昔から」「ずっと」「強い奴」……、どれも意味不明だ。


 神志那先生と初めて会ったのは、去年の夏。まだ一年も経っていない。そんなに昔というわけではない。ましてや神志那先生は「強い奴」という印象ではない。どちらかと言えば、線が細く「強い奴」からは程遠い印象だ。

 だからこそ、洸太の言っていることが理解できなかった。


 戸惑うあたしを横に、再び洸太は口を閉ざす。そして、ゆっくりと顔を上げた。


「…………えっ……!?」


 あたしは息を呑んだ。

 今、自分が見ているものが信じられず、声も出せない。



 あたしを真っ直ぐ見据える洸太の瞳が、赤く染まっている――



 夕日は髪を赤く染めるているが、決して夕日の色なんかじゃない。黒い瞳が鮮やかな血のような赤に変化している。

 現実では起こりえない変化に、あたしは赤い瞳から目が離せなくなっていた。その瞳を見ていると、なぜが胸の奥に今までにない感情が湧き上がる。


 赤い瞳は静かな動きで、眼前に近付いてくる。そして、唇に触れる柔らかな何か――


「――――っ!!」


 何をされているのか頭では理解できていなかった。が、身体は即座にそれを拒絶した。


 突き飛ばされ、洸太はよろよろと後退る。

 その衝撃で我に返ったのか、洸太は自分のした行動に驚いた様子だった。口を手で覆い、驚きのなかにも後悔が現れる顔であたしの方を見ている。向けられた瞳は、いつもの黒い瞳に戻っていた。


 少し遅れ、あたしも自身がされたことを理解し、急に怖くなった。

 唇が触れていたのは、ほんの一瞬だったかもしれない。だけど、突然の出来事で混乱し時間の感覚なんてなくて、どのくらい触れていたかなんて分からない。


 洸太があんなことをするなんて……。


 あれは、洸太の気持ちがさせた行動なの? でも、そんな素振りを見せたことなんて、今までなかった。単純に、あたしが気付かなかっただけ? ただの幼馴染みだと思い、洸太の気持ちを見ようとしていなかっただけ?



 だけど、あの意味不明な言葉は?



 ――そして、あの鮮やかな赤い色の瞳。



 今、目の前に居るのは本当にあたしの知る“洸太”なのだろうか。


 不安、恐怖、疑問……様々な感情が渦巻いている。色々な思いや考えが湧き上がってくるけど、一切まとめることができない。溢れる感情に押されるように、両目から涙が流れ出てくる。


「――あっ。美夜……」


 涙に気付いた洸太が近付いてくる。あたしは無意識に避けるように離れた。


「…………」


 一定の距離を保ったまま、お互い声をかけることもできない。これ以上、洸太の傍に居るのが辛かった。逃げ出したかった。


 あたしの足は一歩、また一歩と洸太から離れていく。離れていくあたしの姿を、洸太はその場から動くことなく、苦し気な顔で見ている。


 ゆっくりと離れ、しだいに歩幅も広がる。


 あたしは洸太に背を向け、一心不乱に太陽の沈みかけた町を走り出していた。



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