01
季節は梅雨の時季に移り、じっとりとした空気を纏った雨が降る日が続いている。
どんよりと重い雲に覆われた空は、夢でみるあの空に似ている。だけど、そんな空の下を歩いても、夢のなかのような興奮を覚えることはない。どちらかと言えば、そこから降り続く雨のように、落ちていく気分になる。
「もー、美夜。どうしたの? 最近、元気ないみたいだけと」
ぼんやりと上の空なあたしに、結衣が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……うん。ちょっとね」
声に覇気がないのが自分でも分かる。
「どうした? 悩みか? 悩みなら、いくらでも相談にのるぞ」
「…………」
「…………」
突如、湧いて出た洸太にあたしたちは言葉を失う。
「んー? どうしたんだ、二人とも変な顔して」
あたしたちの気持ちなど微塵も察することなく、洸太はどーんと側に立ち、悩みが語られるのを待っている。
あたしと結衣は、お気に入りの雑貨カフェに来ている。放課後や休みの日など時間があれば、ここに来て雑貨を眺めたり、店長自慢のケーキを食べたりしている。遊びに出掛ける時も、一旦はここで待ち合わせをして一息いれてから出掛けている。
日曜日の今日も、外がよく見える窓の側の定位置に座り、結衣とお茶をしていたのだ。
そんな二人の場所に現れた洸太。
カフェの制服に身を包み、空のトレイを手にした洸太は悠然とテーブルの横に居る。
ここは、あたしたちのお気に入りのでもあるが、洸太のバイト先でもある。と、いうかここは洸太の叔父夫婦が経営している店なのだ。オーナー兼カフェ店長を叔父さんが、雑貨関係を叔母さんが取り仕切っている。
あたしたち三人は、小さな頃からこのカフェに寄っては、お菓子やジュースを貰ったりしていた。さすがに中学生くらいになると、遊ぶ友達や関心事などが男女で違い始め、この場に三人が揃うということは減っていた。
しかし、高校になると同時に洸太がここでバイトを始めたことで、自然と昔のようにこのカフェで顔を会わせることが多くなっていた。
「……洸くん。女の子の会話に入ってこないの」
いつまでたっても離れていかない洸太に、思い余った結衣が幼い子に言い聞かすように優しく叱る。
「あー。それは、すまん。いやね、この間言ってたお礼でもしようかと思って」
緩く言われたせいか、自分が叱られたことを理解していない。全く悪びれる様子がない。
「えっ!? 洸太、お礼のこと覚えてたんだ」
わざとらしく大袈裟に驚いてみせると、洸太は子供っぽく拗ね、唇を尖らせる。
「そんなことを言う子には、サービスは無しといたします」
さらに子供っぽく反抗する洸太。そんな姿に自然と笑みがこぼれてしまう。
「そんなこと言わずに、お願いしますっ」
さっきと同じように大袈裟にお願いをしてみると、洸太は満足そうにフフンっと鼻をならした。
「そこまで言うなら仕方ない。すぐに持ってくるから、待ってな」
軽い足取りでカフェの奥に戻っていく洸太を見送ると、結衣が先程と同じように尋ねてきた。
あたしは言うべきか悩んだ。
いや、単に自分の気持ちを口にするのが、照れくさくて恥ずかしいだけなんだけと……。なんか、言おうとしただけで顔が熱くなってしまいそうだ。でも、心配そうにしている結衣を見てしまうと、これ以上黙っていることに心苦しさを感じてしまう。なぜだか結衣は、あたしのことになると、異常なほどに心配性になるのだ。
「うーん。何て言うか……『憧れ』と『好き』は、似ているけど違うんだなって気が付いてね……」
結衣が大きな瞳をぱちくりとさせる。そして、心の底から安心しきったように、強張っていた表情を緩ませた。
「なーんだ。よかったぁ」
「えっ? どういうこと?」
困惑するあたしと違い、結衣はどこか嬉しそうだ。
「だって、美夜って無理に『憧れ』だって思い込もうとしているみたいに見えたから。どう見ても『好き』って気持ちなのにね」
「――えっ? ええっ!? 結衣、分かってたの? ……って、もしかして、あたしって分かりやすいの?」
自分が気づくよりも早く、結衣が気づいていた。その事実を受けた恥ずかしさは、今まで感じていた照れくささを軽く凌駕してしまう。全く、別の意味を持つ恥ずかしさで、顔が熱くなる。
結衣は幼馴染みで親友だから、あたしは色々と話していた。あたしは知らず知らずのうちに、神志那先生を好きだという気持ちを漏らしていたのかもしれない。その過程で結衣は気づくことができた。……そう、思いたかった。
もしかしたら、あたしはすごく分かりやすい性格なのかもしれない、という不安もよぎる。そう考えると、先日のことがなくても、神志那先生に気持ちがバレているのでは……と、頭がパニックになりそうだった。
「……神志那先生も、気づいてるかな……?」
「それはどうだろう。わたしは先生じゃないから分からないけど……。って、何か気になるようなことでもしたの?」
「えっとね……実は……」
あたしはあの日のことを掻い摘まんで話した。話しを聞いていた結衣は、すぐ横にいながらその場面を目撃できなかったことを悔しがっていた。
「うーん。どうなのかなぁ。密着しすぎで照るてしまうなんて、異性相手なら普通にあったりするよね。相手が格好良かったら尚更。で、生徒が照れて赤くなった顔見て、自分が好意持たれてるって大人が思うもんかな? あっ……でも、その時の美夜の顔がただ照れてるだけじゃなくて、恋する乙女全開な表情だったら、分かんないけどね。結局、その人がどう感じ受けとるかなんては、他人には分かんないことだよね」
結衣ははっきりと断言しない。「しない」というより、「できない」と、言った方が正しいんだろうけど。あたしは神志那先生が気持ちに気づいていないということを、ただ願うだけだった。
「それはそうと、何が切っ掛けで気づけたの?」
「……切っ掛け?」
その言葉に反応するように、神志那先生とルーチェが並んだ姿が脳裏に浮かび上がる。
「……たぶん、ルーチェだと思う」
「ルーチェさん? 彼女が、どうして?」
「分からない。でも、ルーチェと先生が並んだ姿を見たら、すごく不安で怖くなったんだ。……そして、すごく羨ましくも思った」
おそらく、性別を問わず誰をも惹き付けてしまう『ルーチェ』という存在が現れたことで、あたしは焦ったんだと思う。
神志那先生もルーチェに惹かれてしまうって……。
それが切っ掛けで、あたしの内にあった『憧れ』という思い込みが壊れてしまった。そして、必死に隠していた『好き』だという気持ちが表に出てしまった。
……でも、どうして『好き』という気持ちを隠したかったんだろう。
夢という曖昧なものから始まった気持ちだから?
先生と生徒という関係だから?
――それとも、別の何か?
「ルーチェ・エタンセルマンが、どうしたって?」
自分の気持ちを理解しようと、心のなかで自問自答していると、それを邪魔するように入り込んでくる声。いつのまにか洸太が戻ってきていた。片手にはトレイを持ち、もう片方にはポットを持っている。
「だからね、洸くん。女の子の会話には入り込まないのっ」
笑顔だが、結衣の口調はさっきよりも若干きつくなっていた。この変化には、さすがの洸太も気付いたのか、「はいはい」と返事をし、そそくさと慣れた手つきで、あたしたちの前にケーキプレートをセットし、空になっていたカップに紅茶を注ぎ入れた。
置かれたプレートには、二種類のケーキがバニラアイスと共に可愛いらしく盛り付けてある。一つはフルーツのロールケーキ。これは何度か食べたことがあるが、以前のものより微妙に感じが違う。そして、もう一つはムースケーキ。スポンジの土台に、色の濃淡の違う淡いクリーム色のムースが二層に重ねられ、上には薄くカットされた南国系のフルーツが飾られている。こちらの方は、見たことのないものだ。
「洸くん。これが、お礼なの?」
結衣の問いに、洸太は首を振り答える。
「違う、違う。これは店長からのサービス」
「じゃあ、洸太のお礼は何なのかな? さぞかし、良い物なんでしょうね」
ケーキが店長からの新作試食サービスだと知っていたあたしは、出し渋る洸太に少しだけ嫌みっぽく言ってみた。
「俺からの、お礼の品はこれだよ」
洸太は制服のポケットから何かを取り出し、あたしたちの前に置いた。
「あら、可愛いじゃない」
「ほんと、洸太にしては可愛らしいセンスだね」
それは、陶器で出来た小さな置物だった。
結衣には小さく丸まった姿のウサギ。あたしには、お座り姿勢の犬。手のひらに乗るくらいの、小さくて可愛い陶器の置物。
「可愛いだろ。叔母さんが新しく仕入れたんだ。これ見た時、直感的に二人にはこれだなって思ったんだ。――ああ、ちなみに、結衣は小さくてフワッとしたイメージでウサギを。美夜は、いつもガウガウ言って走っているイメージから狼を選ばせていただきました」
「えっ!? これ、犬じゃないの? たしかに、犬にしては尻尾も太いし、顔も凛々しい感じだけど……って、あたしのイメージって、こうなの?」
結衣のウサギのように可愛い小動物じゃなかったこともだが、「ガウガウ」に「走っている」という、少々荒っぽいイメージを他人には持たれているということは、地味にショックだった。
あたしに、結衣のような女の子っぽい可愛らしさ成分が少ないことは、自分自身でもしっかり認識している。でも、さすがに「ガウガウ」というような野生っぽさは無いと願いたい。……だけど、「走っている」に関しては、心当たりが無いわけではない。
「美夜ってさ、ちょくちょく学校にギリギリで来るよな。しかも、結構な猛ダッシュで来てるよな」
やっぱり、それだったか。
嫌な予想が当たり、へこんでしまう。
「分かりやすいんだよ。美夜ってさ。教室に入ってきた時の顔が、『全力疾走でやって来ました』って言ってるからな」
「…………えっ……? あたし、そんな分かりやすいの?」
洸太は頷き、結衣はソッと視線を逸らす。
「走っている」というイメージだけでなく、「ガウガウ」というイメージも、あながち間違ったものではなさそうだった。
地味なダメージを受けるなか、追い討ちをかける「分かりやすい」という言葉。
さっきの結衣との会話のこともあり、あたしの頭のなかは再びパニックを起こしそうだった。二人が幼馴染みだからだと願いたいが、もしかしたら……という不安。
そして、パニックのど真ん中の思考で、ふと気付く。今、こうやって悩んでいる姿も周囲には丸分かりなのでは……。
その時、頭上に軽い衝撃が走った。
痛みはないが、あまりに突然で何が起こったのか理解できないでいた。だが、衝撃を受けた場所のさらに上の方から、ため息が漏れる音が聞こえてくる。ゆっくりと視線をため息の方へと向けると、そこには呆れたように、あたしを見る洸太の姿があった。なぜか、洸太の腕はあたしの頭の方に伸びている。そして、その先にはトレイを持った手がある。
衝撃の原因が判明した。あたしは、洸太の持つトレイでぶたれていたのだ。
「ちょっと! なんで、いきなりぶつの!」
少しきついくらいの口調で言ったのだが、なぜか洸太の表情は呆れ顔から笑顔に変わる。
「そうそう。美夜は、そのくらい迫力があった方が良いよ。グダグダ悩んで落ち込んでるのは、らしくないよな」
そう言いながら洸太は、もう一度あたしの頭にトレイを落とす。
……そうだ。洸太はいつも、こうなのだ。
昔から、あたしが落ち込んだりしていると、こうやってからかい半分で構ってきて、あたしを怒らせていた。
……でも、分かっている。これが洸太なりの慰め方だということを。方法としては、荒っぽくて不器用なやり方。しかも、対象はあたし限定。結衣には、もっと優しく接している気がする。
そんな風な慰め方だけど、不思議とこれで元気になれていた。今日も、この不思議な慰めで、あたしの気持ちは少しだけ楽になれたような気がしていた。
しかし、昔からこのやり方が変わってなくて、あたしもこれが慰めだと認識していた。ということは、やはりあたしは単純で分かりやすい性格なのかもしれない。
結局、乱入してきた洸太とのやり取りが続いてしまい、あたしの悩み相談はうやむやのまま終了になってしまった。
あたしたちはサービスで出されたケーキを堪能しながら、他愛ない会話を楽しんでいた。
今日は日曜日なのに、朝から雨が降ったり止んだりだ。正直なところ、こんな空模様で外に出掛けるということも億劫になり始めた気分だった。
ケーキを口に運びつつ、ぼんやりと窓の外を眺める。雨の降る外の景色は、黒く厚い雲のせいで太陽の光が地上に届かず薄暗い。だけど、行き交う人がさす傘の花が咲き誇り、その暗さを打ち消している。
何となく眺めていた景色に、なぜか違和感を覚える。それが何なのかな考えていると、ふいに感じた気配にビクリと身体が跳ねた。
「最近、金髪のやつが目立つよな」
それを言ったのは、紅茶のおかわりを注ぐために現れた本日三度目の洸太だった。
「あー、言われてみればそうだね」
洸太の言葉に釣られるように、外に視線を向けた結衣も言う。
あたしは、自分の感じた違和感が何なのかな理解できた。
まさに、洸太のセリフそのままだった。
窓の外を歩く人々を見て感じた違和感。
黒髪、茶髪が基本の人の流れに混じり、金色の髪がやたらと目につくのだ。ぼんやりと眺めていた数分間の間に、二、三人は見かけた気がする。思い返してみれば、登校中や遊びに出ている時も、何度か似たような感覚を覚えることがあった気がする。
単純に金色に染めているだけなら、特に気にはならないかもしれない。だけど、その人たちは一様に白い肌に青い瞳をしているのだ。
それは、お人形のような姿のルーチェ・エタンセルマンを連想させる。
――ゾクリ。
背筋に冷たいものが走る。お人形のような整った美しさの彼らの姿を見ていると、理由の見えない恐怖が襲ってくる。
あたしは窓の外から視線を逸らし、注がれたばかりの熱い紅茶を一気に飲み干した。