01
――熱い。
――苦しい。
あたしの身体を苦痛が襲う。
男の悲鳴。女の悲鳴。子どもの悲鳴。耳を覆いたくなるほどの声が至る所から聞こえてくる。
ここはいつもの場所ではない。赤土色の景色は変わらないが、ここには木が生え、草が生え、家もある。人々の生活が見える場所だ。
しかし、今、それは壊されようとしていた。
辺り一面を襲う、蒼い炎。生き物のように蠢き、命ある物、無い物、関係なく燃やしていく。
夢のあたしは息を切らせ必死に逃げていた。誰かの腕を掴み、一緒に赤い大地を駆ける。――あの蒼い炎から逃げるために。
「――――ああぁぁっ」
背後から聞こえてきた苦しむ女性の声。そして、掴んでいた腕から重さが消える。だけど、誰かの腕を掴んでいる感触は残っている。確実に腕を掴んでいる。でも、その腕に人の重さが感じられない。
ゆっくりと自分の腕を前に動かし、視界に入れた。
「――――っ!!」
たしかに夢のあたしは誰かの腕を掴んでいた。だけど、視界に映るのは短い腕だけ。――その腕は肘から上が無かった。しかも、何かに切られたのではなく、そこから上が黒く焦げ落ちたように無くなっていた。
まだ肌の色が残る誰かの腕。それを掴んでいる自分の手が震えている。心を占めていた恐怖が絶望へと変わっていく。
だけど僅かにある信じたくないという気持ちが、身体を振り向かせる。
「ああぁっ――……」
ボトリと、誰かの腕を地面に落としてしまう。しかし、腕の主である女性は、それを見ていない。両膝を地面に着き、天を仰いでいる。
彼女の身体には、あちこちに黒い染みが浮き上がり、じわりじわりと広がっている。天を向き、大きく開いた口からは苦しみもがく呻き声を上げ、肉の焼けていく臭いを伴った黒い煙を吐き出している。そして、残った片方の腕と肘から下が崩れ落ちたもう一方の腕で、苦しそうに胸を掻きむしっている。
夢のあたしは、その姿を茫然と眺めている。
――バシャン。突如、冷たい水が二人に浴びせかけられる。全身を覆う冷たさで、夢のあたしは自分を取り戻すことができた。でも、目の前の女性の身体からは黒い染みが消えていくことはなかった。
「くそっ! 何で、消えねぇんだよっ!!」
自分と似た獣の耳と尻尾を持つ赤い瞳の青年が、持っていたバケツを地面に叩きつけ吠える。
「――てめぇ。あいつらの仲間なんだろ。何とかしろよっ!!」
青年はいつの間にか側に居た黒い翼の男性の襟首を掴み、食って掛かる。
「そうだよ。――の能力なら、助けられるんでしょ。――を助けてよっ」
黒い翼の男性は言われるがまま、苦しむ女性に近づき手を触れる。しかし、すぐに手を離し、悲しそうに首を横に振った。
「ここまで浸透していては、私の能力でも無理だ」
「どうしてっ!! お願いだから」
今度は夢のあたしが男性の腕を掴み懇願する。感情が制御できないのか、鋭い爪が男性の腕に食い込み、服に赤い染みを滲ませている。だが、男性は「すまない」と、辛そうに言うだけだった。
「なんで……、どうして……こんな事になったの……」
がくりと力なくその場に膝をつき崩れる。夢のあたしはが初めて見せる、弱々しい姿。獣のように勇ましかった姿は、見る影もない。
「おいっ! じっとしていたら、俺たちも焼かれるぞ」
立ち上がらせようと、赤い瞳の青年が腕を掴む。しかし、夢のあたしはその腕を乱暴に振り払い、我が儘な子どものように抵抗する。
その時だ。視界の端で黒い影が素早く移動した。そして、それを視線で追う夢のあたしの頬に、温かく鉄の臭いがする液体が降り掛かってきた。それが何なのか理解する間もなく、今度は覆い被さるように黒い翼の男性が倒れてきた。
男性の身体には一筋の深い刀傷。そこからは鮮血が止めどなく流れ、白い服を赤く染めている。
夢のあたしの身体は震えていた。恐怖、絶望。強い負の感情が心を蝕んでいく。
あたしたちの側に、金色の髪の男が近づいてくる。彼の背には真っ白な翼がある。
美しい白い翼に反し、男は醜く歪んだ笑みを浮かべている。手にした剣から滴る血を振り払い、一歩、また一歩と近づいてくる。
そして、その男の背後には同じように白い翼を持つ少女が立っていた。
少女はフワフワと波打った長い金色の髪を風に靡かせ、微笑んでいた。
お人形のように愛らしい顔で――
◇ ◇ ◇
「――いやああぁぁぁっ!!」
あたしは自分の悲鳴で目を覚ました。
全身にじっとりと汗をかき、心臓はこれでもかと言わんばかりに早鐘を打っている。
「……な、なに……、あの夢……」
身体を起こし、今しがたの夢を思い返す。
しかし、今朝の夢は衝撃的な内容にも関わらず、記憶は曖昧だった。霞がかったみたいに、ぼんやりとしている。その一方で、強く鮮明に残っている部分もある。
横たわり、血に濡れた黒い翼の男性。あたしを襲う絶望的な恐怖。そして、顔は覚えていないが、はっきりとシルエットの記憶が残る、白い翼を持つ少女の姿。
部屋中に充満しているかのごとく、鼻腔に残る血の臭い。カーテンの隙間から見える早朝の青空が、自分たちを襲う蒼い炎のように錯覚する。
「…………」
時計はまだ六時前を指している。いつもより、一時間近く早い。でも、だからと言って、二度寝はしたくなかった。寝てしまえば、またあの悪夢の続きを見てしまいそうだったから。
枕元に置いていた携帯を手に取る。ゲームでもすれは気が紛れると、思ったからだ。しかし、画面を見ただけで、そんな気分は失せてしまう。メール受信や着信の知らせの無い携帯を、元の位置に放り投げる。
「……洸太……。ホントにどうしちゃったの……」
気を紛らわすこともできず、二度寝もできないあたしは、リビングでテレビを観ていようと思い、部屋を出た。