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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
壊れ始める世界
17/35

07

 いくら神志那先生に安らぎを求めようとも、どうにもならないこともある。たとえ話すことができても、不安が完璧に消えることはないだろう。いっとき不安の上澄み部分だけが掬い取られるだけで、洸太の安否が分からなければ不安が根底から消えることはない。

 しかも今日は珍しく神志那先生が美術室に滞在していない。それが余計に不安を煽ってしまう。


 部活が始まっても、あたしは携帯を手放さずにいた。何度も何度も画面を気にし、洸太の名が表示されないか確認していた。


「美夜さん。なーに、部活中に携帯を見ているんですか?」


 ルーチェが手元を覗き込もうと腰を屈める。花のような甘い香りが鼻をくすぐり、波打った長い金髪があたしの頬に触れた。


「――――っいや!!」


「きゃあっ」


 短い悲鳴が聞こえ、金色の髪が遠ざかる。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかったが、周囲のざわめきで自分のしたことに気付かされた。

 あたしの両手がルーチェを突き飛ばしていた。


「あ……。ルーチェ……ゴメ……――っ!!」


 背筋がゾクリとし、息が止まりそうになった。

 ルーチェの青い目が鋭くあたしを睨み付けていた。突き飛ばされただけで、これほどまでに憎しみが込められるのかと思えるほどの視線。

 普段、穏やかな笑みを浮かべている姿からは想像できないほどに、冷酷で残忍さを秘めた青い瞳……。だが、その姿は一瞬でいつもの様子に戻っていく。穏やかで慈愛に満ちた瞳に、優しく柔らかく口角を上げ微笑む口。

 そして、それは悲しみを表す姿へと変化していく。


「ごめんなさい。いきなりで驚かれてしまったのね」


 泣きそうな表情を浮かべ、ルーチェはあたしの前に立っている。何も言えないあたしは、その姿をただ見ているだけだった。


「…………」


 あたしは怖くなった。機械的に変化していくルーチェの綺麗すぎる表情が……。だけど、なぜ自分がルーチェを拒絶したのか分かった気がした。


 あたしは恐怖を抱いていたのだ。彼女の作り物のような笑顔と、彼女の長い金色の髪に……。


「ちょっと、犬塚さん。ルーチェに謝らないの?」


「そうよ、いきなり突き飛ばすなんて酷いじゃない」


 美術室に居た生徒の数人が、突然あたしを責め立て始める。理由はどうであれ、あたしが悪いことにかわりはない。しかし、彼女たちの発する言葉は常軌を逸していた。必要以上に酷い言葉で罵り、それを止めることなく加速させていく。

 なぜ、ここまで責められるのか分からない。隣に居る結衣や、この集団に入っていない数人の生徒も、どうして良いのか分からず困惑している。


 なおも責め続けられ、謝るタイミングさえ奪われている。どんどん追い詰められていくあたしの姿を、集団の中心に立つルーチェがうっすらと笑みを浮かべ見つめている。


「おい、おい。どうしたんだ?」


 感情的な女性たちの声を抑える男性の声。神志那先生が戻ってきたのだ。

 すると、どうしたのか責め立てる声が一斉に静まり、何事もなかったかのように皆、部活を再開し始めた。ただ一人、ルーチェだけが僅かに表情を変え、あたしを見据えていた。


「おい、喧嘩でもしたのか?」


 先程までの雰囲気で察したのか、神志那先生は美術室の真ん中で対峙する二人の間に入り、仲裁の為に互いの話しを聞こうとする。


「いえ、何でもありません」


 ルーチェは笑顔で言うが、その声はとても不機嫌そうだった。


「犬塚はどうなんだ?」


 話しを聞こうと、神志那先生がこちらを向く。


「…………」


 我慢しようとしたけど、無理だった。

 神志那先生の顔を見たとたん、あたしの涙腺は崩壊した。


 あの日と同じだ。心のうちで必死に塞ぎ止めようとしていた感情が、先生の顔を見た途端に溢れ出てしまう。

 また神志那先生を困らせてしまう。そう思い涙を止めようとするが、一度溢れ始めた涙は止めることができない。


「犬塚。どうしたんだ? 落ち着いてごらん」


 優しく声をかけてくれる先生。だけど、その声に返事をかえすことができない。


「……美夜」


 結衣も落ち着かせようと、背中を擦ってくれている。あたしは向けられる優しさに、ただ泣いて応えるしかできなかった。


「犬塚。こっちにおいで。静かな場所で落ち着かせよう」


 神志那先生はそう言うと、あたしの背に手を回し美術準備室へと導いた。



 物が溢れ、少しホコリっぽい狭い部屋。普段、開きっぱなしの美術室と準備室を繋ぐドアが閉められ、完璧に隔離された世界が作られる。


 先生はパイプ椅子を二脚取り出し、一方をあたしに座らせ、向かい合う形で先生も椅子を広げ腰を下ろした。


「……犬塚。一体、何があったんだ?」


 しばらく泣き通し、いくらか感情の高揚が収まり始めた頃、先生は再び尋ねてきた。


「…………怖いんです」


「怖い? 何がだ」


 言おうか、少し躊躇いがあった。しかし、あたしはあの日と同じように、先生に救いを求めてしまった。


「…………ルーチェが」


「エタンセルマンが……か」


「それだけじゃないんです!」


 胸に広がる不安が、言葉という形になり溢れる。


「洸太が……洸太が居なくなった……」


「洸太って……押上洸太か?」


 感情のまま力強く頷く。


「昨日、あれから洸太と話す切っ掛けができて、自分の気持ちも伝えることができたんです。これで元に戻ることができるって思っていたのに……。洸太……今日、学校を休んで……。しかも、無断で。連絡もとれないんです」


「熱でも出て、寝込んでいるんじゃないのか?」


 結衣と同じことを言う先生を否定する。


「違いますっ!! ……絶対に……」


「しかしな……」


「今朝、公園で殺人事件があったの知っていますか?」


「……ああ、知ってるけど。それが、どうしたんだ?」


 突然話題を変えられ、神志那先生は怪訝そうにする。


「あの事件の被害者……。あたしたち昨日、見かけたんです」


 確かな確証はない。でも、あたしは完璧に被害者をあの白いスーツの男性だと認識している。そして、洸太と関わりがあるようにしか考えられなかった。


「その人、あたしたち……いえ、洸太を見て笑ったんです。とても嫌な感じのする笑顔で。その人を見てから、洸太もどこか様子がおかしくなった。ずっと、何かを警戒しているみたいで」


「それはそうだろう。変な人間を見れば誰でも警戒はする。ましてや、女の子連れならば、その子に何かないように余計に警戒するだろう。犬塚はその事件に押上が関わっていると思っているのか?」


「――だって、昨日の夜から連絡が……」


「だがな、連絡がつかないだけで、関連付けるのは短絡過ぎやしないか?」


 神志那先生は洸太と事件の繋がりを、意識的に否定しようとしている。


「……でも、おかしいんです」


「何がだ?」


「最近、色々とおかしい気がするんです」


 ――ピシッ。


 高ぶっていく感情に合わせ、耳許でガラスがひび割れていくような音が聞こえてくる。


「今まで、人が燃えるような事件なんてなかった。獣に引き裂かれるような事件も」


 ――パリッ。


「洸太の瞳の色が、あんなに赤く染まることもなかった! この町に金色の髪の人なんて居なかった!」


 ――ピシ、ピシッ


 身体が震える。声が大きくなっていく。

耳許で聞こえる音が大きく複雑になっていく。


「――――おかしいっ! ルーチェが来てから、世界がおかしくなり始めたっ!!」



 感情が、音が止まらない。



「あたし、怖い……。金色の髪が……ルーチェが……」


 全てを吐き出した、その刹那――


 ガタンと、椅子が倒れる音がしたかと思うと、あたしの身体は神志那先生の腕に抱かれていた。力強い両腕が、あたしを包み込んでいる。


 自分に起こっていることが理解できなかった。けど、顔を埋めている胸から聞こえてくる鼓動は強く感じることができる。その音は、耳許で聞こえていたガラスがひび割れていく音を、どんどん打ち消していく。


 そして、二人の鼓動が同調するように重なっていく。


「落ち着け、美夜。お前は大丈夫だから」


 落ち着いた低い声で囁く。神志那先生の手が、あたしの髪を優しく撫でる。


「……神志那……先生」


 あんなに高ぶっていた気持ちが、不思議なほどに静かになっていく。



 そして、感じる。



 やはり、あたしはこの温もりを知っている――




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