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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
壊れ始める世界
14/35

04

 部活などが終わった後の学校はとても静かだった。

 生徒はほとんど帰宅してしまい、普段なら喧騒で掻き消されてしまう小さな足音でさえ、今は廊下に反響して響いている。それは、ほんの少しだけ寂しさを感じさせるような音だった。


 階段をかけ上がり、無人になり普段より広く感じる教室に入る。自分の机、ロッカーと順番に探すが、そこに目的のサブバッグは見当たらない。

 ここにないとなると、思い当たる場所は一ヶ所しかなかった。


「もしかして、美術室なのかな……」


 その場所しか思い当たらないけど、そこに向かうには躊躇いがあった。しかし、部活が終わってかなりの時間がたっている。それは教室の時計を見ても、教室を赤く染める夕刻の太陽を見ても分かる。まだ学校を出ていないにしても、さすがに美術室に神志那先生が居ることはないだろうと、あたしは美術室へと向かった。



 階段を上がりながら、ふと鍵が閉まってたらどうしようと考えたが、いざ美術室の前まで来ると教室からは明かりが漏れており、ホッと安堵した。そういえば、コンクール前などになると先輩たちが遅くまで残ることがあると、誰かから聞いたような気がする。


「失礼しまーす」


 中に居るであろう先輩たちの邪魔にならないように、様子を窺いながら静かに扉を開け入る。しかし、美術室には先輩たちの姿はなく、がらんとしていた。



 そこには、ある人だけが居た。



 その人の姿にドキリとしてしまう。静まり返った教室に響き渡ってしまうのでは、と思うほどに胸の鼓動が強く打ち付ける。


「……神志那先生」


 キャンバスを前に、黙々と筆を走らせる神志那先生。真剣な眼差しでキャンバスを見つめる姿。初めて見るその姿に、あたしは美術室の扉を背に立ち尽くし見とれてしまっていた。


「……犬塚?」


 扉を開ける音にも、あたしの存在にもしばらく気づかずにいた先生が、驚いたようにこちらに顔を向ける。あるはずのない人間の気配で集中力が途切れたのか、あんなにもリズムよく走っていた筆の動きも止まっている。


「どうしたんだ? もう、帰ったんじゃなかったのか?」


 いつもと変わらない口調で問いかけてくる。


「……えっ、あの、忘れ物しちゃって」


 さっき結衣と話していたことを思い出してしまい、妙な照れくささを感じてしまう。それに加え、今この教室にはあたしと神志那先生しか居ない。つまり、二人っきりだ。今度は昨日のことを思い出し、つい意識してしまう。意識すまいと頭で考えても、やはり心は正直で心拍数はさらに増えていく。

 あたしは自分の気持ちを誤魔化そうと、可笑しくもないのに笑い、忘れ物をした自分を卑下しながらサブバッグを探した。


「あー。やっぱ、ここにあった」


 いつも座っている席の側に、自分が置いたであろうバッグが無造作に放置されていた。


「あははっ。あった、あった。汗だくの体操服」


 バッグを手に取ると、あたしはすぐさま教室を出ようとクルリと踵を返す。


「――犬塚。押上とは話せたか?」


 逃げようとしているのが分かったのか、神志那先生が真剣な声で尋ねてくる。あたしの足はピタリと止まり、顔を見ることもできずに首だけを横に振った。


「……無理でした。なんか、お互いに避けるような態度をとっちゃって……」


「そうか。まあ、昨日の今日だからな。意識するなという方が無理な話だな」


「…………」



 ――神志那先生は、あたしのことを少しでも意識していてくれていますか?



 そう、問い掛けてしまいそうだった。

だけど、その言葉は何とか声に出すことなく飲み込むことができた。


 洸太とのことが何一つ解決していないのに、あたしはまた同じ過ちを繰り返そうとしていた。


 自分がまた妙なことを口走ってしまう前に、この話題から遠ざかろうと、さっきから気になっていた物に意識を移した。


「先生。何の絵を描いているんですか?」


 あたしは軽やかに先生の方を向き、いつもの感じで尋ねた。


「ん? 気になるか?」


「気になりますよ。先生が絵を描いているところなんて、始めて見ますから」


 神志那先生は優しく微笑むと、おいでと、手招きをする。


「気になるかぁ。そうだよな。普段だと教えるばかりで、こうやって絵を描いていることなんてないからな」


 さすがに横に立つのは恥ずかしく、先生の斜め後ろに立ち、肩越しに描かれている絵を眺めた。


「――――えっ!? これって……」


 あたしの身体に衝撃が走った。


「急にイメージが湧いてきてな。何日か前から描いていたんだ」


 あたしが何も喋らないのは自分の絵に感銘を受けたからだと思ったのか、神志那先生は嬉しそうに絵の説明をしている。

 たしかに、先生の絵は素晴らしい。さすが美術教師。力強さや繊細さが丁寧に描写され、見惚れるような作品だ。実際、あたしは目の前に描かれた世界に心奪われていた。


 だけど、それは絵の美しさだけのせいではなかった。あたしはキャンバスに描かれた世界の存在に心奪われていたのだ。



 それは、あたしのよく知る世界。けれども、自分自身の目ではその世界を見たことはない。



 赤土色の大地に、同じ赤土色の石柱群。そして、黒い雲に覆われた空に覗く蒼く大きな満月。



 幼い頃から見ている、あの夢の世界に似た風景――



 なぜ、この風景を神志那先生が知っているの?あたしと先生は運命的な何かで繋がっている? 

 そんな風に期待してしまう。


 だけど、気付いてしまう。あたしの夢とは違う場所を。見える風景は同じ。けれども、そこには夢には居ないものが居た。



 ――赤土色の大地に佇み、天を仰ぐ一匹の灰色の狼。



 あたしの夢に獣に勇ましい女性は居ても、本物の獣は出てこない。その違いが、夢と現実が全く異なるものだと証明しているようだった。

 この風景も、幼い頃にテレビや本で見て強く印象に残っていたものなのだろう。世界中を隈無く探せば、これと同じ風景の広がる場所かあるのだろう。


 あたしは夢に縛られ過ぎているのかもしれない。夢に期待を抱き、自分で創り上げた現実との繋がりに希望を抱いている。

 なんだか、すごく惨めに思えた。


 ……だけど、聞かずにはいられなかった。


「…………先生。この風景って――」


 ――ガラガラッ。言葉を遮るように、突如教室の扉が開かれる。


「シオン先生、いらっしゃいますか?」


 開かれた扉から、金色のフワフワと波打った長い髪を揺らし、お人形のような愛らしい顔が覗き込む。先生の姿を確認するや否や、少女は舞うような軽い足取りでこちらに来た。


「どうしたんだ? エタンセルマンも忘れ物か?」


 ルーチェは神志那先生の発言の意味が分からず、可愛らしく首を傾げる。


「忘れ物? 違いますよ。私、シオン先生にお聞きしたいことがあって来たんです」


「聞きたいこと? 何だ?」


 ルーチェはチラリとあたしの方に視線を向ける。


「――あっ、あたし、忘れ物も見つかったし、もう帰りますね」


「お、そうか。気を付けて帰れよ。最近、何かと物騒だからな。寄り道せずに暗くなる前に帰れよ」


「はーい。分かってます。それじゃ、失礼します。ルーチェも、また明日ね」


「うん。美夜さん、さようなら」


 二人に手を振り、背を向ける。本当はもっと先生と一緒に居たかった。話しがしたかった。……だけど、ルーチェの目はあたしの存在を拒絶していた。

 彼女の目が怖かった。それに、二人の間に感じる独特の空気。それをこれ以上感じていたくなかった。早くこの場から逃れようと、扉に手をかける。でも、未練があるのか振り返り神志那先生の姿を追ってしまう。


 ルーチェはまだ同じ空間に居るはずのあたしの存在をすでに無いものとし、話し始めている。なぜだろう、彼女からは普段感じられない攻撃的な空気を感じる。


「シオン先生。“ルフト”って、ご存知ですか?」


「……るふと?」


 不可解な問いだった。芸術家の名前かなにかと思ったが、先生も分からないようで思考を巡らせ悩んでいる。妙な感じはしたが、これ以上ここに居ても仕方ないと、静かに美術室を出て扉に背を向けた。


 ――――ガタンッ。


 歩き出そうとした瞬間、美術室の中から物が倒れる激しい音が聞こえてきた。


「――――エタンセルマンっ!!」


 続けて、激昂に似た声でルーチェの名を叫ぶ神志那先生の声。普段の穏やかさが消えた神志那先生の声に、あたしは背を向けていた扉に向き直し手をかけた。しかし、その手はゆっくりと離れ、足も美術室から離れようと動き出していた。



 あたしは怖かったのだ。美術室の中で起こっていることを知ることが……。



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