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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
壊れ始める世界
12/35

02

「美夜、おはよう。昨日はごめんね」


 いつもより遅く、結衣は登校してきた。


「おはよ、結衣。気にしなくていいよ。急用だったんでしょ」


 申し訳なさそうにしていた結衣だが、あたしの顔を見るなり眉をひそめ首を傾げる。


「……美夜、何かあったの? 元気ないみたいだけど」


「そ、そう見える? 元気だけどね」


 いつもと変わらないようにしているつもりなのだが、結衣には容易にバレてしまう。

 昨日のことを結衣に話すべきなのか悩んでしまう。あたしと洸太の問題だから、遅かれ早かれ結衣も知ることになるかもしれない。でも、それを知ったら今度は結衣と洸太の間に亀裂が出来てしまいそうで怖かった。


「そういえば、洸くんも様子が変だったような……?」


「……こ、洸太が?」


 悩んでいる所に洸太の名。思わず、しどろもどろになってしまう。


「そう。何か思い詰めているみたい? 洸くんが落ち込むなんて珍しいから、『どうしたの?』って聞いたんだけど、何にも教えてくれないし」


「そうなんだ……洸太も……」


 結衣に聞こえないくらいの声で呟く。


「途中まで一緒に来てたんだけど、学校が見えた途端に急に走って先に行っちゃったんだよね。……しつこく聞きすぎたかな」


 結衣は自分の態度を反省しているみたいだった。謝りたいという気持ちがあるのか、洸太の席の方へ視線を向けるが、その視線はすぐに別の方へ忙しなく移動していく。


「……あれ? 洸くん、まだ教室に来てないの?」


 自分より先に来たであろう洸太の姿が見当たらず、結衣は教室全体に視線を巡らす。

洸太は、まだ教室に来ていない。そのことに、あたしは少しだけ安堵してしまっていた。いくら心構えをして来ても、いざ顔を会わせれば動揺は隠せないと思う。うまく話せるか分からない。

 教室に姿を現さない洸太も、きっとあたしと同じ心境なのかもしれない。始業のチャイムが校舎に響き渡る頃になって、ようやく洸太は教室に入ってきた。



 その日、洸太は露骨にあたしを避けていた。といっても、それはあたしも同じことだった。

 こうも互いが避けあっていれば、事情を知らない結衣も二人の間に何かがあったのだと感づく。午前中はあたしだけでなく洸太からも色々と聞き出そうとしていたが、昼休み頃になるとぱったりと話題に触れなくなっていた。

 憂鬱な気分が結衣にも伝染したみたいに、三人ともが暗い表情になってしまう。



 前進していけるようなこともなく、逆に悪い方に向かっている雰囲気のなか、放課後は容赦なく訪れる。


 相変わらず、ルーチェは澄んだ綺麗な声で、あたしたちを部活に誘ってくる。

 正直なところ、今日ばかりは部活を休もうかと考えていた。今の気分では絵を描くなんて、到底できない。おまけに昨日、神志那先生に情けない泣き顔を見られてしまった気恥ずかしさもある。なにより、先生を試すようなあんな発言をしてしまったこともあり、顔を会わせづらい気持ちもあった。

 一人で悶々と悩んでいると、あたしの意に介さずルーチェは腕を引っ張り歩き始める。


「ちょっ、ルーチェ。あたし、今日は――――……えっ!?」


 一瞬、自分がどこに居るのか分からなくなった。

 教室の雰囲気ががらりと変わった。まだ賑わいの残る教室が静かになり、クラスメイトたちは、白い石膏像に変わる。鼻腔に感じる教室の匂いも全く違う。

 訳が分からず、自分が立っている場所を見回す。


「……えっ……? 美術……室?」


 二、三歩は歩いた気がするけど、教室から美術室まで歩いた記憶はない。まるで、映画やテレビの場面切り替えが行われたみたいに、一瞬で場所が変わったようだった。


 ルーチェがあたしの腕を放し、離れていく。

 何だろう。頭の奥がモヤモヤとしている。一部分を適当に白で塗り潰し、その上に新しい絵を描いたみたいな感覚。だけど、その絵は黒く恐ろしい……。心に絡み付き支配し壊そうとする禍々しさ。


 言い知れぬ不安感に立ち尽くすあたしを、ルーチェはお人形のような愛らしい笑顔で覗き込む。

 背筋に冷たいものが流れる。そして、思い出す。ルーチェを始めてみた時に感じた、胸の奥のざわめきを。


 あたしは、結衣と楽しそうに話しているルーチェの姿に異質な何かを感じた。


 不可解で不気味な疑問は残るが、来てしまったものは仕方がない。いつものようにデッサンをするための準備に取り掛かることにする。


 プラスチックの果物、ワインなどの瓶、無機質な立方体。棚に置かれたモチーフの中から、初心者の自分でも描きやすそうな物を吟味する。色々と手に取りながら、あたしはチラリといつも神志那先生が居る場所の方を見た。珍しいことに、そこに神志那先生の姿はなく、大量の美術書が寂しげに積み上げられているだけだった。

 いつもと違う風景に、少し寂しく感じながらもホッとしてしまう自分が居た。


「相変わらず、来るのが早いな」


 束の間の安心、背後からの不意打ち。神志那先生は背を向けていた美術準備室から出てきた。すっかり油断していた瞬間の出来事で、思わず振り返ってしまう。だけど、あたしは神志那先生の姿を一瞥しただけで、すぐに背を向けてしまった。

 先生の足音が近づいてくる。足音に合わせ、鼓動が強く打ち付ける。

 真横まで来た先生は、まともに顔を見ようとしないあたしの頭を撫でるように軽く触れる。その手はすぐに離れていったけど、あたしの鼓動は鳴り止むことなく一層強くなっていく。


「シオン先生。準備室に居るなんて珍しいですね。いつも、読書に夢中なのに」


「ああ、たまには整理整頓をしないとなって思ってな。掃除をしていたんだよ」


 掃除と聞き、納得する。今日は甘い香りがしない代わりに、埃っぽい匂いがしている。


「へー。シオン先生でも掃除をするんですね」


「当たり前だろ」


 楽しそうに会話をするルーチェと神志那先生。

 出会ってからの時間は、あたしの方が僅かにだが長いはずなのに、ルーチェはそれよりもずっと前からの知り合いみたいに親しく先生に接している。それが羨ましくも、妬ましくも思えてしまう。


「しかし、お前たちには感心させられるよ。毎日、こんなに早く熱心に部活に来てくれるなんてな。正直、先生は嬉しいよ」


「だって、好きなんですもの」


「――――!!」


 ゴトンッ。その音に三人の視線が一斉に自分に向けられる。あたしは持っていたプラスチック製のリンゴを落としてしまっていた。

 結衣は何事かと駆け寄り、ルーチェは不思議そうに眺める。そして、神志那先生は一瞬だけ合った視線をすぐさま逸らした。


 ルーチェから発せられた『好き』という言葉。あたしはその言葉に過剰に反応してしまった。

 彼女の『好き』は、美術が好きだということだと思う。そう、思いたかった。けれども、ルーチェが神志那先生を見つめる視線は、あたしたちに向けるものとは明らかに異なる。その雰囲気があたしの不安を煽る。


「ああっ! ごめんなさいっ!! 手が滑っちゃった。壊れてないかな?」


 その場を取り繕うように、少し大袈裟なくらいの仕草で落としたリンゴを拾う。


「もうっ、美夜さんって、意外とドジなんですね」


 ルーチェが鈴を鳴らしたように愛らしく笑う。


「あははっ。ホント、あたしってドジだからね」


 胸に渦巻く不安を押し隠し、同調するようにあたしも笑う。


 ――――ピシッ。


 笑い声の向こうで、何かがひび割れる小さな音が聞こえた気がした。



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