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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
小さな異変
10/35

06

「……先生。実は今日……友達とケンカして……」


 このまま楽しい会話だけで終わらせることもできた。だけど、あたしは目の前に居る人に助けを求めた。誰かに話すことで楽になりたかった。

 それでも、洸太のことは言いたくない。言えない。知られたくない……。


「友達って、兎川か?」


 あたしは首を横に振る。


「結衣じゃないです。……でも、結衣と同じくらい大切な友達です」


「もしかして、押上?」


 ――驚いた。まさか、先生の口から洸太の名前が出るとは思いもしなかった。あたしは目を大きく見開き、先生を見ていた。


「な、なんで……洸太だって……?」


「お前たち三人って、幼馴染みなんだろ」


「あたしたちが幼馴染みだって知ってるんですか!?」


「まあ、これでも一応は教師だからな。ある程度は生徒のことを知っているつもりだよ。それに、美術部は女生徒が多いだろ。部活中に色々と話を耳にすることもあるんだよ。女性はお喋り好きな人が多いからね」


 驚くしかないあたしに対し、神志那先生はどこか得意気な顔をしている。でも、先生は本当に色々なことを知っていた。知らない間に、自分の様々なことを知られていたのは恥ずかしいけど、知ってもらえていたという嬉しさもあった。


「できるだけ相談にはのるつもりだ。でも、話したくないなら無理にとは言わない。相談相手が教師で、ましてや男だと話しづらいこともあるだろうからな」


 洸太の名が出てから明らかに動揺している姿で察したのか、神志那先生は『話さない』という選択を与えてくれた。その優しさが嬉しかった。……でも、黙っていれば、洸太との間にあったことや、幼馴染みとして意外の関係など色々と想像、誤解されてしまうかもしれない。それだけは嫌だった。


「……あたし、結衣も洸太も同じように好きです。でも、それは幼馴染みとしての好きです。洸太もあたしと同じだと思ってました。……でも、洸太は……そうじゃなかった」


 赤い瞳の洸太が脳裏に浮かぶ。

 そして、あの一瞬の出来事を思い出し、出尽くしてしまったはずの涙が頬をつたう。無意識に伸びた指が唇に触れてしまう。


「…………怖かった……。洸太が……あんなこと……」


 神志那先生は何も聞かずに、話を聞いてくれている。笑顔のない真剣な眼差しは、夢のなかの黒い翼の男性を思わせる。


「訳が分からなくって……、あたし……洸太を――……」


 あたしは洸太を拒絶した――

 それも、乱暴に……。でも、それは一方的な感情に対する反撃だった。


 ――違う。それだけじゃない。あたしは洸太自身を拒絶していた。



 あの、赤い瞳の洸太を――



 血のように鮮明な赤い瞳は、あたしにあるはずのない感情を与えそうになった。心の奥から沸々と湧き上がるような、激情に近い興奮――それに一瞬だけ心地よさを覚えてしまっていた。そんな自分が恐ろしくなり、洸太を拒絶した。


「あたし……洸太を、酷く傷付けたかもしれない……」


 あたしは俯き、考える。これから、どう洸太と接していけばいいのか。また以前と変わらず、仲の良い幼馴染みとして過ごすことができるのか。


「犬塚。お前は、どうしたい?」


 まるで気持ちを読んだかのような問いかけ。あたしは顔を上げ、誘導されるまま素直に答える。


「あたしは、今まで通りが良い……。今まで通り、仲の良い幼馴染みでいたいです。我が儘で、自分勝手なことかもしれないけど、……あたしは洸太をそういう風に見ることができないから……」


 そう……、あたしは目の前に座っている神志那先生が好き。この気持ちがある以上、他の誰かを恋愛対象として見ることなんてできない。


「だったら、取り敢えずは素直に自分の気持ちを伝えるんだな。そして、それから元に戻っていけば良い」


「――えっ!?」


「お前ら、幼馴染みとして付き合いは長いんだろ。だったら大丈夫だろう。そりゃ、最初は互いに意識して、ぎこちなく感じるかもしれない。だけど、長い年月で築いてきた関係は、そう簡単に壊れることはないだろう」


 神志那先生の手が、優しくあたしの頭に触れる。


「それにさ、犬塚が自分たち関係が壊れることを恐れているように、押上もそれを恐れていると思うぞ」


「洸太も……同じ?」


「同じだと思うよ。押上はいっときの感情で、気持ちの伝え方を間違えたかもしれない。でも、それは本人が一番分かっていて、後悔していると思う。同じ男だから擁護している訳じゃない。好きな人が泣いている姿を見るのは、男女問わず誰でも苦しいことだからな」


 逃げ出す時に見た洸太の表情。それは、夕日のせいでより濃く影の落ち、とても悲しそうな表情だった。


「元に戻れる……?」


「どうなるかは、お前たちしだいだな。それと、こういう問題に下手に第三者を入れると、変に拗れたりすることもあるからな。特に相談相手が異性だったりしたらな。だから、俺が関われるのはここまで。後は自分たちでどうにかするしかない。まあ、お前たちなら大丈夫だと思うけどな」


「あたしたち……しだい」


「そうだ、お前たちしだいだ。だけど、まず犬塚は笑顔を見せないとな。泣きそうな顔のままだと、前には進めないぞ」


 神志那先生は微笑みながら言うと、あたしの髪を優しく撫でた。その手は静かに下がり頬を覆う。そして、親指が頬に残っていた涙の跡を拭った。


 神志那先生の手は大きく温かく、心地良い。でも、なぜかその手はなかなか離れていこうとしない。時間が止まったかのように、微動だにしない。先生の温もりは、あたしに伝わり広がっていく。その温もりに反応し、鼓動か速まり身体が熱くなる。

 全てを見透かしているような黒い瞳で、先生はあたしを見つめたまま動かない。


 ドクンと胸が高鳴る。


「……せ、先生?」


「――――あっ」


 戸惑いのこもった呼びかけに、神志那先生は我に返ったように慌てて手を離した。


「……あ、ああ。もう、こんな時間か。犬塚、そろそろ帰らないと親御さんが心配するだろ。先生が家まで送っていこう」


 先生は狼狽していた。露骨に視線を逸らすと、たまたま目に入った時計を見て唐突に帰るように促し始めた。

 先生の視線の先にある時計を見ると、針は九時を少しばかり過ぎた時間を指していた。気が付けば、すっかり夜の時間になっていた。


「あ……本当だ。もう、こんな時間に……」


 と言うが、あたしの身体はソファに沈んだまま動こうとしない。まだ、ここに居たい、先生ともっと話しがしたい気持ちがあったからだ。でも、何となくだが神志那先生はそれを拒否しているように思えた。だから、渋々腰を上げた。


「神志那先生、今日はご迷惑をお掛けして、すみませんでした」


 深く頭を下げ、これまでの非礼を詫びる。


「気にするな。犬塚くらいの年頃なら、色々と悩みも多いだろう。それを聞いて、導いてやるのも大人や教師の仕事だからな」


「本当に、ありがとうございました。洸太には自分の口で、ちゃんと気持ちを伝えてみます」


「ああ。そうだな。……じゃあ、帰ろうか。たしか、犬塚の家は学校の近くだったよな」


 先生は優しく微笑み、玄関に向かうよう促す。そこにはすでに、さっきの別人のような雰囲気はない。


 後ろ髪引かれつつ一、二歩進んで、あたしは見納めとばかりに振り返り、幸せな時間をくれた部屋を眺める。


「――あっ、月……」


 窓の外に広がる夜空に、大きな満月が浮かんでいた。


「おおっ、今日は満月か」


 先生は月を見ると、おもむろに部屋の明かりを消した。

 突然作られた暗闇に戸惑っていると神志那先生は隣に立ち、静かに微笑みながら外を見るように言ってきた。

 部屋に満ちていた人工の光がなくなり、黒い空に浮かぶ満月が一際大きく映る。そして、暗くなった部屋に淡い自然の光が満ちる。その光は蒼く冷たいが、とても柔らかくあたしたちを包み込んでいる。


「先生な、今日みたいに綺麗な満月の夜に、こうやって部屋の明かりを消して静かに月を眺めることがあるんだ。辛いことがあっても、月を眺めていると不思議と落ち着くんだよ」


 あたしは月光に魅せられていた。


 そして、胸の奥にあったことを尋ねてしまう。


「――先生」


「ん? なんだ?」


「……先生はあたしが泣いていたら『苦しい』って、思ってくれますか?」


「…………犬塚……」


 神志那先生はしばし黙り、ぎこちなく微笑む。


「当たり前だろ。生徒が泣いていたら、先生は苦しいし悲しいよ。だから、今日も相談にのったんだろ」


「…………そうですよね」


 心のどこかに淡い期待があった。でも、返ってきた答えは予想していた通りのものだった。


「よしっ。それじゃあ、そろそろ行こうか」


 神志那先生に背を押され、玄関に向かう。靴を履き、ドアの前に立ち、後から来る神志那先生を待つ。

 このドアを開けてしまえば、二度とここに来ることはないだろう。寂しかった。これまでとは意味合いの違う涙が出てきそうになってしまう。

 それなのに、あたしは神志那先生を待つことなく、ドアを開け外に出た。


「神志那先生。今日はありがとうございました。あたし、やっぱり一人で帰ります」


「えっ!? い、犬塚?」


 先生が靴を履き終え立ち上がるよりも早くドアを閉めると、運良く開いていたエレベーターに駆け乗った。先生が間に合わないようにと願いながら、早く閉まれとボタンを連打する。ようやく閉まり始めた頃、駆け足でこちらに向かって来る神志那先生の姿が見えた。

 あたしは閉まりかけた扉の隙間から手を振る。


「先生、お休みなさい。また明日」


 エレベーターの扉が閉まり、世界を完全に遮断する。そして、狭く小さな箱は地上に下りていく。あたしの気持ちと共に――




 帰宅後、あたしは連絡なしに遅くなったことを母にこってりと叱られた。あげく、晩御飯も抜きになった。


 空腹のままお風呂を済ませると、あたしはまっすぐベッドに転がり込んだ。ゴロリと寝転ぶと、何をするわけでもなくボンヤリと天井を眺める。


 いつもなら、このくらいの外出で疲れることなんてないのに、今日は酷く疲れている。


 今日、一日で色々なことが起こりすぎた。


 洸太のこと、神志那先生のこと……。



 神志那先生はあたしが最後にした質問に対し、『先生』という立場で返してきた。きっと、先生はあたしの質問の意図を理解していたと思う。だからこそ、先生と生徒という立場を使い、あたしを傷付けないように遠回しに答えを返してきた。


 神志那先生は大人だ。あたしみたいな子どもを、恋愛対象として見るはずなんてない。

 ……分かっていたはず。でも、神志那先生自身の口から告げられると、どうしても悲しくなってしまう。



 あたしは期待してしまっていたのだ。


 頬に触れる神志那先生の手の温もり、あたしを見つめる優しい瞳に、心の奥から湧き出てくる懐かしさを感じてしまったから――




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