9-3 決戦の場は遺跡
「紙屋君。鬼兎のベースはワイズで間違いないですけど、AIと斥力場の制御システムが一緒に搭載されています。競合は必至ですから、絶対に無理しないで」
「自分の事だ。よく分かっている」
「斥力場は起動するけど電力を馬鹿食いするから、絶対に過信しないで」
「怪しい機械だからな。頼りはしないさ」
幼児期、学校のドーム外授業に出掛ける俺へと弁当箱と水筒を持たせてくれた母親は、今の月野のように甲斐甲斐しく俺の面倒を見てくれただろうか。古い記憶だ。もうあまり、思い出せない。
戦闘区域の突入する寸前になっても、月野は俺の体の調整を続けてくれた。月野の腕が完璧である事を示すように、鬼兎の体なのにすこぶる調子が良い。
俺が石鎧の体にかなり慣れてきたというのもあるだろう。指を動かす、脚を動かすといったイメージに対して、機械の体がブレなく追随してくれる。生身の頃よりも感覚はスムーズなぐらいである。
きっと、今が俺の最盛期だ。
二年前の卒業試験決勝で瑞穂に挑んだ時よりも、高精度に動ける。
「紙屋君。瑞穂が現れるかもしれない戦場に送り出すのは許すから……絶対に帰って来て」
「俺が帰って来なかった事はないだろう。……ああ、そうだ。月野?」
「何?」
「帰ってきたら、結婚しないか、俺達?」
「………………ねぇっ! 死ぬ気でしょ! そうなんでしょッ! ちょっと、紙屋君、聞いている!? ぼくの目を見て。死亡宣告なんて間違っている。ねぇ、ちょっ――」
一世一代の言葉を邪推する月野に睥睨しながら、耳を振って俺はトレーラーの外へ向かう。
前方にそびえる奈国の最古参ドームは、様々な勢力が入り乱れる戦の坩堝だ。
右手にはアサルトライフルを、左手にもアサルトライフルを。
ハンドガン、硬質ナイフ、ハンドグレネードといった石鎧の標準装備も持てるだけ持った。決戦に赴くというのに特殊な装備はないが、頼りになる物はいつもの、である。
俺は、真空の大地へと出撃した。
鬼兎の姿が見えなくなるまで、月野は疑惑の目線を向け続けた。九郎の婚約をまともに受け止めてはいない。
月野のいるトレーラーは戦闘区域ぎりぎりにまで接近している。
石鎧に誰よりも詳しい民間人でしかない月野に、本来、戦闘配置はない。もう仕事は何も残っていないはずであるが……月野はハンガーから去ろうとしなかった。
月野は軍手の端を握って伸ばし、しっかりと指にはめ込み直す。まだ一仕事残っている、といった様子だ。
「それで、本当にソレで出撃するつもりなの? ルカにクロエさん?」
『恐らく、この戦いが惑星にとっての決戦となるでしょうから。予算度外視で参りますわ。余り物はすべて使う主義ですし』
『クロエも大丈夫だよ。一人だと動かせそうにないし、これ』
鬼兎は出撃可能な最後の石鎧であった。石鎧十機以上を収容可能なトレーラーのハンガーブロックには、これまでの戦いで破壊された石鎧しか残っていない。
少し直せば動きそうな石鎧は多い。
しかし、少し治療しただけで動ける装着者が圧倒的に不足していた。石鎧と同化した不屈の兵士ならばいざしらず、ただの人間が魔族やアルヴと戦い続けられるはずがない。
……ルカとクロエは、数少ない例外だ。
「一人でも無理ですけど、二人でも無理だとぼくは思うけど……。もうそれ、石鎧って呼べるかも怪しい」
『きっと外縁軍の英雄様が現れるはずですわ。これぐらいの重武装でなければ足りません』
『並列AI起動チェック……ああ、エラーばっかり~っ』
『月野、時間がありません。残り三分で仕上げてくださいませ』
『火器管制システムの掌握はルカに頼むね。私は多脚を制御するから』
『ええ、攻撃担当はお任せあれ。クロエ』
月野は無茶言うなという表情を見せるが、一言も文句を言わずに作業に取り掛かる。
石鎧の残骸しか残っていない室内に、月野が調整すべき物はないように思える。
……けれども、残骸の向こう側で複数の脚部が蠢いているのは、気のせいではない。
ルカとクロエの声の発信源では、大口を広げた蛇のような影が見え隠れしていた。
黒い煙が立ち上る十キロ級ドームに、胸が締め付けられる。記憶の底に沈殿している故郷を壊されたトラウマが浮かび上がる。が、気分が悪くなって体が動かなくなる程ではない。
球体の壁がひび割れて、減圧されていく世界。
ドームの外のように吹き荒れる風。
幸運な者は風で舞い上がって落下死でき、そうでない者はボロボロと地面に倒れ込む。
血が沸騰するとか、眼球が飛び出すとか。そんなフィクションは起こらなかった。ただ、喉の奥底を掴まれて抜き出されているかのような呼吸困難に、ドームに住んでいた皆は次々と絶命していった。
そんな生命の危機と比べれば、心理的苦痛などカスに等しい。体はまったく堪えない。ドームを破壊する愚者に対する怒りが沸き立つだけである。
賢兎由来の足腰で、二足歩行とは思えぬ速度で俺はドームを目指す。
遺跡は、ドームの内部に存在する。
「隊長! どうしますか!」
「ドーム外の戦闘は戦力的に介入できん。防衛に徹しているアルヴが、魔族と外縁軍を抑えている。三すくみの状態だ。アルヴが馬鹿でなければ防壁になるドームを壊させはしないだろう!」
反アルヴを目標に鷹矢を中心に集まった俺達であるが、戦力はかなり消耗していた。
戦闘に耐えれると判断された石鎧の数は僅かに三十機。内訳は、俺一機、闘兎十五機、親衛隊の赤備十一機、石兎九機となる。初期から戦い続けた石兎が案外残っているのは、ルカやクロエの教練の賜物であり、月野の願いの詰まった強固な設計の結果だろう。
鬼兎の機動性は一世代前の機体である闘兎よりも勝っている。逸る気持ちを制御して、少し移動速度を落として隊長と並ぶ。
「では、このまま遺跡まで直行しますか」
「そうだ! 鷹矢王子を疑わなければ、遺跡の破壊によって奈国どころかドーム世界が滅びてしまう。だから、我々は最優先目標へと戦力を集中させる。……全機へ通達。一度左から回り込んで、点検通路からドーム内へと侵入するぞ。アルヴが待ち構えている可能性は低いが、気を緩めるなよ!」
「了解!!」
ドームの構造に関して詳しいのは、ドームの民である。
数十年前に閉鎖された点検通路までアルヴに知られている可能性は低い。アルヴではなく外縁軍と遭遇するかもしれないが、今目指している点検通路以上に安全なルートはないだろう。
「斥力場を持つ俺は盾になれます。先頭は俺でいきます!」
鏃型陣形の先端部になると立候補し、俺が皆を牽引した。
待ち伏せも鉢合わせもなく、ドーム内部に侵入した俺達は休む暇なく遺跡を目指す。
遺跡の大部分は地下に存在するが、地下へと通じる入口は一箇所しか存在しない。防衛側にとって都合の良い構造をしている。とはいえ、観光地の防衛戦力ではアルヴの強襲に持ち堪えるのは困難だっただろう。
ドーム内では珍しい荒涼とした草原に、哨戒と思しき銀色のアンテロープが現れた。石鎧に対する己の非力さは分かっているのか、遺跡の方向へと退却していく。
「気付かれました。おそらく、ヴォルペンティンガーが来ます」
「全機武装自由ッ、散開! データリンクを活用しろ」
部隊には環境センサー持ちの石鎧が多い。音や地面の振動、熱、電波、宇宙線の情報を複数地点から収集し、総合的に判断すれば、直接見えない地形の向こう側を暴く事は可能だった。
採取した数多の情報をAIに処理させて結果を出力する。
見えた。機動兵器らしき物体の数は五。
……いや、一機が高速に近づいてプラス一。その一機に背中を突かれて頭部を落とされて一機減ったので、総数は変わらず五機。
増えた一機がやって来た方向から、新たに二十機近い機影が現れる。
二十機を一掃しようとしたヴォルペンティンガーが上空に跳び上がり、プラズマで輝く両腕を振り上げた。が、遠くからの狙撃に胸の中心を射抜かれて、何も成し得ず地面に落ちていく。
「アルヴが攻撃された!? 外縁軍が向こうからっ!」
後から現れた方が外縁軍だ。俺達とほぼ同じタイミングでドーム内に到着したのだろうが、外縁軍は先制攻撃を仕掛ける程に獰猛だ。
アルヴに体勢を立て直す暇を与えず、外縁軍は遺跡入口を防衛していた五機をあっという間に掃討してしまう。
奇襲を成功させる練度の高さを評価したいところであるが、きっと、俺ごときが評していい相手ではない。
『――耳付だらけの集団? ああ、九郎だけに、こんな場所までご苦労な事だぜ』
やや遠くの高台から、面白味に欠ける通信波が耳に届く。
ヴォルペンティンガーを狙撃したのは、刀身のように鋭利な顔付の白い機体、アキレウスだった。右頬を縦に貫くペイント柄が曲がって見えたのは、内部の装着者がニヤけたからか。
アキレウスを一匹発見したら二匹目も、とほぼ確信しながら遺跡に接近する。
やはりというか何と言うか、地下へと続く穴の前に赤銅色のアキレウスが立っている。最初にアルヴを攻撃したのはこの赤銅色だろう。
二機のアキレウスには見覚えがある。装着者も知っている。
「エージに瑞穂。お前等っ! 一人相手でも面倒だというのに、夫婦だからって毎回ペアで現れるなよ」
『ッ!! お前は私が面倒だと、言うかッ』
赤銅色のアキレウスが一歩踏み込む。自覚がなかったのかと俺が呟くと、短剣を構えてアキレウスは突撃体勢を整えてしまう。
『九郎は私が壊す! そうだ。首だけ落として持って帰れば、きっと九郎だって――』
『あー、瑞穂は任務を果たせ。位置的にお前の方が遺跡に近い』
『私にッ、指図するな』
アキレウス同士が言い合いをしている。そのまま仲間割れをしてくれるのかと一瞬期待したものの、瑞穂は説得される。
『見返りぐらいくれてやる。そうだな……万が一、俺が九郎に敗れたら離婚してやる。瑞穂に勝った俺に九郎が勝てば、九郎が一番強い男という事になるだろう?』
目の前の男女の夫婦仲は常識外れているらしい。関係が破綻しているのであれば、俺をダシにしないで縁切りすればよいのに、と溜息を付く。
それは俺、遺跡内部へと瑞穂のアキレウスと外縁軍のパトロクロスが消えていった。
追いかけたいところであるが、白いアキレウスが俺達の行き先を通せんぼしている。武力排除するには、城森英児の戦闘能力は卓越し過ぎていた。
三十機という数的有利を活かして突破するのは無謀だ。英児を無視して横をすり抜けようとした場合、機体を輪切りにされてしまう。
「エージ、邪魔をするな」
『遺跡の破壊なんぞより、お前と決着を付ける事の方が意義深い』
「なら全部終わってから相手をしてやる。俺も詳しくは知らないが、遺跡が壊れると世界が滅びるレベルの問題が起きるんだ」
『へぇ、それはより好都合だ。どうにもな、瑞穂の事以外で九郎は本気を出せない人間で困っていたんだが、世界滅亡ってシチュエーションは願ったり叶ったり。生存本能が刺激されて、九郎も多少は強くなるだろうよ』
「こんな時まで戦い優先か! 破滅を楽しむ程に愉快な男じゃなかっただろうが!」
英児がやる気を出しているのなら、戦闘は避けられない。
そう思ってアサルトライフルを構えようとしたのだが……隣にいた隊長の手が銃身を押さえつける。
「ここは、我々が受け持とう。九郎君には本当に申し訳ないのだが、娘を追って欲しい。……馬の骨の技量は知っている。生半可な装着者では時間稼ぎもできないが、我々ならばマシであろう」
「隊長達でも無――ッ!」
隊長に反論するよりも早く闘兎の群が一斉に跳び上がり、アキレウスを囲い込むように着地していく。
「隊長の娘さんに手を出した馬鹿はコイツか? 坊の嫁さんにって、俺達も楽しみにしていたのに、この野郎」
「そのひょろい体、へし折ってやろうか? ああッ!」
「どげぇしてやろうか、後輩。少し先輩に付き合ってくれや?」
指をポキポキ鳴らしながら、闘兎の先輩方が英児を威嚇する。普段は耳が可愛らしく、そんなに柄の悪い石鎧ではないはずなのに、二対のカメラレンズが意味もなくフォーカス調整を続けている。
包囲網を完成させた闘兎は、各々得物を手に一斉に跳びかかる。
コンマ数秒のズレもない確かな連携であった。が、アキレウスは小数点第二位未満の誤差を見つけ出す。
アキレウスは最初に到達するはずだった硬質ナイフの柄を肘の隠しカッターで斬り飛ばし、闘兎の懐に入り込んで投げ飛ばす。己に襲い掛かる無数の刃に対して闘兎を盾にしながら、包囲網に穴をこじ開ける二重の意味を持たせた行動だ。
『口だけですか、先輩方っ!』
手の届く位置にいた闘兎が次に狙われ、アキレウスの短剣が石鎧の弱点たる脇下に刺し込まれた。通常であれば、内部の装着者は片腕を貫通される重傷だ。
だが、闘兎は脇を絞める。
『手ごたえが、軽い??』
「ああ、こんな感じで中身がない。だから、同士討ちも気にしない。……全機、俺ごと撃て」
脇を刺された闘兎は、損傷を無視してアキレウスの腕を掴む。そのまま仲間に対して銃撃を命じたが、アキレウスは闘兎の手首を切り裂いて弾から逃れた。
「馬の骨はここで止めるべき敵だ。議論の余地はない。さあ、九郎君、いけッ」
アキレウスが大暴れしている戦場へと、隊長の闘兎も跳び込んでいってしまう。
既に始まった戦闘は止められなかった。
俺は隊長達では英児に勝てないと分かっていながら、置き去りにするしかできない。
「ここは闘兎試験評価中隊に任せる。俺達は遺跡に突入するぞ!」




