8-11 そして二人は末永く幸せに……あってたまるか
「ぼくはアルヴだった。この耳の長さが、遺伝子的に正しい長さだってネネイレは言っていた。フザけていると思うよね」
月野は耳を撫でながら顔を伏せる。まだ、俺が伸ばした手は握られていない。
こうしている間にも、この場所の危険度は高まっていた。
宇宙船のメインフレームにアクセスして分かったが、アルヴは魔族に敗れて惑星へと撤退している。俺達が乗っている船は制御を失い、大気圏へと刻一刻と落下中。外装の表面温度は既に五百度を超えており、なおも上昇している。
「ぼくって、本当に帰ってもいいのかな。こんな耳していたら、ドームの中では暮せない。アルヴだって知られたら会社だってお終いだよ」
悠長に月野の不安に耳を傾けている余裕は、本当はない。
まずは命を第一優先にして、縄で月野を縛ってでも連れ出す必要があるだろう。
だが、俺は月野の気持ちを優先していた。散々迷惑をかけている月野だから、心中を語りたいのであれば語って欲しいと思ったのだ。こんな切羽詰った状況だからこそ、本音で俺達は語り合える。
それにどうせ、もう格納庫には脱出用の航空機が残されていない。
「ぼくは、どうしたらいいのかな」
月野の疑念は真っ当なものであった。
己の由来がアルヴだったと知った今、月野は大気圏に突入するよりも早く、足元が崩落し奈落の底に落ちていく不安に襲われている。実際、月野の脚は弱弱しく震えている。
アヒルの子が実はハクチョウでした。
でも、そのハクチョウはアヒルでいたかったのではないか。そういう御伽噺だ。
「おじいさんも、とんでもない事を隠していたよ」
あるいは、竹取物語のかぐや姫なのだろうか。月の人間という意味では適切なのだろうが、月野は多くの男を袖にしていない。
「こんな耳で、ぼくは帰れない。だから、申し訳ないけどさ。ぼくは置いていって」
……ただ、月野は俺を振ろうとしているだけだ。
大気圏で燃え尽きようとしているアルヴの船の中に残り、消えてしまいたい。こう月野は帰る場所を失った迷子の顔で懇願した。
環境センサーをビン、と無意識に立ててしまう。
カメラレンズを少しだけ発光させて、ゆっくりと消灯させてしまう。
エネルギーゲインは三割減だ。
まったく、精神的にこたえる。女の言葉とは魔族以上の魔性を持つ。次の俺の返事が、正念場だろう。
月野の決意に対抗するための最適解を模索するため、たっぷり一分間は必要としたか。月野がアルヴである事が最大のネックなので、そこさえクリアしてしまえばどうとでもなる。答えは自明なので、実際は一分も必要ない。
ただ、この答えをこんなシチュエーションで述べても良いのだろうか。こう悩んでしまい、俺の返答は遅れていた。
これ以上は月野を待たせられない。船体高度も限界だ。
仕方がないだろう。と、踏ん切りをつけて、月野に俺は告白する。
「分かった。ならば……その耳、俺が斬り落とす。傷物にしてやるから、惑星へ帰ろう」
月野は、絶句してしまった。
スプラッタな俺の告白に衝撃を受けているのだろうか。言葉が出なくなる程に俺からの告白を喜んでいるのか。あるいは、ナンセンスな告白を蔑んでいるのか。感情塗れな表情からは不明確だ。
月野の中で葛藤が生じている事だけは、はっきりしている。
「傷物の意味分かっていっているのッ、紙屋君!」
「安心しろ。SAの体でどこまで感度を高められるか、やってみよう」
「下品っ!!」
「あくまで耳を斬り落とす手術の話だ。純粋なアルヴだった月野のおじいさんだって耳を隠せば惑星で暮せたんだ。月野だって同じ方法でいけるはず。……女の最初は痛いだろうが我慢してくれ。左の指は磨がれているから、危険だな。使うのは右手にしておくか?」
さあ、やろう。
いますぐ、やろう。
キーボードをタイプするように指を動かすと、月野は二歩も遠退いた。
「不潔です。紙屋君は最低なSAです。ぼくに何するつもりですかっ」
「二十歳でカマトトぶるなよ。俺が月野海の帰る場所になってやる。ここでが嫌なら、惑星へ一緒に帰るんだ」
「紙屋君の一番好きな相手は、あの女の癖にっ。同情でぼくを選ぶのは止めてよ!」
「同情がどうした。二年前は製作所がボロボロだったのを同情して優勝してやったのに、今も月野に同情して何が悪い。異性を好きになる動機に拘ってくれるな。瑞穂みたいにプライドを優先しても、不幸しかないって二人分の人生で証明されている」
「あの女の名前を出して、一緒にするなんて侮辱です! どうせ紙屋君は、あの女が全裸で迫ってきたコロっと転げ落ちる癖にっ」
「そ……そ、それは、ない……ナーにまず相談してから」
「浮気の可能性が潜在している男を、ぼくが選ぶと思ったの!」
黄色い髪を逆立たせる月野は凶暴な獣を連想させる。が、俺は安堵しながら笑い掛けた。
一つ前の質問は酷く答えにくかったのに、月野の最後の質問はとても簡単だ。
「――選ぶさ。俺達の出逢いはな、月野が俺を選んだから始まった。俺を信じられなくても、己の眼は信じられるだろう」
月野は鼻の上のフレームを押さえつけてレンズの透過性を落とそうとする。
眼鏡を掛けていない状態では無意味な仕草であり、俺と視線を遮れずに顔を真っ赤に染めるだけだったが。
「二年も俺を待っていたのに天邪鬼な態度は今更だ。ほら、手を握ってやるから、一緒に帰ろう」
恥ずかしさで顔を手で覆う月野へと、手を伸ばす。
月野はぎこちなかったが、指先を俺の手へ乗せてきた。
「初恋だったの。一目見た瞬間から、ぼくは紙屋君が好きになっていた。最初はあの女、曽我瑞穂と勘違いしていたけど。もう、二重の意味で恥ずかしい……」
「男女の区別なしでか。瑞穂が恋敵っていうのは複雑な気分だ」
燃え尽きていく船体を下方に眺めながら、俺は俺の内側にいる月野と語り合っていた。
斥力場の発生装置たる鬼の角が赤く光っている。重力降下を緩やかなものにするため、機体の周囲に斥力場を展開させていた。
眼下には、赤い大地が丸く広がっている。
地上兵器たる石鎧で、安全に惑星に帰還しなければならない。パラシュートのように見えない幕を広げながらの滑空。出力調整と降下角度、惑星の上層対流と自転と、演算対象はてんこ盛りで四苦八苦だ。
だが、誰にも邪魔されない空の高みで、恋人同士でいるのはそう悪くない。
「まったく、SAの演習で恋するのは、流石は月野というか」
「言わないでよ。紙屋君」
まだ、苗字でしか相手を呼べない男女であるが、もっと長く付き合っていれば、自然と名前で呼び合うようになるだろう。海、九郎、とお互いを言うのはまだ恥ずかしい。
とはいえ、俺達はマイナス距離で密着する程に仲の良いカップルなのだ。重力のように、恋だって距離の二乗に比例して強く深まっていくはずだ。
……幼馴染との初恋は叶わなかったが、そんなのありふれた失恋話だ。未練がないと言えば嘘になるが、後悔はない。
赤い惑星の一部、奈国の中央へと安全速度で降りていく。
俺は月野と恋仲になれて、とても幸せだ。
亀裂が走る。
石で出来た棺の重い蓋に、浅く線が走る。
奈国が保有する最も古い十キロ級ドームに、第一世代の植民者を奉る遺跡があるというのは有名な話だ。観光スポットになるぐらいに広く知れ渡っている。
ただし、その遺跡の最奥、地下の大空洞には、石製の棺があると知っている人間は少ないだろう。苦難ばかりであった彼女の安眠を妨げないように、遺跡の中への立ち入りは禁止されているのである。
そう、石の棺に安置されている第一世代は、女性なのだ。
まだドームというゆりかごが無かった時代を彼女は生き抜き、火星人類の礎となった。深い眠りに入った彼女を不敬に扱う人間は惑星上には存在しない。
しかし……遺跡の最奥からは、ハンマーで大地を殴りつけたような衝撃音が連発している。大事な遺跡が誰かに殴りつけられている。
衝撃音は、遺跡の最奥にある石の棺の内側より発せられていた。何度も衝撃が続いたため、棺の蓋の表面には長いひびが走って線と線が結びつく。くもの巣と表現するには、形が歪だ。
次の一撃で完全破壊される程の欠損ではない。が、百年の間、女性の眠りを守り続けたの棺が壊れては大事となる。
考古学的価値や儀式的意味もあるが、話はもっとドラスティックだ。棺が壊れて、彼女の安眠が終わってしまう事だけは許容できない。
……なにせ、彼女が目覚めてしまうと、最悪、この惑星上から人類が消えてしまう。外界の劣悪な環境から人類を守ってくれるドームが、突如消え去ってしまうかもしれない。どちらにせよ、惑星は無人の荒野となるだろう。
彼女を知る奈国の王族は、物事を暗く考えていた。
彼女の覚醒により、人類滅亡のような危機的状況が起こるのかは分からない。まだ誰も確かめた事はないので真偽は不明だ。ただし、安眠が妨げられて良い現象が起こるとは決して思えない。
またもう一撃、棺の内側から蓋が殴られた。
天高く、熱圏あたりを目指して腕を上げてしまう程に、酷く夢見が悪いのだろう。
“――ッ、く、くろウォぉぉぉぅ。ワタ、ワタし、私のク、九郎ォォォッ!!”
目覚めた時、こんな失望しかないIFの世界は滅びてしまえ、と思う程の悪夢を彼女が見ているのは間違いない。




