7-19 宿敵の夫婦
刀剣のように細い顔をした石鎧、アキレウスは、俺が倒したネネイレのヴォルペンティンガーを庇うために現れた。戦闘の決着が付くまで望遠カメラで静観し続けていたとはいえ、外縁軍がアルヴを助けに現れた事に間違いない。
『この場は我々、外縁軍が受け持つ。月の方々は退かれるのがよろしいでしょう』
『火星人類がッ、許さぬ。どうせ、偽耳とも馴れ合うつもりだ!』
『我々に通告なく反乱勢力と戦ったのは貴女方です。月の方々に恥という感情がないのでしたらご勝手に。月野海は……我々が拘束します』
城森瑞穂が着ていると思われるアキレウスが倒れているネネイレ機に近づくと、ニ、三言葉を交わしてアルヴの奈国への内部干渉を詰っている。
鷹矢の目論見たる蝙蝠戦略を実現するためにも、アルヴに同調する勢力は必要不可欠だ。アルヴを撃退したのは惑星人類だが、アルヴの窮地を救ったのも惑星人類であるのなら、理想通りの結果と言えるだろう。後は、魔族の到来を待つだけである。
ただし、瑞穂の言葉には聞き捨てできない行為が混じっていた。
データリンクで、トレーラー周辺の戦闘状況が伝わってくる。外縁軍の二個中隊に前後から挟撃されて、かなりの劣勢を強いられている。
急ぎ救援に向かおうと地面を踏み込むが、白い顔に赤い線が描かれたアキレウスに回りこまれる。フェイントを入れて再度突破を試みたが、易々と移動先を塞がれてしまった。
『逃げるなんて、無しだろ? 久しぶりにお前と本気で戦える状況だ。一戦やりやおうぜ』
「エージそこをどけっ! お前だって月野を知っているだろうが」
『それは言うなって。俺だって血も涙もない人間って訳じゃねえし、知っている人間をアルヴの生贄にするのは心が痛む。……が、奈国を救うって大義の前に一人の人間ってのは軽いものだよな』
「お前ッ!」
『怒るなよ。軽いっていう言葉は訂正してやる。ただなぁ、戦場で散る一兵の命も、月野の命も等価なはずだよな。九郎』
最もらしい言い分を持った英児ほどに面倒な男はいない。その気になれば理由なく俺をボコれるはずなのに、それなりの正論を用意しているから厄介だ。
『魔族とアルヴ、味方にするならまだ人間らしい姿のアルヴを選ぶものだろ。男なら、美しい女のいる方を選択するものだろ』
「隣に嫁がいる状況で言う台詞かよ」
『瑞穂はな…………はぁ……』
通信機越しに英児の溜息が響く。俺が知る限り、英児を疲弊させられる生物は惑星上に実在しないはずだが、流石は瑞穂といった所か。
『包丁がな……』
英児にとっても結婚は墓場なのだろう。ああ、羨ましいから、こいつ永眠しないだろうか。
『月野を守るという状況だけでも、九郎は俺と戦えるだろうが……なるほど、瑞穂か。俺にとってはもう飽きた女だが、九郎相手ならダシにできるか』
「……昔の幼馴染の夫婦生活に、興味はない。誰と結婚しようと関係ない」
『おいおい、冷たい事言うなよ。この通信、瑞穂も聞いているんだぜ?』
英児の言うとおり、俺と英児が戦う理由は月野に関する状況のみで十分なはず。
だというのに、英児はもう一人の女で俺の戦意を煽ろうとしている。
「黙れ。急いで戦ってやるから、構えろ」
『部下には包囲網構築を優先させている。もう少しだけ時間はあるから、新婚生活を惚気させろよ』
「おいっ! 瑞穂。お前の夫だろっ! エージをどうにかしろって」
片羽になったネネイレ機は、不安定に浮かび上がり後退していった。
ネネイレを見送った瑞穂はゆっくりと俺へと振り向いて、低い声質で言い放つ。
『月野海を引き渡す。私を諦めたのだから、あの女も諦めなさい』
古傷にドライバーを刺されて、ぐりぐりと内臓を捻られる。内臓の破片を嘔吐してしまいそうな気分だ。
負い目を覚える必要なんて俺にはないはずなのに、それでも瑞穂は罪を突き付けてくる。
「諦めたとか。そういう話じゃないだろ!」
『私を倒さずに逃げた癖に、九郎は裏切った。許さない』
「たった二年も待たなかった瑞穂が言うなッ」
『ッ! お前が起きなかったから、コイツとッ、私はッ!!』
俺の言葉に瑞穂は瞬間激昂した。
両手に短剣を装備して、瑞穂の赤銅色のアキレウスは戦端を斬り開く。先を越されたと呟く、英児の白色のアキレウスも戦闘に加わる。
二方向から迫る超運動性石鎧を同時に相手にするのは至難だが、二機の連携は悲惨でタイムラグが存在した。まず、駆け出しの早かった瑞穂機が俺へと到達する。
短剣の二刀流に対処するため、俺も硬質ナイフを両手に持って瑞穂機と向き合う。平行斜めに振られた二本の短剣をどうにか受け止めてみせたが、勢いを殺しきれずに硬質ナイフを飛ばされてしまった。
そして、身を屈めてバネを高めていた瑞穂機の足蹴に、俺自身も飛ばされる。
『コイツに一年間負け続けても耐えたのに、お前は起きてくれなかったッ! どうして!? 早く起きていれば、まだ間に合ったのに。……私の屈辱の二年間を、たった、とお前は言ったかッ!』
「くッ、俺に八つ当たりするなよ。結婚できる程に大人なら、自分で人生決めろ!」
『望まない結婚しかできなかった私を、お前はッ、惨めというのか!』
吹き飛びながらも、空中で姿勢を制御する。次なる刺客、英児機が瑞穂機を追い越して接近している。
英児のアキレウスは瑞穂のアキレウスと形状が異なる。恐らく、英児の力を最大限引き出すために特別なチューニングが行われた石鎧なのだろう。鬼に金棒を持たせるような物騒な真似をしてくれたものである。
『酷く嫌われているがよ。案外、可愛いところもあるんだぜ』
「エージッ」
『ベッドの上で泣いている女を相手にするのも、嗜虐的で悪くなかった。瑞穂は処女で、痛がるばかりでさ!』
「お前が下手だった、だけだろ!!」
童貞を怒らせる言葉で英児は俺を煽り、短剣を脇腹に突き刺してくる。精神的には瑞穂の言葉ほど苦痛でなかったので、冷静に対処してみせる。
俺は意地でも突かれないように胴体を振って、剣先を装甲板で弾き返す。英児機と擦れ違う際に、下手糞と通信してやると、ぐぬぬと唸るような返答があった。英児にしては珍しく、その後の着地操作を誤って前のめりになる。
隙を見逃さず、脇下のホルスターから取り出したハンドガンで英児機を銃撃する。が、弾道を読まれて回避される。やはり、英児は甘い相手ではない。
『私からもう目を逸らすなッ!』
『石鎧になって一生童貞確定のお前がッ、言うよな!』
二機のアキレウスはお互いを押し退けながら俺と対峙してくる。お陰で一度に二機を相手にしなくて済んでいるが、助かっているとは言い難い。入れ替わり、立ち代り、近接戦闘を仕掛けてくる敵に、俺は休む暇なく終始押され続ける。
そもそも、英児一機にさえ俺は勝てはしないのだから、秒単位で損傷部位が増えていくのは当然だ。ポイントを競うように、二機のアキレウスは賢兎の体に串刺しにしていく。
『ソリテスの藁』でジリ貧を続けているだけでは、まったく意味がない。オレンジ色の装甲を、英児も瑞穂も気にせず削っている。
賢兎の精密演算でアキレウスの動きを予想して反撃に出たいところである。が、対戦経験のある瑞穂はともかく、英児の戦闘センスにAIの計算が追いついていない。ハンドガンの射線に白い機体を捕捉できず、下からの斬撃で銃身が断たれた。
ならば、と短くなったハンドガンを捨てずに英児機に通信する。
「――俺はエージの未来を予測する。予言が的中した場合、エージは次の俺の攻撃を無条件で食らう。予言が外れた場合、エージは俺の次の攻撃を無条件で回避できる」
『はッ! 魔族の力を使っているのはお見通しだ』
「――エージは俺の攻撃を、避ける。『クロコディルズ』発動!」
矛盾により敵を行動不能にする魔的能力。
二つ目の爵位権限、必中攻撃の『クロディルズ』の呪文を唱えてから英児機を銃撃する。回避しようとした瞬間、英児機は予言の的中により回避できなくなる反則技だ。ただの人間でしかない英児に対処はできず、銃弾は命中する。
英児機は動きを突如静止させる。
そして、寸前に手放されていた短剣が慣性に従って中を舞い、ハンドガンの弾の軌道に入り込んだ。
銃弾は短剣の柄を砕き、弾自身も潰れて停止してしまう。英児機は何事もなかったかのように戦闘を再開する。
「…………ちょっと、待て。それアリかよ!?」
『俺は止まってやっていたのに、九郎が命中させないのが悪いな!』
英児は何の特別な力を持たない純正な人間だ。石鎧での戦闘において、驚異的なセンスを発揮するだけの男である。
ただ、英児のセンスが常識を超越する爵位権限を上回る程に極まっている。
相手の挙動を観察して対処する。これを極めているのが英児の強さの正体だ。たったそれだけの事なのだが、対策を講じられる類ではない。
英児に勝利するためには、英児を上回る技量を身に付けるだけで良いのだが、それができないから俺は連敗している。
『あの女がいなくなれば、お前は私だけを見続けてくれる!』
英児に気を取られていた俺は、瑞穂の急接近に反応できずに片腕を斬り落とされた。
残った方の腕に対する攻撃をブースト加速で振り切るが、アキレウス二機は一定距離から引き離せない。
英児機は燃料を消費尽くした腰の増槽を投棄する。損傷ゼロ。
瑞穂機は刃こぼれした短剣を新しい物に交換している。損傷軽微。
俺は右腕を肘から失い、全身に切り傷。生身の装着者として存在している訳ではないので機体がバラバラに破壊されるまで戦闘続行できるが、このまま戦闘を続けても勝利は見出せそうにない。
窮地から逃れられず、瑞穂の執拗な攻撃が俺を襲う。
『お前が、悪いんだ! お前があの時、私を選んでおけばッ』
今更で、どうしようもない事を叫ぶ瑞穂の通信は耳に痛く、精神的には英児よりも俺にダメージを与えている。
『私が選ばれなかったのに、あの女を選ぶ事だけは許容できない。だったら、ここでお前を破壊してやる』
瑞穂の渾身の回し蹴りが、俺の体の中心へと放たれる。
きっと、これは致命傷だ。ネネイレ機の攻撃で既に破損していた胸への一撃で、俺の上半身は粉々に崩れ去れるだろう。
瑞穂の内側で膨れ上がった恋慕は受け止めず、俺は壊れてしまうのだろう。
『お前がもっと早く、私の気持ちに気付いていればッ! すべてが気に入らない今になってはいなかったのに――ッ!』
瑞穂の癇癪には慣れたものだが、幼い頃から耐えるばかりで反撃は一切行っていなかった。つけ上がった瑞穂を止める術は存在しない。
諦めた訳ではないが、走馬灯がカメラレンズを過ぎる。
幼い頃の、瑞穂に泣かされていた毎日を思い出す。
……こういうやり過ぎた瑞穂から身を守る最終手段は、おじさんに泣き付く事だったな。
『――瑞穂! 九郎君に甘えるのは、もうやめなさい』
背後から跳び込んで来た石鎧が俺を後方へと引っ張って、瑞穂の回し蹴りから逃してくれた。
俺の身代わりとなって前に進み、同じく回し蹴りで瑞穂の脚を受け止めていたのは、サンドカラーの賢兎である。
……いや、賢兎に似ているが違う。頭部のカメラレンズの数や装甲形状が異なる。賢兎に比べて耳は大きい。
賢兎の前身となった石鎧、闘兎で間違いない。
『素直になれないからと昔から九郎君に八つ当たりばかりで。パパは怒っちゃうぞ!』
瑞穂を娘と呼ぶ闘兎となれば、隊長で確定だ。




