7-11 明野奮戦
トレーラーの荷台に埋まっていた片腕を引っ張り出して、赤備はアルヴ製の機体、バイザー顔のアンテロープを睨み付ける。まだ戦意は削がれていない。
『王子に置き去りにされたのも……全部お前達が悪いんだからな! 負けていられるか!!』
トレーラーのタイヤの近くに堕ちてあった友軍のライフルを取り上げ、赤備はトリガーを引く。
銃撃に対して、アンテロープは機体の各所を光らせるだけだった。無表情のまま弾を無価値なものとして見続けるだけで、頭頂部の二本の長耳は微動だにしていない。
強靭な装甲で銃弾を防いでいる訳ではない。
不動に見える程の高速移動で銃弾を回避している訳でもない。
ただ、不可思議に、アンテロープの一メートル手前で銃弾の軌道が大きく逸れてしまっているだけだ。強風に弾が煽られたなんて生易しい逸れ方ではない。見えない壁に衝突したから角度が変わった。そうでなければ理解できない現象だ。
明野友里は銃では倒せないと踏み、長刀の両手持ち切り替える。
刃を上向きに、頭の上に柄を構えた上段。鋭利な切っ先で敵を指向する。
首を刈り取るようにまっすぐに構えられた刀は、剣術の達人の動きをシミュレートして最速で突き出されていく。
突き技は、機動兵器に対しても必殺の一撃であるはず……だった。少なくとも、惑星上に存在する石鎧に対しては有効な技であった。刀が届きさえすれば、アルヴに対しても必殺だったかもしれない。
『また、見えない壁か! バリアとでも言いたいのか!』
銃弾と同じく、長刀も見えない壁に捕らわれてしまう。感触は、明野の想像よりも柔らかい。コールタールに腕を突き入れているみたいだ。
刀を突き入れようと四苦八苦していると、ふと。刀身を通じて、見えない壁が膨張するイメージが明野に伝わる。人間よりもはるかに重い石鎧を吹き飛ばす不可視攻撃の前兆だ。
この不可視攻撃を明野は一度は食らいトレーラーに突っ込んだ。トレーラーを護衛していた石兎も不意討ちを食らって地面に衝突してしまっている。石兎は動かないので、装着者が気絶してしまっているのだろう。
『このッ!』
二度も同じ攻撃を食らう程に、明野は暢気な装着者ではない。バックステップで距離を取りつつ、置き土産でハンド・グレネードを投げ付けておく。
背中越しに、アンテロープに見えないように投じられたお手玉のようなグレネードは、放物線を描いてアンテロープの目の前まで飛ぶ。だが、一メートル手前の空中で止って、いきなり地面に落ちていった。
時限式の炸裂弾は地面に転がって一秒後、炸裂する。
一瞬で広がる爆煙の向こう側では、無傷のアンテロープが佇んでいた。
ぽっきりと折れてしまいそうな細身でありながら、無敵の盾に守られる異星機動兵器に、明野は目を見開いた。
『まったく。刃物とか火薬とか、火星のOAモドキは原始的で野蛮だなぁ』
暗号化されていない広域通信を赤備は受信する。
五十メートルほど後方から、明野の苦戦を観戦している重武装機動兵器、ヴォルペンティンガー三号機の装着者、イルルットが無駄に発信した電波だ。
アルヴ製兵器の共通項である長耳を、明野を煽るように動かしている。
『物体なんて磨耗するし、武器にするには不適合だって分からないのかな。ああ、知能が低くて気付かないし、作れないか。斥力場って言っても理解できないだろうし』
明野は広域通信に耳を傾けない。
通信を遮るがごとく、もう一度グレネードを投擲するが、やはり、見えない壁に守られているアンテロープには爆発が届いていない。
無駄な努力を続ける赤備を、アンテロープは敵として眺めていなかった。有効な攻撃方法を持たない惑星製石鎧を完全に見下している。だから、静観を続けている。
『ツマラナイなぁ。眠たい会合が嫌で下っ端みたいな事に立候補したのに、蹂躙できる程に数は多くないし。無駄な攻撃を続ける目の前の赤い胴長は見苦しいし』
腰のマウントに長刀を固定して、赤備は三度、ハンド・グレネードを投じる。
大きく煙は広がるが、その煙さえアンテロープの一メートル以内に近づけていないのだから、明野が格下と認識されるのは仕方がない事であった。
『良いよ、お前達。もう、その赤い胴長、壊しちゃって良い。武器使用自――』
ただし……明野は見逃さなかった。
『アルヴ!! 見えない壁が……見えたぞッ』
明野がただの装着者であれば、正体不明の技術力を持つ異質な敵に動揺するだけであっただろう。
しかし、明野はある王子に見初められてから、親衛隊の強化のために数ある石鎧の選定、操縦をこなしてきた経験がある。先進的石鎧運用中隊という肩書きは、伊達ではない。装着者でありながら、開発者としての視点も明野は持ち合わせていた。
地面から五センチより下からならば、煙はアンテロープに届いている。
また、地面から四メートル上から、筒状の見えない壁の内側へと流れ込む大気が観測された。
三発目のハンド・グレネードは攻撃手榴弾ではなかった。大量の煙で敵を撹乱するスモーク・グレネードを投じて、見えない壁の範囲を確認しようとしていたのだ。
『――は、何か言った?』
『次こそは、当てるッ』
赤備が繰り出す、四つ目のグレネードの投じ方は、ハンダースロー。見えない壁の下側の隙間、僅か五センチの穴を通すように指先にまで気を配ったフォームだ。爆発性物質が水切りするように、赤い砂地を飛び跳ねる。
いくら火星の兵器を見下しているからといって、アンテロープは見え透いた攻撃を見過ごしたりはしない。脚部の発光機関の処理を強める。と、見えない壁の下側の隙間は容易に消失した。
焦る程の事態ではなかったが、アンテロープは手を煩わせた赤備への攻撃を決意する。上官からの武器使用許可は下されているので、左肩部に内蔵されるレーザー砲門にエネルギー充填を開始する。
グレネードの炸裂が終わり、煙が晴れた後が赤備の最後だった。爆発が完全に止み、明野が見えない壁と呼ぶ防御性斥力場を解除した時、魔族さえ溶かしきる熱線が赤備を貫くだろう。
……赤備が、グレネードを投げると同時に走り始めていなければ、という前提が必要であったが。
赤備が投じた四つ目のグレネードは、信管が抜かれていない。注意をそらすためだけのブラフであったのだ。
『一メートルと三十センチ手前、ここで跳ぶ!』
赤備は、アンテロープまで一メートルと少しで地面から跳躍、背面のブースターを点火して上へと加速した。
己の身長を超える高度までは届いたが、残念ながら、赤備のスペック限界で跳躍力と重力が拮抗してしまう。これ以上、高く跳ぶ事は叶わない。
見えない壁の上の隙間まではまだまだ遠い。
『うぉおおおッ』
だから、赤備はマウントしていた長刀を見えない壁に突き入れて、足場とした。細い足場の上で更に跳び、固形燃料を大量消費して四メートルの高飛びを完了した。
見えない壁は、アンテロープの全身を覆うものではない。この事実に、明野はたった数分の戦闘で気付いていた。スモーク・グレネードを投げる前から八割ぐらいの確信を持っていたぐらいだ。
この惑星の大気は薄いといっても、存在する。普段感じられないからと無視して良いものではない。
地表からずっと高く積み重なった大気層は、ちり紙を宇宙空間にまで重ねたのと同じだけの重量を持っている。塵も積もれば理論により、大気圧は重くなる。
石鎧と同等であれば抗える圧力かもしれないが、上方向にも見えない壁を常時展開していれば、大気圧に対抗するエネルギーを浪費しなければならない。
だから、上には隙間があると明野は予測して、行動を取っていた。
短時間ならば上方向にも壁を作れるかもしれないと、念を入れてまず下方向にフェイントを投じていた。
『消え失せろ。奈国に巣食う外敵』
後は、単純な作業しか残っていない。手の付け根にある固定式のサブマシンガンで白銀の異星兵器を破壊するのみだ。固定武装は弾数が制限されるが、跳躍中であっても動きを邪魔しない。だからこそ、明野は赤備に装備させていた。
サブマシンガンから放たれる銃弾の豪雨が降り、白銀の装甲片が飛沫のように飛び散る。
『おい、おいおい。下級船員。何爆発しているんだよ!』
見えない壁を過信する設計をしていたアンテロープは、一秒間に五十発の銃撃に耐え切れずに爆発、炎上する。
同時に、見えない壁に突き刺さっていた長刀が地面に落下した。
『次ッ!』
残りのアンテロープは三体。
同胞の爆散で目を覚まし、赤いバイザーを怒らせている。もう、アルヴは格下だろうと手心を加えない。
エネルギー充填は完了していた。アンテロープは攻撃兵装を赤備に向け、鋼鉄さえ一瞬で溶かすレーザー光を発射した。
アンテロープは防御だけでなく、攻撃も視認できない。非可視光の熱線を浴びた瞬間、その者は既に死んでいるのだ。赤備の内部にいる明野は攻撃された事に気付かないまま、熱に解けて戦死する。
『……ん? 何かしたつもりか??』
……しかし、赤備は耐えていた。
外部装甲は三筋のレーザー光に熱せられて部分的に赤みが増していたが、高熱には程遠い。装甲板は目玉焼きも調理できない程度にしか過熱されていない。
魔族さえも数秒で全身を溶かす熱線の集中に涼しい顔をしている赤備に、同胞の撃墜以上にアンテロープは驚愕してしまう。敵である明野に察知される程に動揺が挙動に現れ、仲間同士で顔を見合っている。
この時明野は、惑星の石鎧がアルヴの兵器に対して耐性を持つ事を身を持って証明していたのだが、当の本人は肩を向けているだけの敵機を訝しがっているだけであった。
『明野さん。大気中の塵の動きから、推察される壁の範囲をデータリンクで送ります。紙屋君も後三十秒で再起動完了しますッ!』
『仕事が早いな、月野! 紙屋は遅い!』
装着者が気絶して動かない石兎の環境センサーで得られる結果を、月野のバックアップ経由で、赤備の曲面ディスプレイに投影する。
砂埃の多い惑星では、一時間足らずでフィルターを埋める量の砂粒が常に舞い上がっている。煙を使わなくても、画像の特殊処理で気流の流れを確認できる。
見えない壁は、見えない壁ではなくなった。
赤備は脚部の電磁筋肉を伸縮させる。長刀は地面擦れ擦れの下段だ。突撃を開始し、三機のアンテロープに接近戦を挑戦する。
見えない壁の効果範囲は、明野の予想以上に狭い。アンテロープの全周ではなく、たったの百八十度ぐらいにしか広がっていない。
正面から斬りかかると見せかけて、ステップを踏んで背面に移動、旋回しながら長刀で無防備なアンテロープの背中を横に斬り裂く。
固定砲台のような戦い方しか学んでいないのか、アンテロープは技を持って刀を振るう赤備の動きに付いていけない。
簡単に斬られていくので、不気味な技術力に苦戦していた今までが馬鹿らしくて、明野は叫んだ。
『一番槍の名誉、明野友里が頂戴したッ。次はどいつを斬り捨ててくれようぞ!』
長耳、白銀のアンテロープの掃討を終えた赤備は、兜の下に隠れる小さな点のような複眼を輝かせる。
明野の要求に答えたのは……後方で戦闘を観ていたヴォルペンティンガー三号機だ。
『下級船員倒した程度で、調子に乗るなんて可愛いよッ!! 火星人』
三号機の分厚い肩パーツが展開する。トランプカードのダイヤの形状をした特殊弾頭が二十四本、まとめて投擲される。




