7-9 奈国の東
「お前はいっつも弱いぞ、九郎!」
ノイズ混じりの光景は、セピア色。
カタカタ音が鳴るフィルムの映画を観ているような、そんな回想。
「柔道でも剣道でも、書道でもお前はいっつも私に負けてばっかっ! 男の癖にーっ」
「言うなよっ」
「そうやっていっつも泣くー」
夕暮れの草原で泣いているのは、幼い頃の俺。
であるのならば、その幼い俺をボロクソに負かしている凛々しく可愛い幼女は、瑞穂で間違いない。
紫の紐で束ねた後ろ髪は、こんな幼い頃からトレードマークだったのか。
何もかもが懐かしい日々であるため、夢の中の回想であっても涙が止らない。トーキー映画を観ている観客でしかないのに、涙腺から涙が溢れてしまう。
「やーい、弱虫! 泣き虫! 蛆虫!」
……決して、過去の心傷を刺激されて、泣いている訳ではない。
超越的な存在に対し命を対価にして望んだとしても、絶対に戻れない日々の光景に、胸が苦しくて泣いているだけだ。
「やーい、サナダ虫! フナ虫! ハリガネ虫!」
おい、いい加減にしろよ。このクソ幼馴染。俺をこれ以上泣かすんじゃねぇ。
「泣きたくないなら、もっと強くなれ! お前は、私よりも強くなれ!」
当時、俺と瑞穂の日常はだいたい回想通りだった。力関係のシーソーは完全に瑞穂へと傾いていて、俺はいっつも泣かされていた。はっきり言って、俺は瑞穂が苦手で嫌いだったと思う。
はたして、瑞穂は俺に対して優しさ見せた事があっただろうか。
「……そしたら、け、け、けっこ――」
「うわーーんっ! 瑞穂ちゃんの馬鹿ーーッ!」
「あ、逃げるな!!」
こんな根源を持つ俺達が、恋人同士になる未来は、どんな世界であっても訪れなかったに違いない。
所詮は、家が隣同士だった男女だったのだ。
……そう思わないと、夢から覚めれそうにない。
…………。
………………。
……………………システムコンバート完了。前回の終了は予期せぬ終了でした。
トレーラーは東に向かって進む。夜通し移動を続けて、朝日が昇っても動き続けた。
奈国の東は地面に亀裂の多い地方であるため、どうしても迂回路を選択する必要がある。
そのため、移動時間の割には進めていない。小さな亀裂であれば簡易な橋を設けて進めたが、断崖絶壁がうねるような地形ではそれも難しい。
「到着まで時間が掛かります。紙屋様の改修をするなら今の内だと思いますわ」
昨日からフリーズ気味な俺を労わっての発言だったのだろう。ルカは二年前のままソフト的にもハード的にもバージョンアップされていない俺の改造を提案する。
改造といっても、トレーラーの内部で可能な範囲に留まる。装甲板と電磁筋肉の入れ替え、武装の照準調整ぐらいなものである。
また、ソフトウェアについては月野しか触れる人間がいなかった。仕方がなく、病室からの遠隔でAIの不具合修正を行ってもらっている。
月野は体調を理由に断ってきたが、俺が無理を言って協力してもらったのだ。
「良いですか、紙屋君は卒業に失敗した予科生なんです。戦争は本職の軍人に任せておけば良いんです。紙屋君は時代遅れな旧式なんです。失恋直後のガラクタなんです」
「最早、死にていの俺を精神的に追い詰めて、何を言いたい。月野」
「……戦える状態には仕上げるけど、ぼくは紙屋君に戦って欲しくない。ぼくの本心だけは覚えておいてください」
月野の願いは叶えてやりたいが、二年前に叶えたばかりである。今回は無理だろう。
余裕がある内の改修作業であったが、裏目に出る。
亀裂地帯を移動し始めて半日経った頃、地平線の向こうに砂塵が確認された。トレーラーがどこかの部隊に捕捉されたのだ。
「移動経路が限られる地形です。予想はできていましたわ」
ルカは部隊にスクランブルを掛けた。ルカ自身も出撃のために装着者の気密スーツに着替え始める。
慌しくなるトレーラー内部に、俺も気持ちが急く。が、まだ改修は終わっていない。
電磁筋肉の張替えのために横たわっていた俺は、隣で石鎧の装着を始めたルカに問う。
「ルカ達だけで大丈夫なのか?」
「甘く見ないで欲しいですわね。あれぐらいの数に遅れは取りませんわ」
「増援は必ず来るぞ」
「ご安心を。何も考えがなくトレーラーを東に向かわせていた訳ではありません。たった一機の紙屋様に頼りにしなくて良いように、援軍を頼んでおりますわ」
ルカはルカで、色々と策を巡らせていたようだ。出撃のため、体形に密着する黒い気密スーツを着ているので、学生の頃のように突撃するだけしか能がないと勝手に決め付けていた。
かなり見直した目でルカを見上げる。
「……援軍が間に合うかどうか、微妙ですけど」
「おいッ」
「相手方にも都合がありますから。とりあえず、トレーラーを岩陰に停車させて、防衛線を築きます」
トレーラーを先行させて逃がしたい所であるが、地形的に難しい。そういうタイミングを見計らって、敵は接近して来たのだろうが。
援軍の当てがあるのであれば、防衛戦は悪い選択ではない。後はルカの部隊の実力次第だろう。どんなに急いでも、俺はもう三十分は出撃できないので最初は任せるしかない。
ルカは石鎧の中に滑り込み、装甲をロックする。
床に両手を付く格好になっていた石兎。
ルカ機の左右に突き出た大型クローが開閉。丸まっていた尾が関節を伸ばし、先端部のカバーを解放。正常機動した証明に、三つある非対称のカメラが発光した。
「お手並み拝見させてもらうぞ。二年前までと同じなら、笑ってやる」
「紙屋様にも遅れは取りませんわ。現代の英雄と持てはやされている城森様とも、条件さえ整えば十分は時間稼ぎをしてみせましょう」
「エージ相手に十分。大きく出たな」
ルカに続き、ハンガーに固定されていた石兎部隊が次々とレンズを発光させていく。脇腹に増設された多脚が、生物のように蠢いた。
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“石鎧名称:先行量産型・石兎・M2装備
製造元:月野製作所
スペック:
身長二・五メートル。中肉中背の石鎧。
軍学校の卒業試験を制した賢兎ワイズ・ラビットの量産機である。高価な液体コンピューターを廃止して、一般的な演算装置に変更する事で賢兎よりも三割ほどコストダウンに成功している。
本機は内縁軍に本採用される前の先行量産型であるため、細かな仕様が正式採用機と異なる。具体的に言うと整備性が悪い。
ただし、正式採用機と異なり、オプションが装備可能となっている。
内縁軍南部方面軍特機部隊に配備された石兎はマケシス社の技術スタッフにより全面改修が行われている。Maneuver《機動》2型オプションの多脚により、強襲機動戦術が可能。
匍匐したまま行動する専用形状に変形し、専用開発された巨大クローは石鎧の胴体さえ切断できる。また、背後に対処するため尻尾形状のアームが追加装備されている。その姿は、地球生物のサソリそのものである。
カラーリングは内縁軍所属を示す薄青色になっている”
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渇いた大地に走る巨大な亀裂を、赤銅色の石鎧は軽々と跳び越えていく。
外縁軍に所属する軽量なるパトロクロス改の群れが、踏破を阻む劣悪な地形を駆け抜けていく。
要所に仕掛けてあるセンサーが、輸送車両らしき物体を捉えた外縁軍所属部隊は出撃したのだ。
パトロクロス改、総勢四十八機の士気は高いとは言い難い。
本部の命令で動いているに過ぎない彼等は、同じ国の人間同士で戦う事を納得している訳ではないからだ。月から来たと言う奇妙な連中に従い続けている上層部の弱腰に、末端の兵士達の不満は溜まり続けている。
しかし、命令に背くようでは軍人はやっていられないだろう。一見、愚策としか思えない行動が、実は次なる作戦の布石である。そういった事例は数多くある。だから、命令の内容に不満があるぐらいで手を抜く事は許されない。
それに、今回の作戦には特典がある。敵が内縁軍の新鋭機、石兎部隊である事だ。
二年前までと比べて、パトロクロスの性能評価は下方修正されてしまっていた。運動性で他国の石鎧を圧倒できるはずなのに、運動性を活かし切れている装着者は多くないという烙印を押されたのだ。外縁軍に所属する装着者達にとって、屈辱的な再評価でしかない。
再評価の切欠は、二年前の反乱事件だ。外縁軍の一部方面軍が決起した際、予科生が操作する石兎の試作機がパトロクロス部隊を全滅させたのだ――その予科生が、現在では英雄と呼ばれている事までは、あまり知られていない。
逆恨みのようで情けなさを感じなくはないが、パトロクロスの装着者達は、内縁軍の石兎に対しては黒い感情を隠せない。
同国の軍隊同士であるため、戦う機会はないだろうと諦めていた。が、今回はその千載一隅のチャンスが巡ってきた訳である。
時代を逆行するかような堅牢性重視。なるほど、ドームの守備を業務としている内縁軍でなら使える石鎧なのかもしれない。案山子のような仕事であれば、運動性は無視されてしまうのだろう。
けれども、外縁軍では決して採用できない。荒野を迅速に進み、敵国深く進攻しなければならない外縁軍では、石兎のような鈍足機体は許されない。
現に、惑星を代表するような亀裂だらけの地形を、パトロクロス改の中隊は速度を落とさず進めている。石兎でも跳び越える事までは可能だろうが、最高速度を維持したまま進み続けるのは難しい。
石兎のような誰でも操縦できるオートマが、マニュアル機体に勝るはずがない。パトロクロスの真価を、全軍に示す時が来たのであ――。
『――小隊長負傷ッ! 部隊長、敵襲です!!』
流線型をしたパトロクロスが一機、亀裂を跳び越える瞬間を狙われて転倒した。
操作ミスではない。右脚にアンカーを撃ち込まれて転倒させられたのだ。
即時、中隊は円陣に広がって一斉にセンサーを稼働させる。奇襲を仕掛けていた敵がどこにいるのか、探り当てようとしているのだ。
『ええぃっ! どこから狙われた』
『発見しましたッ!! 亀裂の下、谷底か――ああッ!?』
勇敢に亀裂の底を確認していたパトロクロスが一機、大きな亀裂の壁より発射された鏃付きの鋼鉄ワイヤーに迎撃された。
本当は、ほぼ垂直の壁をワイヤーで牽引してよじ登るため発射されたアンカーに、不運な一機が巻き込まれただけであったが。
地表の下から姿を現そうとしている敵機を、全部隊で迎え撃とうとパトロクロスは陣形を組み直す。が、戦場が悪い。大小、無数の亀裂が走る奈国東部の地形は、石鎧が隠れるには最適な環境だったからだ。
遠くの亀裂から平べったい何かが飛び出て、クローに内蔵されている銃でパトロクロス部隊の背面を襲う。
慌てて新手に振り向けば、別方向から銃撃される。
遠くからばかりと思っていたら、突然、偽装されていた地面の穴から弧を描く尻尾が跳び出す。パトロクロスの背中に針を突き立て毒を流し込んだ。
『――全石兎M2型へ。敵を思う存分、蹂躙なさいな』
異形の姿の石兎部隊は通信されるまでもなく、浮き足立つパトロクロスの群れへと殲滅戦を開始した。




