2-2 承・契約活動
月野は、演習場の傍にある駐車場まで徒歩で帰ってきていた。
本当なら契約活動を続けたいのだが、月野製新型石鎧のカタログをお茶で台無しにしてしまった。予備を取りに会社まで取りに戻らなければならない。時間と紙資源の浪費だ。
「……ぼくは、情けない」
月野は肩を落とし、眼鏡の位置も落ちてしまったのでフレームを持ち上げる。
月野が受け継いだ会社、月野製作所の経営は火の車だった。
正確には、車輪すらも灰となって燃え尽きようとしている。過去に月野の祖父が得ていた特許の収入でどうにか経営を続けていたが、五十年の特許期間が一年前に過ぎてからは利益ゼロの体制が続いている。
多くのスタッフが月野製作所を見限り、今も残っていてくれているのは五、六十代の技術屋数名だ。赤ん坊の頃の月野を知っている人達しか残っておらず、不幸にも三代目に就任しなければならなくなった月野を憐れんでくれたとしか思えない。
近代兵器は高性能であるが、その分、開発費用も高い。必要とされる技術も相応だ。月野製作所が新型石鎧を製造できたのは、奇跡に近い。
祖父譲りの器用さが月野に受け継がれていたからである。が、本当のところは違う。
曽我が指摘した通り、月野製新型石鎧の設計思想は古い。会社に完全新型を作るだけの体力は残されていなかったので、一世代前の改良型を作るので精一杯だったのである。
「……欠陥なんて、ないのに」
月野製の第三世代石鎧、闘兎は傑作機であった。祖父が育て上げた基礎技術と、父が付与した新技術の融合より、他社の石鎧の二歩は進んだ性能を有していた。
中の下規模会社である月野製作所の生産能力を疑う声はあったものの、理解者の声もあってまず五十機の発注が行われた。そして、実試験を担当する外縁軍の評価が良好なら、更に二百機が追加発注されるはずであった。
しかし、五十機の納品直後に発生した大戦がすべてを白紙に戻してしまう。白紙にするだけなく、洗っても落ちない泥まで付けてくれた。
初期ロット五十機を運用試験していた、外縁軍の試験中隊は全滅してしまったのだ。生存者は一人もいない。
戦闘に巻き込まれたものと予想されているが、大戦の混乱の最中の悲劇であったため、詳しい調査は行われていない。
ただ、軍とは何かと理由を欲しがるものである。それも、自分達に都合の悪い理由以外の、理由だ。
試験中隊はかなりの錬度を誇る精鋭だった。その中隊が、一人も残らず全滅するはずがない。
では何故、全滅してしまったのか。
答えは簡単だ。……中隊が使っていた石鎧に欠陥があったからである。
「今に見てなさい。外縁軍の奴等には、泣いて謝ってきても売ってやるものか。内縁軍か親衛隊の注文だけ受けてやる」
月野製作所とパイプのあった要人も中隊に参加していたため、誰も月野製作所を庇ってはくれなかった。
以降、月野製作所は根拠のない事実で中傷され続けている。
駐車場の一角に止めてある“月野製作所”と墨汁に似た黒いペンキで文字が書かれたトラックが、月野の愛車である。少女が操る車にしては大きい。
まだ月野は若いが、中型トラックの免許は取得済みだ。会社の私有地でなら、幼少の頃から乗り回していたのでドライバー暦は長い。月野の運転技術はそこそこだ。
「重い荷物を入れてきた分、電気代が掛かるのに!」
経理主任兼社長は赤字増額をぼやきながら、肩掛けバックに入れているトラックの鍵を探す。ドライバーや軍手など、営業に不必要な品物が多いため、なかなか鍵を発掘できない。
トラックの電気代を気にするぐらいなら、最初から演習場に来なければ良かった。こう腐ってばかりはいられない。月野は、奥歯を軋ませながら笑窪を無理やり作る。笑わないところに福は訪れない。
手でバックをかき回して、月野がようやく鍵を発見した時だった。
「おいッ、勝手に動き出したぞ!」
黒板に爪を立てて奏でる不快音を割増した、鉄板やらフェンスやらが拉げる甲高い音が響く。
聞き取り困難であるが、複数人の怒号も聞こえる。
「馬鹿野郎ッ。どうして電源をぶった切ってねえんだ!」
「退避! 退避ぃッ!」
怒号の発生源は、月野の真正面からだ。トラック用の搬入口と思しき、大きな鉄扉が見えている。城門のような、と表現するには分厚さが足りないが、人間が素手で破れる物ではない。
その鉄扉が内部からの打撃で凸型に変形し、更なる一撃で穴が開く。
何やら騒がしい。そんな、暢気な気分で鉄扉を眺めていた月野は状況を正確に読み取った。
……どうやら、鉄扉の内側で暴走を開始したメカが、外に出ようとしているらしい。
「まったく、今日のぼくって、本当に最悪なのだから」
穴に鉄腕を通し、無理やり鉄扉を押し開く。金属同士が擦れ合う高音に耐えかね、月野は両手で両耳を塞いだ。
鉄扉を破壊して姿を現したのは、チェスのポーンにランドセルを背負わせたようなマシーンだった。腕代わりに長方形の物体を左右に一本ずつ装着してある。
石鎧メーカーの社長兼営業兼現場主任である月野は、無人機の正体を知っている。
「マケシスの黒助!? 懐かしいけど……」
黒助はあだ名ではない。月野に迫らんとホバー移動している無人機の製品名である。マケシス社が十年前に発売して、既に絶滅しているものと思っていた。
全長二・八メートルと無人機としてはやや大きめだが、単純構造で整備員の間で人気があり、石鎧装着者からは大きくて当て易いと好評だ。センサー感度の悪さを安さで補っているため、しばしば暴走してしまう演習場のマスコットである。
既に演習場で一度働いた後なのだろう。左側の腕のような、長方形のランチャーユニットが破損している。黒助は主電源を切っても自動復活して獲物を探す働き者なので、修理に出す前に一度全損させてしまうのが鉄則だ。
「もしかしなくても、ぼくを狙っ――」
センサー感度はやはり悪く、月野の顔の十センチ隣をペイント弾が過ぎ去っていく。
ちなみに、演習で用いられるペイント弾は装甲で守られている石鎧に対しては無力だが、至近距離で生身の人間に命中すれば肉が窪んでしまうので注意が必要だ。
「――ひぃっ! どうして、こっちにくるの! ぼく、SAみたいに太くないよッ」
暴走黒助は月野を敵と認識して、ペイント弾の連射を開始する。
会社が倒産する前に死にたくない月野は、自社の中型トラックを盾にして身を隠した。
車体側面にある“月野製作所”の味のある手書きが、カラフルに着色されていく。
マスコットとはいえ自律稼働できる無人機だ。ゆっくりと位置を調整して、隠れる月野を射線に収めようとホバリングしている。ペイント弾が尽きるまで、月野が逃げ続けられる保証はなかった。
せめてトラックの内部に逃れて、そのまま運転して逃げられれば良かったのに、不運は連鎖し、月野は肩掛けバックから発見した鍵を落としてしまっていた。鍵は既に黒助の後方にある。月野ではもう拾えない。
「せっかく、新型を形にできたのに……。父さんが死んでもがんばってきたのに……っ。どうして、努力は報われないの」
月野の眼鏡は水滴で屈折し、視界はボヤけていった。
このまま赤字も成果も有耶無耶になって消え去るのであれば、それはそれで幸せなのかもしれない。
「がんばった人間が不幸になる世界なんて、いっそ消えてしまえ……」
月野の願いは叶わなかった。
黒助の中身の詰まっていない本体に石が投じられ、カン、と音がしたからかもしれない。
「――手で投げた石では、被弾判定されないか……。そこに隠れている人! この鍵はこのトラックの鍵か!!」
黒助の背後から、青年の声が月野に投げ掛けられた。
「そ、そうですっ! 助けてください!」
「このトラックの中身は、SAか!」
「こっちに鍵を投げてください! そうすれば乗って逃げられ――」
「運転席ごと潰されるだけだろ。だから、ちょっと借りるぞ!」
青年の声は遠ざかり、代わりに荷台が開放される音が月野の耳に届けられる。現れてくれた救援が、トンチキな行動を取っているとは思いたくない。
月野は確かに、予科生に試着してもらおうと新型石鎧を運んできている。余所者でも装着まではできるだろう。が、石鎧の電源を入れるためには認証が必要だ。
二足歩行兵器特有の、重厚な着地音が駐車場のコンクリートを割り潰す。
開発時の単純なパスワードしか設定していないから、出鱈目にキーを打ち、認証に成功して直立する事はできるかもしれない。が、新型機の完成度は五割強。一歩を踏み出せても、そこで停止してしまう可能性大だ。
トラックの荷台から降り立った目新しい石鎧は、不器用に一歩動いて停止してしまったが、やや合間を置いてから再起動した。それから二歩移動して立ち位置を補正、三歩目でまた誤作動で停止してしまうが、遮蔽物のない直線上に黒助を捉える。
なるほど。それでも動く事は可能なのだろう。が、動けたところで意味はない。試作型は素体を更に裸にした状態だ。標準武装のナイフでさえ、まだ工場で研磨している最中だ。
黒助の鈍感センサーでも、人間と石鎧ではどちらの脅威度が高いか判別できて当然だ。
月野から目を離して旋回し、黒助は後方に現れた新型と向き合う。
黒助のレンズには、蛇腹でシャッター形状な顔立ちと、頭頂部にある一対の長い耳が特徴的な石鎧が映り込んでいる。三対から形勢されるカメラ群が、紫色に怪しく発光する。
感情なき無人機が恐怖を感じる訳はないはずなのに、黒助はペイント弾による銃撃を開始した。
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“石鎧名称:賢兎
製造元:月野製作所
スペック:
身長二・五メートル。中肉中背の石鎧。
オプション装備による武装強化を前提としており、本状態は未換装時の素体である。性能は未知数。
まだ、開発が完了していないため、二歩動けるだけでも奇跡である。
シャッター形状の頭部にある大小三対のカメラレンズと、兎の耳のような環境センサーが特徴的。
前身となった一世代前の闘兎に酷く類似している事から、開発の遅れをかなり引きずっていると覗える”
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「ぼくのワイズを持ち出して、どうするつもり!」
「……それはな――」
外部スピーカーからメカニカルに拡声された青年の声が、月野の問いに答えた。銃撃の音が鳴り響く中での受け答えだ。新型石鎧の集音機能だけは問題はない。
「――このまま、案山子になって警備がくるのを待つ」
未完成品の新型石鎧に可能な最良の手段だった。
素体とはいえ、ペイント弾程度では石鎧は傷付かない。鉄扉を破壊した時のように黒助が力任せに押し潰してくるかもしれないが、鉄扉よりも強固なフレームを持つ石鎧なら十分に耐えられるだろう。
だから、姿を現して黒助の注目を浴びるだけでも十分に青年は役立っていた。
「何ですか、それ! ワイズを勝手に動かしておいて、その体たらく!」
「まともに動かないなら、これしかないだろ」
「誰がペイントをふき取ると思っているの!」
真っ白でビニールも取れていない新型石鎧の表面で、ビビットな青と黄と赤が交じり合う。
青年の行動で月野は命を救われたはずなのに、後の作業を思うと素直に喜ぶ事ができなかった。
その後、警備部隊の到着で暴走無人機は鎮圧された。青年の活躍もあって、負傷者はゼロである。
唯一の被害者と言える月野製作所の社長も、案外図太い。
この暴走事故をダシにして、月野は慰謝料兼口止め料として僅かな開発費と、予科生と優先して交渉できる権利を手に入れましたとさ。