7-3 俺達退院します
月野を搭載しての逃走を開始したのはいいが、問題は山積みだ。寝起きで頭が働いていないので深刻にならずに済んでいるが、これからはそうもいかない。
そもそも、俺達にとっての問題とは何なのか。
襲い来る内縁軍が最優先事案であるが、本当はもっと大事な使命を果たすべきなのでは。大局を見れば、より多くの人間のためとなるべき、メッセンジャーとしての役目があったはず。
あるいは……もっと独善的に、放棄してしまった初恋を再開すべく、醜く足掻いてみるのも人間らしい。この身は鉄となり、思考はAI化されてしまったのなら、せめて精神だけは人間的に汚れてしまうべきだ。
月野を投棄して、初恋の女を捜しに出掛ける。実に人間的ではないか。腐った心なんて、生の肉体を持っている人間にしか持てない貴重品だ。
ああ、実に良い。
実に……どうでも良い。
そんな人間らしさは、犬にでも食わせてしまえば最高だ。
二年間も待っていてくれた女を守れる機械には、腐った心は不要物。愚直に目前の障害を、対処する。
「紙屋君、深刻な顔して、どうしたの??」
……この眼鏡女のレンズには、曲面のスクリーンに映し出される外部映像が映っていないというのか。演算負荷から、俺の状態を読み取ったとでも言うのか。
「まあ、な。色々考えていたが、月野に訊ねたい」
何を悩んでいたのか聞かれたくないので、月野に疑問を投げ付ける。
「内縁軍が特殊部隊まで使って月野を捕縛する理由、本当に思いつかな『――シグマ社製のハンドガン、M3Nと判断……掌握しました。残弾は五発です』いのか? 企業間抗争にでも負けたか、横領を告発されたか」
「月野製作所は堅実経営が売りなの。そもそも、今日内縁軍が動くのがおかしい」
「というと?」
「今日は国内にあった魔族の巣を掃討する作戦が行われていたはずなのよ。軍部が私に構っている余裕があるはずがないと思わない?」
「魔族と戦っていたのか、なんて間の『――硬質ナイフです。ナイフケースとの互換は合います』悪い。伯爵級が和平を持ちかけた最中に」
俺がもう少し早く起きていれば、奈国は無駄に魔族と戦う必要はなかったのだろうか。
そんな単純な話ではないだろうが。魔族と奈国が敵対しているのであれば、和平交渉がすんなり進むとは思えない。
「月野が言う通り、戦力を割いている内縁軍が、更に部隊を動かすとは思えないな。月野の罪状は置いておいても、たった一人の拘束、作戦が無事に終わってからでも問題ないはずだ」
「潔白だから! 冤罪だから!」
内縁軍は各ドームに警備部隊を配備する必要がある。本来、部隊を派遣できる程に人員に余裕がある軍隊ではない。そんな内縁軍が魔族の掃討に出向いている間に、虎の子の特殊部隊を使うなど考え辛い。
明確な理由があるのだと思うが、逮捕状を出されている月野本人が分からないのに、眠っていた俺が分かるはずがない。
いや……。
どんな理由があったとしても内縁軍が月野の拘束に動くのは奇妙だ。己の首を絞める行為を平然とできる程に、内縁軍は健全な組織だろうか。そんな公的組織、人類史のどこを探っても見当たらない。
「月野製作所の新型は内縁軍に納品しているのだろ。メーカーの社長を逮捕してしまって、石鎧の調達に支障が出ないはずがない。それを嫌『固形燃料の残量がありません。補給を行ってください』わず、内縁軍が特殊部隊を動かしたのは不自然過ぎる」
下手をすると、内縁軍は司法機関に黙って行動している可能性がある。特殊部隊は秘密裏に動いており、何らかの嫌疑がある月野を暗殺するつもりなのではなかろうか。
こんな事、月野には言えないぞ。
「――やっぱり答えは見えない。内縁軍については後回しにしてしまうしかないか。ちなみに、月野に逃走先の当てはあるか?」
「工場も自宅も押さえられているだろうし……」
「なら、俺の当てを頼ろう。隊長達を探すためにも、まずはドームから出てしまお『――補給してください』だァァァ! 邪魔臭い!」
AI音声は切るタイプの俺としては、現状は耐えられない。言葉に言葉が重なって、真剣な話合いができないではないか。
「月野、どうにかできないか。製作者だろ?」
「人間を作った神様と同じく、メーカーの人間は万能みたいな思考はしないで。……まあ、音声ソフトをいじれば無音にできると思うけど……そもそも、今の紙屋君ってどうなっているのさ。人間なの?」
「ワレオモウ。ユエニ、ワレアリ」
月野と喋っている間に、階段を下り終えた。
建物の出口らしき光が見えたので、石兎から拝借しておいた装備品を構える。外には見張りの部隊が必ずいるだろう。残弾のないハンドガンとナイフが一つずで突破できるかは、かなり不安だ。
石兎の性能とか弱点について、月野に聞いてみる。
「安い、硬い、しょぼい」
「メーカーの癖に、酷い言い草だ」
「量産型が試作機に劣っているなんて、酷いとしか言いようがないです。新兵でも初陣で死なないように仕上げたつもりですけど……。ワイズに比べて、価格、堅牢性、継戦能力に優れますが、その他の機動性、運動性、突破性、住居性、近接性能、砲撃性能、跳躍性能、もろもろが三割は劣ります」
ここで俺は石兎の方が好みだ、と言ったら月野は激怒しそうなので止めておく。
月野の評価は低い。が、石兎の性能が、内縁軍がそれまで使用していた石鎧より高いのは間違いない。そうでなければ、独自のポリシーを持つ特殊部隊に配備されるはずがない。
不意討ちならいざ知らず、広い屋外で待ち伏せされている現状。
はたして俺は月野を守れるのだろうか。
飾り気のない長方形の建物にある唯一の玄関。
二十四の石兎が扇状に展開し、屋内から逃走を図ろうとする無謀者を待ち構える。
『停止せよッ。警告に従わなければ、生命の保証はしかねる!』
月野と共に出てきたのは、そんな窮地だ。
玄関の傍には射線から逃れられる遮蔽物はないのに、一方で、石兎部隊は荷台の長い輸送車両に身を隠せる。横腹を見せて停車している輸送車両は、俺達の逃走を阻止するバリゲートの意味合いが強いだろうが。
「押し通るッ!!」
『ええぃッ。捕縛網放て!』
突破そのものが無謀であるのだから、真正面から突破を図る無謀まで冒す必要はない。比較的、包囲網の厚みの薄い右方向へと俺は跳ぶ。
直後、四方から迫り来るのは低速で発射された太い砲弾だ。
目標である俺との距離が一定まで詰まった瞬間、炸裂。内側から放射状に鋼鉄線が広がる。ドーム内の犯罪取締りも行う内縁軍ならではの非殺傷装備、捕縛網である。
網を絡ませて動きを止めるだけの、漁業道具と何ら変わらない機能しかない。こうは侮れない。宇宙進出の最初期、無重力空間で鉛筆を使っていたように、単純構造はどんな時代でも強みとなる。
賢兎は脚が命。視界内に広がった鉄製の蜘蛛の巣は、絶対に回避する必要があった。
固形燃料を燃やして加速、はできない。固形燃料がないと先程しつこくエラーが出ていた。
仕方がないのでスライディングで床上を滑る。装着者なのに石鎧の動きに翻弄される月野の叫びが、頭の中で木霊した。
一つをやり過ごしている間にも、前方から別の捕縛網が広がる。舗装された床を蹴り割って後退するしかない。
『なんだ、あの動きは?? 捕縛対象が動かしている? 技術者ではなかったのか!』
玄関口まで返って来た俺を、接近していた石兎が出迎える。片腕を掴もうとしてきたので、逆に腕を掴んで引き、床に倒してやる。こういった体術は隊長の直伝だ。
最初に命について警告されたが、内縁軍は銃を使ってこなかった。石鎧を持ち出しておいて今更、穏便に済ませたいとは思っているのか。
『賢兎のAIを使った自動処理。……であるのなら、この機体の検証時に発見したロジックバグを――』
どうやって包囲網を突破するか悩んでいる内に、新手が現れる。
カーキ色の石兎ではない。朱色で、肩に筆で“兵”という文字が書かれている石鎧である。
『内縁軍、狼藉を控えよ。鷹矢王子はご立腹であるぞ』
朱色の石鎧は石兎部隊と俺の間に降り立った。
見覚えるのある石鎧だ。親衛隊に配備されている赤備で間違いないだろう。
『親衛隊! こちらは内縁軍所属部隊だ。我々は任務を遂行している。抗議があるのなら、正規の手続きを行え!!』
『ならば、私にはお前達を止める義務がある。この病棟に鷹矢王子がいる。SA同士の戦闘に巻き込まれ、王子に被害が及ばぬよう手は抜けぬ』
赤備の装着者の声にも覚えがある。外部スピーカーから流れるキリリとした女性の声は、軍学校の先輩である明野友里の声で間違いない。
どうやら、明野は俺達の味方をしてくれるようだった。石兎部隊の隊長に戦闘中止を要請してくれている。
有り難い援軍だ。親衛隊に所属している明野の操縦技術は高い。味方をしてくれるのであれば、強い安心感がある。
「有り難いけどさ。親衛隊って、どうして明野先輩以外に現れないのか」
「鷹矢様が紙屋君の入院費を払っていたから、感謝しないと駄目だよ」
「鷹矢様って王子の名前か。……って、俺は王子に用事があるのに、今更引き返せないぞ」
赤備と石兎がどけ、どかない、の問答を行っている最中、秘匿回線経由で電文が届く。
頭部の内側の曲面フィルターにポップアップさせて、月野と一緒に読んだ電文の内容は――、
『赤備は遠隔操縦。バレる前に逃げろ。安全確保後、親衛隊の秘匿回線で救助を要請せよ』
――という逃走の推奨であった。
最初からそのつもりであったとはいえ、なんて無謀な指示なのだろう。先輩から授かるお言葉というのは、理不尽なものか。
『親衛隊に構うな。捕縛を強行せよ!』
石兎が行動を再開する。赤備が腕を伸ばして手首の固定武装を照準するが、反応が鈍い。突撃してきた石兎に押されて転倒してしまった。
『感触が軽い。よくも無人でハッタリを!』
『音声入力では、細かい指示ができない。クソ、逃げろ、月野海!』
あまり役に立ってくれなかった赤備であるが、多少なりとも石兎を引き付けてくれたと思う事にする。
走り出した俺に向けて再装填された捕縛網が放たれたが、今度は建物の壁を足場にして上に逃げた。
包囲網の上空を越えるように大きく跳躍。着地に成功すると、速力を上げてドーム外を目指す。
『追えッ。何としてもドームの内側で捕らえよ! こうなっては、銃の使用も許可する』




