2-1 序・契約活動
眼鏡の少女、月野という名を持つ少女は一目惚れをしてしまった。
理系な月野が、第一印象だけで生涯の相方を決めてしまうとは情けない。
しかし、恋というあやふやな感情の揺らぎに対して、計算など無粋だ。まだ二十歳を過ぎてもいない少女の内から、年収とか、将来性とかを相方に求めていては碌でもない大人になってしまう。
感受性全盛期な少女月野は、己の選美眼を信じるべきなのだ。
たとえ、視力が小数点の位であったとしてもである。恋は盲目なのだ。
「……ああ、瑞穂様。なんて力強くて、生命力に溢れた女性」
……たとえ、一目惚れした相手が女性であっても、月野の眼鏡は歪んでいない。
月野が一目惚れするに足る理由が、遠くに見える瑞穂という少女には存在した。
全身を五本の指だけで感じさせる、巧みな指捌き。
細身の女性とは思えない程に長く続く、スタミナ。
「ああぁっ!」
どんな無骨な相手であっても、完璧に掌握してしまいそうな包容力。
けれど、何度叩きつけられ、挫けても、決して諦めない芯の力強さ。
「良い、絶対に良い」
コンマゼロゼロの単位で脚部の駆動角を選定し終え、消費電力を極力を抑えてしまえる操縦技術。
生身の腕を覆うように存在する合金製の腕部を、本物の腕のように違和感なく動かしてみせる熟練度。
「瑞穂様こそ、月野製作所製のSAの装着者として相応しい!!」
縁の太い黒眼鏡を掛ける、少女月野の目に狂いはなかった。
女性の装着者の割合は全体の四割前後。男女での優劣はあまりないとされており、女性のエース装着者を月野はたくさん知っている。
前方の演習場で戦う誰よりも操縦技術に優れている瑞穂予科生であれば、きっと、経営が破綻し掛けている月野製作所の救世主になってくれるだろう。
「ぼくは、瑞穂様に専属契約を申し込みます!」
稼働する二メートル強の鈍色の全身鎧に、月野は熱を上げていた。
「申し訳ありませんが、御社との専属契約はお断りさせてもらいます」
「…………え?」
少女月野、一目惚れは見事散った。初恋なのが悪かったのだろう。
「お断りの理由をお伺いしても、よろしいですか」
契約を一度断られたぐらいで月野は諦め切れなかった。というよりも、ここで諦めては祖父の代から続く月野製作所が潰れてしまう。
月野製作所は由緒ある、軍用強化外骨格、石鎧専門の兵器メーカーである――石鎧はSAと略されて呼ばれる事が多い。
二代目である父が継いだ際に最盛期を迎えた月野製作所であるが、前回の大戦で月野製石鎧に欠陥ありと指摘されて以降、経営は傾き続けている。
ぶっちゃけた話、来月経営破綻しても可笑しくはない。
少女月野は三代目社長にして、新型石鎧開発プロジェクトのリーダーであり、主任であり、営業担当でもある。ワンマン社長ではないにしろ、多くの社員が月野製作所から去った今、社長であっても現場で汗を流さなければならない。
「御社の新型、賢兎でしたか。私が求める性能を満たしている機体ではありません」
「素体のスペックだけで判断していただくのではなく、オプションを含めた総合的な性能で判断していただけないでしょうか。こちらの近接戦の標準セットであれば、現行のどのSAよりも優れているはずです」
斜陽メーカーであるが、月野は己も携わっている新型石鎧の性能に自信があった。
経営が傾く原因となった大戦時の欠陥指摘。
汚名の屈辱に耐えて、連日の徹夜で鼻血を垂れ流しながら開発を行った新型石鎧は、現行機だけではなく、他社の新型と比較しても一歩進んだ性能を有している。過信ではなく客観的に見た事実であった。
「お願いします。もう一度検討していただけないでしょうか。ご指摘があれば、即時反映を行いますので」
自信があるからこそ、月野は同年の少女に対しても頭を下げる事ができる。
専属契約を申し込んでいる相手、曽我瑞穂予科生と月野は同じ年の少女だ。歳は十七。
濡れているように煌く黒髪からは奥ゆかしさが見受けられる。同時に、紫の紐で一つに結ばれた後ろ髪を代表に、凛とした印象も介在している。
若くから社長として働く月野と将来のエースと期待される曽我、どちらの立場が上かの話ではない。
しかし、ここで曽我に専属契約を断られ、会社を潰す訳にはいかなかった。
「……頭をお上げください。今期の予科生の卒業試験で優勝したSAが、軍の次期SAの候補となる。まことしやかに噂されていますが、所詮は噂。そして私も所詮は予科生の小娘です」
「ですが、弊社にとっては最後の希望なのです」
頭を下げ続ける月野の懸命さ心打たれたのだろう。
曽我は一度瞼を閉じてからゆっくりと開き直す。
「月野様、分かりました。……先に無礼を謝罪しておきますね」
ルージュが引かれていないのに桃色が栄える唇は、建前を捨て去り、本音を語り始めた。
「率直に申し上げます。御社の新型の設計思想は、古いです」
「ッ! お言葉ですが――」
顔を一気に上げた月野を、曽我は手で制して辛辣な言葉を続ける。
「この賢兎なるSA、装着者の安全性を高めるために装甲の厚い設計が行われていますが、次の世代に求められているのは強固な装甲ではなく、銃弾を避けるための運動性能です」
月野は反論したくてたまらないが、曽我の手の平が下げられていないので断念する。ペットのごとく躾を施されている気分だ。
「それなりの運動性能がある事は、資料に目を通したので理解しています。高いバランスで性能を実現した素晴らしい機体だとも理解できます。本当に苦労されたのでしょう」
「ではどうしてっ!」
評価されながら専属契約を結んでくれない理不尽に、月野は声を上げる。
「最高の性能を有していないからです。……御社以外にも、複数お声をいただいますが、私はオリンポスと契約するつもりで話を進めています」
「あの、新進気鋭のオリンポスと……」
「守秘義務があるので詳しくは申し上げられませんが……。あくまで私見で言うならば、御社のSAはオリンポスのSAと比較して見劣りします」
新参者でありながら、今最も注目されている企業であるオリンポス。卒業試験でも優位性を失わないよう、優秀な予科生に声を掛けていないはずがない。
月野は出遅れた事を悔やむが、過去を嘆いても何も変わらない事は骨身に染みている。大切なのは、今と、来月以降の会社経営だ。
ソファーから立ち上がり、契約に使用している個室から出て行こうとする曽我。彼女を逃さないため、月野は必死に曽我の服を掴む。
「お願いです。新型機の実機を用意してあります。せめて、動かしてから結論を出していただけないでしょうか」
「まだ納得していだけませんか」
「私が納得しているのは、曽我予科生の操縦技術だけです!」
大切な支給品の服を伸ばされたくなかったのだろう。今一度、曽我はソファーに座り直す。
「午前中に行われていた演習を見学していました。あのSAを己の体のように扱う巧みさ、私は本当に感激しました」
曽我の操縦技術は、技術屋の月野の目から見て素晴らしいものであった。
実戦的な戦闘訓練だった。赤と青の目印をつけた六機の石鎧が、予科生らしく無駄な動きでちまちまと戦い合う中、曽我が操縦する石鎧だけは見事な動きを見せていたのだ。
機体の特性を生かし、格闘による自機の駆動系に受けるダメージさえも考慮した技術屋を感心させた戦闘スタイル。
惜しまれるのは演習機の不調の所為で右の脚部が動かず、防戦一方となっていた事である。とはいえ、予科生の間に行われるたった一回の演習結果に、将来を決定付ける程の重大性はない。
むしろ、月野にとっては幸運だった。ハンデを負いながらも健闘できる予科生を発掘できた己を、国一番の幸せ者だと直感したぐらいだ。
「感激しました。あの、執拗というか狂気染みた剣戟の数々をすべて防ぎ切り、演習終了まで耐え伸びたお姿に、涙しました」
「……え?」
「演習機は第一世代、金時社製の石人でした。今も稼働しているが不思議なぐらいのロートルで、とは言っても整備している予科生の腕が酷いのか、いえ、決してご学友を貶している訳ではなく」
「……は?」
月野は月野なりに最大級に褒めている。
だというのに、褒めている対象である曽我の反応がすこぶる悪い。
「――貴女、無礼で無知な女ね」
曽我はそれまでの優等生の顔を捨て去っていた。代わりに用意されていたのは仇に対してのみ向けられる純粋な殺気だ。
「貴女が納得するかしないか。そんな些事、私には関係ないのだけど、貴女の会社を選ばない本当の理由を教えてあげる」
兵器を運用するために訓練を受けている女の威圧だ。ただの若社長で受け止めきれるものではない。ひぃっ、と悲鳴を上げて、月野は眼鏡をズラしながらソファーの背もたれにしがみ付いてしまった。
曽我は戦闘技術だけでなく、美貌も兼ね備えた女である。そんな女の殺気のこもった視線には物理的な何かが存在する。
「貴女の会社が落ちぶれた原因であるSA、闘兎の欠陥で、私の父は死んだのよ!」
「ッ! それはっ!」
「この賢兎というのかしら。父を殺したSAと瓜二つ。こんな殺人マシーンを私が選ぶものか。世界中のどんなSAより性能が秀でていたとしても、月野製作所のSAだけは決して選ばない!!」
「それは、その、けど! あの欠陥は、誤解なんです!」
今度こそ個室から出て行こうとする曽我。
額に深い谷を作る視線で射抜かれて怯えているはずの月野は、それでも曽我の服に手を伸ばす。
しかし、曽我の最後の言葉が月野の手を凍り付かせた。
「貴女は、父だけでなく私まで殺したいのかッ」
予科生最高の装着者との専属契約に、月野は失敗した。
社長兼営業部長としては大きな失態であるが、今回は相手が悪かった。
「あの女はッ、なによ! 自分だけが親を失ったかのように!」
とはいえ、契約してくれなかった相手の陰口を叫び、机の板を拳で叩き付ける月野の沸点の低さはいただけない。そんな事では営業マンとして生きていけないし、机を叩いた衝撃で注いであったお茶がこぼれ、持参してあったカタログが水浸しだ。
「……あー、もう。予備がない。帰って持ってこないと」
曽我に断られたとなれば、次に優秀な予科生と契約交渉するだけだ。それで駄目なら三番目。それで駄目なら次を更に続けていく。
まさか二五四回も断れる事はないだろう。装着者過程の予科生は二五四人しかいない。
「良いわよ。ぼくのワイズは完璧だから。中の人がどんなにヘボでも」
月野も個室から出て行き、無人の室内にはお茶の垂れる机だけが残された。