6-4 眠れる石の青年
数度にわたる魔族の惑星間進攻を受けた奈国は不幸であったが、一切の幸運に恵まれていない訳ではなかった。
奈国に現れた救世主の名は、城森英児。
そして、もう一人。城森瑞穂。
二人は新婚の夫妻である。
反乱の疑惑により、権限や予算を凍結されていた外縁軍に志願した風変わりな若者達であるが、対魔族戦における二名の活躍は他の追随を許さない。
英児は合計三体の貴族級魔族の討伐を成し遂げた、自他共に認める強者である。
現代の英雄と称す者も多い。最前線で異形と戦う兵士達にしてみれば、英雄と誉めちぎる以外に装着者としての技量差を慰める方法はないだろう。
英児に比べれば、妻である瑞穂の戦果は大人しいと言えるが、瑞穂は瑞穂で戦果が平均から逸脱してしまっている。
射撃武器を持たない魔族は集団突撃で襲い掛かって来るのだが、瑞穂は濁流のごとき墨汁色の群の中で孤立するのを恐れない。討伐数を稼ぐ好機とさえ考えている節がある。
軍部や政府からの評価は高い。
また、夫婦揃って恵まれた顔を持っているため、市民に対する受けも上々だ。
イメージ回復を図りたい外縁軍の広報部隊は、積極的に夫婦を利用している。特集記事を載せた電子ペーパーの無料配布は当然で、メディアへの顔出しを命じるのもお手の物だ。
不敵な顔の好青年と、物静かな美女の組み合わせがテレビ中継されて文句を言う人間はいない。
ただし、評価を貶める捏造がなかった訳ではない。
一部ゴシップ誌にて、新婚でありながら既に別居しているやら、奇声を上げて妻が夫に包丁で斬りかかったやら、石鎧演習という名目で夫は妻を暴行していたやら、誰もが笑えない笑い話が掲載された事がある。有名人に付き物のショッキングな法螺であるため、ゴシップ誌の連載は今現在も中断され続けている。
人気振りの次は、軍人らしく武具の話だ。英雄と称される特別な人間は、扱う装備も特別仕様となっている。
夫妻が装着する石鎧は、あの有名企業であるオリンポス社の最新鋭機である。
軽量、超運動性の石鎧の名は、アキレウス。母星の古い英雄の名前が由来だ。
瑞穂は予科生の頃、既にアキレウスを装着していた経験があり、操縦は慣れたものである。アキレウスの第一人者である瑞穂が編み出した高速戦闘は、魔族との混戦でもまったく危なげさがない、と軍部は言っている。
……なお、軍学校の卒業試験で、瑞穂は惜しくも準優勝という成績であった。決勝戦の相手が、内縁軍の次期主力として採用された汎用石鎧、石兎の原型機と聞けば納得できるであろう。
瑞穂のアキレウスは、外縁軍の標準色である赤銅色を下地に、駆動部位に黒のアクセントが入るカラーリングだ。前回の魔族襲撃で、撃墜数が四百を超えたと噂されているので、また肩の縦棒の数が増えるのだろう。
夫である英児のアキレウスは、元々検証機として組み立てられた石鎧であるため標準機とは外見が異なる。より、勇ましく、刀を思わせる面構えをした英雄に相応しい石鎧である。性能は、決して見かけ倒しではない。
白と赤に塗装された石鎧が走るたび、また魔族の貴族が減っていくのだ。
英雄夫妻がいる限り、奈国の未来は安泰である。
何度、奈国は二人が救ってくれるから、どんな敵が現れても怯える必要はない。
今日も月野は病院にやってきた。タイトスーツから作業着姿に着替えると、さっそく賢兎の修理に取り掛かる。
肩口に掛かる髪の毛を結んでから帽子を被り、眼鏡の上から保護眼鏡をかけた月野は、目にクマが浮かぶ程に疲れているのに楽しげだ。
――そんな月野の作業風景を監視カメラ越しに見詰めて、男は主治医に問い掛けた。
「ふむ、彼は快復していると言って良いのか?」
男の態度は決して高圧的ではない。が、二十代後半の男に対し、年配の主治医は常に低姿勢だ。
「医学的に言って、あの患者を生きていると言って良いものか。二年もお時間を頂いておりながら、結果を出せずに申し訳ございません。鷹矢様」
「無理は承知している。容態を安定させただけでも、そなたの功績だ」
主治医はこの病院ではかなりの権威者であるが、男の方はもっと広範囲に尊ばれる一族の人間である。男の偉そうな口調は妥当と言えた。
「ドームの内壁照明が届かぬ病室だから、快復しないのではないか」
賢兎が収容されている病棟は、一般患者から隔離されている。長方形の、窓のない建物は機密性の高い軍事施設か、あるいは墓石を思わせる。
建物自体はかなり新しく、賢兎のためだけに特殊病棟が建築されてまだ二年も経過していない。男が言うほど、室内照明は暗くない。
「心臓は動いているのであろう?」
「一年前までは心臓がございましたが、段階的にSAと同化していき、今はどこに消えたのか。不気味な事に、心拍だけは装甲に貼り付けた計測器から検知できていますが」
「もしかすると、残っていた臓器の同化傾向は石鎧の修復に比例しておらぬか」
「可能性はございます」
二年前、重体者の入り賢兎が担ぎこまれたのは、奈国首都に存在する王立の大病院だった。奈国の医療技術の最先端が集合している病院であり、この病院の医師達が匙を投げれば、諦めるしかないと言われている。
……二年前は匙が投げられたのだが。今も有効な治療が行えているとは言い難い。
そもそも、賢兎の装着者である予科生の状態は、医学で回復できるレベルを大きく踏み越えているのだ。
演習場で賢兎が四肢を潰しながら倒れた瞬間、誰もが装着者の死を直感していた。傍で泣く二人の少女達でさえ、予科生の死を受け入れるしかなかったぐらいに、予科生の体は欠損していた。
死亡判定を行えなかったのは、法律的に医師でなければ人間の死を決定付けられなかったからに過ぎない。
現場に到着した軍医でさえ顔を青く染めた程に、賢兎と予科生は酷い有様だった。
ただし、軍医が青ざめた理由は、石鎧装着者特有の潰れた死体に吐気を催したからではない。大戦を経験している軍医はベテランで、人間の形をしていない死体は見慣れている。
軍医は、人間の形をしていない生者に恐怖していたのだ。
心臓が動いているので医学的にはまだ生きているが、生きているとはお世辞にも言えない。切開してもいないのに直視できる心臓は弱く動いている。不気味に思わないはずがない。
どう動けば、何故か生きている予科生を救えるのか誰もが分からない。
誰もが硬直する中、的確な指示を出したのが、奈国の王子である。
「あの決勝戦にも驚かされたが、今も余を驚かせてばかりだな」
その王子こそ、鷹矢だ。
軍学校に訪問し、外縁軍と魔族に襲われたにも関わらず、鷹矢王子は動揺していなかった。傷付いた予科生を救うために親衛隊を動かし、コネのある王立病院に最優先で救急搬送する手続きを行う。
病院に運んだからといって、救える保証はなかった。が、魔族と同じオレンジ色の文様が浮かぶ石鎧は当時、貴重なサンプルだ。
ただの誠意でなかったから動けた、こう鷹矢は嘯いている。
以降二年間、賢兎と装着者は、国家機密として厳重に管理され続けている。
目を覚ますのか。
目を覚ましたとしてソレは一体何であるのか。専門チームが組まれているが誰にも分からない。
「データさえ収集できていれば良い。まさか、余を救った功労者をバラバラに解剖できぬからな。魔族について有益な情報は得られるであろうが……あそこの娘にレンチで撲殺されたくはないものだ」
「……鷹矢様。悪質な冗談は口にされないように」
「ふむ。分かった。後の見舞いの際に謝罪しておこう」
鷹矢の後方斜めで護衛任務に従事している女性、明野友里が嘆息した。
「あのSAの中は空なのか。もう人間的な部位は残っていないと」
「液体コンピューターが循環している管に、血液がまだ残っています。他はすべてSAに吸収されたとしか言いようがありません」
「つまり空なのではないか」
人間が石鎧と化す不可解をどう言い表そうか、と鷹矢はほんの少し悩み、これしかないという感想を口にした。
「なんともキカイな事よな」
明野は嘆息するだけで笑わなかった。
来る日も来る日も、ソリティアばかり。
己が何者であるのかさえ、うまく認識できないままのゲーム三昧。
素晴らしいぐうたら生活に思えるが、酷く単調な毎日だ。五感は正常に作用せず、しかし思考は眠らず、過ぎていく時間を体感でしか判断できないのは苦痛とさえ言える。OSに初期インストールされていそうなゲーム機能しか掌握できていないのが一番辛いが。
俺がこうなったのは、何が理由だったのか。
人間の記憶と液体コンピューターの同期が完了していないからか、メモリを使えず、さっぱり分からない。
いったい、いつになったら回復するのか。
そろそろのような気配がするのに、目覚める切欠がないためイマイチ定かではない。人は往々にして、夢を認識する事はできても、夢から自力で覚める事はできないものである。
やはり、ソリティアを続けるしかないか。
こう諦めたその時であった。
“――我が義息子よ。眠りの時間は終わるぞ”
完全に閉鎖された俺の意識空間に男性の呼び声が響く。
と、同時に突然の浮遊感が生じ、俺の意識は大気圏外にまで飛ばされていった。




