6-3 最強の火星人
流線型の極まった石鎧が、輸送車両から跳び出した。強敵たる魔族の貴族を目視して、我慢できなくなったのだ。
乾いた荒野の地面を蹴り潰し、電磁筋肉のバネを活かして前に進む。足が地面から離れたところで背面ブースターを短く点火、前進を加速させる。ブースターを付けっぱなしにしない理由は、再び地面を踏み込む際にブースターが点火したままだと、電磁筋肉の伸縮を百パーセント活かせないからだ。
単純なテクニックであるが、連続して行うとなるとかなりの技量が要求される。白い石鎧、アキレウス・ネオプトの装着者にとっては造作もないが。
ネオプトの狙いは、五十メートル級の、貴族と思しき魔族一匹だ。他の魔族は数が多いだけで物珍しさはない。雑兵の相手など、己よりも弱い人間に任せておけば良いのだ。
アキレウス・ネオプトは赤くカメラレンズを発光させた。貴族級魔族を射程に捉えたのだろう。
“ふん、速いが……小さき身で、何がしたいっ!”
『図体ばかりで、俺を悲しませるなよ? 魔族さんよ』
ネオプトは、挨拶代わりにアサルトライフルで男爵級魔族、ベルナルドの目玉を撃つ。
銃弾の効果はなく、ベルナルドはつまらなそうに片手で大地をなぎ払った。ネオプトもつまらなそうに回避したが。
銃弾では倒せないと知ったネオプトは、ベルナルドの巨体に取り付く。と、木登りするかのように墨汁色の体を登っていく。かつて、奈国を救った予科生と同じ戦法であるが、それでは貴族を倒せない事は証明済みだ。
しかし、ネオプトは愚直である。後頭部に辿り着くと同時に、足底に格納していた短剣でベルナルドを突き刺す。刃は通らなかったが、構わず続ける。二度目は勢いを強めるために体を旋回させ、渾身の回し蹴りで魔族を穿った。
短剣が半ばから折れて、巨体の足元へと落下していく。
ベルナルドの後頭部は、ほんの数センチだけ傷付いていた。
“愚かなことだ。諦めろ”
『一本で五センチ。……まあまあか』
“ふははっ。強がりはよせ”
足底の短剣は自動交換される。ネオプトはベルナルドの言葉を無視して攻撃を続行するつもりだ。
涙ぐましい攻撃である。五十メートルの巨体を持つ敵に対して、数センチ程度のダメージしか与えられない。やはり、魔族に対して石鎧は非力で無力なのだ。
同じ箇所を何度も攻撃すれば、いつか致命傷を与えられるかもしれない。そんな空想こそが涙するに値する。まったく同一の場所に、寸分の狂いもなく短剣を突き入れされるはずがない。ロッククライミング中に、指を掛けている壁を足で砕いて大穴を開ける作業を完遂できるはずがないからだ。
一度、墨汁色の肩を踏み台にして、ネオプトは巨大な後頭部を蹴り付ける。回し蹴りは偶然、傷口中央に命中した。
偶然は続く。
ネオプトは脚を器用に振って、一度の跳び蹴りで二打撃加えた。それでもベルナルドの傷口は合算で十五センチ。
無駄な事に、また刀身を交換してから跳んで、合わせて二十五。
感覚を掴んできたから左右両方の足で蹴りつけて三十。
『ほら、グレネード』
アサルトライフルの銃身下部にある、グレネード発射口から爆発物が飛ぶ。狙ったかのように傷口に命中し、また少しだけ広がった。幅二十センチ。深さ五十センチ。
『中身は少し柔らかい。これなら、早く済むな』
“待て、どうしてそんなに正確なのだ。お前はいったい”
ベルナルドは少し痛み始めた後頭部に手を伸ばして邪魔するが、ネオプトの攻撃は継続された。
傷口が十分広がったので、ネオプトは両手に握る短剣でもベルナルドを削り込む。硬い氷塊にアイスピック突き入れている感覚が機械の腕を通じ、石鎧内部に伝わる。その硬い感触はむしろ病み付きになる。ジャリジャリ、黒い欠片が穴からほじくり出される。
石鎧での攻撃は、無駄な努力であるはずだった。
なのにネオプトは軽快に攻撃を続けた結果、傷口の深さは魔族にとっても危険域に達しようとしている。
今更になって、ベルナルドは石鎧を侮り過ぎていたと悟る。
……ただし、簡単に挽回できる小さな侮りでしかない。
“我はお前の未来を予言する。予言が的中した場合、お前は次の我の攻撃を無条件で食らう。予言が外れた場合、お前は我の次の攻撃を無条件で回避できる――”
爵位権限『クロコディルズ』の発動を意味する、オレンジ色の文様がベルナルドの体に浮かび上がる。ルイズの配下であるベルナルドも、同様の権限を用いる事が可能だったのだ。
運動性を重視し、攻撃を回避する事を前提としているネオプトにとって、回避不能の攻撃はリーサル的だ。ベルナルドの広い前腕に押し潰されれば、装甲などそもそも関係しない。
“――お前は我の攻撃を、避ける”
予言を終えて、ベルナルドは勝ち誇りながら後頭部で両手を合掌させた。魔的なまでに必中の攻撃は、たった一機で魔族を狩ろうとしていた無謀な石鎧を逃がしはしなかった。
ベルナルドとしては、潰した感触さえ薄い小さな人類の撃破は誇る気になれない。
ただ、戦闘を終えて余裕を得たベルナルドは、進攻を再会しようと前を見て不思議に想う。
地球から連れて来た眷属の数が、激減している。
赤銅色の石鎧の隊列が魔族の群の中心を横断、分割、少数になったグループを駆逐していた。敗退した内縁軍に変わって、急行した外縁軍が組織的な反攻を行っている証である。
外縁軍の石鎧の多くはパトロクロスの改修型であるが、魔族を最も多く撃破しているのは、単機で魔族に突撃している赤銅色のアキレウスだ。
アキレウスが魔族を横切る時は、その魔族が斬り裂かれて灰となる時だ。市民級が激昂していようと運命は変わらない。
これまでの石鎧を置き去りにする運動性を有するアキレウスが、一切速度を落とさないまま疾走しているのだ。最速で振られる刀は、容易に墨汁色を両断する。
辻斬りし続けて、はや三十体。
斬り裂き魔のアキレウスの肩に描かれた黒い縦棒の数は、百の位を表す大マークが三、十の位を表す中マークが五、一番小さいマークが七。このまま戦果が好調なら、明日には大マークが一本増えるだろう。
“小癪なっ。我を無視して、眷属を狩り尽すつもりか!”
ベルナルドが地球から連れて来た下級魔族には限りがある。
ドームを破壊するだけならベルナルド単独で行えるが、斥候や警備といった些事は領主の仕事ではない。初戦で眷属を失うのを嫌い、ベルナルドはアキレウスを追いかけようとする。
……追いかけようとして、鋭い痛みが後頭部から走り、脚を引っ込めてしまう。
ジャリ、ジャリ、と身の毛もよだつ掘削音が、ベルナルドの頭の中に響いている。
まさか、とベルナルドが思っても、巨大な鏡がなければ己の後頭部を覗く事はできない。
ベルナルドの後頭部に潰したはずのネオプトが張り付いているのは、見るまでもない事実であったが。
“どうしてだッ!! 我が爵位権限が通じなかったというのか?!”
ベルナルドの疑問に対して、ネオプトの装着者、城森英児は足場にする短剣を後頭部に追加しながら答えた。
『はぁ? 避けずに当たってやっただろ』
ネオプトは腰に付いてある円柱型の増槽が、一本抜け落ちていた。
『お前の予言とやらが外れて、俺は回避しなかった。その成果、見事に固形燃料の増槽一本を潰された。俺のSAを傷付けた奴は近年稀だぜ? 誇って良いぐらいだ』
物理法則を歪める魔族の貴族にのみ許される権限を、英児は最も単純な方法で攻略した。
回避できない攻撃なら、回避しなければ良い。
ただし、攻撃される部位は一切言及されていない。攻撃で潰されるのは、腰の後ろから突き出ている棒一本であっても何ら問題はない。
短刀で傷口を切り抜いた英児は、最後にグレネードを全弾撃ち込む。
頭部の中心で発生した爆発により、ベルナルドの両目から黒煙が上がる。ぐったりと両腕を垂らして、巨体は前のめりに倒れていった。
男爵級魔族は、たった一機の石鎧によって、惑星に降り立った当日に討伐されてしまったのだ。
“――無念。無念だ……。火星の強者よ。せめて我の力を受け継いでくれ”
ベルナルドは体の末端を灰に変えながら、最後の力を振り絞ってネオプトに願い出る。
“地球の無念と共に、我が爵位を、受け継いで欲しいのだ”
ジャイアント・キリングを成し遂げた英児のネオプトは、用事は済んだと背中を向けて去ろうとしていた。が、呼び声を聞いて頭部だけで振り返る。
ベルナルドの墨汁色の体から、オレンジ色の粒子が浮かぶ。
“さあ、受け取――”
『誰がそんな他人事の厄介事、受け取るか』
“――な、何ッ”
英児はオレンジ色の粒子を振り払うと、ベルナルドを置いて去っていく。
“ま、待つのだ。お願いだ……待ってくれッ”
『俺はお前に勝っただろ? 弱者の不純物を欲しいと誰が思うかよ。俺は今でも完璧だ』
“消えてしまうッ、ああ、地球での思い出が、悲嘆が、何もかも灰になってしまうッ!? 待ってくれッ。待ってくれぇぇぇぇッ”
二度と、英児は泣き叫ぶベルナルドへと振り返らなかった。




