6-1 敏腕なる女社長の献身
奈国の発足を辿れば、惑星への殖民初期にまで遡る。
暗鬱な時代にも、フロンティアスピリットを抱く若者が地球から旅立ち、赤い惑星へと降り立ったのだ。戦争の機運が高まる地球に嫌気がさして、故郷を捨てたとも言える。
ただ、地球を捨てたと言っても、あくまで精神的なものであった。片道切符の殖民ではなかったはずなのだ。帰る気がなくても、開拓が進めば地球から家族を迎え入れる。そう意気込んでいた者は多い。
しかし、すべては人の夢。
惑星のテラフォーミングに失敗し、開拓に行き詰まり、僅かな生存圏を維持するだけの生活。地球から持ってきた物資は直に底を突き、空腹度に比例して植民者の心は荒んだ。
殖民計画が儚く頓挫した理由は多い。挙げ連ねればきりがないが、計画そのものが甘かったとしか言い様がない。
計画は破綻しているのに――しているからこそ、殖民者達は地球に帰還する資源さえ生産できなかった。
過酷な惑星の環境に生き残るため、殖民者は小さなコミュニティを形成する。地球を離れてなお、地球の頃の国家にすがる。宗教にすがる。少ない食料を万人に分け与えられないから、同類で独占する。
それが、この惑星における国家の成り立ちであった。
長い時間を掛けて生存圏は拡張された。
人々がドームと呼ぶバイオスフィアは少しずつ数を増やし、殖民初期と比べてドーム世界は安定した。とりあえず、飢えで人類が滅びる事はない。
中規模国家である奈国が保有している十キロ級ドームは八基。その内、三基が首都に集中している。
最も古いドームは奈国発祥の地とされる。王族の館と親衛隊の本拠地があるだけでも観光地としては成り立つが、それ以上の目玉が最古のドームには存在する。
植民者の子孫達にとっての聖地、殖民第一世代の墓だ。
球面外壁のドームの中にあって、更に分厚い石でできた遺跡に守られる先祖の墓。
遺跡の最奥には更に、石でできた棺が横たわっていると言われる。王族でも滅多に足を踏み入れない、尊き場所であるので真偽は不明だ。
学者による調査は許されていない。奈国の礎となった女性が眠る場所であるため、安眠を妨げないように静寂が保たれているからだ。一般市民は遠くから遺跡を眺めるぐらいしかできない。
王族以外の、最も近くで遺跡を見る事ができる例外は、親衛隊に属している衛兵ぐらいだろう。
「……なぁ。遺跡の中から、重たい物を叩く音が聞こえないか?」
「気のせいだろ?」
遺跡の入口に立つ二人の親衛隊隊員は、目線だけでやり取りを行う。
親衛隊隊員は若く見えるが、いつもは生真面目に私語を慎んで職務をこなしている。奈国で最も安全な場所の警備は常に暇であるが、冷たい気配を感じる遺跡での仕事は自然と背筋が固められるのだ。
しかし今日は、妙な物音が遺跡の中から響いている。
遺跡の入口は、地下へと通じる長い空洞だ。ライトアップされていない仄暗い奥地からは、化物が跳び出しても可笑しくはない雰囲気が醸している。
「ほら、また。ずしーん。ずしーんって」
「脅かすのは止めろよ……」
「聞こえないのか。俺の気のせいなのかなぁ」
親衛隊隊員は首をひねって不思議がるが、以降、不審な物音が響かなかったので職務に戻った。上司に報告する事も、自然と忘れ去ってしまう。
石の遺跡の中では、確かに音が響いていたというのに――。
かの女性は、石の棺で眠り続ける。
生き別れた想い人との再会を夢見て、長く、長く眠り続ける。
けれども、箱庭の夢が気に入らず、近頃の睡眠は酷く浅い。
彼女は多忙だった。
工場の増築だけでは生産が間に合わず、ドーム内の高い土地を買い入れて石鎧の製造ラインを増やす事でどうにか対応する。夢にまで見た大事業だ。社長である彼女は、多方面へと挨拶に出かけなければならない。
内縁軍からは、もっと石鎧の価格を下げろとケチを付けられた。親衛隊は定価で買ったのに、貧乏な内縁軍は細かい事ばかり言って始末に負えない。仕方がないので、液体コンピューターの代わりに一般的な演算装置を搭載する。開発者である彼女は、再設計で徹夜を続けなければならない。
業務提携しているマケシス社は、毎度、珍妙な装備ばかり提案してきて頭痛の種だ。細目のスーツ男は相変わらず低姿勢であるが、頭を下げて足元を見てくるから気に入らない。石鎧本体以外を設計している余裕がないため、マシな装備を選ばなければならない。眼鏡の彼女は、目を凝らして分厚いカタログを読破しなければならない。
問題は山積みであるが、彼女の会社は順調だ。
二年前まで倒産の危機を迎えていた会社とは思えない、奇跡の業績回復である。先代、先々代の頃よりも総売り上げでは勝っているぐらいだ。
黄色い髪が荒れる程に働いても、彼女の仕事は終わらない。一分でも時間に余裕があれば眠りたい、というのが彼女の近頃の願いとなっている。
ただ、どれだけ激務で疲弊しても彼女は毎週欠かさず、ある建物に通っている。
白亜の壁でできた、病院だ。
「液体コンピューターを積んでいないワイズはワイズじゃない。ぼくはそう何度も言っているのにさ。アメリアが定価で買うって話をくれたのに、輸出モデルにこそ液体コンピューターを搭載するなってまたケチがついて」
月野海は、長くなった髪を帽子の中に押し込みながら、最近の出来事を語っていた。やや軍事機密に抵触しているが、気にしてはならない。
作業着の襟のボタンをはめ、軍手をつけ、準備が完了する。
眼鏡は相変わらず、似合わない黒縁眼鏡。
ただし、顔からは少女の頃の丸みが失われつつある。黄色い髪が白い肌に似合っている。
二年間でどことなく大人びた月野であるが、作業着のサイズは変わっていない様子だ。どこの部位とは言及できないが。
「親衛隊の明野さんは、一緒に新型を作らないかって言ってくれているけど……。今は手が付けられない」
月野の手元には六角レンチとハンマーにテスター。油で光る工具達だ。
片手で運べる薄型PCも、無造作に並んでいる。某社の石鎧の秘密が記憶されている宝箱であるが、キーボードの傷みが激しく、あまり丁寧に扱われてはいない。
実は、工具については、もうあまり使う機会はない。
月野はこの二年間で、ほとんどの修復作業を終えている。たった一人での作業で、時間も限られていたため作業期間は大幅に伸びていたが、全作業の完了は間近だ。
「ルカさんとは昨日夕食を食べたんだ。きっと、今のルカさんを見たら驚くと思う。本性は変わらないけど」
硬い装甲板を削って、火花が散る。
液体コンピューターを注いだ後、端子を挿して最適化を行う。
油と煤で汚れながら、月野は笑う。
……とてもじゃないが、入院患者と面会している最中には見えない。
「あー、もう時間だ。ぼく、そろそろ仕事に戻らないと」
進捗が良かっただけに、月野は残念そうに時計を見た。今日も月野製作所の本社にて、内縁軍との会議が予定されている。そろそろ病院を出ないと不味い時間だ。
だから、耳を取り付けてから堂々と遅れよう。こう月野は覚悟を決め、横たわる石鎧の頭部に環境センサーを押し込んだ。
「うん。顔はもう完璧だ。誰が見ても賢兎だよ」
月野は、二年間ずっと直し続けている賢兎へと語り掛ける。二年間続けている一方通行な独り言だ。
「紙屋君が盛大に壊していたから、大変だったよ」
賢兎の三対のカメラレンズは、停止したまま動かない。




