5-16 帰りたい場所へ帰ろう
ルイズの侵攻を止められる最後の一人が炎に消えた。総勢、三十機の所属不明部隊がルイズに強襲を仕掛けたのは、そんな見計らったかのようなタイミングであった。
所属不明部隊は、一種類の石鎧で構成されている。
大型で、バインダー形状の耳を頭部に生やしている。塗装は、ドーム外での保護色を意識したサンドカラーだ。
その名は、闘兎。
ドーム内では欠陥機として有名な石鎧であるが、大戦から五年経った今も全力戦闘可能な状態で稼働している。彼等は軍の指揮から離れ、祖国にも帰らず、惑星から魔族を根絶するために活動を続けていた。
“ゾロゾロと現れおって。やはり火星人は、人間ではなく虫に近いのか?”
闘兎の群は五年前のロートルとは思えない速度で、ルイズに突撃する。
しかし、ルイズには他の魔族にはない遠距離攻撃手段がある。行儀良く横一列に並んでの突撃など、自殺志願者の行進と変わらない。
ルイズの巨大な手の平から、連続して五つの火炎弾が発射された。直撃すれば、たった三十の石鎧など直ぐに溶けて消え去る。
『全機直線せよッ。爵位権限『不動なる飛矢』発動!』
先頭の闘兎が片手を構えた瞬間、不可思議な現象が発生した。
闘兎のフェイスカバーに文様が浮かび上がると同時に、ルイズの火炎弾が空中で静止してしまったのだ。
火炎弾そのものが非常識の塊であるため、常識が悶死してしまう事象がいくら発生しても奇妙ではない。けれども、黒い炎の空中停止は、魔族から見ても異常な現象である。そんな現実を無視できる権限は、魔族の貴族にしか与えられていない。
“爵位持ちの火星人が、もう一人現るだと?”
『雑魚に構うなッ。目標は前方のガリバーだ。グレネード、弾着合わせ……今!』
闘兎部隊は、ルイズを射程距離に収めた後、アサルトライフルにアペンドされているグレネードを一斉に発射した。
百メートルの巨体であるルイズ全体を襲うには砲門が足りないが、下半身だけであれば爆煙で何も見えなくなる程の爆裂が三十回続く。
賢兎一機で努力していた時と異なり、ダメージと呼べるダメージを与える事に成功した。……それでも、表皮が傷付く程度の攻撃でしかないのだが。
“非力だと分からないの――なァ!?”
ルイズに怒鳴られるまでもなく、闘兎部隊は貴族級魔族の頑丈さを知っていた。
だから、三十の闘兎は一匹の生物となり、完璧な連携でルイズに挑む。
煙に紛れて接近していた数機が一緒に巨大な膝の後ろを押し出し、ワイヤーを手首にひっかけて引き、腰に体当たりを仕掛ける。
小人同然の石鎧に転ばされると思っていなかったルイズは、バランスを失い、背中を地面に密着させた。重厚な転倒音が荒野に響く。
『ワイヤーアンカー放て!』
転ばせただけでは闘兎の攻勢は終わらない。
矢じり付きのワイヤーが倒れたルイズの体の上で飛び交い、網の目を形成していく。石鎧すら拘束する鋼鉄製ワイヤーでルイズを捕えようとしているのだ。
が、蜘蛛の糸で身動きできなくなるガリバーはいない。
『爵位権限『不動なる飛矢』応用ッ、不動結界!』
恥辱に震えるルイズは即座にワイヤーを振り切ろうと暴れるが、意外にもワイヤーは巨大な魔族を束縛し続ける。千切ろうと無茶苦茶に引っ張っているのに、曲がりもしない。
ワイヤーアンカーの先端が、地上に刺さる擦れ擦れで静止している事も妙だ。
“子爵級の我が、このッ! 何だ、この縄は!”
『この私の力が及ぶ範囲の飛翔体は、パラドックスに怯え、凍結する』
“ゼノン殿の系列の爵位権限ではないのか!?”
戦闘が始まって以来、ルイズは初めて危機感に声を震わせた。手で握り潰せると思っていた小人に、体の自由を奪われる失態を犯したのだ。焦るのは当然と言えた。
ルイズが、闘兎の群れを侮るのを止めるのに足る理由だ。
“我はお前の未来を予言する。予言が的中した場合、お前は次の我の攻撃を無条件で食らう。予言が外れた場合、お前は我の次の攻撃を無条件で回避できる――”
爵位権限には爵位権限で対抗する。
ルイズは、手の届く範囲にいた一機の闘兎に対して、回避不能の一撃を予言する。
“――お前は我の攻撃を、避ける”
電気に痺れたかのように体を震わせて、闘兎は動きを止めてしまう。
すかさず、ルイズは闘兎を乱暴に握り込むと、膨大な握力で闘兎の胴体を潰した。ミシリ、という確かな擬音を聞いた後、投げ捨てる。
捨てられた闘兎は、胸部が指の形に潰れてしまっている。装着者が確実に入っている部位が窪み、内壁同士が密着してしまっている。善戦する闘兎部隊から、最初の戦死者が出てしまった証と――。
『隊長、ガリバー野郎の爵位権限、発動前に語り掛けが必要です』
『良くやった。撤退しろと言ってやりたいが、手数が足りない。下級魔族の相手でもしていろ』
胸部の潰れた闘兎は軽快に立ち上がる。胸部が潰れた以上のダメージは見受けられず、駆動系は快調だ。
ルイズの力を探るため、闘兎部隊が一機を意図的に犠牲にしたのは明白である。
ただし、どうして装着者スペースを潰されてまだ動くのかは分からない。
“見た目以上に我等魔族に近いようだな。であれば、今度は五体を引き裂いてやろう。それでも動くようなら、磨り潰すまでだ”
ワイヤーに難儀して顔を顰めるルイズは、背中を爪で引っ掻く。傷口は浅かったが、黒い炎が勢い良く吹き上げた。
バーナーで地面を炙っても、黒く色付くだけ……では終わらない。
灼熱色の砂利と石が融点を超えた途端、液体と化す。継続的に熱せされた事により、地面が溶鉱炉と化したのだ。
ルイズの体が少しずつ沈んでいく。
効率が良いとは言えないため、ルイズの巨体が潜れる程に深く地面が溶けるには時間が掛かる。ただ、ワイヤーの結界からルイズが脱してしまうと、ドームを救おうと奮戦する闘兎部隊の勝機が薄れるのは確実だ。
それに、魔族はルイズだけではない。
内縁軍を蹴散らした下級、中級魔族が主の苦戦を察知して、続々を集まっていた。たった三十の石鎧で食い止めていられる時間はそう長くないだろう。
こうしている間にも、二足歩行する墨色の魔族が、よろよろとルイズに寄り付こうと――。
『撃つなッ! 市民級ではない!!』
闘兎部隊の隊長機が、現れた墨色に銃口を向けていた部下に叫ぶ。
『九郎……君か』
墨色のソイツは、完全に黒焦げた賢兎だった。
外見は市民級と変わらず、元はどのメーカーの石鎧であったのか判別するのは困難だ。頭部に耳だったものらしき突起があるかもしれない。その程度の特徴しか残っていない。
片足を引きずりながら歩いている姿は痛々しいが、そもそも、歩いている事自体が異常だった。スクラップを通り過ぎ、溶鉱炉で溶かされている最中の石鎧が動くはずがないのだ。
『こいつは我々が倒す。だから、九郎君は下がれ』
「…………っ……」
『もう……言葉も出せない体で無茶はするな。九郎君が死ぬと、娘が泣いてしまうだろ!』
黒焦げた賢兎は爵位権限の発動を意味するオレンジ色の文様を光らせると、隊長機の命令を無視し、ルイズの頭の傍に辿り着いた。
弱々しい気配に気付いたルイズが、頭だけで振り向く。
“アンデッド《死に損ない》ッ!”
駆動させるだけで装甲だった物がボロボロ落ちていく腕を上げて、賢兎はルイズのこめかみへと手を伸ばす。
ルイズの眼球、赤く燃えているような洞が一際強く輝く。
グレネードにも耐える貴族級の体に、炭のように脆くなっているはずの死に損ないの手が、ゆっくりと沈み込んでいったからだ。
ルイズの体には、目には見えない変化が起ころうとしている。
例えば、藁を石鎧に積み上げていくとする。いくら空気のように軽い藁とはいえ、積載量を超えて載せる事はできないから、必ず限界が存在する。
しかし、物事はスペック表通りにいくはずはないから、藁一本分の誤差が生じて石鎧は潰れてしまった。だから、限界点を藁一本分下げよう。
限界点は下がったが、所詮は藁一本分。まだまだ誤差の範囲であるから、石鎧は限界前なのにやっぱり潰れてしまう。だから、限界点を藁一本分下げるしかない。
限界点は下がった。が、それが何だという。
まだまだ誤差の範囲であるから、石鎧は限界前なのにやっぱり潰れてしまう。だから、限界点を藁一本分下げよう。
だから、限界点を藁一本分下げよう。
……だから、限界点を藁一本分下げよう。
…………だから、限界点を藁一本分下げよう。
――――――あ、とうとう、石鎧は藁一本で潰れてしまった。強固な石鎧が藁で潰れてしまうなんて奇妙な現実もあったものだ。
賢兎はルイズのこめかみに手を埋没させて、傷口を広げる。熱したナイフをバターに刺し入れるのと、ルイズの頭に突破口を開くのは変わらない。
賢兎は少しだけ後方に振り向く。
賢兎の背後で様子を伺っていた闘兎の隊長機は、意図を正確に察する。装填し直したグレネードランチャーの銃口を、ルイズの頭部に突き入れ、迅速にトリガーを引いた。
爆発が生じる。
人間で言えば脳の部分を直撃する。魔族にとっても頭部は大事な部位である事に変わりはない。
内圧の高まりに耐え切れなくなったルイズの頭部は、左半分が炸裂してしまった。断末魔のような炎が吹き荒れる。全身の筋を強く伸ばし、弛緩させていく。
子爵級の魔族が、滅びようとしていた。
“アンデッドが、貴様はッ、貴様はッ!!”
一つだけになってしまった赤い瞳で、己を殺すのに最も貢献した賢兎を睨む。憎悪の炎を高めて、一人でも多くの敵を道連れにしようと憤怒する。
“…………いや、もう恨み疲れた。これ以上は無用だ。死に損ないの紙屋九郎は許してやろう”
しかし、ルイズは直ぐに視線を和らげた。
“まったく……。母星から離れて、死ぬのは寂しいものだな”
恨みの黒い炎は、ルイズの内側から外界へと放出されていく。頭部が吹き飛んだ瞬間は激しかったものの、今は燃え尽きたキャンプファイヤーよりも物寂しい。
“死に場所は諦める。が、それでも、ルナティッカーへの恨みだけは諦めきれぬ。……この無念だけはっ! 魔族に堕ちた我の悲願なのだ!”
ルイズの体からオレンジ色の文様が浮かび上がると、皮膚から剥がれていく。空中に飛び上がると、細かな粒となった。
光の粒子に還元された魔族の貴族特権は、死せる母体から退避する。別の一点に集合していく。
集合地点にいるのは、賢兎だ。
“頼む、紙屋九郎。託した力を、有効に使え。ルナティッカーの脅威は……火星にも、迫っている”
赤い瞳が暗くなっていき、消える。
“……少しでも多くの同胞を救って……や…………れ”
子爵級魔族の体は体積に反して簡単に風化していき、火星の大地に拡散した。
惑星の強い風に吹かれて、魔族の灰はあっと言う間に消えてなくなる。
ルナティッカーに対抗できる力を託したのであれば、もうルイズには、視界一杯に広がる花園をもう一度見てみたい、という願いしか残っていない。
貧しい惑星の養分になりたいというのは、花屋の一人娘たるルイズの本心に違いない。
貴族級魔族の討伐により、付き従っていた下級魔族はドームから逃走していった。ドームは救われたのだ。
『九郎君。もうその体は、我々と同じく人間の枠から逸脱してしまった。我々と共に……来ないのか』
所属不明機の闘兎部隊は、黒炭と化している賢兎を迎え入れる。
しかし、賢兎が片足を引きずりながら向かう先にあるのは、守ったばかりのドームだ。部隊の仲間が手を広げている方向とは正反対に位置する。
『――分かった。九郎君の意思を尊重しよう。これまでご苦労、除隊を許可する。達者でな』
隊長機の労りに一切応答せず、応答できず、賢兎はドームを目指した。
月野海は両手を握りしめながら待っていた。
「お願いします。お願いします。お願いします」
己が手掛けた石鎧が戦に出掛けたまま、帰って来ない。両目を充血させる程に泣いても変わってくれない現実を受け入れたくないから、月野はずっと待っていた。
「紙屋君を、返してください。お願いします」
ドームの気流は荒れていた。残忍な戦闘により、ドームに穴が開いたのだろう。が、今の月野に気にしている余裕はない。
祖父の形見であるはずの太い黒縁眼鏡がズレて、足元に落ちてしまったのに、月野は祈る事を止められなかった。
そんな月野の純粋な願いが、地球では否定された神秘的存在に届いたのか。
……あるいは、真性の魔族が微笑んだのか。
演習場になっているドーム内の荒野の向こう側に、何か黒い姿が現れる。遅過ぎる足取りで仮設観客席に近づいている。
月野は近眼なので、気付くのは遅れた。
だから、最初に気付いたのは少し遠くに座っていた黒髪の少女、曽我瑞穂である。
「あれは……??」
瑞穂が示す方向を、月野も確認する。裸眼では分からなかったので、震える手で不器用に眼鏡を掛け直してから凝視した。
……正体は分からなかった。
壊れた機械のような挙動をしているので石鎧のように見える。が、シルエットからは判別できない。近づく黒い姿は、製作者たる月野であっても一目で正当できない程に、壊れきっていたからだ。
警告のために親衛隊の赤備が出向くが、近場で見ても石鎧かもしれない、としか言えなかった。
『こちらは親衛隊だ。所属を名乗り、停止せ……よ?』
赤備の装着者は既視感を覚えて、黙り込む。どこかで見た記憶のある石鎧のような気がしているのに、答えを導けずに口を動かせない。下水道に落としてしまった人形を偶然海辺で発見しても、汚物に塗れて破損したソレを落した人形であると言えないように、正体を断言できなかったのだ。
「……頭の突起、少しだけワイズの耳に似ている、かも」
三割ぐらいの確証で石鎧の正体に気付いたのは、月野だ。技術者として面目躍如となったが――。
「まさか……ッ、九郎ッ!」
――月野にとっては大きな失態だ。
石鎧が賢兎であると気付けたのに、装着者の名前を思い至ったのは瑞穂が先であったからだ。あれだけ願っていた人物の名が浮かび上がらなかったなど、かつ、他の女に先を越されてしまったなど、月野にとっては屈辱でしかない。
月野は駆け出すタイミングでも瑞穂に遅れ、体力面でも遅れを取った。
だから、瑞穂が先に辿り着くのは当然であった。が、不思議な事に感動の対面はなかなか行われない。
訓練を受けている装着者と比べて、圧倒的に運動不足な月野が息を切らせながら追い付くまで、瑞穂は棒立ちになっていた。
瑞穂が躊躇している理由を、月野は近づいて理解する。
手を伸ばせば届く距離にまで近づいた事で、賢兎の状況が正確に確認できた。そして、装着者の生存が絶望的である事も知れた。
高熱が原因により、賢兎はデザイン性をすべて溶かされている。装甲と呼べるものは見当たらず、全身にヘドロを投げ付けられたマネキンのような気色悪い形をしている。どのような戦闘を行えばこうも壊れるのか、壊れてなお動けるのか月野には想像できない。
装着者を救出しようにも、装甲を強制開放する端末さえも溶解している。賢兎の第一人者である月野が、手をこまねいて動けない。
……いや、月野が動かない理由は少し違う。
賢兎の中を確認してはならない。希望の入っていないパンドラの箱をワザワザ開ける必要はない。という冷静過ぎる推察と、帰って来て欲しかった装着者と早く対面したいという気持ちがせめぎ合い、月野は動けなくなっているのだ。
そんなはずはないのに。
月野と瑞穂をレンズのないカメラで確認して、賢兎は足を止めていた。つまり、装着者はまだ生存しており、石鎧を操作しているのに。
黒焦げの石鎧の内部も黒焦げだろうから、早く助けてあげないと。
中身の状態を、確認しないと。
「ぼくの馬鹿。紙屋君は生きて操縦しているのに、何を勘違いし――て?」
賢兎は、帰りたい場所に帰るという目的を果たしてしまった。機械には搭載されていない気力で繋ぎとめていた機構が、帰還で気が緩み、ボロボロとこぼれて行く。
左腕が肩の接合部から落ちた。
右脚が潰れて強制的に膝を付いた。
地面に着いた右手が手首から外れてしまった。
そして、ふら付いた頭部が落ちてしまい、転がって二人の少女の足元に近寄る。
「……あ、れ。ああれ、あれは……赤い? 白いのは骨? 中間の色のは……脳? あ……ああ、あッ!」
賢兎の頭部に隠されていた内側には、一部生焼けて、焦げた臭いを発する人間のミイラしかいない。
丸出しの眼球を動かし、少女二人に探してグルグル、グルグルと――。
「アアアアアッ、あああアアアアアああああああああああああああああああああああああッ!?」
魔族と共謀した一部の外縁軍による反乱は、今後の奈国に大きな影響を与えた。
しかし、反乱自体は可及的速やかに収束したため、被害は極小で済む。ドームの防衛部隊たる内縁軍は壊滅、多数の人的被害が出たものの、奮戦により、民間人に対する被害は報告されていない。戦死した彼等こそ、奈国の兵の鑑である。
また、戦場となったドームには軍学校が置かれていたが、予科生に死者は一人も出ていない。
未来ある若者が一人も欠落しなかった事こそが、今回の反乱における一番の幸運である。
キカイな物語の前編がこれにて終了です。
次回からは少し物語内の時間が進んでからスタートです。




