5-14 兎を食らうはワニ
魔族とは、人間がどうしようもなく変容してしまった成れの果てだった。
“地球で何人死んだと思っている! 辺境で生きていたから知りませんでしたと、ありもしない平和を説いて魔族を侮辱したいのかッ! 我は忘れない、星々の世界から落ちてきた中性子爆弾を! 人口密集地帯を襲った核の雨を!”
魔族の生成方法は、一発で数百万人を葬り去る爆弾を一斉起爆して、地球全土から八十億の人間を消してしまう事だった。
“だが、ルナティッカーへの憎悪が、炎の中から我等を甦えらせた。魔族としてな!”
現実の事象として、俺の目前には巨大な魔族が存在する。
地球人類がどれだけ悲劇的であったとしても、魔族などという非常識は誕生しない。こう否定できない。
“あの世で許容できる以上の死人が殺到し、オーバーフローした人間が魔族と成ってこの世に戻ってきた。魔族達はこのように嘯いているがな。真実など誰も知らぬし、どうでもいい”
ルイズは右手を開いては閉じて、硬すぎる己の感触に対して自嘲的な笑みを見せる。
“……我が花屋の一人娘であった、と言って信じられるか?”
「同情はしてやる。だから、この惑星を、お前達の戦争に巻き込むな」
“拒否する。我等は悲願を達成しなければならぬ。そも、貴様達が人類を自称するのであれば、地球人類の敵を討つべく立ち上がるべきなのだ”
「暴論だ……」
“こうも言ってやる。我等魔族に駆逐されたくなければ、火星人は人類の末裔である事を証明してみせろ”
ルイズの言葉の意味が分からなくなる。
ドーム世界の人間は、過去に地球より植民した人間の子孫である。俺の手足は合わせても四本のみ。タコ型生命体でないのであれば、この惑星に住まう知的生命体は、人間以外にあり得ない。
“紙屋九郎とやら。我等魔族を化物と言ったな。その言葉はそのままお前達に返してやろう。お前達は、人間には見えぬ。人間だった者として断言してやる”
「何を……言っている」
“むしろお前達は、魔族の大敵、ルナティッカーに似過ぎている。耳に対応する器官でどうにか見分けられるが、下級魔族に判別しろと強いるのは酷だ”
いい加減、ルナティッカーという単語が魔族の不倶戴天の敵を示す固有名称であるとは想像できていた。
ルイズの言う事が真実であれば、魔族は凶悪だから火星人類に襲い掛かっていた訳ではなくなる。
魔族達は、人間には見えない俺達を目撃し、勘違いしてしまった。ルナティッカーが地球だけでは満ち足りず、火星の植民人類までもを滅ぼしてしまっていたと勘違いしてしまった。
勘違いで多くの人間が死んでしまったなど、そんな現実は耐え切れない。
“お前達はルナティッカーではないのか? 人間はもっと柔らかそうな外見をしていたはずだ。その強化外装も、ルナティッカーが用いる武具に似ている”
「違う。ルナティッカーなんて奴等を知らない」
“証明能力のない言葉に意味はない。行動で我等の敵ではない事を示せ。我等に滅ぼされたくなければ、我等の同朋として、ルナティッカーを滅ぼす戦争に参戦せよ”
ルイズの脅しに屈して、外縁軍と同じように魔族の配下となる。そんな短絡的な解決方法は拒絶するしかないだろう。
魔族の言葉を鵜呑みにできないから。そんな感情的な理由ではない。
これまでの誤解を忘れて魔族と手を取り合えたとしても、その後、ドーム世界は、地球を滅ぼしたルナティッカーとの全面戦争に巻き込まれてしまうのだ。
だが、魔族に従わなければ……奈国はルイズの手により滅ぼされる。
「この惑星なんか、放っておけば良かったのに」
“それがお前達の幸せであったかもしれんな。……所詮は、ルナティッカーが到来するまでの短い平和であろうが”
たっぷりと一呼吸分考えてから、賢兎の背面ブースターを始動する。
ルイズに従えないのであれば、ここで俺がルイズを撃破するしかない。それが次の魔族が現れるの短い平穏であっても、または、ルイズが言う通りルナティッカーが到来するまでの猶予期間であっても、俺は戦う。
理由は今更なので、背後のドームは振り返らない。
「子爵級魔族、ルイズ。お前が示した二択以外に、たった一つだけこの惑星を、守る方法がある」
“なに?”
「魔族が魔族を倒す内輪揉めであれば、何の問題もないって事さ!」
温めておいたブースターで一気に最大加速し、俺は巨大な魔族に戦いを挑んだ。
賢兎のカメラレンズの色合いが、紫から橙に変色していく。
「爵位を持っているのは、お前だけではないぞ、ルイズッ」
二つあるブースターの出力に差が生じ、ブースト加速中の賢兎はバランスを欠いていた。原因は連戦によるものか、損傷によるものか。
今にも転倒としてしまい、バラバラになって自滅してしまいそうだ。暴走気味なブースターの所為で、地上兵器であるはずの石鎧が半分空中に浮かんでしまっている。
こうなれば下手にブースターを緊急停止させるよりも、すべての固形燃料を燃焼しきってしまった方が爆発する危険はないだろう。
一回三十メートルの片足跳びで猛進していると、ルイズが片手を突き出してきた。
巨体を活かした打撃を繰り出してきたのではない。魔族にあるまじき、遠距離攻撃の発射モーションだ。
“我が身を焦がし、膨張させた忌まわしき炎だ。お前も味わってみるか”
石鎧を包んで余る火炎弾が、巨大な手の平から放たれる。
全身にスラスターを装備しているアキレウスならいざ知らず、背面にしか噴射口がない賢兎には、跳躍中の回避手段はない。
ただ、運の悪い市民級が進行ルート上を横切ろうとしたので、足を意図的に接触させる。
接触点を軸に大回転が始まるが、咄嗟の飛び込み前転でリカバリーする。代わりに、市民級は火炎弾の炎に巻き込まれてしまったが。
こうして、どうにかルイズの足元に辿り着いた。
子爵級魔族の巨体を見上げて、改めて体格差を確認する。
“その小さな体でどうするつもりだ?”
「地球からは羽虫も絶滅したのか!」
墨汁色の脛に足を掛けて、次は腰、背中へと登っていく。賢兎は色々と壊れているが、Rオプションの脚部が壊れるとすれば最後だろう。
うなじに到達したところでハンドガンを構えて、射撃する。
少しだけ弾が刺さっているが、ルイズの巨体に対してダメージになっていない。
“小賢しいっ”
ふと、巨大な影が昇ったばかりの太陽の光を遮る。
手の平で俺を叩こうと、ルイズが両手を首の後ろへと回してきたのだ。そんなに早い動きではなかったので、一度腰まで下ってから、腕を伝って再度登頂する。
次の狙いは顎だ。それなりに自信のある足技で思いっきり蹴り上げる。
だが、質量差は如何ともしがたい。ルイズに対して、軽く小突いた程度の衝撃しか与えられなかった。……あれ、攻撃手段的に、もう詰んでね?
いや、耳元で飛び回る蚊は酷く煩わしく、作業が進まないものだ。元が人間であるルイズも同じ法則に従い、ドーム破壊を中断するかもしれない。
ルイズの頭の周辺を跳び回り、幾度も平手を掻い潜る。
「子爵級が聞いて呆れる。花屋だけあって、戦いは素人か」
“虫ごときに使ってやる事の方が業腹であるが、予言してやろう”
ルイズの体の奥底から、オレンジ色の文様が浮上してきた。
魔的な気配を感じ取った俺は、一旦、ルイズから飛び降りて距離を取る。
“我はお前の未来を予言する。予言が的中した場合、お前は次の我の攻撃を無条件で食らう。予言が外れた場合、お前は我の次の攻撃を無条件で回避できる――”
何の前置きだと言ってやりたいが、ルイズの両手に黒い炎が収束していく光景を目撃したので回避運動を優先する。
“――お前は我の攻撃を、避ける”
ルイズが当たり前の予言を発した、瞬間だった。
賢兎のAI機能は原因不明のフリーズを発症する。
装着者たる俺も、突如の心筋梗塞に胸が絞られ、石鎧の操作が行えない状態に陥ってしまった。
ルイズが両手から火炎弾を放っているのに、賢兎が脚を止めてしまって逃れられない。
“我が爵位権限『クロコディルズ』は、矛盾という鎖で敵を呪縛する”
二つの火炎弾が直撃して、人類を滅ぼした業火に俺は燃えた。




