3-2 自己紹介は最初に行いましょう
細かい契約事項――演習時の石鎧破損について、予科生は賠償責任を負わない等――を一つずつ確認していった。お互いに詐欺を働くつもりがなくても、お金が絡む事項については事前に色々決めておくべきだ。下手に遠慮してしまうと、後に訴訟問題が起こりかねない。
丸々一時間かけて契約面については話し終えたと思いたいが、まだまだ訊きたい事柄は多い。
時に話が技術面に脱線しながらも、知りたい事と分かっていなかった事を明らかにしていく。
「資金については、卒業試験のために確保してある虎の子を使います」
「破損時の余剰パーツはどこまで用意できる? 開発中の新型なら、そんなにないだろ」
「発注されるはずだった闘兎の在庫が使用できます。外装については八割互換がありますから大丈夫です。ただ、内蔵されている液体型コンピューターは高価なので、補充はあまりできません」
「油圧も兼ねている考える血液か。機体ダメージに比例して筋力と計算能力も低下するってのは重大な欠点に思えるが」
「油圧については、あくまで補助的な機能です。電磁筋肉だけでも通常通り稼働します。液体型コンピューターが全部流れてAIが停止しても、完全マニュアル操作で動作できるようにしてあります」
資金、交換部品と卒業試験を戦い抜く準備はできているようだった。
残りは装着者か。
「……ちなみに、俺以外に声を掛けている予科生は何人だ?」
「…………えっ?」
「えっ、じゃない。トーナメントは最大三名のチームによる団体戦だ。一人での出場もできるが、五回戦あるトーナメントで毎回数の不利を強いられる事になる。それとも、一人で優勝しろというのがスポンサー要望か」
月野海なる若社長は、色々と抜けている事が多い。
会社の未来がかかっている卒業試験の内容を調査していないなどもっての外だが、俺に指摘されるまで卒業試験が団体戦である事さえ調べていなかった。
開発の遅れで頭が一杯になっているのだとは思う。
ただの技術屋なら目前の仕事に集中してしまうのは仕方がない。
ただし、月野は少女であっても、従業員の生活と会社の経営を支える長である。
もう少し、視野を広げるべきだと思うのは、第三者の無責任な揚げ足取りでしかないのだろうか。
「どうしましょう……」
「あー、たくっ、仕方がない。一人だけなら当てがある。残り一人についてはこれからの話になるが。チームの人員については俺に一任させてもらうぞ」
俺の脳裏に浮かんでくる、八重歯付きでデフォルメした男の顔。
当ての一人というのは、やはりあの友人紛いな男、城森英児しかいないだろう。
英児がチームに加わったからと言って頼もしい訳ではない。成績は俺とほぼ同位。石鎧の操縦技術について俺は評価しているのだが、かなりの気分屋であるため成績に繋がっていない。英児の言動から、俺よりも成績が上ならそれで良いと勘違いしている節もある。
つまり、ただの数合わせだ。戦力としては期待できない。
ただし、英児が同チームにいなければトーナメント優勝はありえない。なかなかに扱い辛い、ジョーカーのような男である。
「こんなに協力してもらって、本当にすいません」
「だけど、期待はしてくれるなよ。成績二二一位で勧誘できる予科生は限られる」
「……は? 今、なんと?」
俺の言葉のどこに疑問を感じたのか、月野の眼鏡レンズの屈折率が変化する。
短い付き合いだというのに、この少女の特徴が分かってきたような気がする。
レンズが分厚いからなのだろう。少女が疑問を感じた際の首の角度で、丁度、レンズの透過性が失われるのだ。要約すると、眼鏡が本体。
「俺の成績順位は二二一位。下にまだ三十三人もいる」
「なんですかそれっ! つまり散々じゃないですか! 妙に偉そ……達観しているから、ついつい頷いてしまっていたのに、酷い成績じゃないですか!!」
「そんな予科生を強引に連れ去ったのは君だろうが」
「うぅっ、だからって、どういう演習していたら、そんな順位に!」
「……ほら、これが俺の演習の対戦成績。時間がある時にでも確認していてくれ」
メーカーとの交渉用にあらかじめ用意していたメモリチップをテーブルに置く。俺の演習成績のすべてが記録された通知表だ。貴重ではないのに大事という不思議データである。
メモリチップに手を伸ばしてプラスチックな表面に触れた際、月野は己の負い目を思い出したのだろう。静電気でも走ったかのように指先を震えさせた。
嫌なのなら、最初から連れてこなければ良かったのだ。こう、腹を立てた俺が契約を破談にしてしまう危険性にも気付いた様子である。女性特有の細い喉の奥へと、苦くて不味い唾を飲み込んでいく。
月野は以降、俺の順位に関しての追及を諦めてくれた。
粗方の確認が終ったのは、時刻が二十二時を回った頃である。
かれこれ三時間は交渉を続けていた事になる。本当なら腹が減って仕方がない時間のはずだが、気分的に食事を受け付けそうにない。問題が山のように堆積してしまっている。
それでも、対抗策をでっち上げられる間はまだ大丈夫だと思う。月野製作所の状況は絶望的であるが、無力感を覚えて未来を放棄する程の段階ではない。
希望はまだ残されている。
「――最後の質問だ。月野海が思う、新型SAの最大の特徴は何だ? 旧型から何を変えたかった?」
「液体型コンピューターを使った高性能AI補助機能や、軽量な新素材を使って重量を変えずに装甲を厚くしています。そういった技術的な進歩を取り入れてますが、これらはすべて、コンセンプトを実現するための手法、方策に過ぎません」
来月にも倒産してしまいそうな会社のどこに希望があるのか。実際のところ、経営学を受講していない俺に判断できるはずがない。
だから、俺に判断できる何かがあるとすれば、目前にいる少女だけだった。
「新型の開発で目指したのは、装着者の生存率向上です。会社の汚名は偽りだと信じています。けれども、父のSAを選んでくれたおじさん達は帰ってきませんでした。父のSAに欠点はなくても、生存者ゼロの現実は否定できない」
目前の黄色い髪の月野からは、意志の強さがある。
眼鏡越しでも失われない、瞳には決意がある。
熱意だけで現実を打破できはしないが、熱意のない者に現実は打破できない。
「もう悲劇は繰り返さない、ぼくが作ったSAを選んでくれた人達を、殺させたりはしない」
少なくとも、俺の心は月野の熱意に中てられた。
卒業試験の優勝などという大望、まったく俺らしくはない。腹が減らないように、座学も演習も手を抜いて三年間を過ごした俺が、予科生のトップに立とうなどおこがましい。
だが、月野の会社を助けるためならば、努力してしまいたくなる。
思案する必要はない。要するに、最初から二択だったのだ。
目の前で困っている少女を救いたいのか、救いたくないのか。少女に信念と可愛らしさが内在しているのであれば、答えは一つしか選べなかった。
合成樹脂のソファーから立ち上がって、俺は右手を月野に向けて伸ばす。
「分かった。これから卒業試験の優勝まで、よろしく頼む、月野社長」
「ッ! ありがとう、ございます」
続いて月野も立ち上がって、両手で俺の右手を包んできた。握手と共に、俺と月野の契約は締結された。
これまでの苦労に感極まり、月野の両目が濡れていく。
眼鏡の内側に一粒涙を付着させてしまったので、俺は頬をかきながら、まだ泣くのは早いと言ってやる。
「おいおい。これからまだ先は長いから、泣くのは優勝した時に残しておけって、社長」
「社長は止めてください。お飾りだって自覚あるのですから。同世代に肩書きで呼ばれても恥ずかしいだけです」
「なら、堅苦しいの止めよう。対外的に問題のない場合、月野と呼び捨てにする」
「分かりました。ぼくの方は……あれ? そういえば、君の名前を聞き忘れているような」
俺ばかりが質問していた所為だろう。月野の方から俺に対する質問が一切ない一方的な契約となってしまっている。
もう握手してしまったのでやり直すつもりはないが、せめて名前だけは最初に告げておくべきだった。
「俺は紙屋九郎だ。特にひねらず、紙屋か九郎と呼ばれる事が多い」
「紙屋九郎予科生。年齢、十八歳の今期卒業予定。成績は、やっぱり二五四人中、二二一位」
月野は一人、ひっそりとPCと向かい合い、紙屋九郎の成績データを参照していた。
個室の照明は消されたままなので、ブルーライトに照らされる眼鏡が青く怪しく光っている。
「今年度の演習成績は個人戦、団体戦を含み百十回。勝利率は二割って、聞いていた以上に酷い成績だよ。紙屋君」
契約した後で今更だが、月野は紙屋九郎なる予科生の成績をチェックしていた。
酷い順位については本人から聞かされていたので気持ちを引き締めていた。……つもりであったのに、勝率二割という情報に対して、ひぃ、と独りでに言葉を吐いてしまう。
「内訳は……え、何です?? この引き分け七十八回って」
月野が注目したのは、演習内容についてだった。
軍学校では、敵を殲滅して初めて成績に加点される。負ければ減点される。引き分けの場合はゼロ。実に単純な点数方式を採用している。
引き分けが適用されるのはダブルKOと、演習目的である敵撃滅を達成できずにタイムアップのみである。紙屋九郎の引き分けはすべてタイムアップによるものだ。
敵から逃げ回るだけの腰抜け予科生に対しては教官のジャッジが入る。まじめに戦闘しても勝敗が付かなかった場合しかタイムアップは発生しない。
だから、紙屋九郎の引き分け回数は常軌を逸している。
「なにこれ、怖い」
教官が書き加えたと思しき、紙屋九郎についての捕捉は次の通りであった。
『平凡な石鎧装着者でありながら、継戦能力については秀でたものがある。ダメージコントロール技術は度し難い』
紙屋九郎は演習における引き分け王者であるが、珍しく、他生徒よりもずば抜けて優れた成績を収めた訓練がある。
それは、ドーム外で行われた無期限のサバイバル訓練だ。
砂嵐が吹雪く中、予科生達は石鎧の中で無為に過ごすというストレス負荷の高い訓練である。しかも、飲食物は石鎧に積んである二日分の非常食のみ。予科生ならば基本的に二日、外縁軍の装着者であっても三日耐えれば称えられる。
流石の成績優秀者たる曽我瑞穂は四日耐えたそうであるが。
他、全員の予科生が脱落にしたにも関わらず、紙屋九郎は十日間を生き延びてドクターストップに終わっている。まだ二日はいけたという本人の感想も記録されていた。
「……紙屋君って、何者よ」
月野は勢い良く立ち上がると、寄り道をしないで工場の実験室へと向かう。
実験室には、新型の賢兎との性能比較用に、一機だけ稼働状態にある旧型の闘兎が鎮座していた。
訓練を受けていない月野では戦闘機動はできないが、スリープモードを解いて電圧を最大にするぐらいは可能だ。
賢兎と良く似た顔立ちの闘兎の二対のカメラレンズが発光し――光る必要性はないように思えるが、機動した事を視覚的に認識できるようにギミックが施されている。月野製作所の特許だ――、数秒後に突然、人間が意識を失うように光を失っていく。
頭部の内側に張られた曲面スクリーンには、システムエラーと表示されている。
ソフトウェアかハードウェアかはまだ判別できないが、石鎧の不具合である事は間違いない。程度は間違いなく重大エラー。再稼働させるためには、一度、電源を落とす必要があるだろう。
「…………言っていた通りの不具合があった。紙屋君って、本当に何者よ」




