向こう側にいた人たち
白い光が消えると、そこは森の中だった。
「あ……れ?」
さっきは草原にいたはず――そう思って、絵麻は翔の方をみつめた。
「どうしたの?」
「何があったの? ここ、さっきの場所と違うよ?」
「それはそうだよ。移動したんだから」
「移動?」
絵麻は首をかしげた。
彼女が記憶している限り、さっきから一歩も動いていないのである。
「言わなかった? リターンボール使うって」
「うん……聞いた。聞いたんだけど」
「?」
「……名前だけ」
絵麻は小さく肩をおとした。
錯乱状態から覚めたばかりだった絵麻は、当然疑問に思っていていいそのボールの効能を聞き損じたのである。
聞いておけば今質問せずに済んだのに。
聞ける時に聞いておくのは常識。そうでないと、後で相手の気分が変わって情報をもらい損ねてしまう。最悪は怒られるかもしれない。
けれど、翔は絵麻が考えていたのとは全く別の反応をした。
「これは叩きつけると、刷り込んでおいた任意の場所に戻れるんだ」
「え、歩かなくても?」
驚きが倍になって、絵麻は茶水晶の瞳を大きく見張った。
「そう。瞬間移動の一種だね」
「どこでもドアだ……」
「どこでもじゃないよ。精製するときに設定した場所一ヶ所限定。市販されてないから馴染みは薄いかな?」
「……」
「ここで話しててもさっきと変わらないや。入ろう?」
翔はそう言うと、森の中に続く道を歩きだした。
「どこに行くの?」
「えっと、僕の家ってことにしとこうか」
「?」
絵麻が聞き返そうとした時、ふいに視界が開けた。
そこにあったのは、大きな洋館風の造りの家だった。
白く塗った木造の壁に緑色の屋根といった組み合わせだが、それが周囲の森にうまい具合に溶け込んでいる。
玄関を中心に左右に広がる造りは、かなり大きなものだ。三世代くらいの大人数で住んでも、各人に個室があるかもしれない。
「ここに住んでるの?」
「正確にはここの一角。僕だけの家じゃないからね」
「そうだよね。こんな大きな家なんだから、家族がいるに決まってる」
「いや、家族じゃない」
翔の優しかった調子が、一瞬だけふっとこわばる。
「え?」
「仕事仲間だよ」
翔はそれだけ言うと、玄関のドアを開けた。
*****
「ただいま」
「おじゃまします……」
翔の後に続いて中に入る。
そこは二階まで吹き抜けのホールになっていて、右正面に階段がある。右側には廊下が続いていたが、左側にはすぐ二つの戸口があった。
「部屋はマズイもんな。こっちに来て」
翔は少し立ち止まったが、すぐに絵麻の左側の、奥にあった方の戸口をくぐっていった。
「あ、翔だ」
「遅かったじゃない。終わった?」
「いや、ちょっと妙な事態になって」
入り口に立つと、中からそんな話し声が聞こえて来た。
男の人と女の人の声――翔と同じくらいの年頃だろう。
ということは……。
絵麻が思わず立ちすくんだ時、翔が中から声をかけた。
「絵麻? 入っておいでよ」
「エマ?」
おそるおそる入り口から中をのぞく。
そこはリビングのような部屋で、濃い青のソファがコの字を書くように置かれていた。
そこに三人ほどの男女が座って、絵麻を見ている。
「女の子?!」
「中央系なんだね。音だけ聞くと西の方の名前だけど」
絵麻はびくっと肩をすくめた。
話していたのは、並んで座っていた男女。
こげ茶色の髪。右耳だけにつけられた三連ピアスが、少し軽薄な印象を与える。年は二十歳前後だろうか。
翔も背が高いと思ったのだが、この青年は翔をさらに上回っている。翔よりもっとラフな、シャツとジーンズという服装は現代にいる若者と変わらない。
隣に座っている女の子も、だいたい同じ年頃に見えた。茶色の髪をショートボブにしているので、耳につけられた大振りの赤い丸ピアスがよく見える。瞳の色は紫だ。
肩が出るデザインの長袖のTシャツに重ねた革製のベストが、彼女をハードな印象に見せている。
もう一人、やわらかくウェーブした金色の髪を束ねた人物がいるのだが、こちらからは後ろ姿で顔が確認できない。
(不良……さんの集まり?)
「絵麻、こっちに来て」
絵麻が硬直しているのをみて、翔が声をかけた。
「え、でも」
「大丈夫だって。まず話をしなきゃはじまらないでしょ? 怖くないから」
絵麻はおずおずと、翔が立っている位置まで歩いた。
そこまで進んではじめて、ソファの中央にテーブルがあり、端末が据えられていることに気づいた。
「座って」
「いいの?」
「さっきから立ちっぱなしで疲れたでしょ? 荷物も背負ったままだし」
そう言えば、家に帰ってからリュックもおろさず、ずっと玄関に立ちつくしていたのだった。
立つのには慣れているのに、言われると急に座りたくなるから不思議だ。
絵麻は膝に、盾のようにしてリュックを置いて、ソファのいちばん端っこに腰かけた。
翔はその向かい側に座る。
「で、この子がどうしたの? ここに連れて来るなんて」
口火を切ったのは、茶色の髪の少女。どこか咎めているような響きに、絵麻は小さく首をすくめた。
「実は……」
翔は手短にここに至った経緯を話した。
絵麻が突然、空中から落ちて来たこと。絵麻が戦利品の血星石を体内に取り込んでしまったこと。話が上手くかみ合わないのでここに連れて来たこと。彼は要点だけを上手く押さえて話した。
ただ、絵麻がパニックを起こした点に関して彼は触れようとしなかったが。
「血星石を吸い込んだ?!」
「そんな事、できるのか?」
少女の方が声を高く上げて絵麻をみる。
青年は翔の方に顔を向けたが、翔は首を振った。
「僕は聞いたことがない。情報をあたるつもりで連れて来た」
翔の言葉は絵麻の耳に入らなかった。
少女の視線が怖くて、その場に凍りづけになっていたのである。
(怖い……)
別に少女に害意があるわけではない。絵麻をみているだけ。
ただ、それだけなのに。
(どうして……動けないよ。わたし、一体どうなってるの……?)
必死に考えだけをめぐらせる。
何度も何度も考えて、結局、ひとつの結論に行き着いた。
少女が姉、結女と同じ年頃だという結論に。
それだけで、何故動けなくなるほどの恐怖を感じるのか、絵麻は自分のことなのに、全く理解できなかった。
(わたし……どうして?!)
「あれ? どうしたの?」
その時、今まで黙っていた金髪の人物が動いた。
少女のTシャツの袖を白い指先でつかむと、絵麻の方を見て唇を動かす。その声は絵麻には聞こえなかった。
絵麻は別の感覚に捕らわれていた。
簡単に言ってしまえば、金髪の人物に魅入られたのだ。
ウェーブのかかった金髪を後ろで束ねた人物は、外国人の少女だった。
落ち着いた色合いのハイネックに、淡い紫のロングスカート。肩にはショールをかけている。
透き通りそうに白い肌。
彫りの深い、端正な顔立ち。暁色の唇。
切れ長の瞳は色こそ碧だが、形は結女と寸分違わないといっていいほどに似ていた。
とても、とてもきれいな、冷たい美人――!
(……お姉さんに似てる!?)
絵麻は次第に混乱してきた。
そっくりそのままというわけではない。髪も瞳も肌も色は全部違う。瞳がよく似ているが、それは切れ長だというだけだ。姉じゃないのはすぐにわかる。
それなのに、どうしたの?
どうして、他の女の子がみんな姉にみえてしまうの?
やがて、少女の方がソファから立ち上がると、絵麻の方に歩み寄って来た。
「ホントだ。ここの首のところ、こんなに赤くなっちゃって痛くない?」
「く……び?」
絵麻は指先を首にはわせた。
確かに何かが食い込んだ跡が、くっきりと残っている。
細い、デコボコとした物――鎖。
「!」
絵麻は今すぐに叫びだしたい衝動を押さえて俯くと、ぎゅっと目を閉じた。
(……怖いよ! お願い、これ以上わたしに何もしないで……)
けれど、絵麻の心の願いを無視する形で、少女は絵麻の顔を上げさせる。
「痛そうね……ちょっといいかな? 楽にしてあげる」
そう言って、少女は絵麻の首に片手をかけた。
その手につけられていた鎖状のブレスレットが、しゃらんと音を立てる。
瞬間、絵麻の脳裏にまたあの光景がよみがえった。
(お姉さん)