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Love&Peace  作者: 野田乃音
終わりからの始まり
8/45

ガール・ミーツ・ボーイ

「き……きゃあああっ!」

眼前に地面がせまってくる。

悲鳴をあげるのだが、だからといって落下速度が落ちるわけではない。

次の瞬間、絵麻の身体は地面に叩きつけられていた。

「いたた……あれ?」

衝撃は強かったのだが、思ったほど痛くない。

見れば、下はやわらかい芝生の地面で、これが衝撃をやわらげてくれたのだろう。

その芝生に、祖母の形見である青い宝石のペンダントが転がっていた。

「あ」

とっさに腕を伸ばして拾い、ポケットに押し込む。

「あ、あの」

その時、絵麻の下から、遠慮がちな声がした。

「?」

「おりてもらえるかな? 重いんだけど」

見れば絵麻と地面の間に、人がひとり下敷きになっている。

その人物がクッションになってくれたおかげで、絵麻はかすり傷ひとつ負わずにすんだわけだが――下敷きにされた方はたまったものじゃない。

「きゃあっ!」

絵麻は悲鳴を上げてその場から飛びずさった。

「痛っ……頭打った」

絵麻の下敷きになっていた人物が、どうやら打ちつけてしまったらしい頭をさすりながら体を起こす。

「ごめんなさい……」

「僕は大丈夫。君は平気?」

「うん」

絵麻は頷いて、それから目の前の人物を眺めた。

年は二十歳前といったところか。切り返しのついた黒のジャケットと、白いジーンズという格好をしていて。

それより絵麻の目を引いたのは、その人物の顔かたちだった。

さらさらの、青みがかって見える黒髪と、黒目がちの瞳。かなりの長身ではあるが、顔立ちは優しげだった。

「それより、一体どうしたの? こんな何もない所から落ちてくるなんて」

目の前の人物が指し示した頭上には何もなく、ただ青空が広がるのみだった。

わけがわからず、絵麻は言葉がない。

「君は、どこから来たの?」

「……」

記憶の糸を探ってみる。

確か、祖母の声のする闇の中を漂っていて、気づいたらここに落下していた。

ということは、ここは――。

「ここは、天国?」

「?」

少年が、きょとんと目をみはる。

「大丈夫なの? 君、頭を打ったりしてないよね」

「打ってない。それより、ここはどこなんですか?」

絵麻は目の前の人物に聞いてみた。

「ガイア西部、ウィガン高原、だけど?」

「?!」

今度は絵麻が目を見張る番だった。

「あの。今、なんて?」

「だから、グリーンガイア国西部地区、ウィガンの高原」

「?」

絵麻の頭の中で、疑問符がぐるぐる回る。

目の前の人物がおかしいのか、それとも自分がおかしいのか。前者だと言いたいところだが、目の前の人物の面差しは真剣そのものである。

となると、自分がおかしいということになるのだが――。

その時になって、絵麻は目の前の人物が、日本語とは全くかけはなれた言葉を使っていることに気づいた。

絵麻が聞いたことのない言葉なのだが、絵麻は彼の言葉をしっかり把握できているし、目の前の人物の方も絵麻と会話をするのに不自由している様子はない。

(どうなってるの?)

一人で考え込んでいる絵麻を見かねたのか、少年が声をかけてきた。

「君は誰なの?」

「深川……深川絵麻」

絵麻は少しためらいながら答えた。

普通に接してくれていた人でも、この名前を言えば態度が変わる。ある人は蔑むように、またある人は媚びるように。

だから、絵麻はこの名前が嫌いだった。

つけてくれたのは大好きな祖母なのに――。

絵麻は、目の前の人物の態度が変わるのをなかば予想していたのだが、特に何も感じなかったようだった。

「僕はしょうっていう」

そう、普通の反応を返してきた。

「翔、さん?」

「翔でいいよ」

絵麻は何となく気が抜けて、また沈黙してしまった。

「どうしたの?」

「……」

「絵麻はどこに住んでるの?」

話が硬直してしまったので、翔の方が質問を変えた。

「厚木」

「どこ? それ」

「神奈川県の厚木市よ。知らないの?」

「悪いけどわからないな。それ、どこの地区?」

「地区?」

「中央部とか、北部とか南部とか」

「わからない」

さっきからのやりとりの中で、ひとつだけわかったことがある。

ここは日本じゃない――絵麻の考えがあっていれば地球でもないだろう。少なくとも、グリーンガイアという国名を絵麻は聞いたことがない。

 何で、こんなことになっているんだろう?

「絵麻ってなんか変わってる」

 翔は絵麻をしげしげと眺めながら言った。彼は、絵麻の首の辺りを見ていた。

「わたしから見たら翔さんだってそうだよ」

「翔でいいって。それより……」

翔が何かを言いかけた時だった。

ふいに、背後から咆哮のような音が響いた。

「?」

絵麻が振り向くと、テレビか動物園の檻の中でしか見たことのないような、毛むくじゃらの大熊がそこにいた。

一撃で岩も砕きそうな腕と、大きく裂けた口からのぞく鋭い二本の牙。そして、真っ赤に充血した目。

「なに……なんでここに熊がいるの?」

「グアアアアッ……」

大熊は咆哮すると、絵麻に向かって突進してきた。

「きゃあっ!」

大熊の息がかかりそうになった瞬間、絵麻は横にいた翔に押し倒されて難を逃れていた。

思いきり地面を転がって、頭を打ってしまうが、今はそんなことを構っている状態ではない。

「絵麻、大丈夫?」

「何これ? 何なの?!」

「パンドラの亜生命体モンスター。ここにいたのか」

「?」

「絵麻、ちょっと下がってて」

この非常識な事態にもかかわらず、翔は冷静だった。むしろ、待っていたように。

ジャケットの内側から、透明な何かを取り出す。よく見てみると、それは、理科室に置いてあるようなガラス製のシャーレだった。中に緑色の石が入れられている。

絵麻を背後にかばいながら、翔はそれを持って大熊に対峙した。

「それで何するの?!」

どこからどうみても、大熊を撃退できるものじゃない。

「だから、黙ってみていてよ」

「そんなんじゃ熊に食べられちゃうよ!!」

「大丈夫だから」

その時、絵麻は翔が持っている緑色の石から、何か不思議なオーラ波動が漂ってくるのを感じた。

(?)

翔が目を閉じて、意識を集中させる――その一瞬、絵麻は翔の身体を、不思議な波動を持つ、限りなく白に近い青の閃光が包みこむのを見たように思った。

(なんだろう……この感じ)

 はじめてみたのに、どこかで感じたことがあるような気がする。

 不思議な波動――限りなく白く青い、一瞬の閃光。

(この感じは……雷?)

「グアアアアッ!!」

絵麻の思考は、再び眼前に迫っていた大熊の咆哮によって中断された。

鋭い爪が、二人の頭上目がけて振り下ろされる!

「きゃあっ!!」

悲鳴をあげて、絵麻は目の前の翔の背中にしがみついた。

が、その爪が二人に届くことはなかった。

何かが弾けるような音とともに、大熊がその巨体をのけぞらせる。

「グアアアアッ……!!」

「え?」

見てみると、翔の手が大熊に向かって突き出されていて、その手にはさっきの青白い光が集まっている。

ところどころが青くスパークしている様子は、絵麻に電気を思い起こさせた。

「翔?」

「これで終わりだ!」

翔はそう言うと、掲げた手を大熊に向かって振り下ろした。

手の中にあった青い光が、稲妻になって大熊に襲いかかる。

 雷が近くに落ちた時のような轟音が響いた。

「グアアアアッ……!!」

雷光の中で、大熊の巨体がみるみる炭化していく。

大熊が黒焦げになって倒れるまで、一分とかからなかった。

絵麻はおそるおそる、大熊が倒れた場所を翔の背中ごしにのぞきこんでみる。

「もう大丈夫だよ」

翔が位置を開けてくれる。大熊は文字通り黒焦げになって倒れていた。

「これ、死んだの?」

「うん」

熊の黒焦げの死体を、絵麻はしばらく呆然と眺めていたのだが、その時、ふいに熊の目のあたりで何かが不気味にきらめいた。

「うわっ!」

思いっきり飛びずさる。

「どうしたの?」

「そいつ、まだ死んでない!!」

「えっ?」

「今、目が光った!」

「目?」

思いきり逃げ腰になっている絵麻とは対照的に、翔は、平然と熊の頭だった部分に歩み寄ると、さきほど光った、目があった部分に手をつっこんだ。

「危なくない?」

「大丈夫だって。ほら、炭になってるでしょ?」

翔は何かを探すようにその炭をあさっていたのだが、数分もすると汚れた手をひっぱりだした。

「見つけた。光ったのってこれ?」

翔の手には、ちょうど三日月のような形をした光る何かがつかまれている。

「何それ?」

血星石ブラッドストーンだよ。僕はこれを探してたんだ」

翔はそう言うと、絵麻にその血星石を手渡してくれた。

親指の爪くらいの大きさの、三日月型の石である。色は濃緑で、全体にぼつぼつと不規則な赤い斑が散っている。

そう――まるで血しぶきを浴びたかのように。

「血星石……」

それを手にした瞬間、絵麻はまたあの不思議な波動を感じた。

何か、とてつもなくまがまがしいもの。触れてはいけないようなもの。そんな波動だ。

(わたし、この石のこと知ってる?)

「これは?」

「えっと、僕らの総帥が集めている石。いろんな場所にあるんだけど、たまに亜生命体が持ってることがあって、それで僕が回収に来たんだ。そろそろ返してもらっていかな?」

「あ、はい」

 はぐらかされたような感じを受けたものの、だからといって返さないわけにいかない。

 絵麻は翔に、血星石を返そうとした。

その時、ふいに、絵麻の手を濃緑の光がからめとった。

光は絵麻の手の中の血星石から発されていた。

「?」

「え?」

とっさのことで、二人とも反応が遅れる。

その刹那、血星石は濃緑の光を発しながら、絵麻の手のひらに沈み込んだ。

何の抵抗もなく、魚が水に潜るように。

「……?!」

翔が大きく目を見開く。

「消えた?! ううん、おっこちたのよね?」

絵麻はぱたぱたと周囲を見渡したのだが、手があった下にも、どこにも血星石はなかった。

「落ちて……ないね」

「じゃあ、どうなったの? どこにあるの?」

「絵麻が吸収したんだ」

翔の顔色が、いくぶん青ざめてみえる。

その手には、いつの間にか小さな、緑と紫の二つの色からなる石のついた振り子が握られている。

翔がその振り子を絵麻の前にかざすと、振り子の先端の石が輝いて、左右に揺れた。

「何してるの?」

「この振り子は血星石の波動に反応するんだ」

「ってことは、わたしの中に血星石があるってこと? さっきの熊みたいに?」

翔が無言で頷く。

「え」

自分の中に血星石があるということは――?

「ねえ、君は誰? どこから来たの?」

 思わず胸を押さえた絵麻に、翔が今までより幾分強い態度で問いかけた。

「?」

力包石パワーストーンを操れる人はいても、吸収する能力なんて聞いた事がない!

 まして最凶の力包石、血星石を吸収するなんて」

 翔はぶつぶつと呟いていたが、やがて絵麻の手を取った。

「とにかく、早く取り出さないと」

「取り出す?」

 絵麻の脳裏に、さっきの大熊の姿が浮かぶ。

 その視線の先には、冷たい灰になった骸があった。

「わたし、殺されるの……?」

絵麻は自分の顔面から血の気がひくのを感じていた。

瞬間、結女の冷たい瞳が浮かぶ。

『さよなら』

 そう言って笑った結女の表情。首にくいこむ鎖の感触。息が詰まって、そして……。

「きゃあああああああああっっ!!」

思い出した瞬間に、絵麻は絶叫していた。

「え……絵麻?」

翔があっけに取られたような表情で、それでも絵麻の肩に手をおこうとする。

その手を絵麻は振り払った。

「やだっ、殺さないで!!」

嫌がるように首を大きく振って、その拍子に左サイドの髪を止めていたヘアピンがひとつ、外れて飛んでいった。

「殺す?」

「殺さないで!! 道具扱いしないで!!」

「何を言って?」

「お願い……わたしを殺さないで!! お姉さん!!」

「お姉さん?!」

それから先、翔が何を言っても、絵麻は姉に「殺さないで」と哀願するばかりだった。

絵麻本人は意識していないのだが、錯乱状態を引き起こしていたのである。

翔はそんな絵麻の様子を、しばらく黙って見ていたのだが、やがて絵麻の肩に手をかけると、もう一方の手で顎をつかんで強引に上向かせた。

手荒と言える行為に、絵麻はびくっと肩をすくませる。

「落ち着いて、絵麻」

「殺さないで……お姉さん……」

「よく見て。僕はお姉さんじゃないでしょ?」

「?」

絵麻を真っすぐ見ているのは、優しい茶色の瞳。

姉の切れ長の黒い瞳とは全く違う。どちらかと言えば祖母に似た瞳だ。

すうっと、乱れていた心が凪いでいくのがわかる。

「お祖母ちゃん……?」

「だから、女じゃないんだって」

「……翔?」

「落ち着いた?」

翔は笑うと、絵麻の顎と肩から手をはずした。

「わたし、どうして?」

ふと頭に手をやると、髪の毛がめちゃくちゃになっている。ヘアピンの位置もずれて、二本さしていたうちの片方がなくなっていた。

「あれ?」

「これを探してるの?」

翔が、いつの間にか拾っていたらしいもう片方を絵麻に差し出した。

「ありがとう」

絵麻は受け取ったのだが、すぐにぱっと顔を上げた。

「翔は、わたしのこと殺さないの?」

「殺さないよ」

翔が即答する。

「でも、わたしの中に血星石が入ったってことは、あの熊と同じでしょ? だったらさっきみたいな雷で……」

「あのね、確かにMr.PEACEからは血星石を集めるようにって言われてるけど、まさか人を殺して取り出すわけにはいかないでしょ? 武装集団じゃないんだから」

またわからない言葉が出て来た。

「ねえ、それ何? Mr.PEACEに武装集団って。それから、さっきの雷は何だったの?」

絵麻の疑問は翔にとっては常識だったらしく、ちょっと驚いたように表情が変わる。

「絵麻は何も知らないの?」

「みたい……」

何となく責められた気がして、絵麻はうつむいた。

その頭の上で、翔が呟く声がする。

「記憶喪失? 知らないなら説明しなきゃだめだし、どっちにしろ能力発動した現場を押さえられてるわけだから……血星石の件も一回じっくり調べてみたいし」

「翔?」

不安になった絵麻が顔を上げると、翔は考え込むような表情を元に戻した。

「とにかく、ここじゃ何もできないから、場所を変えようか」

「場所を?」

「うん」

翔は言って、ポケットからまた何かを取り出した。

「それは?」

「戻りリターンボール。僕が作ったんだ」

「?」

戻り玉と言われたそれは、形や大きさは入浴用の丸いバスビーズに似ていた。半透明で、持った感触といえばぷにぷにとやわらかい。

「おもちゃのスライムみたい」

「すらいむ?」

「ゲーム、知らない? ドラゴン……クエストだったかな。それの、確か、一番弱いモンスター」

「わからないな」

翔が首をひねる。

「やっぱり、通じないか」

絵麻より少し年上に見える翔の世代なら、ゲームをやったことはあるはずだろう。スライムといえば、およそゲームに縁のない絵麻が知っているくらいにポピュラーなモンスターだし。

「とりあえず行くよ。説明しなきゃなんないし、絵麻の話も聞きたいし、血星石を何とかしなきゃ。帰れば仲間がいるし」

翔はそう言うと、手にしたボールを地面に叩きつけようとした。

「あ、待って」

その手を絵麻が止める。

「何?」

「その行った場所で、わたしのこと殺さない?」

「また言ってる」

翔は絵麻の頭に手を置こうとして、すぐにひいた。

「何があったのか知らないけど、安心していいよ。僕は絵麻を殺そうなんて思わないから」

「本当?」

「約束する。絶対に殺さないし、死なせもしない」

そう言って絵麻を見る目には、真剣な光があった。

今まで会った誰とも違う、強い光。

(信じて……いいのかな)

絵麻の胸に、ふっとそんな思いがよぎる。

「いい? いくよ」

絵麻の物思いには気づかずに、翔は手にしていたボールを地面にたたきつけた。

瞬間、弾けた表面から白い光があふれて……絵麻の視界を埋めつくした。


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