真っ暗な靴箱と偽りの街
「深川さん。深川絵麻さん」
数日後、帰ろうとしたロッカーで、絵麻は葉子をはじめとする数人のグループに呼び止められた。
「石井さん」
絵麻はちょっとひきつった笑顔で振り返った。
石井葉子というのは、昨日のホームルームで『深川結女のコンサート』を提案してきた、ここ竹島高校でもかなり派手めの女生徒である。
けっこうルックスはよく、芸能界デビューを狙っているという噂があるくらいだ。
それでよく絵麻にからんでくるのだが、絵麻はどうもこの女生徒が苦手だった。
姉は姉、自分は自分。姉のいない所でまで、並べないで欲しい。
「なに?」
そう思っても言えるはずもなく、絵麻は続きを促した。
「昨日のことだけどさ、話通してくれた?」
「……まだだけど」
「まだ? 文化祭もうすぐだってわかってンの?」
「お姉さん、忙しくて」
一応、事実である。
「なんで? 結女ちゃんと一緒に住んでんでしょ?」
「でも」
一緒に住んでいたって、忙しければすれちがうのだ。
普通の家だって、入れ違いの生活を続ける親子は多い。
まして、絵麻と結女は世間が思うような仲良し姉妹ではないのである。それが葉子には通じない。
「出し惜しみ?」
葉子はすうっと、意地悪く目を細めた。
「お姉さんこんな学校に呼びたくないんだ。そうなんでしょ」
「!」
絵麻の否定の声は、葉子のとりまきの声にかき消された。
「深川さぁん、芸能人の妹ならもーちょっとサービスしてよ」
「こんなバカ高じゃ楽しみないしさ」
「でも、お姉さんだって仕事があるし。仕事のオファーって、大体一ヶ月くらい前には決まっちゃうから」
「あ、『オファー』だって。専門用語だ!」
葉子がわざと、派手なリアクションをする。
「芸能人でもないくせに」
「やっぱ芸能人の妹さまはトクだねー」
「ねえ、別に結女ちゃんこなくてもさ、深川さんが持ってる芸能人のサイン展示するだけでもいいんじゃない? ねえっ?」
「そんなの、持ってない……」
竹島高校では『一年G組の深川はどんな芸能人のサインでも持っている』という噂がまことしやかにささやかれているが、それは当然嘘である。
あの結女が、妹にそんなことをしてくれるわけがない。
「やっだぁ、またケンソンしちゃって」
「そーゆーんだからお高くとまってるとか言われるんだよ」
「でもさ、サインより結女ちゃんと深川さんくらべるショーやったほうがよくない? そのほうが絶対オモシロイし、ファンサービスにもなるよ。そのほうが、都合いいでしょ?」
葉子は、無邪気そうな笑みを浮かべて絵麻の顔をのぞきこんだ。
絵麻はそれでもまだ笑っていたのだが、その目はひきつっている。リュックにかけられた手が震えていた。
そんなの、冗談じゃない。
確かに、結女にはいい話題だ。絵麻と結女が並ぶことはほとんどないのだから。
結女の東大合格から、もう半年以上経っているのにもかかわらず、この話題には、いまだにワイドショーの一角を占めるだけの力がある。
けれど、自分は姉の人気を保つための道具じゃない。
道具じゃないのに。
絵麻は気持ちがどんどん沈んでいくのを感じていた。
(お祖母ちゃん……)
手が、無意識にポケットに収めた、祖母の形見のペンダントに伸びていた。
(?)
けれど、そこにあったのは袋だけで、肝心の宝石の感触はなかった。
「えっ?!」
絵麻は思わず大声を上げる。
「なによ」
目の前の葉子が不服そうな声を上げるが、その葉子の存在は既に絵麻の中から消えていた。
「ない……ない! 嘘でしょ?!」
ポケットから袋を引っ張り出し、ばさばさと振って見るのだが、ペンダントはおろか埃さえ落ちて来ない。
「深川さん?」
「ついにアタマがいかれちゃった?」
「っていうか、もともとバカだって騒がれてるけど」
葉子とそのとりまきはそんなことを話していたのだが、絵麻はそれに構わず校舎を飛び出していた。
全力で走って、学校の前にある大通りを走り抜ける。この時だけは周りの視線も嘲笑も気にならなかった。
(どこにやったんだろう)
外でも、家でもめったに出さないのだ。袋は残っているのに、ペンダントだけなくなるなんて考えられない。
息が切れて立っていられなくなるまで走った絵麻は、町角にあった電柱に倒れ込むようにしがみついた。
「はあっ、はあっ……」
電柱にしがみついて、喘息患者のような呼吸をする少女に、周り中から視線が集まってくる。
「あ」
「おい、あの子深川結女の妹じゃないのか?」
「ほら、今そこのテレビに映ってる」
やじ馬からのその声に、絵麻は顔を上げて、電柱の前にあったショーウィンドーを見た。
家電量販店だろうか。そこには大画面のテレビが設置されていて、夕方の生番組を放送していた。
その画面の中で、結女がとてもきれいな笑顔を浮かべてたたずんでいた。
すらりとした見事な肢体をスカーレットのスーツで包んだ姿は、まるでバラの花のようだった。
こんな人を目の前にしたら、きっと誰だって、見ただけで好感を持つだろう。
『それじゃあ《身近なお宝発掘隊》のコーナーいきましょうか。今日のゲストは深川結女ちゃんですが、結女ちゃんのお宝はなんですか?』
『はい』
テレビのキャスターの声に、結女が手にしていた小さな木箱を開けた。
『これです』
スポットがあたり、その中身がきらきらと青い光を放つ。
宇宙の青さを全て集めて、そこに太陽の金色のひざしをふりまいたような宝石。
それは――絵麻が探していたあのペンダントだった。
「えっ?!」
スタジオも、やじ馬も――そして絵麻も。全員の視線が結女の持つペンダントに釘付けになる。
(どうして……?)
『ほぉーっ、これはいいものですねえ』
呼ばれていた鑑定士が声をあげる。
『そんなに価値のあるものなんですか?』
『価値もなにも。これだけの純結晶のラピ青スラズリ金石はみたことがありませんよ』
『ラピスラズリっていうんですか? そんなにすごいなんて思ってませんでした』
結女がひかえめに笑う。
『これ、どこで手にいれられました?』
『どこもなにも、ただ家にあったんですよ』
『これ、青金石自体はものすごくいいんですけど……惜しむべきはほら、ここにキズが入ってることですね』
鑑定士はさも残念そうにペンダントの台座を裏返した。
そこにあるはずの『M to E』の文字の部分には、まるでそれを消したがったような幾筋ものひっかき傷がつけられていた。
『これ、どなたのものなんですか?』
『私のものですよ。決まってるじゃないですか』
結女が艶やかに笑う。
「どうして……?!」
絵麻は町の中だということも忘れ、泣き声をあげた――。